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冥界の太陽たち 冥界から四人の王子が復活する時、災いの蟲が来て世界は崩壊する。そしてゲームは始まっていた!  作者: あべ舞野


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冥界の太陽たち 第三話 中 糸杉の町 キルヒェガルテン

糸杉の森の正体をピドーが知る。

ハンナの家の赤ん坊を迎えに来たのは?

ティッシュバン家に小さな嵐が吹き、更なる訪問者が現れる

冥界の太陽たち 第三話  中

      (ノルデン)州 糸杉の町 キルヒェガルテン


 宿はバス停近くにあった。やはりそこが町で一番の繁華街らしい。三階建ての小じんまりしたホテルだ。予約なしの夕方でも、フロントでは親切に迎えてくれた。

 一階には食堂があった。木製のテーブルと椅子がある。内装は山小屋を思わせる造りだ。服装からすると、客は地元の人間も多そうだった。やはりあまり人の往来がないようだ。

「何で俺がここに...」

 ぶつぶつ言いながらナイフとフォークを動かしているのはピドーだ。ルプレヒトに引きずられるように連れられて来た。ピドーとしては、一人だけでも泊めてもらい、もっと母の思い出話を聞いてみたかったのだ。

「私だって君のお守りをしたくはない」

 ルプレヒトは不機嫌だ。

「ジーノチカとやらに話を聞いたら、すぐにでも出発するつもりだったのに」

 シュペトレーゼは黙っている。ハンナの家から口数は極端に少なくなっていた。時折、ちらりとルプレヒトとピドーを見比べる。雰囲気の悪い二人に遠慮しているようでもあった。

「あ、もしかして」

 ピドーが指をぱちんと鳴らした。

「俺を監視か? あんた達の居場所を誰かに教えたりするって思ってんの?」

「何を」

「ランドリーで言ってたじゃないか。移動が許されたのは...」

 所在を確認されないため。

 ソフィア師団の中でルプレヒト本人がシュペトレーゼに言った言葉だ。まさかピドーと旅に出るなどと、その時は思っていなかったのだ。今となれば失言だった。だからこそシュペトレーゼが王太子なのかと、ピドーに疑われたのだ。

 ドン、と拳がテーブルを叩いた。ルプレヒトだ。ぐいっ顎を上げてピドーを睨む。それでもピドーは平然としていた。むしろにやにやと笑っている。

「へへー、図星かよ」 

 沈黙が流れた。白けた空気が漂う。

「はい、お邪魔」

 腕まくりをした腕が、テーブルにカゴを置いた。山もりのオレンジが入っている。ルプレヒトが手を振った。

「頼んでいませんが」

 エプロンをかけた腹が揺れた。さっきまでカウンターで何かを洗っていた男だ。

「近所から差し入れだよ。お客さんら、遠くから来たんだろう? せっかくだ、楽しんで行ってくれ」

 見れば、各テーブルにも籠が乗っている。ピドーは遠慮なく手を伸ばした。さっそく皮を剥いてかぶりつく。果汁が口の中で弾けた。ほろ苦くて甘い。

「美味い! この辺って果物が取れんの?」

 砂ばかりの土地だ。男は他のテーブルから椅子を引いて座った。自分もオレンジを取り、口に運ぶ。

「今はな。昔はさっぱりだった。川が遠いし、風は強いし。ほれ、山があるだろう?」

 ゾンバルト連山を越えてキルヒェガルテンに吹き付けるのは乾燥した風だ。大きな川もなく、空気は乾燥している。農作物は育ちにくく獲物にできるような大型の獣も生息していない。人間が生活するには厳しい環境だ。

「でも、もう三十年以上前になるか? バロー伯爵が当時のアーノルド王に掛けあって予算をぶんどった。川までパイプを通してくれたんだ。おかげでこの一帯は潤ったってわけさ。あの方の生まれ故郷からは少し離れている、しかも(ノルデン)州のこの町にだぞ」

「良い人なんだ」

「そうだよ」

 今までバロー伯爵の印象は、ピドーに取っては決して良くはなかった。王の再婚に反対し、北事変で一つの民族を徹底的に潰した。母の死の遠因でもある。内戦における敵と教えられていた。けれどもこの土地の人々に敬愛されているのを聞くと意外な印象だ。

「そんなに良い人が、どうして北事変なんかやらかしたんだろう?」

「王都クロイツベルクでテロが連発したんだよ。それを救う為だ。ティーガの連中がのさばっていたら、一体どうなっていたやら。いつも人民の事を考えて下さっているわけだ」

 カタン。

 フォークが床に落ちた。シュペトレーゼの指は固まったままだった。男が拾った。

「お客さん、顔色が悪いよ。疲れてるんじゃないのかい」

「ええ、少し」

 実際に彼はとても疲れているようだった。ぼんやりと食堂の中を眺めている。不意に目を見開いた。腰を浮かしかける。

「何だよ」

 ピドーがシュペトレーゼの視線を追った。山小屋風の室内では、人々がそれぞれ夜のひと時を楽しんでいる。ピドーには特別な印象は無かった。

「あ...。ううん、知っている人がいたような...」

「気のせいでしょう」

 ルプレヒトは顔を上げもしなかった。

 雰囲気のばらばらな三人だ。どういう間柄なのか、地元の男には今一つ判断がつきかねるようだ。

「お客さんら、どちらから?」

 ピドーを遮ってルプレヒトが答える。

「知り合いを訪ねて来ただけです」

「へえ。あんたらは...親戚とかかい?」

「いいえ。仕事仲間です」

 彼の口調はあくまで事務的だ。愛想のかけらもない。

 地元の男は肩をすくめた。早々にテーブルを離れる。

 シュペトレーゼの顔色はさらに悪い。食事もそこそこに部屋に入る。三人一緒だ。

「やっぱり相部屋かよ」

 ピドーの文句が止まらない。

 部屋は三階の角部屋だった。白い木のドアを開けると、やはり木の質感を強調したインテリアだ。屋根が斜めになっていて屋根裏の気分が味わえる。素朴な暖かさがあった。

「あー、そうだ! どうするんだよ」

 部屋に入ってピドーが叫んだ。早々に寝転がろうとしたシュペトレーゼは中途半端な格好で止まった。きょとんとしている。ベッドは二つしかない。窓際にはソファがあった。ルプレヒトが眉間を人差し指でこする。

「私がソファで寝るから!」

「そりゃ良かった。でも違う! それじゃない」

 ほら、とシュペトレーゼの肩を押す。彼は丸太のように寝転がった。靴をはいたままだ。腕を顔に乗せる。少しだけ開いた唇にも色が無かった。

 ピドーは真面目な顔になった。

「俺はハンナの家に泊るつもりだったんだ。...宿泊代は...」

「それくらい払ってやる!」

 体力には自信がある。しかし、一気に疲労を感じたルプレヒトだった。

 そんな彼にとっては少し辛い一晩だった。ソファに枕を置き、毛布をかぶって寝るのはいい。参ったのはピドーとシュペトレーゼの二人の様子だった。申し合わせたようにうなされている。ただでさえ不審者が現れないか神経をはり巡らせているのだ。なかなか寝付けない。

 ラドクリフでは、研究所内に泊りこんでいた。防犯設備がしっかりしているし、ずっとシュペトレーゼと同室ではない。

(ああ、なんて仕事だ...)

 放り出すつもりは全くない。だからこそこれから先を考えるだけで気が滅入った。ハンナ・ティッシュバンと会ったのは偶然だった。けれども彼にとっては成果があった。

(また北事変に近づいたな。しかし誰が...。ノイコムにとどめをさしていかなかったのは、犯人が素人だからか? それともアナスタシアだけを殺すのが目的か? だとしたらなぜ随行員まで殺した?)

 アナスタシアとの結婚に反対していたバロー伯の勢力か。兵士とロッタは巻き添えだ。

(同行した兵は、どちらの州兵なんだ?)

 運転手は貴族お抱えで西(ヴェステン)州の男だ。

 護衛は巻き添えを喰っただけだろうから、どちらの州出身であろうとあまり関係はなさそうだ。

 色々と分からない事が多い。

 やっとうとうとした頃、室内の音に気が付く。はっと飛び起きた。ピドーが足元の方にいた。カーテンを少しだけ開けて出窓に座って外を見ている。寝巻代わりの白いTシャツのままだ。白い光が茶色の髪を金色に透かして輝いていた。ルプレヒトの勢いに驚いたのか、ぽかんと口を開いている。けれども目はとろんとしていて、完全に起きてはいないようだった。

「早いじゃないか」

「うん...。ここ、東向きなんだ。朝焼けって血の色みたいで嫌だな...」

 ルプレヒトは毛布を押しやった。シュペトレーゼがまだ眠っているのを確認する。ピドーが起きたなら、もう眠れないだろう。首も背中も痛い。

「あと十二日だってさ」

 肩を落とす。ピドーはカーテンを離した。窓を背にして足をぶらぶらさせる。手は足の間にだらりと垂れていた。

「...正直さ、一緒の部屋でちょっとほっとしてる」

「おねしょでも心配なのか」

「あはは」

 笑ってから両手で顔を覆った。

「寝るのが怖いんだよ。太陽の亡霊が...レイナーの首をくわえた化け物が夢に出て来る。いつも死に顔を見せられてさ...。目が覚めたら誰かいるってホッとする。あんた達でもさ」

 いつも一言が余計だ。しかし、そこを指摘できないほどピドーは落ち込んでいる様子だ。何度も何度も残りの日数を告げるのだ。期限が来たらどうなるのか分からないままだ。自分もレイナーもどうなるのか。不安ばかりがこみ上げる。

「あのままじゃ...レイナーが...」

 知っている人が死ぬのは、シュペトレーゼのみならず誰しもが悲しく辛い。さらに眠る度に生首を見せつけられる。睡眠が怖くもなるだろう。

 ルプレヒトは枕を投げた。狙いは正確だ。ピドーの寝ていたベッドに落ちる。

「では早く話を聞いてみる事だな。安眠できるようになる」

「うん...もうずっとなんだ。ソフィア襲撃の前から...。変な夢ばかりでよく眠れない」

「私はソフィアの後からだ」

「はあ? ルプレヒトも悪夢で?」

「いいや。全く、君ときたら眠っている時までうるさい。そのせいだ」

「おいっ! 人の話を聞いてたのか? 俺は」

 ピドーはベッドから飛び降りた。すかさず全身でソファを押す。さすがに重い。数センチ動いただけだ。しかし歩きかけていたルプレヒトの足にひっかかる。もつれて転んだ。派手な音がする。

「かっこ悪い~」

「お前のせいだ!」

 どなり声が響く。シュペトレーゼが起き上った。目をこする。室内を枕だのタオルだの飛び交っていた。廊下から『うるさーい!』と声もする。彼はぽつんと呟いた。

「仲良くなったんだね...」

「誰が!」

 ピドーが叫び、ルプレヒトは眉間をこすった。


 

 天気は相変わらずだ。晴れているのに太陽がぼんやりと陰る。舞い上がる黄色い土埃のせいだ。オレンジの畑は南側に集中している。水を運ぶパイブラインはそちらにあるのだろう。

 ピドーはさっさと出かけてしまった。もちろん、シュペトレーゼとルプレヒトも一緒だ。家のまばらな地域を過ぎた。北側の町外れだ。見渡す限り砂の平原だ。行く手に糸杉の森がある。風が枝を揺らしていた。そこだけ黒にさえ見える濃い緑だった。遠くを車が走っている。昨日の夕方に彼らも通った道だ。

「私は宿で待機していたいのに」

 連絡があればすぐ行動に移せる。しかしピドーは待つのが苦手のようだ。

「すればぁ?」

「昨日のような事が起きたら困る!」

「おー、困れ困れ、多いに困っておけ! 俺は軍人じゃないからな。少尉さんの命令を聞かなくてもいいんだよ」

「やめろ」

 陽はかなり高くなっている。朝の湿気はすっかり去った。やはり暑いらしい。ピドーは上着を肩にかけていた。

「ピドー」

 ルプレヒトの声が少し改まった調子になった。

「グレンツェの件は知っていたが君の母親とまでは...。もし不用意な発言があったとしたら申し訳ない」

「ああ? 大丈夫。謝るなよ、少尉さん。気持ち悪い」

 ルプレヒトはため息をついた。

「私の事を誰に聞いた? エフェレット氏か?」

「ううん。みんな知ってた」

 カルバート団長か、とまたため息が出る。彼は誰の前でもルプレヒトを階級で呼んでいた。やめてくれと何度も申し入れたにも関わらずだ。ソフィアではあまり歓迎されていないなとは感じてはいた。口止めはしなかったもののまさか広めるとは。正体を明かして欲しくなかった。カルバートはにこにこしていたが殆ど嫌がらせだ。

「今は研究所の嘱託職員だ。身分証もある」

「へいへい。おい、遅い(シュペート)!」

 二人の後ろを歩いていたシュペトレーゼがはっと顔を上げる。

「石板を俺に渡したのは、本当にお前らじゃないんだな?」

「違うよ」

 穏やかな表情だ。いつも通りだ。

「僕はランドリーに忘れたきりだよ。誰が君に渡したの?」

「あー、知り合い。俺の忘れ物って言われた」

「じゃあただの間違いかもしれないね」

 森が近い。ひんやりした空気を感じる。

「あー、良い匂い」

 寒冷地に長く住んでいる。杉はピドーにとって親しみのある植物だった。

「涼しい」

 森の入口でピドーは足を止めた。砂を枝が防いでくれる。葉を透かして光が差し込む。眩しげに見上げて、首をかしげた。幹に傷が付いている。かなり上だし、はっきりは見えない。しかし一本だけではない。殆どの木に、故意につけたであろう印がある。ただの×だったり、何本かの線だったり、同じ物はない。地面には雑草が生えているが、きちんと刈り込まれている。森の奥に目をやると、根元に花が置いてある木もあった。かなり前なのか、すでに茶色だ。

「何だぁ?」

 行こうとするピドーの襟を、ルプレヒトがつかんだ。

「また、お前は! 森の中なんて隠れる場所だらけだ」

「俺は猫じゃない!」

 ピドーは振りほどこうとして暴れた。シュペトレーゼが森へ向かって一歩を踏み出す。

「じゃあ行ってみようか?」

「えっ...」

 眉をひそめるルプレヒトの手からピドーが抜け出した。シュペトレーゼを追い越してさっさと歩き始める。あわててルプレヒトが後を追った。

「シュペトレーゼ!」

 非難めいた声に、少しだけ困ったような顔になる。シュペトレーゼはきょろきょろしながら歩いていた。

「僕も行きたいんだよ。それに僕とピドーが別行動をしたら困るでしょう? 行くと言い張ったら、ルプレヒトはピドーを止められないよね?」

 二人を同時に見る事はできない。だったらピドーの行動に合わせようというわけだ。彼なりの心使いである。 

「止めます」

 意地でも、ときっちり結ばれた唇に決意が現れているようだ。

 ピドーはどんどん奥へ進む。人が歩いた跡を辿っているのだ。進むほど木が高くなる。植林されたのは北側からだろう。木の幹に刻まれた文様も、もう見えなかった。

 やがて少し拓けた場所に出た。丸く小さな広場になっている。そこだけ光が当たり、舞台のようだ。

 端には井戸と小さな丸太小屋があった。かなり古いようだ。組まれた材木は杉ではないらしいが、黒ずんでいる。周囲の地面には囲いがあり、苗が等間隔で並んでいた。生育状況はまちまちだ。つぼみが開きそうな株がある一方で、ひょろりと緑の葉が伸びただけの物もあった。

 がさり、と背後で足音がした。振り返ったが人影はない。

 すぐに丸太小屋のドアがきしんだ。少しだけ開いた隙間から視線を感じる。老人が出て来た。背中が丸い。細い体に灰色のローブを巻き付け、長い白髪は後ろで一つ縛りだ。腰には黒っぽい布袋を提げている。

「花かね、苗かね」

 しわがれた声だ。

「どっちも要らない。爺さん、ここって何?」

「知らんで来たのか。帰れ」

 もう背中を向けている。

 シュペトレーゼが声をかけた。

「来るのは初めてなんです。ここは『青い墓地』ですね?」

「何だ、知ってるじゃないか。花かね、苗かね」

「...花を」

「えっ、お墓なの?」

 シュペトレーゼが黙って頷いた。

 老人はよたよたと花壇に向った。腰の袋からカマを出した。今にも咲きそうな株を選んで切り取る。それを片手に井戸まで行った。片手でつるべをたぐる。すっかり黒くなった木の桶が上がって来た。傾けると水がほとばしり、緑の上を滑ってきらめいた。根の泥を流す。

「ほれ」

 と、水滴が付いたままの花を差し出す。

「ありがとうございます。あなたが管理人なのですか?」

「そうだ。わしが管理人だよ。花と糸杉の苗を育てている。ここを訪れる奴に分けてやっているわけだ」

 シュペトレーゼが財布を出そうとするのを、手を振って制する。

「いいんだ。町の連中からちゃんと管理費をもらっているからね。そうか、ここに来るのは初めてか...」

 彼は眩しげにシュペトレーゼを見上げた。

「あんただと二十年くらいは前かね」

「ええ...まあ」

「オレンジの栽培が軌道に乗って来た頃だな。あの頃から苗も出なくなったもんだ」

「そうなんですか」

「ああ。わしが最後の管理人になるかもしれん」

 ピドーが井戸を覗いた。遠くて暗い底に、わずかに顔が映る。桶から滴が垂れて跳ねた。

「この辺りは水が無いって聞いたけど、あるじゃないか」

「いたずらすんなよ、坊主」

 老人が少しだけ腰を伸ばした。カマを逆に持ち、柄でピドーの背中を軽く叩く。

「地下水脈だ。ここには必要だからな。苗を育てなくちゃならん」

 花壇に戻る。身を屈めた。カマを土に刺した。細い葉ばかりの苗を幾つか掘り起こした。そしてぽいっと放り投げる。

「えっ、育てているんじゃないのか?」

「たくさんは要らん。苗は最近さっぱり出ないからな。花ばかりだよ。いい事だ」

「糸杉の苗だよ」

 シュペトレーゼが言った。手の中の花をもてあそんでいる。

「僕は歴史を研究しているんです」

 老人の目が丸くなる。

「何だって。『青い墓場』を調べているのか? どこかに発表でもするつもりか?」

「いいえ。ただ何があったのか...現在というのは、単独で存在しているのではなく、過去という積み重ねがあってこそです。僕はそれを調べています。公表はしません」

 よく分からん、と老人は呟いた。

「こんな森なんぞ無くなっちまえばいいとは思う。でもそうしたら、ここに眠っている子供たちはどうするんだ? わしが見てやる、最後まで育ててやる...」

 森から風が吹いてくる。小さく渦をまき、広場を巡る。ここまでは土ぼこりはやってこない。陽光の中、ささやかな花壇の草花が揺れる。まるでたくさんの子供が一斉に走り始めたかのような木々のざわめきが一つになり、丸く切り取られた空へ昇っていった。

 シュペトレーゼは花をそっと地面に置いた。それを見つめる横顔は、いつもの柔和な表情だった。老人に花の礼を言ってから、三人は広場を後にした。

「墓だったんだな」

 だから木に印が付いていた。墓標代わりだ。ルプレヒトはさも呆れた様子だ。

「それを君は無神経にも野次馬気分で」

「知らないんだからしょうがねえだろう。つーか、シュペートは何で知っているんだよ?」

「一応、歴史学者だよ」

「そうだったな。あれ、でも」

 ピドーは木々を見渡した。

「オレンジの収穫のおかげで墓じゃなくなったってどういう意味? 人が死ななくなるわけじゃなし、移動したとか?」

「ううん。この墓地があるのは、古い根拠のない迷信というか...慣習のせいだね。多胎児、いわゆる双子以上の子供が生まれたら、先に生まれた子供を神様に返すんだよ」

 多胎児の場合、後に誕生した方が胎盤に近い為により成長して生まれる。それでそちらだけを育てるのだ。もう一人の運命は『青の墓場』行きだ。

「えっ、まさか」

 ピドーは絶句し、周囲を見渡した。糸杉は死をイメージさせる木でもある。

「...そういう事になるね」

 埋葬される。

「殺人じゃないか」

「...生まれた時には死んでいた、とか理由を付けるのかもしれないよ」

 広場で管理人が育てる糸杉を分けてもらい、子供と一緒に植えるのだ。育てられない親のせめてもの手向けなのだろう。空に向って高く、まっすぐに育ってほしいとの思いが込められている。雨を受け、光に照らされ、大空こそが彼らの苗をはぐくむ。だからこそ『青い墓場』と呼ばれている。

「何でそんな真似を?」

「あまり豊かな地域じゃなかったせいなのかな。口減らしも兼ねていたんだろうけど、双子が生まれるのは不吉な前兆だという言い伝えがある」

 川は少し離れている。土は砂っぽく、豊かとは言い難い。そういえばこの一帯には畑など無かった。大きな獲物となるような動物の住む森もない。耕作ができないのでは、充分な食料を調達するのは難しかっただろう。そこへ家族が増えるだけでも大変なのだ。双子を育てる余裕は無かったのかもしれない。不吉な前兆というのは親の罪悪感を薄める言い訳なのか。また森を作るのは、風と砂を町から守る側面もあった。

 農作物の収穫ができるようになり、経済的に潤った。おかげで森は大きくならなくなったのだ。

 双子が生まれる確率は地域や人種によっても違うが、約一割だともいわれる。百回のお産につき一度は双子という計算だ。キルヒェガルテンはさほど多い人口ではないだろう。それがこれほどの森を作ったという事は、どれほど昔から悪しき慣習があったのか。町の人々は、代々管理人を雇っては墓場を管理していた。子供を犠牲にする人が苗を受け取り、お参りする人が花を受け取る。町の人々の優しさは罪を共有し、隠し通す為の仮面なのか。

 老人の言葉が蘇る。

 ......わしが最後の管理人かもしれん...

 それでいい、と彼自身も言っていた。

 習慣が無くなり、お参りする人も絶え、なぜ糸杉の森があるのか忘れられる時が来るかもしれない。それでも木々は残るだろう。育つ事のなかった子供たちの想いはいつまでも天をめざし、風に揺れ、そこに在り続ける。

 

 ハンナから連絡があったのは宿に戻ってしばらくしてからだった。ジーノチカがまもなく到着するらしい。昼食を終えてからティッシュバン家に向った。

 まだ赤ん坊は家にいた。『青の墓場』へ行って来たばかりのピドーだ。どうにも複雑な表情になってしまう。

「その子さ、いつまで預かっているの?」

「あと二日くらいかしら。親戚の方がお迎えに来て下さるの」

「まさか双子の片割れ...」

 埋める代わりに里子に出すのかと思ったのだ。

 ハンナは肩をすくめた。

「子供は希望でなくちゃいけないの」

 肯定も否定もしない。

 腕の中ですやすやと眠っている。時折、口がもごもごと動いた。おっぱいを飲む夢を見ているのかもしれない。

「寝かせてくるわね」

 彼女は二階へ上がって行った。

「静かだな」

 ピドーが大きく伸びをした。ソフィアでは川の傍に家があった。水音がしないと、逆に落ち着かない。風は強いが、森のざわめきも遠い。

「ん?」

 ヴィプリンガーとピドーが同時に反応した。庭の小石が鳴ったのだ。やはり固い材質なのだろう。足音が室内にも聞こえる。ハンナの孫が来たのだろうか。しかし、音は右へ行ったり左へ行ったり。なかなか正面に来ない。

 ピドーは多少の軍事訓練を受けているし、内戦の戦場を避難した経験もある。感覚的な危険を感じ取れる。表情に少しの緊張が走った。呼び鈴が鳴る。じっと外を窺う二人に不審そうなシュペトレーゼがドアに向った。

「待ちなさい!」

 ルプレヒトが止めたのと、ハンナが階段を駆け下りて来たのは同時だった。

「開けないで!」

 一瞬遅かった。シュペトレーゼがノブをひねっていた。

 だん、と蹴り開けられた。男が立っている。息が荒い。チェックの開襟シャツから青いTシャツがのぞいている。口髭を蓄えているが、ルプレヒトよりも少し若いようだ。彼は室内を見渡した。

「やっぱり男か!」

 ピドーが立ち上がった。すでに手にはポットを掴んでいる。

「怪しいと思ってたんだ。こそこそ出かけやがって。とうとう尻尾を掴んだぞ。どいつが浮気相手だ! お前か。お前か?」

 シュペトレーゼ、ルプレヒトと順番に示す指はピドーを避けた。

「俺は? 除け者にすんなよ」

「えっ、お前か?」

 男の目が丸くなる。

「そんなワケあるか! 意味わかんねえよ!」

 ふりかぶる。投げたポットは狙いを外さなかった。頭をかばおうとした腕に当たる。床に落ちて砕けた。

 一瞬の静寂の後、赤ん坊が泣いた。二階から声がする。

 ハンナが階段に立ちふさがった。

「この子たちは私の孫に会いに来たの。あなたの奥さんとは無関係よ」

「いるんだな。赤ん坊が! 渡せ。俺の子供だ」

「駄目よ。私が取り上げたのよ。私の子供でもあるの。あなたの勝手にはさせない」

「どけ! 『青い墓場』に連れて行く。あいつめ、自分でやるなんて嘘をついて、ここに隠してやがった」

 今にもつかみかかりそうな勢いだ。でもハンナはがんとして動かない。

「まもなく奥様の親戚がお迎えに来るのよ。居なくなるのは一緒でしょう」

「それじゃだめだ。糸杉を用意するんだ!」

 男が腰に手をまわした。銃を握っている。ズボンに挟んであったのだ。上着に隠れて見えなかった。

「どけ。連れて行く」

「どかないわ。私はね、もういつ死んでもいいのだから。でもあの子はそうじゃないのよ」

 男はハンナに狙いを付けている。腕が震えていた。

「そこの方」

 いつ、どこから出したのか。それさえ分からないほど静かに、そして素早くルプレヒトも銃を構えていた。

「帰りなさい。あなたは人を撃った事があるんですか? 私はある」

 だからためらわず撃てるのだ...と冷たい目が言っている。男のわななきは大きくなった。額に玉の汗が浮かぶ。

「ルプレヒト!」

 シュペトレーゼが悲鳴のように叫ぶ。

「人の家で何をする? 銃なんか出して...。小さな子供もいるのに!」

 そろそろと、ピドーが横に移動していた。男に近づく。斜め後ろまで移動した。死角だ。彼の意図に気がついたようだ。ルプレヒトが撃鉄を上げた。男が振り返る。その刹那、ピドーが飛びかかった。背中に体当たりをする。のけぞり、上がった腕を両手で掴んだ。銃を引きはがそうとする。二人はもつれあって転んだ。

 ハンナが駆け寄る。クリケットのバットで頭を殴った。すこーん、と良い音だ。男の体から力が抜けた。ヴィプリンガーが落ちていた銃を蹴る。ピドー達から離れたところで素早く拾った。

「へーえ、こうやって使うんだ」

 確かに叩く道具だ。

「ピドー!」

 ルプレヒトが怒鳴った。つかつかと歩み寄るなり拳でごん、と頭を殴る。

「いてっ! こらっ、頭、けが...」

「少しは身にしみた方がいい。無茶はするなと何度言えばいいんだ! 学習能力がないのか! 相手は銃を持っているんだ!」

 怒鳴りながらもネクタイをはずす。横たわったままの男の両腕を後ろで縛り上げた。

「無事だったんだからいいじゃないか」

「良くないっ!」

「良くないのはこいつだっ!」

 ピドーはシュペトレーゼを示した。ドアを閉めていた彼は、きょとんとする。

「え、僕...?」

「そうだよ。銃を突きつけられてんのに、家の中だからどーのこーの。人に頼んで、祈って、状況が変わるのか? 頭で考えてるだけじゃダメだろう? 何を調べているのか知らないけど、実際に知る為に来たんじゃないのか? だったら体を動かせよ。生身の手足を動かすんだよ!」

 返事ができないシュペトレーゼに代わって、ルプレヒトが答える。

「貴様は動かしすぎだ」

 まだ赤ん坊は泣いている。ハンナが急いで二階へ上がった。眠いのを起こされて機嫌が悪そうだ。拗ねるようなすすり泣きをしている。

「彼は、あなたのお孫さんではないですね?」

 一応、という感じでルプレヒトが確認する。

「違うわ。この子の父親よ。迷信なのにねえ。あなたは知っているかしら?」

 ぼんやりしていたようだ。あわててシュペトレーゼが頷いた。

「午前中に行って来ました。まさか未だに『青い墓場』を利用する人がいるとは」

「本当にねえ」

 また石が鳴った。呼び鈴が鳴る。先ほど怒られたせいで、シュペトレーゼはどうしたらいいのかヴィプリンガーとハンナを見比べている。ヴィプリンガーが彼の前を通り過ぎ、ドアスコープから覗いた。

「女性ですが」

「あら、開けてちょうだいな」

 だっこ紐で前に赤ん坊を抱いている。彼女は、室内の人数にちょっと驚いたようだった。入り口で立ちすくむ。ハンナに促されてリビングに入るなり、床に転がる男を見て小さく悲鳴を上げた。

「やっぱりここね!」

 胸に抱かれた赤ん坊は、もう首が座っている。生後三か月にしては小さいかもしれないが、預けられた赤ん坊よりも大きかった。薄くぽやぽやと生えた赤毛はそっくりだ。

「ハンナ、この人が迷惑をかけたんじゃ...」

 そう言いながらも、ちらちら男たちを見やる。

「この人たちはね、大丈夫なの。私の知り合いよ。さあ、お座りなさい」

 まだ不安そうながらも、彼女はソファに座った、ハンナが二階から赤ん坊を連れて来て隣に座る。

「ほうら、お兄ちゃんよ。久しぶりね」

 ピドーが子犬のように駆け寄る。

「やっぱり双子?」

 黙った彼女ではなく、ハンナが答える。

「そうよ。可愛らしいでしょう」

「うん! 抱っこしていい?」

 ようやく母親がほほ笑んだ。

「どうぞ」

「かわいい~」

 女性が連れて来た子供は眠っている。それを抱きとった。ピドーの頬は緩みっぱなしだ。

 床の男が呻いた。二、三回瞬く。はっと顔を上げた。後ろ手に縛られているのでなかなか起き上れない。中途半端な姿勢のまま、ソファの女性を見るなり怒鳴り始めた。

「この嘘つき女! 兄の方を『青の墓場』へ埋葬したと言ったじゃないか! 俺は花をもらいに行ったんだ。だけど新しい糸杉なんかどこにもありゃしない。裏切り者!」

「あんたこそ何よ!」

 負けずに彼女も怒鳴り返す。

「あたしはねえ、この子におっぱいを飲ませに来てたのよ! それを浮気だと勘違いしてたの? そうでしょう? それで後を付けてたのね。何て奴! そんなのんきに浮気できるはずないって分かんない? あっち行ったりこっち来たり、夜泣きで寝られなかったりしてんのに!」

 ピドー達が初めてティッシュバン家を訪れた時だ。彼女は預けた子供の世話をしに来ていたのだ。窓を開けていたのは、おむつの匂いが室内にこもってしまうからだろう。彼女が帰ってからハンナが彼らを家に入れたのだ。

「お前ができないなら俺がやる」

「自分の子供に何をぬかしてんのよ!」

 女性が夫の足を蹴った。

「まだ言うんなら、今度は鼻へお見舞いするからね!」

「それで気がすんだら、子供を寄こせ」

「正気?」

 ピドーは腕の中の寝顔を見た。親がいなければ到底生きていけない、弱くてそしてとても愛おしい存在だ。

「あのさ」

 女性に尋ねる。

「どうして『青の墓場』に連れて行くなんて同意したんだよ? そこまで怒るなら最初から反対すれば良かったんじゃないか?」

「そうでもしなかったら、この子はどうなっていたか」

 と、彼女はまた男を蹴った。

「私が自分で連れ出さないと、こいつが今にも埋めそうな勢いだったんだもの。生まれたての自分の赤ちゃんを」

「だって」

 男は泣きそうな顔になった。

「まさか双子が生まれるなんて。母さんと兄貴に顔向けができない...。とにかくほどいてくれよ」

「だめです」

 断ったのはルプレヒトだ。

「ティッシュバンさんを撃とうとしたんです」

「えっ...」

 女性は絶句した。

「そこまで...」

「だってお袋はやったんだ。そうしなくちゃいけなかったんだ。俺の兄貴は糸杉になってあの森にいる。それなのに俺の子供を二人とも育てるなんて、できるはずがないだろう!」

 男が生まれた時もうパイプラインは通っていた。しかし、まだ収穫は安定していない頃だ。それなのに不吉な前兆とされていた双子が誕生した。地域の因習は消え去っていない。誰かが無理強いしなくても、無言の圧迫が周囲からあったのだろうか。男の母は糸杉の森へ行ったのだ。先に産まれた小さな男の子と共に。帰って来た時は一人だ。

「馬鹿ね、ほんっと大馬鹿」

 女性は大きく息を吐いた。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったの。苦しかったでしょう」

 兄がいなくなった。森に連れて行ったのは実の母だ。彼女が何も言わずとも誰かから自然と噂が耳に入って来る。

 男の体から力が抜けた。ぐったりと床に横たわる。

「でもね、もう遅いわ。遅い。自分の苦しみをそのまま子供に味あわせようとするなんて。出て行くわ。二人とも連れて行く。もう一緒には暮らせない」

「わ、わかった」

 男の頬にまた赤みが差した。

「お前一人で出て行け。子供は置いて行くんだ。後取りだぞ。二人とも育ててやるから」

 ピドーがひょこひょこと男に歩み寄った。頭をごんっと蹴る。

「あ、ごめ~ん」 

 と口では軽く謝りつつ、眉間に皺が寄っている。勝手な言い分に我慢が利かなかったようだ。

「あらあら。ダメよ、ピドー。頭なんか蹴ったら」

 ハンナも全く下を見ないで歩いた。肩のあたりを踏む。

「首から下にしておきなさいね。痕が見えにくい辺りにするのがコツね」

「コケにしやがって」

 歯がみする男にルプレヒトが屈みこんだ。

「帰りますね? 銃は預かっておきますが」

「...うう」

 武器が無ければ勝てないと分かっているのだろう。男は顔をしかめて頷いた。ルプレヒトがネクタイをほどいた。

「ああ、皺になってしまいました」

「ふざけんな!」

 跳ね上がる。素早くピドーが赤ん坊を抱えたまま背中を向けた。

 妻に掴みかかろうとする。素早く間にルプレヒトが入った。両手をだらりと垂らしたままだ。しかし目が合っただけで男は後ずさりした。殺気が漂っているのが分かる。

「か、帰ってやるよ。覚えてろ!」

 足音も荒くドアに向う。女性が声をかけた。

「私が二人とも育てる」

 男が振り返る。二人の我が子を、そして妻を見つめる。眉をひそめ、それでも笑みを浮かべようとしているようだ。

「その子...」

 と、下手をすれば糸杉になっていた子供を指す。

「助けてくれてありがとうな」

 夫婦はしばらく見つめあっていた。やがて妻が言う。

「さよなら」

「...またな」

 肩を落として、男が帰って行った。

「本気なの?」

 と、ハンナが女性に尋ねる。

「ええ。もちろん。自分の子供を殺そうっていうのも、浮気を疑っていたのも、色々と話してくれなかったのも、銃を持ち出したっていうのも。だいたいね、子供が生まれたっていうのに飲みに行っちゃったり、ギャンブルはやめないし...」

 話がどんどんずれて来た。出産と子育ての大変さもあるのだろう。色々と思う事が溜まっていたようだ。しばしハンナへの愚痴の時間となった。男三人は居心地が悪いものの、立ち去るタイミングもない。しかも見知らぬ人の話だ。聞こえないふりをしながら延々と耐えていた。

 一時間も経った頃だ。ようやく女二人は腰を上げた。赤ん坊と共に二階へ上がる。しばらくして戻った時には大きなカバンを下げていた。ハンナが少し緊張した面持ちだ。

「これからすぐに出かけるわ。彼女を隣の町まで送るの。そこまで親戚の方に来てもらうから」

 なぜもっと早く迎えに来てもらわなかったのか。赤ん坊が小さすぎて外出ができなかったのだ。双子だから小さく生まれた。感染症にかかってしまうかもしれない。だからこそ三カ月をハンナの家で過ごしたのだ。

「あなた達は留守番していてちょうだいな。今日中にはジーノチカが来ると思うの。あの子は料理ができるわよ。台所は自由に使っていいから」

 こっちへ泊ってくれ...という事だ。

「行き違いになると困るわ。今、ジーノチカと連絡が取れないの。多分こっちへ向かっていると思うのだけれど」

 孫がティッシュバン家に着いても、宿に連絡する術がない。誰もいないとなれば、余計な心配をかけてしまうだろう。

「書き置きとか残しておいてくれたらいいんじゃないのか?」

「ジーノチカ相手に? 無理ね。だから何があったか説明してあげて」

「はぁ? 初対面の人間だけでここにいて良いのかよ?」

「大丈夫でしょ?」

 それだけ親子の身を案じているのかもしれない。夫とはいえ銃を持ち出す輩だ。一刻も早く安全地帯へ逃したいのだろう。

「あの、バス停まで一緒に行きます」

 シュペトレーゼの申し出に、ハンナは柔らかくほほ笑んだ。

「ありがとう。でも大丈夫よ。森を通って行くから」

「森? お墓...ですか?」

「あのね、あそこを越えると隣町が近いの。管理人が馬車で送ってくれるのよ。子供を連れて行った人だけが知っているの。いつでも抜け道はどこかにあるのよ」

 傍らのピドーの声が弾む。

「そうかぁ!」

 かつては生きたまま埋葬された子もいたかもしれない。だが実は管理人がこっそりと隣町へ送るのだ。

「じゃあダンナのお兄ちゃんも...」

「あるいはね。でも秘密よ」

 親とは引き離されて死んだ事にされる。そのまま一生、家族とは再会できないだろう。けれども生きていける。明るくなったピドーの顔とは裏腹に、女性は少しさみしげに笑った。

「いつか教えてあげられるといいのだけれどね」

 二人連れはひっそりと出て行った。

 残された男達は、することもない。ただ時間が過ぎるのを待っていた。ふとピドーはふと思った。

(子供を連れて行った人だけの秘密って言ってたよな? ハンナさんが知っているって事は誰か連れてった?)

 不意にルプレヒトが腰を浮かせた。唇を指に当てる。からん、と表で敷石が鳴ったようだ。

「来客が多い家のようですね」

 小さく呟く。窓際に近づき、そっとカーテンをめくった。すると、外から覗いた顔と目が合った。茶色の瞳が丸くなった。こんこん、とガラスを叩く。マリア・エフェレットだった。淡いベージュのカーディガンにラッキーコインが揺れている。フレアスカートは細かい花のプリントだ。足元はローヒールだった。

 ルプレヒトに敬礼してから部屋に入った。きょろきょろしている。眉を寄せてピドーに不審な視線を送った。

「ハンナは?」

「出かけたけど...。マリア、ついにクビになったか? 女みたいな格好して」

「こんなに女らしくてどこが不満よ! 制服で来られる場所?」

 まずピドーの背中に張り手を一発。いつもなら後頭部へお見舞いするのだが、一応は頭の怪我に気を使っているらしい。

「どこへ行ったの?」

「う~ん、ちょっと遠く。そうだ、姉ちゃんが母ちゃんと一緒に写った写真を見せてもらった」

「へえ、いいなあ」

「もらったんだ。後で見せるよ。それでちょっと騒ぎがあってさ...」

 簡単な事の経緯を聞くと、マリアは頷いた。

「そうか...。久しぶりに会いたかったんだけどな」

 ソファに座り、ちょっとさみしそうだ。

「で? 何をしに来たんだ?」

「そうそう」

 マリアは立ち上がった。ルプレヒトの正面に立つ。もう一度敬礼をした。まっすぐな瞳だ。軍人ではない...などと言っても通じなさそうだ。しぶしぶルプレヒトも礼を返す。

「ラドクリフ公爵の北軍から伝言をお持ちしました。同行の男性と即時」

 ちらっとシュペトレーゼを見る。

「ラドクリフへお戻り下さい」

「それを言う為にわざわざ?」

「それだけではありませんが。もしあなた方がここに居なかったら、私はそのまま帰っていました」

 バスではなく、車で来たそうだ。

 ルプレヒト達は本来ならラドクリフに帰るはずだった。それが途中で方向転換し、結局はピドーと同行したのだ。マリアが派遣されたのは、軍人として顔が知られていないのと、ピドーの姉だからだろう。旧知のティッシュバン家を訪れるのは自然だ。

「私たちがここにいるというのは、エフェレット氏から聞いたのですか?」

「いいえ。(ノルデン)州軍とソフィア師団は情報を共有する事になりました。それで私がここへ派遣されたのです」

「なるほど」

 マリアはちらちらとシュペトレーゼを見た。ピドーが言う。

「俺は、こいつが王太子なのかと思ってた」

 彼女の目が丸くなった。

「えっ? 違うの? だから皆でお守りしているのかと」

 お守り? とシュペトレーゼが呟いたようだ。大の大人に使う単語ではないだろう。しかしあまりに小声だし、全員が『お守り』と感じていたようだ。あっさり無視される。

「店の中とか現国王の家族写真が飾ってあったろ? 見た?」

「見た見た」

 きょうだいは額をくっつけるように、二人で並んだ。じっとシュペトレーゼを観察する。

「なあ、ほら。王太子の写真と違うだろ」

「そうねえ。あちらの方がずっと可愛らしいわねえ」

 ルプレヒトが額をこすった。

「似ている...やっぱりきょうだいだな」

 当のシュペトレーゼは少し困ったように微笑んでいた。

               ツヅク!

お読みいただきありがとうございます。

マリアが合流しました。

いよいよ次回、ハンナの孫ジーノチカが登場します! 「書き置き」を残しても「無理」な人物とは?

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