第二話 谷間の集落 下
谷間の集落 北州 ソフィア
冥界の太陽神話に触れた
冥界の太陽たち 第二話 下
ソフィア中央街。師団の本部がある地域だ。ここは土石流の被害を受けていない。町並みはいつも通りだ。重い灰色をした雲の下で停電しているものの、幾つかの明かりは灯っている。非常時用の発電機を動かしているからだ。
攻撃を受けて二日目だ。壊滅状態になった工業地域の住民の避難は終了している。殆どが知り合いや親せきの家に身を寄せたらしい。一部は師団の宿泊施設に臨時で泊りこんでいる。
ジャック・D・フェレットもその一人だった。怪我人の搬送と避難の終了を見届けた後も、状況の説明や今後の防衛など、師団と打ち合わせる事は山のようにある。師団兵ではないが、工業地域の実質的なまとめ役は彼だった。
今は師団の廊下を急いで歩いている。併設されている病院へ向かう途中だ。午前中なのに窓の外は暗い。今にも雨が降り出しそうだ。電気は付いていないし、暖房も切られている。屋内でも吐く息は白くなった。マフラーを首にぐるぐる巻きにしている。
「親父さん!」
イーブが追い付いて来た。
「おう。寒いな」
振り返ったのはきつく唇をひきしめた顔だった。目の下は真っ黒だ。濃い疲労を示す隈だ。だがすぐに穏やかな表情に戻る。イーブは少し眉をひそめた。
「お疲れじゃないんですか」
「大丈夫」
「敵兵は?」
「だめだったね」
少し目を伏せ、首を振る。ジャックは足を停め、マフラーを顎まで上げなおした。
敵の本隊が崖付近に潜んでいないか確認中、敵兵の一人が倒れているのを発見したのだ。彼は足を負傷していて、移動できなくなったようだ。それで置き去りにされたらしい。
「虫の息だったからね、夜のうちに亡くなった。まだ若いのに」
これだもんな、と人差し指を首で水平に動かしてみせる。喉を掻き切られていた。
「服も剥がされていたよ」
身元を特定されない為だ。自軍の兵に対して冷酷な仕打ちだった。
「そこまで...」
「どういう連中なんだろうな。あの人数であれだけの打撃だ」
「ダムが決壊したせいでしょう?」
「そこだよ。大量の爆薬が必要なはずだ。だがそんなものを仕掛けられる人数じゃない。おまけに」
ジャックは言葉を切ってイーブを見た。
「その爆薬の痕跡がない。どうやってぶっ壊した?」
「...自然に決壊したと?」
「いや。タイミングが良すぎる。何かをした可能性が高いのに、それが分からないんだよ。しかもとっとと撤退だ。ソフィアの活動を奪うのが目的だったのかもな。大きな白い光が発生したろう? もしかしたら新型兵器を試したか」
厳重とはいえないが監視はしていた地域だ。住人に見られずに入り込むのは難しい。さらに東の山側を偵察に行った者の話しでは、かなりの面積で山肌が崩落していた。本来であれば急峻な山が削られて、道が作られていたのだ。がれきは綺麗に左右にどけられていた。それで敵兵は山を越えられたのだ。一体いつそんな工事をしたのか。
「襲撃の前に、やたら山の向こうで大きな音がしていたな」
雪崩ではなかった。また冬の雷が多い地域である。音と同時に白い発光もあったので、そのせいで雷鳴だと思われていたのだ。
「ダム決壊に使われたのと同じ兵器か」
「...厄介な事になりそうですね」
「ああ。次が無ければいいが。備蓄の武器はしばらくならもちそうだ。師団ともどもシェレンス軍に補給を頼んだよ。でもあちらさんも余裕はないだろうし、どうなるやら」
現在、電気は石炭による蒸気機関とそれぞれの家の自家発電機で賄っている。発電所再開のめどは全くたっていない。ガスや石炭の採掘もストップだ。
二人はまた歩き始めた。渡り廊下の向こうが病院だ。小雨混じりの風が吹き付ける。
「水は引いたようだね」
「...ええ。何とか。水門が破壊されたのが幸いでした。水が滞留せずに流れ切りましたから」
そうでなければ上階へ移動したとしても、水に呑まれていたかもしれない。
ジャックはまたマフラーを巻きなおした。
「サンハチは二回目の連絡に返事をしなかった。レイナーもピドーも外にいたそうだ」
「何だって外に出たのやら...レイナーはまだ...。引き続き捜索中です」
「俺も後で行くよ」
「ええ。お願いします。ピドーは意識が戻りましたか? 命に別条はないと聞きましたが。何であいつらだけが外にいたんでしょうね? 避難なら階段を上がれば良かったのに」
「分からん。まさか自分達だけ逃げたわけじゃなかろうが」
「それは無いでしょう。カイも一緒ですから」
「うん...。これから聞くよ。怪我は大したことはなさそうだ。でも、まだ寝ているらしい。ちょっと見て来るよ」
「お大事に」
ジャックとイーブはそこで別れた。
病院のロビーも暗い。人気がなくて静かだ。ここで診察するのは基本的に師団兵だけだ。しかも、今は大部分が工業地域へ派遣されていた。できる限りの瓦礫の撤去と偵察だ。
受付に寄り、階段を上がった。病室には患者の名札はない。どなり声が廊下にまで響いている。部屋の番号を確認する必要はなかった。ジャックは小さく首を振ってノブに手をかけた。
瞼の裏が赤く光った。声がしたようだ。今までの誰かに呼ばれていた夢とは明らかに違う。ひどく不快な気分になる。そのまま目を開けた。ぼやけた風景の焦点が合った。白い天井と点滴のパックが見える。体中が石になったような重さだ。乾いたシーツの感触がひんやりして気持ちがいい。
「ピドー! 起きた?」
窓の前に立っていたマリアが駆け寄る。弟を覗き込んで髪を撫でた。ピドーは首を振ろうとして顔をしかめた。全ての筋肉が固まってきしんでいる。
「いって...」
頭に手をやると、包帯が触れた。その腕も点滴の針が刺さり、包帯やばんそうこうだらけだ。
「あれ...? ここって?」
「師団の病院よ」
「え...」
何があったのか、すぐには思い出せなかった。だが次の瞬間、はっと息を呑む。起き上ろうとしたが、マリアに肩を突かれた。それだけであっさりと横たわる。
「無茶しない! あんた二日も眠ってたんだから」
「えー! 皆は? カイは?」
「カイなら無事よ。熱が出てるけど」
「ここにいるの?」
「ううん。伯父さんの家に行ったらしいの」
はあ、とピドーは力を抜いた。暗闇で何もできない歯がゆさに苛立っていたが、とにかくカイを守りきれたのだ。
「朝になって、工場の屋根に倒れてるのをイーブが見つけてくれたのよ」
幸い雨はほぼやんでいた。だがずぶ濡れで一晩を過ごしたのだ。熱も出るだろう。ピドーの頬は赤い。
「レイナーは? 水門を開けたのはレイナーじゃないのか?」
「水門は土石流のせいで壊れたみたいよ」
決壊したダムは発電所の瓦礫や石を谷へ押し流した。工場とエフェレット家がバリケードとなり、ピドーとカイを守った。さらに水の流れが変わったおかげで土石流は水門へ向かって破壊したのだ。
ピドーは唸った。
唇を噛み、マリアはピドーから目を逸らした。足元の方へ腰かける。視線が床に落ちた。
「さっきね、連絡があった。レイナーは五キロくらい下流で見つかったんだけど...」
土石流に巻き込まれた、という事だろう。
「無事なのか?」
暗闇で持ち上がり、落下した体。あれは極限の状態が見せた幻だったのか。
だが沈黙が結果を語る。それでもかすかな期待で更に答えを求める。
「無事なんだろう? カイやハイケと一緒なんだろう? おい!」
半身だけをやっと起こす。片腕で体を支えながら、もう片方の手でマリアの腕をつかんだ。
「言えよ! レイナーは無事だって、生きてるって言えよ! 言ってくれ!」
マリアは目を閉じて首を振った。
「嘘だ!」
悲痛な叫びが響く。
扉が開いた。ジャックが立っている。
「静かにしろ。入院しているのはおまえだけじゃない」
「だけど!」
「レイナーは死んだ」
マリアの袖から指を離す。ピドーは仰向けになり、腕を顔に乗せた。額の熱さを感じる。様々な記憶の断片が浮かんでは消える。満開のラベンダー畑、耕運機を運転するレイナー。なぜか全ては晴れ渡る空の下の光景だった。
(もうレイナーのミートパイ、食べられないんだな...)
室内は静かだ。ジャックは静かに扉を閉めた。その前に腕組みをして立つ。
ピドーは言葉を押し出した。
「ダム...誰がやった?」
「分からん」
「やっぱり俺も師団に...」
ジャックの手がピドーの額に置かれた。
「じゃあ、まず大人しくして体を治す事だな。なぜ外にいた? サンハチで何があった?」
ピドーの顔が歪んだ。
「...何も...。カイが外に出て...俺が追いかけた...そしたら水が...」
後は言葉にならなかった。腕を顔に乗せる。唇に色が無かった。
「どうして出た?」
「......カイが...忘れ物を......家に取りに行って...」
何を言っても言い訳だ。ピドーの口調は重かった。それでも伝えなくてはならない。できるだけ事実だけを冷静に話したつもりだが、時には声が詰まった。
ジャックは黙って聞いた。話が終わってもしばらく無言だ。やがてベッドから背を向ける。
「......そういう事か...」
三十八号にいたのは女性や幼い子供と年寄ばかりだった。無線を扱えたのはレイナーとピドーだけだった。二回目の無線を誰も取れなかったのだ。
ジャックは頭を垂れた。こめかみを押さえる。
「...訓練に...穴があったんだな...」
マリアが尋ねる。
「どういう事?」
「...誰でも同じ事ができなくてはならかったんだ。無線機を扱えるくらいには...」
声は低く苦しげだった。病室は静かになった。点滴から薬剤が落ちる音がひそかに響く。
やがてジャックが顔を上げた。ちらりと窓から外を見上げる。ポケットに両手を突っ込んだ。
「大変だろうが後は頼む」
マリアは腰を浮かせた。
「もう行くの?」
「ああ。アホ息子は意識が戻ったし、やる事も色々あるからな」
「レイナーを探しに?」
「ああ。それもある」
ジャックは娘の肩を軽く叩き、すこしだけ笑ってみせた。
出て行った後も病室の中は静かだった。
遠くから金属の触れ合う音がする。どこからか料理の匂いも漂ってきた。昼が近付いたのだ。病院でも昼食の用意をしているようだ。食欲は全くない。
「レイナーの...遺...その、レイナーは見つかったんじゃないの?」
言い方に迷う。レイナーと遺体という単語がなかなか結びつかない。
「私はすぐこっちへ来たから。まだ会ってないんだけど...」
マリアも口ごもる。
「体の...その...状態がちょっと...」
「え?」
不意にはっきりと記憶が蘇った。激しい雨、逆巻く水、血まみれの自分の手、赤い空間、胴体だけの七面鳥、牙にひっかかったレイナーの首。
「首...?」
ピドーの呟きにマリアが目をぱちぱちさせた。
「あ...。誰かに聞いたのね? レイナーは...見つかったには見つかったんだけど。体だけ。首が...首だけ...まだ...。何かにぶつかったせいじゃないかって...。家族にも会わせてないって...イーブが言ってた...」
「首が...無いんだな?」
「...ええ...。まだ探しているの...」
遠慮がちな声だった。だが殆どピドーは聞いていなかった。夕べの幻覚がちらつく。今朝、確かに夢を見た。巨大な顔だけの赤い太陽が現れた。レイナーの首を揺らしながらピドーに告げたのだ。
『あと十八日だ』
ピドーは息を飲んだ。目を見開く。みるみる更に顔が紅潮した。
マリアが屈みこんだ。
「ピドー、どうしたの? 気分が悪いの?」
「あ、ううん。嫌な夢のせいだ。信じてもらえないだろうけど...」
そう言った途端、同じセリフを思い出した。数日前の師団本部だ。ランドリーを出て行く間際のシュペトレーゼの言葉だ。
『神話を信じていないんだね、ルプレヒト』
受付に預けたはずの石板が何故ピドーに戻されたのか。あの二人が来てからすぐの攻撃だった。
そもそも彼らは何のために来たのだろう。
「石板はどこだ?」
マリアはきょとんとした。
「何?」
「俺が持っていた石の円盤だよ。倒れていた場所にはなかったか?」
「知らないわ」
彼女は石版を見ていないのだ。
「こん畜生!」
ピドーは跳ね起きた。点滴を引っこ抜く。チューブが蛇のように跳ねた。毛布を蹴飛ばしてベッドから飛び出した。立ちくらみでよろめく。差し出された手を払いのけた。白い病院服はひざ下までしか丈がない。寒気が足を包んだが、気にならなかった。緑のスリッパに足をつっこむ。またよろけて壁にもたれた。
「どうしたの?」
「あの野郎...! 絶対に何か隠してる!」
「誰?」
「エセ学者だよ。まだいるんだろう? 本部か?」
マリアを押しのけ、廊下に出る。昼食のワゴンがそこまで来ていた。職員が目を丸くしている。騒ぎを聞きつけ、看護婦が走って来た。
「ちょっと待ちなさい!」
マリアと二人がかりで止めに入る。
廊下にストレッチャーがあった。素早くストッパーを外す。ベッドに足をかけ、もう片方の足で勢いをつけて転がした。
「待ちなさい!」
「こら愚弟!」
二人の声を後に、ストレッチャーが廊下を進む。角を曲がれば階段だ。勢いのままに転がり落ちる。唖然とする受付を通りすぎ、玄関ドアに衝突した。床に放り出される。一瞬意識が遠のく。だが、無理やり飛び起きた。渡り廊下をよろめきながら走る。本部へ走った。腕から一筋の血が垂れている。点滴を抜いたところだ。
「あいつらはどこだ? 出てきやがれ!」
受付の師団兵が立ち上がった。ピドーを抱きとめる。すぐに背後からも別の兵が飛びかかり、はがいじめにした。
「放せ、こん畜生!」
暴れる襟首をひょいっと掴まれた。襟が喉にくいこむ。
「くっ、苦し...」
見上げると、父の顔があった。
「やれやれ」
師団兵に言う。
「息子がお騒がせをしてすまないね」
猫の子を運ぶように、半ばひきずって病室へ向かう。
「放せクソ親父!」
「このアホ息子! 何を騒ぐ?」
父の声が固い。ピドーは懸命に立とうとしてはよろけた。
「シュペトレーゼに聞かなくちゃならない事があるんだよ」
「襲撃の件か? まだ師団で調査中だ」
「違う! 石板だよ! 東の...何だ、七面鳥だの点や線がいっぱい彫ってあるやつ!」
ジャックが手を放した。ピドーはその場に倒れる。
「...いて...」
父が少し遠くを見ていた。ちょっと首をかしげる。
「鳥か。まさか『東の赤』の絵図か?」
「分からないけど...」
「ティーガの太陽神話だな? なぜ知っている?」
「シュペトレーゼに聞いた。よく覚えてないけど。親父、知っているのか?」
「俺も詳しく知らん、神話については。ちらっとロッタに聞いた覚えがあるだけだ」
「母ちゃん...が、どうして?」
「ティーガ族の女性と仲が良かったんだ。内戦前に宮殿にいたからな」
ピドーは肘で体を支えた。
「そっか。サンハチを出る前にレイナーが言ってた。北事変の起きる前、宮殿にティーガ族が...って」
「何か聞いたか?」
「ううん。すぐにカイがいないって騒ぎになったから...。親父、宮殿で働いていたんだろう? 何があったんだよ」
ジャックは無言だった。息子の腕を取って起こす。腕の血をハンカチでぬぐってやる。
「こっちだ」
「寒い...」
「バカは風邪を引かないそうだがアホは違うらしいな。ほら」
父が上着を脱いでかけてくれた。ちっと舌打ちをしつつも、ピドーは温もりにちょっとだけほっとする。
二人が向かったのは宿泊棟ではなかった。受付から奥へ入り、地下への階段を下りた。ここも電球が消えている。廊下の床にはところどころランプが置かれていた。湿気がこもっている。踊り場には師団兵が銃を捧げて立っていた。ジャックに敬礼をするが、寝巻のピドーに不審そうな視線を向ける。ジャックは彼の肩をぽんぽん叩いた。
「見ない顔だ。師団兵じゃないな? 彼のお付きの護衛だろう? ああ分かっているよ。腹が減っただろう? もう昼だ。そろそろ交代だから頑張れよ。それじゃ」
そのまま通り過ぎようとする。
「あ、あのっ、許可は」
「大丈夫。師団長には後で報告する」
当然のようにすたすたと歩いて行ってしまった。あわててピドーも後を追った。
「警備、ザルじゃん。あれでいいのかよ」
本来なら許可が必要らしい。それをちょっと偉そうにしただけで通行できてしまった。ジャックは師団でも顔が知られているのだろうが、あれでは警備の意味がない。
「良くないなあ。後でちゃんと報告しなくちゃあ」
「父ちゃん、ひどい...」
廊下を挟んで二つのドアがある。右側に警備兵がいた。お互いに敬礼をする。
「エフェレット親子が来たと伝えてくれるかな」
言い終わらないうちだった。ピドーが二人の横をすり抜ける。ドアを蹴った。鍵はかかっていない。
「シュペトレーゼ! いるのか!」
ローテーブルの上にはラジオ。黄色いソファが二つ。窓はない。そっけない灰色の壁にかかる大きな風景画だけが部屋に彩りを添えているだけだ。壁際にベッドが一つ。スタンド式のライトは消えたままだ。ランプが数か所に置かれているだけで、天井付近は暗い。部屋はこれで全てだった。
ソファからシュペトレーゼが立ち上がる。そこへピドーが突進した。しかし、あっさりとルプレヒトに足払いをくらう。そのままうつ伏せに倒された。スリッパが外れて飛ぶ。膝で押さえつけられた。腕を後ろにねじあげられる。
「放せ!」
「何の騒ぎですか、これは」
ジャックは肩をすくめた。
「そちらのお坊ちゃんに話がしたいそうなんだが...」
おろおろしているシュペトレーゼに、ピドーがわめく。
「てめえは分かってたのか? あの真赤な野郎は何なんだ! レイナーがどうなったと思ってんだ! あの化け物は石から出て来たのか?」
シュペトレーゼの表情がみるみる険しくなった。ピドーのそばにしゃがむ。
「何を見たんだい? まさかあの石板を持って行ったんじゃないだろうね?」
テーブルの上にはもう一つの石板が乗っていた。
「てめえが俺にことづけたんだろうが! 俺にあれを見せる為か?」
「えっ...僕はランドリーに忘れて、そのまま...。赤い空間に行ったんだね? 何を見たの? 『東の赤』を復活させる事はできたのかい?」
「うるさい! 遅摘み酒だなんてふざけた名前しやがって。どういう仕掛けなんだよ!」
「それは...」
しばらく考えている。やがてルプレヒトに言った。
「手を放してあげてくれないかな。僕は彼と話がしたいんだ」
「この体勢でも会話は充分に可能です」
「ルプレヒト。これはちゃんと話をする姿勢じゃないよ」
「その言葉は、この狂犬にそっくり差し上げましょう」
彼が手を放したら、すぐにでも飛びかかっていきそうな勢いだ。解放するつもりはなさそうだった。息子を犬呼ばわりされたジャックは苦笑いしている。
「わかったよ」
言うなり、シュペトレーゼはその場に伏せた。ピドーの正面に顔が来る。同じ目線になるのが、彼にとってのきちんと話をする体勢なのだろう。金髪が薄汚れた床に広がる。ルプレヒトとジャックのみならず、ピドーも虚をつかれた。目が丸くなる。じたばたしていた手足がだらりとなった。
「おいっ! てめえ何を」
それに構わず話を始める。
「どうやって仕掛けが動くのか、僕にも分からない。...ただ僕は白い空間に入った事がある」
「白ぉ? 赤かった」
彼の行動に驚いたせいだ。ピドーはすっかり勢いをそがれていた。
「ああ、僕が入ったのは『西の白』だよ。でも『足りない』と言われて...」
シュペトレーゼは口ごもった。
「...それが何なのか...」
「赤だの白だの俺は分からない。俺も『足りない』って言われた。お前は七面鳥を見たのか?」
「ううん。何も見ていない。声を聞いただけ。そうか、『東の赤』に対応するのは『足掻きの七面鳥』だ...。もし僕が見たとしたら『怨嗟の猿』か...」
最後はひとり言のようだった。ピドーはしげしげとシュペトレーゼの青い瞳を覗き込んだ。晴れた日の空の色だ。わざとピドーに石板を渡したのではなさそうだ。
「じゃあお前は太陽も首も見てない?」
「首...。そんな物は見ていない...ああ、そうだ。あの時、首は無かった...」
「何を言ってんだ?」
ピドーは父親を見上げた。彼はシュペトレーゼの動きにかなり面食らっていたようだが、今は口元を引き締めている。軽く頷いたのは、話せという合図だ。すっかり力の抜けたピドーを、ようやくルプレヒトが解放する。
その場に座ると、シュペトレーゼも同じく床に腰を下ろす。服がほこりで白く汚れていた。テーブルの石板を取り上げる。割れて半分ほどの大きさだ。
「これも『東の赤』だよ。それで、これが『西の白』。僕が描いたんだ。おそらくこれで合っていると思う」
と、広げた紙を示す。石板の絵だ。失われた東の赤とは模様が違う。比べようもないが、ピドーにはどちらもさして変わらない。
「これ、ここで発動したりしないよな...」
「しないと思うよ。僕はもうずっと持っている。むしろどうやって動かせばいいのかが分からない」
「それが分からないと、逆に危険ってわけだな」
「そうだね」
「そっかぁ...。ソフィア襲撃の日なんだけど」
ピドーは見たままを告げた。あと十八日、と言われた事も。
「あれは夢だったのかなあ...」
「おそらくそうじゃないよ。誰かが犠牲に...残念ながらその場で首を『東の赤』に取られたと思う。僕は『西の白』を体験しているけれど、君の見た光景とはちょっと違うな。...その場限りだったし、期限を宣告されてもいない。夢かもしれないとずっと思ってたんだ。でも...やっぱり」
ルプレヒトが冷静に言う。
「幻覚ではないのですか?」
「違うよ。僕は」
表情が曇った。頬は真っ白だ。やはり色を失った唇が少しわなないている。隠すように当てた指も震えていた。
「十年前に見たんだ。『西の白』が人間へ復活するのを」
「どういう意味?」
「ティーガ族の太陽神話だよ」
ジャックが眉をひそめたのを誰も気にしていなかった。シュペトレーゼの話に気を取られている。
かつてグリンクラフトの国土を支配していたのは虎族と呼ばれる人々だった。太陽を神と崇め、神官を頂点とする宗教国家だったらしい。隆盛を極めたのは千年ほど前だ。
今の東州から海峡を越えてグリンクラフト人が上陸したのが約千年前。先住のティーガ族と戦争になり、グリンクラフト側が勝利を収めたのは五百年前。弾圧は徹底していたようだ。住居は破壊され、文書は燃やされ、一つの文明が破壊された。彼らは北へ北へと逃れて行った。最終的には、ノイエ山ろくのランデスヴァルトという地域へ落ち着いた。気候の厳しい北の果てだ。十年前の内戦の始まる前には三千人ほどが暮らしていたらしい。
彼らの文化や伝統は、グリンクラフトでは全く知られていなかった。それを見直そうとしたのは王家の三男ディーターだ。まだ長兄のアーノルドが王位に居た頃だ。失われた文明に興味を抱き、調査や研究を始めた。放置されるままだった遺跡の発掘もすすめられるようになったのだ。同時に知られていなかった神話も現代に蘇る事になった。
「神話の概要だけど」
「ソレってソフィアに関係あんの?」
ここまででピドーには充分らしい。まだ聞かされるのか...と態度に出ている。
「あるかもしれないね」
シュペトレーゼは大真面目に頷いた。気を悪くした様子はない。
「君が見たのはおそらく『東の赤』。冥界に堕ちた太陽の一つだよ」
「は? 太陽って一つじゃないの?」
「違うんだ。まずは宇宙神がいてね」
シュペトレーゼが説明を始めた。ピドーは膝に頬杖を付いている。眉間に皺が寄る。こういう話になると、とたんに眠くなるようだ。
「...息子を四人作ったんだ」
「はあ...子だくさんで」
まずは世界の四方を守護させた。黒い王子は北、赤い王子は東、青い王子は南、白い王子は西。
「彼らが主導権をめぐって争うのを避ける為に、順番に大地を支配させる事にしたんだ。彼らは太陽になって地を照らした。そして自分のしもべとして人を作った」
まず最初に地上を支配したのが黒い王子である。定められた期間が過ぎた時、太陽は雷になって降り注いだ。自ら作った世界を壊したのだ。人々は逃げまどい、絶望して虎になった。そして災厄から逃れて生き延びた。これがティーガ族の祖先とされ、名前はここから来ている。最初の人である証だ。
次に赤い王子が太陽になった。再び人間が地に満ちる。やがて太陽は炎になって落ちた。人々は焼かれながらも逃げ、足掻き、七面鳥になった。
三番目は青い王子だ。彼も同じ期間を過ごした。繁栄していた人類は、またも災厄に襲われる。今度は水だ。人々は大いに嘆き、泣き叫んで鯨になった。地上の火災が収まるまで海で暮らした。
最後は白い王子が務める。人類を滅ぼしたのはすさまじい風だった。人々は恨みを抱いて猿になり生き延びた。
やがてそれぞれの王子たちは燃え尽き、冥界に沈んだ。
今、天上で輝いているのは五番目の太陽だ。人を照らす為に必要だと作られたそうだ。
「太陽といえども不死ではなく、弱ってしまうと西に沈んだまま昇ってこないかもしれない。そういう古代人の不安が作りだした神話だろうけど」
天変地異が起きても、古代の人々には原因は分からなかっただろう。神の鉄槌だとあきらめざるを得ない。
「それが何か? ティーガの神話に過ぎません」
ルプレヒトの声は冷たい。早く話を打ち切りたいのだろう。彼にしてみればエフェレット親子は招いてもいない客だ。
「うーん、でも」
シュペトレーゼは一度腕を組んだ。すぐにほどき、立ち上がる。ピドーに手を伸ばした。両脇を抱えて立たせようとする。
「冷えるよ。椅子に座ろうか」
「一人で立てるわ!」
と払いのけようとするが、なおもシュペトレーゼは肩に手を置いたままだ。優しく体を支えてソファに座らせる。ベッドから毛布を持って来てかけてやるおまけ付きだ。殴りこんだ相手に丁寧な病人扱いである。ピドーは居心地が悪そうだ。その正面に座る。
「続きがあってね」
現世太陽の力も弱る。そして四人の太陽が冥界から復活した時、第五の太陽は滅びる。人類はかつてないほどの災厄で破滅するだろうと予言されているのだ。
鍵となるのが例の石板だ。冥界の太陽を、現世に復活させる方法が描かれているらしい。復活を受けた人間は、その冥界の太陽が持つ力を使えるようになる。雷、炎、水、風だ。
「四人揃えば、今生の太陽を滅ぼす脅威になるわけか?」
ジャックの問いにシュペトレーゼが頷いた。
「おそらく。でもよく分かりません。僕はまだ研究中なのです」
「太陽に乗っ取られた人間はどうなる? レイナーの死は関係あるのか?」
「どちらについても、僕にはわかりません」
「どうやって太陽が復活したと分かるんだ?」
「憶測にはなるんですが...。西州に大きなティーガの神殿跡があります」
そこに太陽の石と呼ばれる岩があった。四つの太陽像だ。材質は黒に近い灰色の石だった。それ自体もどこかからはずされてもちこまれたようだ。
「大きさは...」
シュペトレーゼは首を巡らせた。
「あまり大きくありません。この部屋で入り切るかな。一つひとつはソファくらいの大きさです。それぞれを示す彩色がありました。『西の白』が復活した時、そこに対応する石が崩壊しました。おそらく、それが太陽復活の証ではないかと思います」
ジャックが口を挟んだ。
「君はなぜそれを見る事ができた?」
すらすらと動いていた言葉が急に淀んだ。
「...近くに住んでいたからです」
「ふぅん? 確か神殿跡があるのは...」
ジャックは顎をさすった。目を眇めて金髪の青年を見下ろす。シュペトレーゼは黙って目を伏せた。
「君に見覚えがあるんだが」
「どなたかとお間違いかと存じます」
「まあ、直接お目通りしたことは無いからね。とにかくピドーが『東の赤』を復活させかけていると?」
「そうです。なぜ彼の手元に行ったのか分からないのですが...」
そして行方は分からなくなった。
「そろそろお引き取り願いましょうか」
ルプレヒトがソファを指さした。
ピドーは目を閉じていた。頬が赤い。横に崩れるように倒れていた。命に別条はないとはいえ、二日間も眠り続けたほどの怪我なのだ。熱もまだ下がっていないようだ。
「襲撃を撃退したのはお見事でしたが、相手が不明のままでしたね。犠牲者は出るし、せっかくの捕虜も死亡。これは大失態でしたね。もしも我々がここに滞在しているのを狙ってだとしたら」
「君たちを狙ったとは決まっていないよ。ダイナマイト製造の件もある。そもそも来訪を知っているのは?」
「数名のはずです。ここに来てからは飛躍的に増えましたが」
カルバートは来客を隠すつもりはなさそうだった。どこから情報が漏れてもおかしくはない。
「分からない事だらけだね」
ジャックはピドーに自分の上着をかけた。ぐにゃぐにゃの体を軽々と持ち上げる。ひょいっと後ろへ回して背負った。
ルプレヒトが声をかけた。
「放し飼いにしないで下さい」
出て行きかけていたジャックが振り返った。しげしげと彼を見て、にやりと笑う。
「やたらに尻尾を振れとは教えていないんだよ、ヴィプリンガー大佐」
「...!」
閉まったドアに何も言い返せない。ルプレヒトの肩がふるふる震えている。そこへシュペトレーゼののんびりした声。
「少尉...だったよね、ルプレヒト」
もちろんジャックはわざと間違えたに決まっている。そこへ邪気のないシュペトレーゼの天然発言だ。ダブルパンチをくらった気持だった。ルプレヒトは腕を組み、皺の寄った眉間を人差し指でさすった。
廊下では、父の背中でぐうと音が鳴った。
「おい?」
声をかけたが返事はない。でもお腹は減っているらしい。
「やれやれ。やっと静かになったか」
そのまま病院に戻る。
渡り廊下に面したガラスのドアにはヒビが入っていて、茶色のテープで止められていた。受付の看護婦が半ば呆れた顔で迎えた。
「どこへ行ってたんですか」
「お散歩。手間をかけて悪いね。また点滴を頼んだ方がいいかな」
「後で行きます」
病室に運んだ。ベッドの上には移動式の白いテーブルがあった。そこには冷え切っていたものの、膳が下げられずに置かれていた。
どさ、と息子をベッドに転がす。
「大事に扱えよ...」
目を閉じたままピドーが呟いた。
「起きてたか。メシ食えるか?」
「...ミルクライスだろ...。冷めるとカタイんだアレ...リンゴまで入ってるな」
米を牛乳で煮込んで砂糖やシナモンを加えたおかゆだ。見なくてもメニューが分かるらしい。鼻は詰まっていないようだ。
「食欲がないなら素直にそう言え。点滴を途中で抜いたな。やり直しだ。看護婦さんがすぐに来てくれるようだ」
「...うん」
ピドーは腕を目の上に乗せた。半開きになった口で息をしている。胸が激しく上下を繰り返す。
「なあ、父ちゃん...。俺の見たのが夢じゃないとしたら...」
「夢だよ」
「...じゃあ、どうしてアイツがそこにいる?」
ピドーが半身を起した。病室の角を指す。
「赤い化け物が! レイナーの首をぶら下げているんだ! そこに!」
一応振り返った。だがジャックには何も見えない。
「...いないよ」
「いるんだってば! 俺はどうなる? カイに何て言えばいい? レイナーはどうして首をもがれたんだ?」
肩で息をしながら、ピドーはまっすぐに父を見つめる。それがまた力なく横になった。
「俺のせいかな。俺は木にしがみつきながら思ってたんだ...。力が欲しいって、そればっかり考えてた。そのせいで太陽の幽霊野郎に取り憑かれたんだろうか...」
息子のそばに座る。ジャックの手がピドーの髪を撫でた。
「俺には分からん」
彼は目を伏せた。ふう、とため息を付く。
「確か、そういうのに詳しいヤツがいた」
うん、と一人で頷く。
「妙な名前を名乗っていたな。どこに居るんだか...。そいつのおばあ様に聞けば居場所は分かるだろう。彼女は王宮で働いていた人で、ロッタの先輩だった。お前も小さな頃に会った事があるぞ」
「覚えてねえよ...どこに住んでる?」
「南州との境界近くだ。行ってみるか?」
「遠い?」
「まあな」
ピドーの腕は、まだ顔の上だった。
「俺ん家、まだあるかな。...西の...」
ピドーにとって、ソフィアの家も記憶の中だけの存在になった。手の届かないはるか遠くへ去ってしまった。六歳の時に離れた家は、もし残っていたとしても行く事はできない。静かに雨が降り始めた。ガラスを水が伝って落ちる。
「ああ、きっとある」
根拠のない慰めだ。けれどもどこか温かく響く。ピドーの唇が固く結ばれた。
ドアがノックされた。点滴のバッグをぶら下げた看護婦が入って来た。
「あら、食べてないのね」
と言いながら体温計をピドーの口に入れようとする。だが、ピドーは首を振って拒んだ。
「熱、ない! ちゃんと食うから! 早く南へ行く」
「だめですよぅ、もう!」
「だめだってば、こら!」
二人の大人に同時に怒られた。しかし、ピドーの耳には届いていないようだ。既に視線は窓の外、遠い空の下だった。
ジャックは再び師団本部へ向かった。やる事が山積みだ。自然と厳しい顔になる。連日続く夢の声は途切れがちで、とても遠い。告げられた内容を思い出す。
誰の声か、何の事なのか。正体不明の者は、自分に何をさせようというのか。まだ分からなかった。
エフェレット親子と行き違いにシュペトレーゼの部屋を訪れたのはカルバート団長だった。いつもは飄々とした表情が少しこわばっている。
「ジャックが来ていたのかな? 何の用だろう?」
ルプレヒトが答えた。
「ほぼ殴り込みです。あのような狂犬親子に面会許可を出さないでいただきたい」
「いや許可は...」
出していない。カルバートは軽く首を振った。
「気を付けよう。ところで君たちの処遇だが、ここを離れる必要があるね。研究所からも要請が来た。ラドクリフへ戻るようにと。だがね」
彼は腕を組む。
ソフィアのような小さな軍事拠点でもない場所に襲撃があった。シュペトレーゼの来訪か、ダイナマイト増産の件が原因か。或いは両方か。
「君の所在は機密事項のはずだった。どこかで情報が漏れた可能性があるな。そこで提案だよ。少し違うルートでラドクリフへ戻ってはいかがか? 君の帰路を知っているのは、ここでは私と師団の一部だけだよ。後は君に付けられた護衛だけだ。出発も極秘にしよう。研究所の所長許可は取った」
情報が洩れたとしたら、疑う人物が限られる。
「危険ではないですか?」
シュペトレーゼが小さく手を挙げた。
「寄りたい場所があります。そこを経由して戻るのであれば...神話に詳しい人が...田舎町ですから、危険は少ないかと...」
最後の方は声が震えた。ルプレヒトの鋭い視線に押されたようだった。
第二話 了
第三話 糸杉の町 キルヒェガルテンに続く!
読んで下さってありがとうございます。
狂犬親子。なかなか気に入っている表現ではございます。
第二話から登場。以下の方々、ず~っと後で再登場ありです。
長い話だけあって、やたら登場人物が多いです。スミマセン。
ロルフ・バルマン 元西州軍人
クリスト・ディンケル 元王宮お抱え調香士
レイナー・マーティン 元宮廷調理人
ハイケ・マーティン 元宮廷勤務者




