エンマ様はお話をした
私たちは、それからしばらく言葉を交わした。話題は自ずと、これから向かうべき『第2層』の試練へと移る。
「……第2層の試練を受けるのは、今の状況ではかなり難しいかもしれませんね」
オクスタシアが伏し目がちにそう告げた。私は首を傾げる。
「え、そんなに難易度の高い試練だったか?」
「いえ、そういう意味ではありません。試練の場に辿り着くこと……つまり『受ける資格を得るまで』が困難なのです」
「受けることが?」
「えぇ」 彼女の口調が、一段と重くなる。
「現在、2層は大きく二つの派閥に分かれています。一つは私たちが管理する1層から5層までを住処にする派閥。そしてもう一つが、6階から10階を支配している――『アルカ』の派閥です」
アルカ。その不吉な響きには見覚えがあった。
「あぁ……もしかして、かつて閻魔大王の候補だった男か?」
この無間地獄が造られた当初、次代の大王を選定する試験場として機能していた頃。当時の地獄で最強と呼ばれた猛者たちが三人、この地に送り込まれた。彼らこそが『閻魔大王候補』と呼ばれる伝説的な罪人たちだ。
「その通りです。アルカは自身の能力を使い、6層から10層の住人たちを強制的に従えています。この1000年間、私たちの派閥とは常にる敵対状態にあるのです」
オクスタシアの表情には、深い疲労の色が滲んでいた。
「実は通達が届き、あなたが指名手配された直後、200もの悪魔が我々の管理区域へと攻め込んできました」
「えっ、200……!?」
「はい。私は基本、5階と6階の境界近くを拠点にしていますから、すぐに気づいて殲滅しましたが……流石に数に押され、何人か逃してしまったのです。いやはや、本当にとんだ災難でしたよ!」
愚痴をこぼしながらも、オクスタシアの瞳にはどこか楽しげな熱が宿っていた。私はそこであることに気づく。
「あ! もしかして、さっき私たちを襲った連中って……」
「えぇ。逃した端くれが1層まで降りてきたのでしょう。それで慌てて追いかけてきたわけです」
ようやく合致した。なぜ2層の支配者たる彼が、わざわざ下の階層にまで降りてきていたのか。間違いなく私を狙った動機だったわけか。
「……でも、その5階と6階の境界を空けておいて大丈夫なのか? 目を離した隙に、アルカたちが攻めてくるんじゃ……」
「一応、信頼できる部下には任せてあります。それに、いきなり200の兵を消し飛ばされたのです。すぐに追加を送ってくるような真似はしないでしょう……それに」
オクスタシアが、顔に刻まれた縫い糸を歪ませて深く笑う。
「アルカ程度で、この私に勝てるわけがないじゃありませんか」
口元を縫う糸がピクピクと蠢く。その不敵な慢心に、私は呆れて溜息を吐いた。
「……オクスタシアがそこまで言うなら、いいけどさ。ところで、お前たちは私の命を狙おうとはしないのか?」
「お望みとあれば、今ここでやってもいいのですが? ……冗談ですよ。私やこの村の者たちは、現状の無間地獄の暮らしにそれなりに満足しているのです。わざわざ命を懸けてまで、前大王を殺す義理もありません」
「なるほどね……」
オクスタシアの言い分には筋が通っていた。ここまで導いてくれた恩もある。これ以上疑うのは失礼というものだろう。オクスタシアがいなければ、私は今頃まだあの終わりのない雪道を彷徨っていたはずなのだから。
「あ、起きたみたいですよ」
オクスタシアの視線の先――部屋の隅で転がっていた襲撃犯の二人が、ようやく意識を取り戻したようだ。毒の効果が切れたらしい。
「そういえば、何を聞くつもりだったんだ?」
「いろいろですよ。まぁ、見ていてください」
席を立ったオクスタシアは、襲撃犯の一人を私の足元へ無造作に放り投げた。
「そいつは外へ置いておいてください。縛ってありますから」
「はいはい」
言われるがまま、私はもう一人を扉のすぐ外へ転がした。見ればただ縛られているだけでなく、口にはガムテープのようなものが幾重にも貼られ、声を出すことすら封じられている。
オクスタシアは杖を手に取り、部屋に残した男の額にそれを突きつけた。
「さて、一つ目の質問です。アルカはなぜ200人もの兵を送り込んできた? 目的は何だ?」
「ちょっと待て、ここはどこだ! 離せ!」
当然の反応だが、オクスタシアに慈悲はない。
「落ち着きなさい。私の質問に答えなさいと言っているのです。……目的は?」
「……言えない」
「そうか」
次の瞬間、オクスタシアは無造作に杖を振り上げ、男の脳天に叩きつけた。
「ぐっ、あああああッ!!」
男の顔が、一気に苦痛に歪む。
「どうです? 気持ち悪いでしょう。今、杖越しに脳みそを揺らしましたから。……喋る気になりましたか?」
「言え……ませ、ん……」
鈍い音が再び響く。男は何度も悶絶するが、頑なに口を割ろうとはしなかった。
「……こりゃあ、無理そうですね」
「ありゃ、案外早く諦めるんだな」
「えぇ。おそらくこいつらは、喋らないんじゃなくて『喋れない』のですよ。十中八九、アルカの能力の制約でしょう」
オクスタシアの声に、隠しきれない苛立ちが混じる。
「一応、外にいるもう一人も試してみるか?」
「……やるだけやってみましょう。時間の無駄でしょうがね」
結果は同じだった。二人目も、一人目と同様に虚ろな目で沈黙を貫いた。
「アルカの能力は、簡単に言えば『契約』。それを利用して他人を駒のように操る、悪趣味な能力ですよ」
「なるほどね……となると、生け捕りにした意味はなかったってことか。」
「ま、仕方ありません。……このまま村に置いておくわけにもいきませんし連れていくしかなさそうですね…」
その時、ドアが静かに開き、私の腕を預けていたばあちゃんが部屋に戻ってきた。その小さな手には、包帯で厳重に包まれた『私の左腕』が握られていた。
私たちは再び椅子に座り直す。机の真ん中には、おばあちゃんの手によって、グロテスクにも私の左腕が「ポン」と置かれた。
「一通り調べてみたんじゃが……やはり、その手錠を完全に外すのは無理っぽかったよ」
「そうか……」
落胆しつつ、私は自分の腕を付け直そうと手を伸ばした。
「少し待つのじゃ」
おばあちゃんの鋭い制止に、指が止まる。
「収穫がゼロというわけではない。一応、一時的にであれば、手錠の効力を『無効化』することはできたんじゃよ」
「えっ、本当か!?」
「あんまり期待はせんでおくれ……」
椅子の上に立ち、背丈を合わせたおばあちゃんは、私の左腕を目の前に掲げた。そして懐から黒い石のようなものを取り出し、手錠に押し当てる。
その瞬間――。
私の体から、急激な魔力が爆発的に溢れ出した。視界が白むほどの、強大な力の奔流。
「っ、なにこれ……!?」
だが、その万能感は一瞬で途切れ、魔力は再び霧散した。
「……ふぅ、よかった。成功したみたいじゃの。原理は単純。その手錠が縛っている対象を、お前さんからこの『魔石』へと一時的にすり替えたんじゃよ」
「じゃあ、その魔石がたくさんあれば、私はいつでも魔力を解放できるのか?」
魔石の精製自体は難しくない。魔力を圧縮すればいいだけなのだから、量産も可能なはずだ。
「それができれば苦労はせんのじゃが……この魔石は極めて特殊な設計にしてある。量産はできんよ」
おばあちゃんが差し出した魔石は、たった数秒の使用ですでにボロボロに崩れ始めていた。
「手錠の対象を変えるといったが厳密には手錠に魔石のほうを本体だって勘違いさせるだけなんじゃ、じゃからその魔石はほぼのお前さんの分身のような存在になっている。」
「なるほど……だから作り方が複雑なのか?」
「複雑というより、材料が問題なんじゃよ。……これは、お前さんの『血肉』でできているからな」
「えっ……じゃあ、この魔石は?」
「あぁ、さっき預かったお前さんの腕を、少々削らせてもらった」
「人の左腕を勝手に削って魔石にするなよ!」
……その後、私はなんとか左腕を接合した。血で神経を繋ぎ合わせ、見た目にはほぼ元通りだ。手を握り込むと、まだ少しだけ違和感があるが、死後の世界の自然治癒力ならすぐに馴染むだろう。
よく見ると、腕の目立たない場所が、100円玉ほど削り取られた跡があった。
「……確かに、自分の血肉が材料なら、量産は無理だね」
「ひとまず、体の一部を毎日少しずつ削って、治して、また削る……それを繰り返して石を溜めていくしかなさそうじゃの」
その時、外が急に騒がしくなった。 何かが起きている。私たちは顔を見合わせ、急いで家を飛び出した。
なんとか腕は治りましたね。
次回はハル視点でのお話になります。
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