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冥界の太陽たち 冥界から四人の王子が復活する時、災いの蟲が来て世界は崩壊する。そしてゲームは始まっていた!  作者: あべ舞野


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冥界の太陽たち 第一話 城壁の町 中

出会いが絡み始める

冥界の太陽たち  第一話 中


城壁の町 ~(ノルデン)の州都ラドクリフ


 イーブ・ルパートは、きょうだいと別れてからバスに乗った。下りたのは新街区だ。もうすっかり慣れた足取りだ。石造りの建物が並ぶ。新しい町といっても百年以上は経つ街並みだ。壁には装飾が付いている物が多い。入り口のドアに像や植物を模した彫刻がはめ込まれているのだ。ところどころ欠けて補修されている。砲撃の跡だ。車道はほぼ修復が済んでいるものの、歩道には抉れたままの場所もあった。

 かつては地下鉄もあった。内戦中は防空壕代わりに使われたものだ。住居を失った住民の居住場所として利用もされた。現在はどの出入口も封鎖中だ。人手が足りず、充分な管理はできない為だった。

 やがて一つの建物の前で足を止めた。重い扉を押す。小さなホールがある。螺旋階段のある吹き抜けだ。彼は二階へ上がった。左右に廊下が伸びている。彼は一番手前のドアをノックした。水色に塗られた木製だ。小さなプレートには『カーク商会』とあった。

 すぐに女性が覗いた。丸い瞳だ。ほっそりした顔の周囲を栗色の縦ロールの髪が囲む。長さは背中の中ほどまでありそうだ。明るいピンクのスーツが似合う。この国では珍しいひざ丈ほどのスカートだ。まだ若い。それでここの責任者をまかされている。少し年上らしいのだが、イーブに尋ねる度胸はない。彼女はちょっと首をかしげて笑顔を浮かべた。

「こんにちは、ルパートさん! お久しぶりね。入って」

「やあ、リリーさん。また来たよ」

 壁際には扉のついたロッカーが並んでいる。事務用机が二つ並んだ前に、ソファとローテーブルがあった。イーブはそこへ誘導された。観葉植物で区切られた一角には小さなキッチンがある。リリーはそこでコーヒーを注いだ。イーブの前に置く。自分もカップを持って向かいに座った。足を組む。

「相変わらずの散らかりようでごめんなさいね」

 さっそくだけど、と背後の事務机に手を伸ばす。書類が山積みだ。その中から器用に座ったままでバインダーを取った。テーブルに広げる。

「いつのもご注文ね? リネン、洗剤、印刷用紙と黒インク...」

 イーブの今回の仕事は、ソフィアの為の物資補給と輸送の手配だ。書類にはずらりと生活必需品目が印字されている。

「納入に時間がかかるわ。入庫が遅れてるのよね」

 リリーは表情をひきしめた。

「ああ...マイン橋の件か...」

 ため息交じりのイーブに軽く頷く。先日の爆破事件の現場が橋だ。

 マイン橋は大マイン川にかかる大きな橋だ。(ノルデン)州と、内戦には中立の(オステン)州をじかに繋ぐ物流の中心だった。そこが先日爆破されたのだ。ただでさえ流通は混乱し、なかなか品物は動かない。しかしそもそも内戦の為に、敵対する(ズューデン)州と西(ヴェステン)州とは直接の取引できなくなった。そこで(オステン)州が頼りだ。もちろん他にも橋はある。しかし遠回りだ。

海峡(メールエンゲン)を越えるのは?」

 それは(ノルデン)州と(オステン)州の間に横たわる細長い入り江だ。そこには数々の島があって準州を形成している。自治権はあるものの経済的には(オステン)州に依存しているため、立場はやはり中立だ。

「そうね。準州経由で船便があるわ。それを利用できるでしょう」

 時間とコストはかかっても(ノルデン)州に入ってから陸路を移動できる。

「ただしマイン橋を爆破した勢力の正体が不明なのよね。荷物が襲撃される可能性もあるかも。だから保険をかけてもらうわ。掛け捨てでよろしく」

 荷主が荷物に保険をかける。料金はソフィア持ちで、しかも戻らない。

「仕方がないな...。輸送料は船の方が安い?」

「ええ。おまけに山越えは時間もかかるわ。船がおすすめね」

 入り江のもっとも奥では北と東の州は陸続きで接している。だが急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯だ。大量の荷物を円滑に運ぶのは難しい。

「う~ん。じゃあ船便で川の中流...レクトンまで運んでもらうか...時間がかかるのは諦めるよ」

「そうね。その選択は賢明よ」

 物量が滞るとソフィアで生産される物も販路が狭まる事になる。少しの手間賃も惜しい。

「で、肝心の物は入りそう?」

「武器と弾薬、およびニトログリセリンね」

 最後の品はダイナマイトの材料である。リリーは足を組みなおした。ゆっくりとカップを口に運ぶ。

「残念だけど」

 急に口調が硬くなる。

「注文の半分くらいなら確保できるかも。それでも確約は期待しないでね」

「どうして? ずいぶん前に頼んでおいたはず」

「特需による品薄よ。というか」

 くるくるとカップを回して覗きこむ。

「武器・弾薬の類はどこも欲しがっているの。(オステン)だって一応は中立の立場を表明しても商売だもの。高く買ってくれる方に売るわよ」

「やはり西(ヴェステン)州が欲しがっているのか」

 イーブの注文は火器や武器の類だ。火薬の原料は北州にある。だが武器となると、生産の大部分を(オステン)州が担っている。

「ええ。それにちょっとややこしい状況なのよ。『楽園創世の委員会』って知ってる?」

「ああ。君主制度のあり方を考えようって連中だな」

 長い内戦だ。国内に王制について疑問を呈する人々が現れるのも当然だろう。活動拠点は(オステン)州だ。彼らが武器の調達を始めたら、ますます流れて来る物資の量は減るだろう。

「次の選挙で(オステン)の州議会に議員を送り込むみたいね。独立運動を始めるんじゃないかって。マイン橋の爆破も彼らかもってもっぱらの噂よ。(ノルデン)の物流を締め上げるつもりなら厄介ね」

「さあ、どういうつもりだか。でもきな臭いな。それも後で考えるよ。とにかく今は物資の調達。どこからかなるべく早く手配はできないかな」

「う~ん」

 リリーはぼんと手を打った。

「あそこ。アディートに行ってみたら」

「アディート? どこだ?」

「ちょっと遠いわよ」

 リリーはまた机に手を伸ばす。どの辺に何が積んであるのかしっかり把握済らしい。地図を抜く時に紙の束は揺れたが、かろうじてバランスを保っている。

 ここ、とリリーが示す。(ズューデン)州と(ノルデン)州の境界近くの町だ。南北を貫く鉄道が通っている。物資の流通も盛んらしい。

北州(ノルデン)の中では内戦の影響をあまり受けていない地域でしょう? 何とかなるかもしれない。うちの支社があるの」

 身をよじって背後に手を伸ばす。書類や雑誌などが散らばった机の上から、またも器用に紙とペンを引っ張り出した。イーブはジェンガというゲームを思い出す。組みあげた木片を引き抜いていくのだ。崩れたら負け。彼女の机はまだゲーム続行中だ。

「これ住所ね。あ、他の商社も当たる? それなら紹介状も書いてあげる」

「ありがとう。助かる」

 かなり南下しなくてはならない土地だ。すぐには行けそうもないが、ありがたい。やっとイーブはカップを持ち上げた。コーヒーはぬるい。酸味がかすかに漂うだけの薄さだ。

「...もうちょっと...その...コーヒー豆もあまり入らないのかな?」

「あら! これだけ美味しくてまだ御不満?」

「...美味いよ...」

 それから幾つかの手続きを終えてイーブは事務所を後にした。午後も半ばを過ぎた。空はこれからどんどん暗くなるだろう。

 また手帳を広げる。腕時計を見た。

「もう一か所か...」

 辺りを見渡す。霧雨が顔に降りかかった。街灯は既にぼんやりと黄色い光を路上に投げている。建物が密集していて、ノイエ山脈は見えない。市内全域を見下ろしているラドクリフ城も建物の陰だ。

「高い処から見下ろしていらっしゃるわけか」

 そちらの方向を睨む。もう一度、時計に目をやる。ただ佇む若者を気にする者などいない。それでも彼は何度か周囲を見渡した。

 それから足元に目を落とし、濡れた路面を踏んで次の目的地へ向かった。 

 



 手足が何となく痺れた感じだ。ピドーは寝返りを打った。夢を見ている、と自覚があった。遠くで誰か呼ぶ声がする。不穏な雰囲気を感じて足元に目をやった。もう少しで何かが見えそうだ。

「おい、起きろ!」

 クリアな男性の声が響いた。灰色の天井が視界に広がる。目覚めれば夕べのままの部屋だ。壁際のオイルヒーターがかすかに唸り、窓には水蒸気がびっしりだ。

 要人警護で人手が足りなかったか。またはチンピラ同士のささいないさかいに過ぎないと軽く見られたか。ろくに話も聞かれないままで鉄格子付きの個室でお泊りする羽目になったのだ。夕食は出してもらえたが、基本は放置だ。硬いベッドで朝を迎えてしまった。

「おい、起きているか? エフェレット」

 昨日とは違う若い巡査が格子を叩く。四角くて狭い部屋だ。壁が震えるほど響く。

「くそ」

 ピドーは薄い毛布を蹴り飛ばした。ぼんやりとした悪夢は霧散した。

(またあの夢かな?)

 目覚めると思い出せないのに、またあの夢だと思う。そして何か大切な物を失くしたような、急かされているような奇妙な気持ちになる。

 素肌に麻のシャツとズボンだ。肌に擦れる。しかも胴回りは大きすぎ、裾は引きずる。大人サイズなのだ。絞れるほど濡れていたピドーに警察が用意してくれたのは、市立刑務所の囚人服だった。

「釈放だとさ。おまえの身元が確認できたって。ほら」

 干してはくれたらしい。ピドーの服を片手にかけている。留置室の鍵を開けた。ベッドに腰かけたピドーに投げてよこす。バッグも一緒だ。泥と水で生地の色が変わっている。封筒は皺だらけになっていた。

「ひでぇなあ...。でも事情聴取もなしに? デカブツはどうなったんだよ? 姉貴は怪我したんだ」

「ケンカ両成敗だな。さんざんボコッたんだろう? あちらさんも、あちこち痛いとさ」

「ふん、泣いとけ」

 けっ、と顔をしかめるピドーだった。巡査は笑った。

「本当に調香士なのかい? こんなガサツそうな...いやいや、行動的な君が香水を作るんだ~どんな薫りなのかな~」

「うっせえ。まだ見習いだよ。こんなの着せてくれやがって。着心地がいいったらありゃしねえ」

 手早く着替える。泥が付いたままの服は、袖を通すとバキバキ音を立てる。囚人服は、丸めて巡査に投げつけた。留置室勤務という職業柄なのか、荒くれた者の相手も慣れているのだろう。乱暴なピドーの行為にも動じない。腹で受け止める。

「一度着ると、くせになるらしいぞ。気をつけろよ」

「ふん」

「おいで。迎えが来てくれたそうだ」

 犬でも呼ぶように手招きする。ピドーの顔がふにゃりと歪む。

「......誰? 姉貴?」

 小言や嫌味を予想するだけでげんなりだ。

「男だね」

「...イーブか...」

 姉が事情を説明してくれたろうか。どれだけ何を言われるやら。穏やかになだめられるかもしれない。そっちの方が落ち込む。丸っきり子供扱いされているようだからだ。眉間にしわが寄ってしまう。

 巡査に連れられて廊下を進む。いくつかの角を曲がった。ロビーに出る。天井は高い。壁にはポスターが貼られている。

『大公の軍に参加を!』

『歴史を絶やすな、失われた過去は取り戻せない』

『未来を創れ! きみが今、国家にできること』

 文言は色々とあるものの、志願兵を募る内容が多い。

「誰が王だって良いのに」

「あはは」

 軽い笑い声を立てた巡査だが、すぐに表情をひきしめた。

「ガキが軽く言うんじゃないよ」

 受付に立っている人影が二つ。相変わらず黒いスーツ着用のルプレヒト・ヴィプリンガーとシュペトレーゼ・シュルツだった。ヴィプリンガーは軽く腕を組み、右手の指を顎に当てている。あまり気配を感じさせない男だ。しかし、目が合った瞬間には圧倒的な威圧感を醸し出す。巡査の表情も硬くなった。

 傍らに立つシュペトレーゼにも視線を走らせ、敬礼をする。

「留置者を護送いたしました」

「護送? って、あのな! 俺は犯罪者か」

 ルプレヒトが口を挟んだ。

「違うな、もちろん。せいぜいチンピラだ」

「何でてめーがここにいる? 生ゴミを投げつけたのを謝りに来てくれたのか?」

 ルプレヒトは軽く肩を竦めた。巡査が書類を差し出す。

「ではここに身柄引き取りのサインをお願いします」

 だが彼は手をひらひらさせる。

「さてどうしたものか。君にはゴミで正解だろう。怪我させずに投げられる物がそれだけだった。第一、似合う」

 慇懃無礼に語る様子には、ピドーを小馬鹿にしている雰囲気がありありだ。

「ふざけんな、黒カマキリ!」

 彼の眉が片方だけ跳ねあがった。

「私はルプレヒト・ヴィプリンガー。虫ではない。事情は警官から聞いた。マリアベル・エフェレット嬢は、今朝は仕事で来られないとの事」

「え、姉貴と連絡取ったの? いつ? イーブは?」

「一番目の質問。巡査を通じて連絡した。二番目、夕べ遅くだ。三番目。その人物については知らない。彼と連絡が取れず、やむなくソフィア師団と相談の上で私を頼る羽目になったそうだ。ほら、こちらが姉上からの委任状。私が代理でお迎えだ」

 鼻先に押しつけられたのは、確かにマリアのサインが入った書類。乱暴にはねのける。

「いらねーよ!」

「君は未成年だ。釈放には身元引受人が必要なんだ。不本意ながら関わってしまった以上、最低限の義理を果たす為に好意で来てやったんだ」

 確かにラドクリフに知り合いはいない。

「要らないというなら帰る。君は姉上が非番になるまで、ここにお泊り頂いて結構。ああ...でもソフィア師団が谷へ戻るのは三日後だったか...」

 巡査の抱えている服に目をやる。

「いい衣装があるし」

「てめ、この! メシがまずいんだよ、ここ!」

「子供が好き嫌いを言わない。ああ、それに、これ」

 ポケットから取り出したのは濃い緑色。ピドーの財布だ。

「ああっ! 何で持っている?」

「拾って差し上げた。食堂前の道路に落ちていたぞ。気が付かないとは不注意な」

 かごに足を取られて転んだ処だ。倒れた拍子にバッグから飛び出したのだろう。

「それもてめーのせいじゃねえか!」

「おやおや、サインも財布も要らない?」

「あ、あの」

 シュペトレーゼが割って入った。さっきから二人のやり取りにおろおろしていたのだ。ついにいたたまれなくなったらしい。

「ルプレヒト。あなたが厭なら僕がサインをするよ。僕らしか彼には知り合いがいないそうじゃないか」

「その必要はありません。G・P・D・D・エフェレット。おやエフェレット君。名前がとても長いんだね」

 ルプレヒトは書類を受け取った。だがまたも左右に軽く振るだけだ。そして両手で上部を摘む。すぐにでも破けるよ、と示しているのだ。

「どうする?」

 う、と顔が歪んだ。姉を待つのも構わない。だがいつになるのか。彼女の予定を把握していなかった。しかも、父の代理で買い付けをしなくてはならない。のんびりと留置所へおさまっている暇はなかった。

「...じゃあ...頼む...」

「え? よく聞こえなかった」

「頼むと言っただろうが!」

 ぺり、と紙が裂ける。

「わー!」

 ピドーは悲鳴を上げた。完全に遊ばれている。マリアからの代理人の委任状まで持っているとなれば、悔しいが仕方がない。

「お願いします...サインしてください! こん畜生!」

「子供は素直が一番」

 嫌味な言葉と同時にペンが動いた。

 やっとピドーは自由の身になった。ひったくるように財布を受け取る。まずロビーを見渡す。目的の物はすぐに見つかった。電話に直行だ。声が辺りに響き渡っているが、本人は一向に気が付いていないらしい。

「そこに泊ってるだろう、イーブ・ルパートだってば! ルパート! えっ、いない? 何で? 伝言? えっ何? もう一回!」

 賑やかだ。ルプレヒトは軽く肩を竦める。

 やがて通話が終わった。受話器を置いて振り返ると、まだ身元引受人が立っている。ピドーの表情が露骨に曇る。

「まだいたのかよ」

「うん」

 シュペトレーゼが穏やかに言う。

「ちょっと聞きたい事があるんだけれど」

「何? 急いで行かなくちゃならない場所があるんだ。本当は昨日のうちに寄るはずだったのに、誰かがゴミを投げるんだもんな」

「あの...ごめん。歩きながらでもいいよ」

 彼らは外に出た。霧雨が全身を包む。街全体が霞んでいた。ほのかに温かい。季節が動こうとしているのだ。ピドーはきょろきょろする。

「ハウプトシュトラッセに行きたいんだけど」

 ルプレヒトが指を指す。ピドーの眺めている方向と反対方向だ。

「あっち。バスに乗りなさい」

「命令すんなよ。...って、着いて来るつもりか?」

「バス停の場所を知っているのか?」

「.........連れてって下さい...」

 返事をしたのはシュペトレーゼだった。

「うん、そうしよう。行こうよ、ヴィプリンガー」

 三人は歩き始めた。密かに後を追う数人に、ピドーは気が付かない。

「改めて初めまして。僕はシュペトレーゼ・シュルツ。ラドクリフ市立大学付属歴史研究所の職員だよ、エフェレット君」

「ピドーでいいよ。俺に聞くことなんかあんの?」

「うん。ソフィア近くの遺跡を探しているんだ。この間ルプレヒトに行ってもらったんだけど、その、僕の伝え方が悪かったみたいで。見つけられなかったそうなんだ。場所を詳しく教えてもらえるかな」

「役に立たねー助手だな。遺跡? あの辺に?」

 ピドーはポンと手を打った。

「レクトンか? それっぽいのがあったな。洋服屋の前だったと思う」

 ルプレヒトが首をひねる。

「そうだ。だがどうもよく分からなかったな」

「いつ行ったんだよ?」

「五日前だ」

「ああ。じゃあまだ雪だ。降ってただろう? 道にも残ってたんじゃないか?隠れてたんだよ。だってさ」

 と、ピドーは両手の指を伸ばして四角を作ってみせる。大きさは顔よりも少し大きいくらいだ。

「これくらいの板が道路にはめ込まれているだけだよ」

 シュペトレーゼの表情がわずかに険しくなった。

「出土品は? 板の素材は?」

「さあね」

 いかにも興味がなさそうな返事だった。それでもシュペトレーゼは勢い込んで尋ねる。

「どんな図柄かな? こんなのはあった? 古代の絵文字なんだ」

 コートの内ポケットを探る。きっちり折りたたんだ紙を丁寧に広げた。コンパスで描いたであろうきれいな円の中に、線画がびっしりと詰まっている。点と棒の組み合わせが周囲を縁取っていた。幾つかの絵が密着して描かれているものの、組み合わされた四角がからみあい、渦巻きがあちらこちらから垂れているだけだ。角ばった線がのたうちまわっている。そのようにしかピドーには見えない。

「これはね...」

 シュペトレーゼによると、点と棒は数字を表す。四角いのは七面鳥と人間と太陽だそうだ。

「え? どこが? これって絵? 字?」

「絵文字...絵が字を示すんだよ。これは太陽の神なんだ。ここの四角が口で、半分呑みこまれているのが鳥、渦巻きは血を流している様子をシンボリックに...」

 ピドーは俯いた。聞く気がないのはばればれだ。

「へいへい。わかった。そんな絵はない。現代の字だけ。掘ったら何かが出たとかって書かれてた...かな?」

「本当に?」

「もう一回行ってみりゃわかる。あんなの見てどうすんだ」

「確認のためだけど...。字だけか...出土品は何だろう?」

「知らね」

「そう...」

 肩を落とす。見るからにがっかりした感じだ。

「君も歴史学者なんて国に貢献しないと思うかい?」

「へ?」

 ピドーはきょとんとした。シュペトレーゼは、昨日の食堂でのやり取りが頭に残っていた。だからこその自虐的発言なのだが、ピドーには何の事だか分からない。

「何を言ってんだよ」

 広場に出た。弧を描く道路に、幾つかのバス停がある。通勤時間のピークは過ぎているらしい。歩く人の数はさほどではない。ピドーはまず看板の前に行った。路線図を睨みつけ、唸る。どうやら経路がよく分からないらしい。

 同じようにぼおっとしているシュペトレーゼを見て尋ねる。

「あんたもおのぼりさんか?」

「うーん...。ずっとラドクリフに住んではいるんだけど、出身は西(ヴェステン)州なんだ」

「えーっ、あっちの方がずっと都会じゃねえか。あんたも避難してきたクチ? 俺も西(ヴェステン)生まれだけど」

 ヴィプリンガーが口をはさんだ。

「三番乗り場。走りなさい!」

「へ?」

「バスが動きそうだ」

「うわわ」

 つられたのか、シュペトレーゼも走り始めた。ヴィプリンガーの制止が間に合わない。急いで後を追う。

 人々の間をすり抜けて三人は走った。閉まりかけたドアが開く。

 ピドーは財布を取りだした。札をじっと見る。そしてシュペトレーゼに示した。内戦状態とはいえ、流通する通貨は連邦同一のままだ。現国王の肖像があり、グリンクラフト王家の紋章があしらわれている。

「さっきの話だけどさ」

 歴史学者は国に貢献できないのか、という問いだ。

「どうしてこいつが王になったのか、内戦のきっかけが本当は何だったのか...。それを調べて正確に記録するのは、あんたら歴史学者の仕事だろう? 物事には必ず原因がある。そいつをはっきりさせたいんじゃないのか」

「そうだね...その通りだよ。そうなんだけど...」

 シュペトレーゼは俯いた。

「...どうやったら内戦は終わるんだろう?」

 自分に尋ねているようだった。表情には深い憂いが浮かんでいる。昨日、軍人達に言われた言葉がひっかかっているのか。

 だが、ピドーには別件がひっかかる。

「......って、だから! どうして付いて来るんだよ!」

 二人とも当然のようにピドーの横に立っている。ぱっとシュペトレーゼの顔が輝いた。

「バスに乗るのが好きなんだ」

「はあ?」

 実際にシュペトレーゼは楽しそうだった。混雑する車内であっちへこっちへと体を振られながらきょろきょろしている。遠足に出かける子供のようだ。あれは何、あっちの物は...と、ひっきりなしにルプレヒトに尋ねている。だが立ち居振る舞いに品があり、騒ぎ立てるというほどでもない。

 レンガ貼りの壁が車窓に現れた。途切れることなく延々と伸びている。窓から見上げても頂上は見えない。

「古い城壁です。現存するのは約十キロ、基礎は先住民の建造物だそうです」

 ルプレヒトが説明する。シュペトレーゼが受けた。

「ティーガ族だね?」

「そうです。しかし城壁そのものは三百年ほど前に建設されました。ここがラドクリフ公国だった頃、グリンクラフト王国からの攻撃に備えて造られました。全長は五十キロほどだったと考えられています。門は二か所しかありませんでした。ほら、そこです」

 小さな通りの角を曲がった。上部がアーチ状にくりぬかれた壁が見えた。そこだけレンガではなく、しっくいで塗り固められていた。扉は既にない。大通りが下をくぐっている。天使と女神の彫刻が門を飾る。黒く変色しているのは風雨にさらされた跡だ。朽ちかけて顔の原型はよくわからない。三百年前にはシェレンス公爵の祖先がこの一帯の統治者だった。

「あの像は当時のラドクリフ大公夫妻をモデルにしたと言われています。かつて壁は市をぐるりと取り囲んでいて、町の発展に伴い少しずつなくなっていったのですが」

 城壁がなくなって市街地が広がった。それは平和の証でもあった。しかし十年前の内戦開始により戦線は遠いものの、またも必要になってしまった。

「ああ、本当に歴史の研究家なんだ」

 ピドーはちょっと首をかしげた。ルプレヒトに学者の雰囲気を感じていなかったのだろう。しかし、歴史について語るのを聞いて納得した感じだ。

「助手。ほら、次。降りるぞ」

 アナウンスはない。運転手は料金の支払いと運転するのみ。乗客が停留所の名前を見て自分で判断するしかない。

 ハウプトシュトラッセは城壁に近い地域だった。古い街並みが残っている。石造りでせいぜい三階建て程度の建物が並ぶ。通り沿いにはガス灯が未だ残る。電線が空いっぱいに編み物のように広がっていた。これはピドーとシュペトレーゼにとっては、あまりうれしくない光景だ。

「空がツギハギになってるぞ」

「全くだね。空というのは遮るものなく一面に広がっていないと」

「いい事言うじゃねえか」

 妙な処で意見が一致している。

 だが。ピドーは二人を睨んだ。

「いつまで付いて来るんだよ!」

「店の場所は分かるのか?」

 ピドーは、もう地図を見ていない。

「なめんなよ。何度か親父と来てる。ここまで来たら案内は要らねえよ」

「それなら、ここで失礼。シュペトレーゼ、行きますよ」

 二人はあっさりと去る。助手の後を歩きながらも、シュペトレーゼは相変らす周囲をぐるぐると見渡していた。

「どんだけおのぼりさんだよ...」

 それでも数分迷ってからピドーは目的の店に着いた。通り沿いで決して迷うような場所ではないものの、やはり土地勘がないとうろうろする羽目になる。店探しに集中していたせいで気がつかなったのだが、あの二人はまだピドーの近くにいた。そして物陰から彼の入った店をチェックしていたのだ。

 しばらくしてピドーが帰った。入れ違いに二人が入店する。間口は狭い。ウインドウには営業時間を示す札がかかっているだけだ。店内は薄暗い。カウンターから小太りの男が目を上げた。禿げあがった額に乗っていた眼鏡を鼻に戻す。店主の背後には木製の棚があった。たくさんの引き出しがついている。ラベルには『アスピリン』『重曹』『明礬(みょうばん)』などの字が読み取れた。壁一面が同じような棚だ。天井からは何かの干物が下がり、苦い匂いも漂っている。

「いらっしゃい。ご新規さんで?」

「いや、ちょっと話を伺いたい」

「...どちらかの紹介で?」

「そうだ」

 ルプレヒトがジャケットの内ポケットに手を差し入れた。身分証を見せる。店主は小さく舌を鳴らした。

「ウチはただの卸問屋で。法定の正規品しか扱ってませんよ」

「もちろん、そうだろう」

 カウンターに肘をついた。ルプレヒトは店主の目を覗きこんだ。

「ついさっき子供が来ただろう」

「ここは子供が出入りするような店じゃないですよ。あっちじゃないですか」

 と、通りの向かい側を示す。おもちゃ屋だ。しかしルプレヒトは振り向きもしなかった。

「ピドー・エフェレットは何を買った?」

「守秘義務ってやつがありますんで。信用第一ですよ」

「ここで扱っているのは本当に正規品だけか?」

 この言葉には棘がある。情報を教えないのなら、この店の商売がどうなるか分からないぞ...と暗に脅しているのだ。黒い瞳が冷たくきらめく。名前まで分かっているのなら仕方がない。店主は大きく舌打ちした。肩をすくめてカウンター下から伝票を取り出す。

「エフェレットさんね。いつも通りで。代理で息子さんが来ましたよ」

 書類の名義はジャック・ドッジソン・エフェレット。

 並んでいる品目はガラス瓶、封ろう、エタノール、鉱物油。香水を作るのに必要な材料だ。が、次の品にはヴィプリンガーの顔が曇った。硝酸カリウム、硝酸ナトリウム、アルミニウム粉末。それぞれの量は少ないものの、香水には使用しない薬品だ。

「エフェレット親子は調香士ではなかったのか?」

「もちろん調香士で。ソフィアはラベンダーとバラの産地ですよ。ゴドーさんは王家お抱えの職人さんだったのに。ええ、そりゃあ良い仕事をしましたよ。なのにね、今、なんでこんなものが必要なんだか。ねえ、軍人さん」 

 そして、じろりとルプレヒトを睨む。見せられた身分証に臆した様子はなかった。お互いの視線がぶつかって見えない火花が散る。

「ゴドーとは誰だ?」

「へえ。ゴドー・エフェレット氏をご存じないのにこのお店にいらっしゃるとは! どこのモグリかって笑われますよ。かつての王家の職人さんで。ジャックさんはゴドーさんの娘婿。ゴドーさんは(ノルデン)事変の前に亡くなって良かった。こんな国を見ないですんだんだからねえ」

 エフェレット家は三代続けて調香師という事らしい。

「調香士とはさぞかし鼻がいいんだろうな?」

「あんたほどじゃないでしょうがね」

 店主は嫌味連発だ。唐突に思える質問にも動じない。

「ピドー君は犬並み、十メートル先の犬のフンまで分かりますよ。爺さん譲りでしょう」

 例えは大げさだが、優れた調香士なら三千を超える香りをかぎ分けられるという。

「そうか...」

 腕を組んで指を顎に当てる。とんとん、と小刻みに叩いた。

「わかった。御苦労」

「次は客で来て欲しいもんで。ウチは正規品だけですから」

「そのようだな」

「首をくくるのにはピッタリの縄も置いてありますよ!」

 最後まで憎まれ口だ。それを背に店を出る。眉間にしわを寄せたシュペトレーゼが尋ねた。

「何か気になるんですか?」

「ええ。あの子...ピドー・エフェレットは、すれ違っただけで私が銃を撃ったと言い当てたんです」

 ...銃を撃っただろう。俺には分かるんだよ...。

「確かに撃ちました。朝のうちに射撃訓練場へ行ったんです」

 指や服に硝煙がつく。しかし、ほんのかすかだ。普通の人間なら全く気がつかないだろう。しかも鼻が良いだけなら何なのか分からないかもしれない。火薬のにおいを知っていればこそ、銃を撃ったと言えるのだ。しかも素姓を知らない相手に面と向かって。

「良い度胸です。でなければ無鉄砲なただの馬鹿ですね」

「...そう...でも、あんまり人をバカと言わない方が...」

「馬鹿は馬鹿です。もしやどこかの軍の関係者かと思ったのですが、まさか鼻がいいだけとは...。エフェレットはソフィアから来たはずです。伝票にカリウムとかアルミニウム。何に使うのでしょう?」 

「香水以外の生産物のあるのかもしれませんよ」

 ソフィアは北の果てだ。背後には山脈がそびえる。軍事の要所とはいえない。狭い土地なのでさほど大がかりな工業製品は作れないだろう。

 しばらく考え込んでいたが、やがて口元に笑みを浮かべた。

「いずれにしろ師団が出発するのは二日後です。彼らとソフィアに向かいます」

 不安そうなシュペトレーゼの頬に、さっと朱が走った。期待と不安が入り混じっていたが、前者の方が勝る表情だった。

お読みいただきありがとうございます。

ちょっと整理します。それぞれの関わりはこれから!

エフェレット家 父:ジャック・ドッジソン・エフェレット

        姉:マリアベル・E・エフェレット(通称マリア)

        弟:G.P.D.D.エフェレット(通称ピドー)

        同居人:イーヴ・ルパート

研究所職員   シュペトレーゼ・シュルツ

        その助手:ルプレヒト・ヴィプリンガー

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