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冥界の太陽たち 冥界から四人の王子が復活する時、災いの蟲が来て世界は崩壊する。そしてゲームは始まっていた!  作者: あべ舞野


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冥界の太陽たち 第四話 下 北と南の境界の町

アディート脱出

ジーノチカの行動の理由と

シュペトレーゼの正体が語られる

そして 東の赤

冥界の太陽たち 第四話  下

          (ノルデン)州アディート 北と南の境界の町


 ラジオが鳴りっぱなしだ。ガラス越しに光が斜めに差し込んでいる。誰かが怒鳴っている。ピドーは薄眼を開けた。赤い光が部屋に満ちているのにちょっとうろたえるが、夕方なのだとすぐに気が付く。『東の赤』の声ではなくレイナーも見えない。

 その代りにもっと怖いモノが二本足で立っていた。凄い形相のマリアだ。

「愚弟! のんびり寝てるんじゃないわよ! 小虎はどうしたのよ!」

 頭の下から枕を引っこ抜かれた。それで顔を叩かれる。一度シーツに撃沈してから体を起こした。

「さっきまであそこに」

 小虎がうずくまっていた壁際を示すが、いない。ベッドの下にも見当たらなかった。

「あれ?」

 きょろきょろする弟を尻目に、マリアはバスルームを覗いた。トイレにもいない。クローゼットも空だ。マリアが買い物に出かけている間に小虎は消えていた。

「何で引きとめておかないのよ」

「だって...」

 『東の赤』が夢に出てこなくなった分、寝不足は解消されたはずだ。けれども小虎と二人きりになると会話は途切れがちだ。というよりも殆ど口を開かない。自然と暇になったピドーの瞼は重くなってしまった。上着代わりのシャツをベッドカバーに放り出して横になる。気が付いたら寝ていた。

「あいつは俺達の居場所が分かるらしいじゃないか。一緒に東に行くって言っても、ずっとびったりくっついてなくてもいいだろ」

「...そうだけど...。夜には戻ってくるかな」

 マリアはテーブルに置いた袋を覗いた。

「どうしてそんなにあいつに親切にするんだよ」

「どうしてかな。...夢を見て...」

「は?」

「何でもない」

 ソファに座り、肘かけにもたれかかる。

 自分よりも幼い子供の世話をする事で、受けるはずだった母からの愛情をなぞってみているのだろうか。

「マリア、ソフィアに戻らなくていいのか? そんなに休みは取れないだろう?」

「大丈夫」

 マリアはきょろきょろして、人差し指でピドーを招いた。耳元に口を寄せて声をひそめる。

(オステン)州の偵察」

 ピドーも囁いた。

「仕事かよ」

「うん。ヴィプリンガー少尉に伝言を届けた後はあんたに同行するようにって」

 新人(ユーゲント)なので顔はどこにも知られてはいない。家族が旅行中なら一緒にいても怪しまれないだろう。ソフィア襲撃が(オステン)州側からだとすれば、状況の偵察は非常に重要になる。

「ソフィア調香師協会の事務員になったから」

 バッグから身分証を取りだして見せる。真面目な顔の写真が貼ってあった。

「へええ」

「ここも師団に連絡して、紹介してもらったの」

 そうでもなければ見知らぬ町で格安の宿を探すのは難しかっただろう。

 さらに陽は傾いた。顔をしかめてピドーはカーテンを閉めた。ベッドにあぐらをかく。

「そういえばマリアは知っているか? 親父はどうして退役したんだ? ソフィアの大人は殆ど軍の関係者だったと聞いたけど」

「誰から?」

「レイナーからだよ。襲撃のあった日」

 彼の話しの途中で言葉は途切れた。ハイケが呼びに来たからだ。とうとう続きを聞けなかった。ダムの破壊があり、彼は命を落とした。冥界の太陽『東の赤』への生贄として首を奪われたままだ。

「噂だし私もソフィア師団に入ってから聞いたんだけど」

 前置きしてからマリアは少し首をかしげた。

「アナスタシアの暗殺と、北事変の実行者は(ノルデン)州軍じゃなくて西(ヴェステン)州軍だったんじゃないかって」

「はあ」

 西(ヴェステン)州軍を率いるのはバロー伯爵だ。アナスタシアと当時の国王マクシミリアンの結婚に反対し、王の弟を擁立したのは彼だ。アナスタシアを葬り、抗議のテロと反対派を抑え込む為に北事変を起こしたのは筋が通る。しかし管轄の地域ではない。

 シェレンス公爵は逆にマクシミリアンの側であった。ティーガ族は領民だ。あえて自分の領内で虐殺を行う理由はない。

「あれ? そういえば」

 エフェレット一家は西(ヴェステン)州に住んでいた。

「親父は西(ヴェステン)州の軍人だったんだよな? それがどうして北方へ逃げたんだ? それがはっきりしないんだ。知ってる? 親父は誰が王でもいいって言ってたし、ハンナも曖昧だった。もともと母ちゃんを追いかけて行くつもりだったとは聞いたけど」

 王の乳母だったハンナ・ティッシュバンが(ノルデン)州に住んでいるのは出身地だからだ。南北の州境が近く、たまたま北側に家があったに過ぎない。

「なんで身内から追われたんだ? 親父に聞いてみたのか?」

「ううん」

 マリアは目を伏せた。スカートの裾を指でいじっている。

「じゃあ俺が聞いてみる」

「やめなさいよ。集団で脱出したのよ。それなりの理由があったんだろうし...」

「何を言ってんだ」

 ピドーは立ちあがった。

「母ちゃんが死んだのに親父たちが関わっている事は無いのかよ?」

「意味不明な事をほざかないで」

「なら、どうして聞かない?」

 マリアは噂を知っていた。ピドーだけが知らなかった。レイナーは何を言おうとしていたのか。何もできなかった自分が悔やまれて、ピドーをいらいらさせる。

「一言だけ聞けばいい。『虐殺に参加したのか』って!」

「ピドー!」

 マリアの声も高くなる。

「お馬鹿なの?」

「怖いんじゃないのか? もしも本当に親父達のせいじゃないかって。だから聞けないんだ! 俺は何も知らない。誰も教えてくれないなら聞くしかないだろう」

「何を言ってんのか、自分で分かってんの! 人の生死をそんなに軽く言わないでよ」

「俺だってレイナーが喰われるのを見たんだ! 軽いなんて言うな!」

「幻覚でしょう? 父さんやイーブは実際に見つけて」

 ふっとマリアは言葉を呑んだ。

「何だよ。そりゃ親父は軍人だったなら...。待てよ。探すって? レイナーの首は? 見つかってない...よな?」

 救出されて以来、ピドーはずっと病院だ。そこから南に向った。一度も工業地区へ戻らないままだった。病院には工業地区の者は誰もいなかった。

「おい、サンハチにいた連中は、みんな無事なんだよな?」

「...ええ...まあ、そうよ。水が来る前に上がったわ」

「じゃあ誰を見つけた?」

 マリアの手が買い物袋をつかんだ。ピドーめがけて叩きつける。よけようとした腕に当たった。紙が破れる。色とりどりの食材が床に落ちた。

「マリア! 本当の事を言えよ! どうせ分かる事だろうが!」

「言ってやるわよ。サンハチで被害者が出たのよ!」

 マリアは目を閉じて怒鳴った。

「三十八番の入り口は...ドアが無くなって...水と泥でいっぱい!」

 雪解けの水と長く続いた雨のせいでダムは満杯だった。爆破で一気に水が流れ出す。しかも発電所の瓦礫や木々を押し流した。避難所三十八号室の扉は破壊され、土石流に襲われた。多少の時間的な余裕があったのは幸いだった。異常に気が付き、上方へ逃げるのが可能だった。しかし無線を受けるべきレイナーは、ピドーとカイを探す為に席を外していた。上がれ、というジャックからの指示は届かなかった。心配していた数人が入り口付近で待っていたらしい。

「...え...ハイケは...?」

「ハイケは何とか上がれたけど...足の不自由なおばあさんが...助けようとしたご主人も...」

 水の勢いから逃れるのが遅れたのだ。膝から力が抜ける。自分でも意識しないうちに、ピドーは数歩後ずさりしていた。ベッドに当たる。そのまま腰を落とした。腕がだらんと足の間に垂れた。

「うそ」

 嘘だ、嘘だと何回も繰り返す。逆に真実なのだと自らに言い聞かせるようでもあった。考えてみれば分かりそうなものだった。夜明けになっても工場の屋根まで水をかぶっていたのだ。三十八番の扉が水没するのは当然だ。しかも病院には、工業地帯からの怪我人は搬送されていなかった。みんな無事なのだと無邪気に思っていた。

「何で黙ってた? 何で?」

 マリアはそれには答えなかった。床の食材を指さす。

「拾いなさいよ」

「やったのはマリアだろう」

「あんたが変な事を言い出すからでしょ!」

 お互いにそっぽを向く。どちらの頬も赤くなり、動こうとしない。

 ピドーが先に行動を起こした。シャツを羽織る。足音も荒く部屋を横切る。一点を見つめたままのマリアの前を無言で過ぎた。ドアを開けた時、ようやく弟の背中に声をかけた。

「どこへ行くの」

 ピドーは振り返らずに答える。

「小虎を探しに行く!」

「ちょっと! まださっきの男がいるかもしれないわよ!」

 中腰になったマリアが視界の端にいた。叩きつけるようにドアを閉める。何かを投げつけたのか、中でも重い音がした。

 小走りで廊下を抜けた。階段を二段飛ばしで駆け下りる。一階には踊り場に押し込んだようなフロントがあった。白いブラウスの女性がちらりとピドーを見る。中年の婦人だ。ちっと舌打ちをした。静かに、と呟いたようでもある。

 回転ドアを抜けた。西日がまともに目を射る。振り返ると灰色の建物が白く光っていた。姉は追って来なかった。

 小虎を探す手掛かりはない。一緒に東へ向かうと言ったのだから、おそらく近くにはいるのだろう。もとより勢いで飛び出したのだ。すぐには戻りにくい。

(駅へ行ってみるか)

 雑踏が流れて行く。夕方に近くなり、ロータリーにはバスを待つ人の列ができていた。駅舎は立ち入り禁止だ。黄色のロープが出入り口に張られて巡査が左右に立っている。野次馬が群れているのを渋い顔で眺めていた。追い払っても次から次へと見にくる。中に入ろうとしない限りは黙認らしい。軍や警察はさほど住民に対して厳しくはないようだ。人々に紛れて背を伸ばしてのぞくと、ちらばったガラス片などの片づけは終わっているようだ。

 見知らぬ人ばかり。でもそれぞれに家族があり、生活がある。

(嘘だろう...)

 また同じ単語をくり返す。信じられない。マリアも父も、またラドクリフにいた誰もピドーに言ってはくれなかった。

(子供扱いかよ!)

 入院していた身だ。捜索に協力もできない。労られていたという思いよりも、放っておかれた気分が強くなってしまう。父があっさりハンナの家に送り出してくれたのは、ピドーに工業地帯の惨状を見せたくないからだろうか。

 被害妄想と自意識がごっちゃになる。どうしたら良かったのか分からない。時間を戻せるのなら、石板をカイから取り上げて地面に叩きつけるだろう。

 小虎はなかなか見つからない。とぼとぼとホテルに向かった。次の角を曲がり、まっすぐ行ったら行き止まりだ。商店のウインドウが光る。骨董品屋のようだ。古ぼけた楽器や欠けた壺が置いてある。艶を失った青いガラス瓶に目が留まる。

(調香の道具...どうなっただろう...)

 ぼんやりと立ちすくむ。 

「ピドー・エフェレット君!」

 不意に名前を呼ばれた。反射的に振り返った時には、もう腕を掴まれていた。眼鏡の縁が光る。ピドーは身構えた。アウゲンだ。

「ピドー君だね。良かった、また会えた」

「また来たのかよ。しつこい! 放せ」

「そうはいかない」

 彼はぐいぐいとピドーを引く。

「それはこっちのセリフだ!」

 腹に蹴りを入れる。アウゲンは大きく唸り、体を折った。ピドーから手を放してうずくまる。

(弱っ!)

 立ち去ろうとすると、アウゲンがピドーのシャツの裾を掴んだ。

「ま、待ってくれ...頼む...」

 顔は苦しげに歪み、声は弱弱しい。眼鏡がずれている。目もとのあざが痛々しかった。

「何だよ!」

 腹を押さえ、よろよろ立ちあがる。

「僕は荒っぽいのが苦手なんだよ...。ただの情報屋なんだから。ティーガの子を見つけてどうこうしようってわけじゃないんだ。探しているだけなのに...昨日の男といい、全くもう! 割りの合わない仕事だよなあ...でも軍関係くらいしか就職先って無いしさぁ」

 だんだん愚痴になってきた。ピドーは肩を竦めた。警戒感が薄れる。

「そりゃ気の毒だけど、ティーガの子がどこにいるのか、俺は知らない」

「えっ、そうなの?」

「うん、はぐれた。どっか行っちまったよ」

「そ、そうか...」

 アウゲンは眼鏡を直した。肩を落としてため息をつく。

「しょうがない...。他を当たるか...。で、君らはこれからどこへ向かうんだ?」

(ズューデン)州..ケッセンだよ」

「ふうん」

 アウゲンはまだお腹をさすりつつ、少し考えていた。

「まだ電車は動きそうにないな。そうだ、僕の車で送ってあげようか?」

「う~ん...恐ろしい動物も一緒なんだけど...よく吠えるんだ、そいつが」

「犬かい? いいよ。全然かまわない。今はどこかで待っているの?」

「うん」

 ケンカしたばかりでもあり、マリアは犬扱いだ。二人は並んで歩き始めた。それからすぐだ。

 派手な足音と奇声が背後から聞こえたようだ。途端にアウゲンの姿が横から消えた。ぎゃ、とカエルがつぶれたような声がした。

「こらピドー・エフェレット! 探したぞ。といっても包帯の頭は目立つからな。痴漢と同道してはいかん! ダメだ! だから僕は君を救ったぞ!」

 ピドーはその場で固まった。ジーノチカ・L・ヒンメルだ。腰に手を当てて、胸を反らせて威張っている。足元では投げられたアウゲンが唸っていた。

「ジーノチカさん! そいつは人探しをしているだけって」

「何! 祖母の家では思いっきり覗きをしようとこそこそしていたぞ。ここまで追いかけてくるとは実はストーカーか? 青少年専門なら尚更に許さん。未来ある子供を連れてどこへ行こうとしているのか。僕は許さない。許さないから投げる!」

 繁華街から少し離れているとはいえ、大声でわめいているのだ。人が集まって来た。騒ぎが大きくなれば警察関係者も来るだろう。アウゲンはようやく身を起して道路に座りこんだ。

「いてて...。僕はただ...」

「ただの何だ! ただの男は要らん! 有用な男こそ僕は好きだ。ただなら欲しくない。ましてや覗きなどまっぴらだ」

「分かった、分かりましたよ」

 アウゲンはよたよた立ちあがった。乱れたコートを整え、ぱんぱんと叩く。眼鏡をまた掛け直した。

「一度引きます。貸しておきますよ」

「何も借りんわ。僕に貸せる何かを持っているのなら言ってみるがいい、何も言えないだろう。そうだろう、ただの男が持っているはずがない!」

 彼はため息をついた。ジーノチカとこれ以上話すつもりはないらしい。首を何度か回した。道路にぶつけたようだ。首や肩をさすりながら立ち去る。後ろ姿の背中が少し丸かった。

「ピドー!」

 ジーノチカはピドーに向き直る。いきなり頬を平手で打った。容赦はない。よろめいた。痛みより驚きの方が大きい。指の痕が付いた頬を押さえた。

「うわ。何を」

「君はいたいけな子供だ。本当は投げたい。だが今回だけは免除してやる。しかも平手だ、僕の慈悲だ。次は無いぞ。投げるぞ。嫌なら考えろ、頭を使え。あいつが誰だか知っているのか。不法侵入と覗きの未遂で留置所送りになった正体不明の奴に、ホイホイ着いて行くおバカか君は」

 ジーノチカもアウゲンの正体を知らないようだ。

「だって送ってくれるって」

「誘拐犯の甘言に過ぎないぞ。どこ送りにされるか分かっているのか。僕は分からん。分からんから付いて行ったりしないぞ。まずは投げてみることだ! だから投げた、怪しかったじゃないか」

「あ...。そういや、何であいつは俺の名前を知っていたんだ?」

 顔を合わせた事はある。しかし自分から名乗りはしなかったはずだ。そういえばピドーも彼が本名を名乗ったのか、名字が何というのか、どこ出身なのかも知らない。自衛の為に殴ってみたではないか。それなのに彼が見せた弱みに安心してしまったのだ。ジーノチカの言う通りだ。

「...ごめんなさい」

「よし! 子供は素直が一番だ」

 子供扱いされたのにはちょっと頬をふくらます。

「ガキかよ...。ジーノチカさんはどうしてここへ?」

「車を使ったのだ」

「あ...そう」

 手段ではなく理由を聞いたのだ。会話がかみ合っていない。ピドーは脱力感をおぼえた。

「それで? なぜここへ来たんだよ?」

「うむ。君らがどうしたかと確認する為だ。実は今朝、キルヒェガルテンで大騒ぎがあったのだ。糸杉の森が荒らされて管理人が殺されていた」

「え! うそ」

「嘘ではない。僕は故意でなければ人をだましたりはしないぞ。人の行き死にに嘘をつくのは一大事だ。だからわざとでなければ嘘は言わない! 管理人の死を隠しても僕にも君にも何も利点はないのだ。確かに彼は死んだ! 真実だ」

 人の死を軽く言うな...とはマリアが言っていた。しかしジーノチカはストレートに語る。

「ジーノチカさん、殺人事件だろう? もうちょっとしめやかに話せない?」

「充分に湿っぽく話しているぞ。僕は彼に会った事はない、しかし死を悼む気持ちは持っている。縁もゆかりもない相手に、今だけ弔意を示しても逆に嘘っぽいだろうが。眉間に縦皺を寄せて祈るのも葬式では大切だ。いや、むしろ社会人としてはそうふるまうべきだ! 僕はちゃんと常識をわきまえている。それよりも大事なのは事件の概要だ、理由だ、そこに何があったかの解明だ。しかしそれは現地の警察の仕事だ、僕の領域ではない。だからこそ、君には客観的事実を告げるまで。彼の死と君らは関係があるのか? 僕は確かめるぞ。彼は生き返らない。だったらまず動くのだ! 動け!」

「あ~...うん」

 生身の手足を動かせ。それはピドーがシュペトレーゼに言った言葉でもある。ギュッと目を閉じた。ラベンダーで青く染まる初夏のソフィア、いつも爽やかな香りに包まれた工業地域、崖に挟まれた長い空、そして明るく親切だった隣人たち。

 額にふりかかる髪をはらい、きっと顔を上げた。

「犯人は? まさかアウゲンじゃ...」

「わからん! 管理人は腹に大穴が開いていた上、高い処から落とされたようだ。体中の骨がぐしゃぐしゃだったらしい。意味がわからん! あの辺りに高い建物はない。糸杉くらいだ。そこまで人体を咥えて運ぶ巨大な鳥など生息しない。分からん!」

 彼に分からないものがピドーに分かるはずもない。

「ハンナさんは? 無事?」

「無事だ。しばらくは僕の弟の家に身を寄せるようだ。その方がいいだろう。賢明な判断だ。さすがは僕の祖母だ。殺人事件を知って君の父上に連絡を取ったのだ。そしたら僕に君の様子を見てくれとお願いされたのだ」

 殺人者が追いかけてはいないか。父はきょうだいの安否を心配したようだ。しかし彼はすぐには動けない。そこでハンナを通じて様子を見て欲しいとジーノチカに頼んだようだ。

「そしたらテロ騒動だ。君達がもしや巻き込まれはしていなかと。急ぎ到着してみたら案の定だ。見つかって良かった。よくぞ見つけた、さすがは僕だ。もっとも父上から宿泊施設も聞いていたのが良かったな」

 そこへ向かっていてピドーとアウゲンを見つけたようだ。

 ジーノチカはきょろきょろした。鉄道の乗り換え地点だけに人通りは多い。夕方の帰宅時間も重なってきたようだ。警官や(ノルデン)州軍の制服姿も、朝よりは増えた。だが物々しさはさほどではない。被害が駅だけにとどまったおかげか。

「キルヒェガルテンでも報道されたのだが。騒ぎの割に被害は小さいようだな」

 原因を知っているピドーはあいまいに頷いた。

「でもさ、ここだってけっこう大きな町だろう? ホテルを引き払ってたかもしれないじゃないか。俺に会えなかったらどうするつもりだった?」

「駅かバス停に現れるに決まっているだろうが。移動手段がそれだけだからな。大きな町ではあるがよそ者は目立つ。よし、行くぞ。マリア嬢を呼びに行こう」

「え?」

「今は通行量が多いじゃないか。検問があちこちにあったが、多少はゆるくなるやもしれん。今だ! 覗きのストーカーもいるし、とっととケッセンへ行くぞ」

 海峡(メールエンゲン)を越えて(オステン)州へ渡るのには、(ズューデン)州ケッセン経由が一番早いルートだ。

 アウゲンが尾行していないか気を配りながら、二人はコンドミニアムへ向かう。

「あっ、そういえばさっきもティーガ族のチビに会った」

「なにっ?」

 ピドーはキルヒェガルテンとここでの出来事を話した。

「ふむ! あちらからだけ見えるというのが気にくわんな。今も奴は僕達を離れて監視できるのだな」

「監視って感じでもなさそうだけど...。とにかくマリアが不憫がってかまうんだよな」

「危険だ!」

 ジーノチカは叫んだ。

「騙されてはいけないぞ。十年も逃げおおせている輩だ。よほどの喰えない奴だ、仲間がいるのか? どちらにしても気を完全に許してはならないぞ! 僕ならとりあえず投げてみるが」

「チビだよ? マリアにぶん殴られるわ」

「そこだ! 不憫でかよわい子供だ! マリア嬢の庇護の心をくすぐるかもしれない。いや、するだろう。くすぐられて大笑いだ。しかしそんな外見に騙されてはいかん。いいかピドー、それを忘れるな。僕はもちろん忘れない。忘れる事もあるだろうが、思い出せばいいだけだ」

「へいよ」

「名前は聞いたか?」

「ううん。取り敢えず小虎って呼んでいる」

「ほう! 虎族だから小虎か! 本名を隠しているのだな? そうだな!」

 流れるような言葉の列だ。生返事を返す。ピドーはティッシュバン家に訪れたアウゲンを思い出していた。小虎が現れると、彼も姿を見せる。

(もしかして仲間か? 今は俺達を泳がせているとか)

 ちら、とジーノチカを見上げる。彼もタイミング良く現れた。ハンナ・ティッシュバンは両親の知り合いだから全面的に信頼していた。その孫であるジーノチカも然り。だが彼は西(ヴェステン)州の住民である。父でさえ、北事変に関しているのでは、という疑いが頭をもたげてしまった。

「何だ?」

「あ、えーと...。親父とはどういう知り合いなの?」

「知り合いと言うほどではないな。だが顔見知りというほど軽くもない」

「あ...そう...」

 はぐらかされた。聞いたのを少し後悔する答えだ。

(何が何だか分かんねえや)

 会話が弾まないままコンドミニアムの前に付いた。

「よし行け。僕は見張りに立っている。急げ」

「待てよ。あんたを信用していいのか?」

「もちろんだ! 僕を紹介したのは君の父上であろうが。君は東の神殿に行きたいのであろう。それを手伝ってやろうという僕の心使いを疑うとは何たる浅慮! 反省するように。早く行け!」

「...うん...」

 ピドーが建物に入る。

 ジーノチカはきょろきょろした。一つ向こうの角で若者が手を振った。水色の作業着だ。同じ色の帽子のつばに手を当てて挨拶した。そしてすっと建物の角に消えた。

 それを見届けてから道路を急ぎ足で横切った。車が警笛を鳴らす。それをよけながら片手を挙げた。向かい側の公衆電話ボックスを目指す。

 赤い格子のドアを開けた。子供たちのいるコンドミニアムに注意をしつつダイヤルを回す。

「もしもし、僕だ。僕と言えば僕だ。他の誰でもない。名乗る必要はあるか? ...分かっておる? 結構だ! エフェレットきょうだいを見つけた。捜索の協力に感謝だ。合流したぞ! 例の免許証は受け取った。大義である。世話をかけた礼として、しばらく彼らと同行してやろう。...なに? 気にするな。僕は寛大なのだ。ではいずれまた、ゲープハルト」

 受話器を下ろす。電話に手を置いたまま、軽くため息をついた。

「...うーむ、気にくわんな。この僕ともあろう者が手助けされたなどと。借りを作ってしまったではないか!」

 エフェレットきょうだいを探すのに、とある所へ協力を依頼したのだ。ピドーに言われるまでもなく、アディートは大きな街だ。紛れ込んだ子供二人を簡単には見つけられるはずがない。

「まあピドーを救助できたのだからよしとしよう。ティーガの情報は、もっとはっきりしてから伝えるか」

 ジーノチカはまた道路を横切った。

 ピドーはコンドミニアムのフロントを駆け抜ける。部屋に急いだ。

 マリアはミニキッチンにいた。備え付けの什器を棚に片付けている。勢い良く開いたドアに驚いた様子はない。

「おかえり」

 ピドーが入るなり、すぐに内鍵をかける。用心深いマリアが鍵をかけていなかったのに気が付かないほどピドーは急いでいた。

「マリア、すぐに出かける支度! 今、下でジーノチカさんが待ってる。車があるんだって」

 先ほどのケンカは自然消滅だ。

「そうらしいわね」

「信用できるかよ。どこか裏口から出るか?」

「いいえ。一緒に行くわ。父さんからも言われたのよ、ジーノチカさんはあの調子だけど信用できるって」

 既に鍋が湯気を立てていた。ガスを消す。蓋をあけて、少しさみしそうだ。

「勿体ないなあ...」

 すぐ出かけるのなら誰も食べられない。でも捨てるには忍びないようだ。そのまま放置するらしい。リビングに戻る。荷物はもうまとまっていた。まるでピドーが来るのを知っていたようだ。

「ピドー、あんたも荷物を片付けなさいよ。早く!」

「あっ、はいよ。でも何で知ってる?」

 鼻をこすった。何か違和感がある。鞄はベッドの上だ。そちらに歩いて行って、びっくりして飛び上がった。

「うわ、やっぱり」

 二つのベッドの間に小虎がうずくまっていた。マリア一人の時とは、何か空気が違っていると感じた通りだった。

「いたのか!」

 フードを上げず、身じろぎもしない。手を拭きながら、マリアが歩いて来た。

「あんたが出て行ってからすぐに戻ったわよ。アウゲン? だっけ。あいつがまた出たって。それでジーノチカさんとも会ったんでしょ?」

 アウゲンとピドーが出会ったのを知り、急いでマリアに知らせに来たそうだ。ピドーよりも彼女の危機を回避しようとしたらしい。ピドーが戻るのも小虎が教えたそうだ。だからマリアは鍵を開けて待っていたのだ。

 突然マリアはピドーの髪をつかんだ。

「いてっ。俺は何もしてないっ」

「この愚弟! じっとしてなさい。包帯をはずすのよ。目立つでしょ」

 目印になってしまう。ジーノチカもこれを目当てに探したようだ。ばんそうこうも外す。傷口近くの髪は短く切られている。横から髪を持ち上げ、マリアの整髪料で固めて何とか隠した。

「さて小虎をどうしましょうか...問題は検問よね」

 彼女は小虎に歩み寄り、いきなり抱き上げようとした。驚いたか、さらに縮こまる脇の下に手を差し入れて無理やり抱える。

「う~ん...」

 リビングにあるのはピドーとマリアのバッグ。どちらもせいぜい二泊分の荷物が入る大きさだ。後は小虎の服と靴を買った紙袋が放置されている。小虎とそれらを見比べて、マリアは唸った。

小虎が少し顔を上げた。フードから口元だけが見える。

「男。来る」

 冷静な調子だ。マリアとピドーが目を合わせた。

「アウゲンか?」

「ううん」

 構える間もなく、ドアがノックされた。ノブが回る。鍵はかけてあり、がちゃがちゃ鳴った。返事をする前に激しくまた叩かれる。廊下で怒鳴り声が響く。

「遅いぞ! アウゲンも見当たらないし、僕は来た! 迎えに来たぞ! 早く出かけた方がいい!」

 行動を隠密にしきれないジーノチカだ。待ちくたびれるほどの時間は経っていないのだが、彼は自分のペースで動くようだ。ピドーがドアを開けるなり飛びこむ。

 小虎に目を止めた。

「おお! ティーガの子供は君だな。君か、君が暫定の名前であるところの小虎か!」

 つかつかと歩み寄る。ボストンバッグをベッドに放り出した。指をぱきぱき鳴らす。フードに手をかけようとするが、彼はさっとベッドの下にもぐりこんでしまった。

「...似て...」

 何か言いかけたが、ジーノチカの足音にかき消された。

「逃げるな。僕は大丈夫だ。どこもかしこも公明正大だし健康だ!」

 さっと身を屈める。床にはいつくばり、狭い空間を覗いた。小虎は素早く移動する。それをまた追いかける。ピドーとマリアの足元を二人がごそごそ動きまわった。足を取られ、ピドーが転びそうになる。

「お前ら...」

 クッションを手にして、不毛な追いかけっこをしている二人に投げつけた。床に当たって軽い音がする。動きを一瞬だけ止めたところへ怒鳴りつけた。

「早く出かけるんだろうが! 小虎! ジーノチカ! いい加減にしろ!」

 マリアはベッドに膝をかけていた。鬼ごっこそっちのけだ。ジーノチカのバッグを手に取っていた。大きく開いた指で大まかなサイズを測っている。

「マリア! 何をしてんだよ!」

 彼女は軽く鼻を鳴らして笑った。

「使える」

 






 信号を越えた先に警官と軍人が立っている。警棒を振りつつ、車を一台ずつ停める。運転席に何かを話しかけてはトランクを開けさせる。検問だ。だんだんと陽が暮れてきた。まだ点いていないが、ライトも用意されていた。

 幹線道路は混雑している。ジーノチカの車に乗り、南へ向かうが車列はなかなか進まない。運転席のジーノチカはハンドルをとんとん叩いている。助手席にはボストンとピドーのリュックが置いてある。どちらもぱんぱんだ。やっとファスナーが閉まった感じだ。ラジオは交響曲を鳴らしていた。

「きたぞ」

 ルームミラー越しに後部座席を見やる。返事はない。シートには二人。どちらも目を閉じている。マリアは自分のバッグを抱えていた。足元に紙袋だ。もう一人は女物の帽子を深くかぶっていた。

 警官が笛を吹いた。警棒が回る。ジーノチカの番だ。エンジンを切る。音楽が消えた。車内が静かになる。警官が運転席のガラスを叩く。ジーノチカが窓を開けた。先ほど受け取ったばかりの免許証を差し出す。

「ご協力ありがとうございます。アディート中央駅爆破犯の探索の為検問を実施しております」

 何度も言ったのだろう。ほぼ棒読みの早口だ。若い警官だ。免許に目を落す。そばの同僚に手渡す。

「アルバート・ラインデルさん。確認をいたしますので少々お時間を」

 聞き覚えのない氏名だ。マリアの目が一瞬だけ運転席の男を捉えた。だが表情は変えなかった。彼も同じだ。平然としている。

「よろしい。僕は医者だ。もう一度言うぞ。僕は、医者だ。しかも優れた医者だ。どういう事か分かるか?」

「あ、あの、はい?」

「各地に患者がいる。人生を見失った者がいる。人が人である限り、道を誤ってもいいのだ! 気が付いた時に戻るのが大切だ。そこに助けの手を差し伸べ、方向を示し、ともに歩む手助けをするのが僕だ。魂の救済が必要とあらばどこへでも参上だ! だからさっさと通せ。僕には患者が待っている」

「は、はあ。少し待って下さい」

 一気にまくしたてられ、警官はうろたえているようだ。

「あ、あの、荷物の点検をします。ティーガ族の目撃証言もあって」

「そいつが駅を爆破したのか?」

「わかりませんが、軍から捜索の願いが出ています。協力をお願いします」

「どっちの軍だ?」

「ここは(ノルデン)州ですよ。もちろん北です!」

 軍人が歩み寄って来た。カーキ色の制服は(ノルデン)州だ。

「確認終了、点検はまだか?」

「すみません。これからトランクを見せてもらいます」

 免許証が警官を経由してジーノチカへ戻った。警官は急いで車体の後ろへ回った。トランクの蓋を開ける。予備のタイヤと工具箱、丸めた毛布が入っていた。広げるとガラス瓶がくるまれていた。広口瓶だ。中にはナツメが詰まっている。開けて匂いを嗅ぐ。

 ジーノチカが声をかけた。

「食べてもいいぞ。僕はいつもこいつを持って行くのだ。母の特製だ。割れると厄介なのでくるんであるのだ」

 彼は黙って瓶を戻した。もう一つのガラス瓶を手に取る。茶色だ。

「それは吸入薬である」

「...はあ...」

 ラベルは正規品だし未開封だ。それも戻す。

 さらに彼は後部座席を覗く。奥に座るマリアは目を開けてじっと警官を見つめている。手前の子は身じろぎもしない。

「一応、バッグの中もいいですか?」

「まあよろしい」

 ジーノチカは鷹揚に答えた。助手席にはバッグが二つだ。どちらも自分でファスナーを開ける。かなり無理をして閉めてあった。開けるそばから服が飛び出す。それらを警官が掻きわけた。洗面具など旅行用の荷物ばかりだ。

「じゃあ、後ろのお子さん」

「子供じゃないんですけど!」

 マリアがむっとした声を出す。窓を下げて二枚の証明書を示す。事務員の肩書の方だ。

「私の親族が病気で、これから向かうところなんです。こっちの」

 と、寝ている少年を指す。

「弟です。寝ているから起こさなくてもいいでしょう」

「帽子を取ってください」

「身分証は見せたでしょう」

 彼女は彼をかばうように乗り出した。足元の紙袋が蹴られてかさかさ音を立てる。野菜が顔を出して揺れた。それには構わず窓を閉めようとした。

 警官の声が尖った。

「帽子を取れ!」

「必要ないわ!」

 窓が閉まる。

「待て! 見せろ!」

 警官がドアに手をかけた。マリアが中から押さえる。内鍵を探るが、どこか分からないようだ。片手がうろうろと行ったり来たりをくり返す。軍人が駆け寄った。二人がかりでドアを開ける。警官が少年の襟首を掴む。半ば車から引きずり出した。帽子が道路に落ちる。

 茶色の髪だ。

「何だよ! せっかくいい気分で寝てるのに!」

 ピドーがわめいた。

「違うか...」 

 警官が手を放した。なおも顔を眺めているので、ピドーは彼に向ってあっかんべーだ。瞳も茶色だ。

「素直に見せればいいんだよ」

 警官はため息をついた。

「見せたじゃねえか」 

 ピドーは帽子を拾った。

「姉ちゃんの帽子だぞ。汚したらぶん殴られる」

 ほこりを払い、ドアを閉める。

「ごめんなさい~、この子ったら寝起きが悪くって。だから起こしたくなかったの」

 マリアは一転、愛想が満点の笑顔を浮かべる。

 ジーノチカが声をかけた。

「行ってもいいのか? いいんだな? 行くぞ」

 警官も軍人も、しっしっと犬でも追うように手を振った。エンジンをかける。彼らの視線は、もう次の車に向っていた。ジーノチカはさっそくラジオを付けた。先ほどの番組はもう終わったのか軽快な音楽に変わっていた。

 検問を越えると、少しは車が流れ始める。警官らから充分離れたところでエフェレットきょうだいは大きく息を吐いた。

 ピドーはまた前のシートに肘をかけた。

「ラインデルって誰だよ?」

「知らん。たまたまポケットに入っていたから出したらラインデルだった。もう少しセンスの良い名前はなかったのか」

「知るか!」

「その通りだ。君の知った事ではない。それよりも無事に通過だ。良かったな」

「ええ...。まあ。包帯をはずしておいて良かったけど...」

 マリアも硬い表情だ。

 包帯だけではなく、目撃情報と人数が違っていたのも良かったようだ。ピドーは駅ではアウゲンと鬼ごっこだ。マリアが一緒ではなかった。

 ジーノチカはなおも周囲を窺っていた。風景は少しずつ変わる。木々や空き地が増えて来た。郊外へ来たようだ。

「よし、いいぞ」

 ごそり、と紙袋が動いた。ニンジンやイモが転がる。マリアが仕入れた野菜だ。それらを包む薄汚れた布の隙間から小虎が起き上った。フードが背中へずれている。身長は十歳ほどではあるものの、体はひどく細い。バッグは開けられるだろうし、大きめの袋なら入れるだろうと、ここへ入ってもらった。上にぼろ布や野菜を積んで目隠しにした。ピドーが寝たふりをしていたのは、もちろん警官らの目を袋から逸らす為だ。

「大丈夫?」

 マリアが優しく尋ねる。小虎は頷いた。ピドーとマリアの間の床にうずくまる。袋の中と大して変わらないような体勢だが、辛くはなさそうだった。

「アウゲンはもう駅にはいないんだな?」

「うん。西」

 ピドーが身を乗り出した。助手席のシートに肘をかけて運転席に顔を出す。

「な、便利だろう」

 アウゲンの目的がどこにあるのかは分からない。でも軍人でもないピドーを追いかけても利点はさほどないと判断したのだろう。

「うん。君は生き霊を感じ取れるんだな。髪は銀! 瞳も銀ときたか。間違いないな? 本当だな。すると」

 ルームミラーでジーノチカと小虎の視線が絡む。小虎はすぐにフードをすっぽりかぶった。

 信号が青になった。のろのろと前へ進む。

「君は神官の流れを汲む者だな。ティーガ族なら誰でも特殊能力を持っているわけではない。神事を司る者だけに伝わる力だそうだ。彼らは理不尽にも『忌むべきもの』とも呼ばれ、血族だけで神殿に住み世間と隔絶した生活をしていたらしい。そうだな?」

 小虎はびくりともしない。ピドーが聞き返す。

「そんな事、誰に聞いたんだよ?」

「師匠だ。暦や神話について詳しく勉強していた僕でも、独学では限界がある。本場の人に教わるのが謙虚と賢明だ。僕はそうしたぞ! 謙虚だ。そうできる僕はやはりすごい。(ノルデン)事変の前にはクロイツベルクにも多少のティーガ族は普通に住んでいたからな」

 現在は(ノルデン)州でさえ姿を見る事はない。

「その人はどうしたんだ?」

「ランデスヴァルトへ戻った。クロイツベルクでテロが頻発した頃だ。少数民族帰還命令などという悪法に従う理由など一つもない。だが家族を心配していたのだ。北事変の少し前だったからな。今はどこにいるのか分からん」

 ピドーははっと息をのんだ。シートにもたれる。ジーノチカの表情は変わっていないが、師とも呼べる知り合いの消息に不安を感じていないはずがない。いささか無神経な質問だった。

「ごめん...」

「謝る必要はない。北事変は君の責任ではないし、彼女はどこにいるのか判明していないだけだ。謝られては逆に行方を決定するような流れになるぞ。『ごめん』ではない。『あっそう』くらいが軽くていい!」

「あっ...そう...」

 ジーノチカの師匠は女性のようだ。

「ところでさ」

 ピドーはまた身を乗り出した。

「ジーノチカはシュペトレーゼ・シュルツの正体を知っているのか? どうもあいつはただの学者には思えないんだよな」

「彼が北で何をしているのか僕は知らないから何とも言えない。学者をやっているらしいが、年齢からして学者としてはまだヒヨコじゃないか。実績を上げていないのなら確かに彼は学者としての価値は未知数、その点ではただの学者であろう。しかしながら」

 くどい言い方ながらもジーノチカはあっさりと告げた。

「彼はハンス・ヨアヒム殿下だ。幼少時のあだ名というか、使用人同士の隠語が遅摘み酒(シュペートレーゼ)なのだ。その頃のお生まれだからな」

 遅摘み酒とはワインの種類の一つだ。敢えてブドウを木につけたまま放置する。晩秋を迎える頃にはすっかり熟成し甘みが増す。それを使ったワインがシュペートレーゼと呼ばれる。

「病弱な性質であられたようだ。公式の場には殆どお出ましにならなかった。だから当時でもあまり顔が知られていなかったな」

「はあ?」

 マリアも身を起こした。ピドーとの間に小虎がいる。蹴ってしまうが、お構いなしだ。

「キルヒェガルテンで写真を見たわよ。全然違うわ。髪も瞳も、顔立ちも。偽の写真なの?」

「おばあ様に見せてもらったのか?」

「ううん。道を聞いた家で。子供の頃のだけど、リビングに飾ってあるのが見えたわ」

 ピドーも言う。

「俺も町の店で見た。やっぱり飾ってあった。国王陛下夫婦と並んでたやつ。十二、三歳くらいの」

「イザベル王女では?」

 ジーノチカが挙げた名前は現王ディーターとテレジアの長女だ。

「違う。お子様の肖像は二枚あった。別の写真だ。古いし王太子の格好してたぞ。肩章と襟章もして、正式な格好だろう? あれ」

「その写真については見ていない。だがシュペトレーゼと名乗っている金髪の彼は間違いない。ハンス・ヨアヒム殿下だ」

「キルヒェガルテンでは初対面って言ってたじゃないか」

「あちらが初めましてとおっしゃったからだ! 咄嗟の機転がきく僕でもある。僕はすぐに分かったが。なにしろ面差しはさほど変わられていない。一緒に遊んで差し上げた事もある。僕は幼少時に宮殿で暮らしていたからな」

 母が爵位を持ち、祖母が父王の乳母だ。王太子と会う機会もあっただろう。

「後ろから追いかけて走っていただいたり、癇癪(かんしゃく)玉や水風船の投げ合いも提案させていただいたりしたのだ。なぜかあちらは受け止めるばかりで投げるのを躊躇されていたようだが! 時には組手などで足払いも」

「おいおい、病弱だったんだろう? 大丈夫なのか?」

「何を言う。ちゃんと事前にお許しを得ているぞ。蝶よ花よと壊れ物を扱うがごとく育てられておいでだ。男子としていかがなものか! 心身がバランス良く成長する為に、僕は敢えてお立場としては普段ありえないであろう体験をお勧めしていたのだ! 子供というものは甘やかしてばかりではむしろ人間性が曲がるというものだ。殿下もちゃんと心得ていらして、楽しく遊んでおられた」

 閉鎖的な王宮で同世代の子供と遊ぶ機会は限られていただろうが...。

「お咎めがなくて良かったよな」

 ハンス・ヨアヒムがラドクリフに赴いたのはアナスタシア暗殺前後らしい。既に王太子として即位していた。シェレンス公の勧めだったという。テロからの避難という名目だったので移動は極秘に行われたし、所在地も明かされていなかった。

「北にいたのか...」

 ずっと寮に居たと、シュペトレーゼは言っていた。王子という身分なら、護衛がしっかりした場所で暮らしていたに違いない。世間知らずなのも納得できる。自由な外出は制限されていたはずだ。また護身術なども教わっていたのだろう。身分ゆえにヴィプリンガー少尉という軍人のお守りが付いていたのだ。

「どうりで親父が見覚えあるって言ったわけだ」

 宮殿内で働いていたのだから王子を見かける事もあったかもしれない。

「でもシュペートは自分が王太子ではないって断言してたよ。なんで?」

「保安の為であろう。彼がハンス・ヨアヒム・フォン・グリンクラフト殿下であるのが事実だ」

「何でその時に教えてくれないんだよ!」

「本人がシュペトレーゼと名乗っている。敢えて否定する必要はない。自分で言っているんだから間違いない!」

「あいつは嘘をついてたのか...。それに、どうしてバロー伯は王太子が領内にいないって言わないんだ? 違う写真を公開してりして」

 現在の国王ディーターには子供がいる。ハンス・ヨアヒムを王太子から廃するのも可能なはずだ。

「現在の法律では男子しか継承権がない。しかも殿下が王太子の身分を廃されるほどの何かをしたか? してないじゃないか。西(ヴェステン)州にも先代王を慕う住民はいる。彼らの反発を招くのは得策ではない。むしろ西(ヴェステン)州に前王の息子がいるという方が、バロー伯側としても自らの正当性を証明できるというものだ」

「わかんないわ」

 マリアはがっくり首を垂れた。

「じゃあ、どうしてソフィアが狙われたの? 私はシュペトレーゼ...殿下が滞在しているのを知った誰かが命を狙ったのかと思ったのに」

 ジーノチカはラジオを消した。

「最初に確認しよう。エフェレットきょうだいの前ではっきりさせなくてはならないな。そうでないと僕は気持ち悪くてたまらん。君のせいだ。だから気持ち良くしてもらおうではないか。でないと車はもう先に進まない。僕の心のガソリンが切れる前に満タンにしてもらおうではないか!」

 意味不明で長い前置きの後、容赦なく小虎に尋ねた。

「ソフィア襲撃は君の仕業か?」

「ちょっと!」

 マリアが跳ねあがった。だがそちらを一瞥もしない。

「答えろ」

 車体はひっきりなしに跳ねる。エンジンの音ばかりが響いた。小虎はしばらく黙っていた。それから小虎はさらにフードを深くかぶる。

「君はきょうだいに会いに来た。自分からだ。違うか? 違わないな。来たからにはちゃんと説明するべきだ。何の為にダムを破壊したのか。殿下だけを狙ったにしては大雑把すぎる! いや、そもそも君はどこにいて、何を知っているのだ? 事態はどんどん動いている。逃げて隠れる時代は終わった! 君が幾つだか知らないが、まだ子供だ。でもこれから大きく成長するのだ。その為にはいつまでも知らぬ存ぜぬでどうする? どうにもならない。死んだ者は口を利けない。君は話せる、君だけだ小虎! だから君にはちゃんと説明する義務がある。義務!」

「待ってよ」

 マリアが口を挟んだ。

「そんな言い方しなくてもいいじゃないの!」

「どんな言い方をしても同じだ。生きる者は死んだ者に対して責任がある、次へ続く社会の礎にならなくてはならない!」

 二人の言い争いはしばらく止まらなかった。小虎の気持ちに配慮するマリアと、現状の説明を求めるジーノチカの主張は平行線だ。理性と情緒のぶつかり合いはなかなか接点がない。

 マリアの怒声には慣れているピドーだ。下手に口を挟めば巻き込まれるし、手や腕が飛んでくるかもしれない。シートにもたれて聞こえないふりの見物だ。足に触れる小虎の体が固まっているのに気が付く。体を屈めた。

「おい、気にすんな。あの二人は口の横に小人さんが住んでいて、そいつがしゃべってるんだ。そのうち小人さんが疲れたら終わる」

 小虎は不審そうに少しフードを上げた。しげしげとマリアを眺める。

「ピドー! あんた何を吹き込んでるのよっ!」

 バッグが飛んで来た。狭い車内だ。前のめりになっていたし、顔に命中する。とんだとばっちりだ。頬が赤くなった。

「痛え...。ジーノチカ、襲撃犯はこいつじゃないぞ」

「ほお? なぜ分かる?」

「色が違う。上流に見えたのは白い光だ」

 火事の色とは明らかに違った。小虎の爆発は黒い。襲撃の夜は雨だった。彼なら光は殆ど見えなかっただろう。

「ふむ...そうか...。冥界の太陽はそれぞれ色を持っていたな。テーマのカラーだ、自分だけの色だ。白...西だな。『怨嗟の猿』か」

 納得したのか、ジーノチカは口をつぐんだ。

 まだ小虎は首をひねっているようだ。

「あ!」

 その様子にマリアが叫んだ。

「もしかして...言葉が分からない?」

 ティーガ族には独自の言語がある。ただでさえ狭い社会のさらに小さなコミュニティの中だ。さらに十年を放浪していたら、教育を受ける機会はほぼ無い。人々との接点もおそらく最小限しかないだろう。実際、小虎はとても話しにくそうだ。

 ジーノチカが突然呪文を唱えた。

「*****? ティーガ族のあいさつだが、どうだ?」

 小虎はちょっとだけ顔を上げた。だが首を振る。

 ティーガ族の言葉を聞く事はない。殆ど忘れてしまった。当時の記憶どころか名前さえ消えた。小虎が持っているのは体一つだけ。

「まあよろしい」

 ジーノチカが呟く。どこか楽しそうだ。事の原因が分からないが、ヒントを持つ小虎と出会えた。説明できる言葉を持たないが重要なキーパーソンであるのは間違いない。

 ぐうぅ、と車内に緊張感を削ぐ音が響く。全員の視線がピドーに集中した。

「何だよ、腹も減るに決まっているだろう!」

 昼ご飯はサンドイッチだ。ピドーには少し足りなかったらしい。しかもそろそろ夕食時だった。マリアは地図を広げる。

「意外とかかったのね。地図だとそんなに離れていないんだけど」

 道路は目的地に向ってまっすぐ進んでくれるものでもない。昼までに出られたら、そろそろ到着していたはずだ。郊外に出て渋滞は解消した。あと一時間ほどで到着しそうだが、食事を取る時間を考えると夜中になりそうだ。あまり遅くなると宿が取れない。

「州の境は通行可能なのかな」

 色々と思いを巡らすマリアの横でピドーが騒ぐ。

「腹減った! メシ!」

「やかましい!」

 道の左右は田園地帯だ。植え付けの始まっていない畑が広がる。しかし、建物がまばらに建っていた。街道沿いの小さな町といった風情だ。ピドーが窓に鼻を押し付けるように灯りを探す。

「あったぁ!」

 道沿いにランプが点っている。薄暗がりの中で暖かい赤だ。けれどもピドーは少し眉をひそめた。丸いぼうっとした赤い光は、どうも気になる。朝焼けと夕焼けもそうだ。どこからか東の赤に呼ばれる錯覚を覚える。幻覚も見えなくなっているのに、つい辺りを窺ってしまうのだった。

 ジーノチカは遠慮なく建物に寄る。煉瓦を貼ってある壁だ。蔦が這っている。二階建てでこじんまりとしているが、可愛らしい雰囲気だ。玄関門柱にモーテルの看板があり、そこが赤く照らされていた。建物の脇が広くなり、駐車場になっているようだ。ボックスタイプの公衆電話がある。

 エンジンが止まるなりピドーが跳ねるように飛び出した。思いっきり両腕を伸ばし、肩を回す。膝の屈伸をしたり、体のあちこちを動かす。座りっぱなしは辛かったようだ。

 なだらかな丘陵地帯だ。低い丘と丘の合間に町が見える。電気が付き始めていた。まばゆい輝きだ。

 ジーノチカも車を降りた。町明かりを示す。

「あそこがケッセンだ。一気に行ってしまっても良いのだが...。遅くなるな。明日、朝一番で行けば東西鉄道にすぐ乗れるだろう」

 彼はトランクを開けた。ブリーフケースのような鞄を開ける。中には聴診器と血圧計が入っていた。手袋、マスクもある。ピドーが目を丸くする。

「えっ、どこでお医者さんごっこするんだよ? それともマジでお医者さんだったの?」

「そうだ。最初からそう言っている」

 マスクを出した。まだ車内にいるマリアに手渡す。

「大きいだろうが使えるぞ。小虎にさせておけ。そうそう、咳なんかも出すように。同行者が一人だけ屋外で過ごすなど僕は嫌だ。なぜなら僕の車は宿泊用ではないからだ。横になれる場所がないのなら寝かせてやってもよろしい。そこまで狭量ではないぞ。でもそこに休める施設がある! だったら行く!」

 髪は隠せてもフードをかぶりっぱなしでは不自然だし瞳も隠せない。マスクをさせて風邪を装う作戦だ。小虎とマリアがなかなか降りないのはなぜか、彼は分かっていたようだ。何度もカバンや袋に入れて運ぶのも大変だ。

 やっと二人が出て来た。ただでさえ細い小虎がマスクをして俯いている。確かに具合が悪そうに見えた。

 小さなフロントでチェックインを済ませた。通常は二人部屋のところを四人で一部屋にしてもらう。そのせいで広いスイートルームを取らなくてはならなかったが、リビングと寝室が別れている。妙齢の女性には嬉しかったようだが、ピドーとジーノチカはソファで寝るのが即時に決定だ。

 やはり小虎は食堂へ行くのを拒否した。フードとマスクを外さなくてはならないからだ。ピドーとジーノチカだけで食事を済ませた。部屋の二人の為に料理を包んでもらって戻る。

 二人と行き違いにマリアが部屋を出た。

「電話をしてくるわ。外にあったわね」

 誰かに内容を聞かれたりしたくないので、外に行くらしい。

「マリア」

 ジーノチカがちょいちょい、と指で呼ぶ。

「どこの誰に何を言うのか知らないが、今回に限っては僕らの進む方向を正しく伝える必要はないぞ」

「え」

「おばあ様の家だけではない。今朝も不審者がピドーに付きまとって来たではないか。君らの行動が誰かに筒抜けになっているとしたら? いや、なっている。もう殿下と一緒ではないが、ピドーは『東の赤』と仮契約中だ。発動させようとした者は誰だ? そいつが追っているかもしれない。いや追っている。情報は絞れ、出すな。僕らは北へ戻ったとでも言ってやれ!」

「だって、相手は上司なのよ。ちゃんと言わないと」

「上司がいようがいまいが殿下のいたソフィアは襲撃されただろう。忘れたか? 僕は君の上司を知らん。批判も非難もするつもりはない、ただ知らんから信用もしない、嘘を付けとは言っていない。本当の事を言わなければいいだけだ!」

「もうむちゃくちゃ!」

 マリアは頬を膨らませた。

「あなただってどうなの? ここまで連れて来てくれたのには感謝しているけど、本当にハンナの孫なの? あの免許証は何よ? 信用できるかどうかなんて」

「充分だ! 信じろ! 本人が言うのだから間違いない!」

「私が一緒に来たのは本部の指示だしピドーが心配だからよ! 完全に信用してるなんて思わないで!」

 大げさにため息をついてみせる。スカートを翻し、音を立ててドアを閉めた。だんだん、と荒い足音が遠ざかる。

 ピドーはソファの背もたれに腰を下ろした。マリアの戸惑いもジーノチカの言い分ももっともだ。

 小虎は相変わらず、部屋の隅で縮こまっている。食事を渡されてもソファの後ろに隠れたままだ。ごそごそと口に入れている気配がする。

「小虎」

 声をかけると、音がやむ。

「冥界の復活だけど...お前が司祭になれるのか?」

 答えはない。また食事を始めたようだ。

 ジーノチカは部屋の電話で話をしている。

「だからケッセンの現状を教えろと...。うん? だからお前には用はないと言っている! サトウダイコンがどうした? 知らん!」

 誰にかけているのか、かけておいてこの言い草だ。すぐに会話は終わった。受話器を置いてソファに座る。小虎が移動した。床を這うように、しかし素早く寝室に逃げ込んだ。ドアを閉めてはいないが、姿は見えない。ベッドの下か、陰に潜ったようだ。

 ジーノチカはそっくりかえった。小虎の行動に気を悪くしてはいない。というより、視界に入っているのだろうか。

「馬鹿な話だ。州境に柵を作っているらしいぞ。なが~い柵だ。何メートルおきに見張りを置くだと。北からケッセンに入る者に対して検問を行うそうだ」

「誰に電話してんだよ?」

「うむ...。いくら僕でも知らん奴の知らん番号に電話できないぞ。どうしても必要なら、ちょっとやってみる価値はあるかもしれないが今はしない。必要がないからだ。あるか?」

「ないない」

 結局、誤魔化された。

 リビングのカーテンは、もう閉まっている。もう夕暮れだから当然なのだが、入って来た時からだった。

「もう暗いよな」

 カーテンを持ち上げる。黒々とした平野が広がっていた。ぽつぽつと灯りが並んでいる。ホテルの裏側だ。ピドーはガラスに鼻を押し付けるように外を見た。丸い石が等間隔に並ぶ。あちらこちらで木々が揺れ、とても静かで、ある意味穏やかな光景だ。

「おいおい」

 ピドーは窓際から離れた。再びソファの背もたれに腰をかける。がっくり肩を落とした。

「部屋が空いているはずだよな...。見える景色が墓場じゃなあ...」

「何、墓か!」

 ジーノチカは大股に部屋を横切る。自らもカーテンを開けて外を確認した。

「静かでよろしい」

 彼の感覚は少し常識とずれてはいるようだ。

 ピドーはまた小虎に声をかけた。

「お前は眩しいんじゃないのか? あ、魂が見えるのは生きている人だけか?」

 細い声が答えた。

「うん」

「あ、返事した」

 ジーノチカが割って入る。

「返事ついでに聞かせてほしいものだ。小虎、君は魂を掴めるか?」

 ピドーがきょとんとする。

「掴む?」

「そう。神官の家の者は、他人の魂を自分に引き寄せ、保持できるそうだ」

「それもお師匠さんに聞いたのか?」

「そうだ。どうなのだ、小虎?」

 返事はない。

「ふうむ...。話せないのか、話さないのか? 前者であるなら問題である。小虎、後で診察させるように。ところでピドー!」

 ジーノチカは座ったまま、ピドーの髪をつかんで引き寄せた。傷を確認する。医者だというのは本当らしいが、少し不安でもある。ピドーは急いで手を振り払い、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「何ともねえよ」

「そうとも言えない。治りきっていないと感染症の可能性があるぞ。もうちょっとばんそうこうをしていた方がよさそうだな。マリアは手当用の品など持っているのか」

「多分」

「よろしい! 後で消毒してもらうように」

 彼はテーブルに地図を広げた。

「小虎、魂をどうするんだって?」

 小虎に聞いたのだが、ジーノチカが答えた。

「だから聞いた事がある。神官の血筋の者は、死者の魂を引きよせて語り合えるのだ。生きている者に加えて死者もだぞ! 賑やかだ。いつでも誰かと話ができそうだ。飽きなくてよろしい。最も優れた神官の長は死者さえも蘇らせたらしい。これは感心しないな。せっかく安らかに静かな場所で眠っているものを無理やり起こして引っ張り出すのか。お互いに迷惑だ」

「じゃあ小虎が司祭になれるっていうのは、それだけの力を持っているってわけか?」

 もう小虎に聞くのは諦める。

「それは分からん」

「あーもう! いつも何も分かんねえよ!」

 ピドーはソファから飛び降りた。足音も荒くジーノチカの横を過ぎ、ドアを開ける。

「ちょっと外へ行って来る!」

 なかなか東へ辿りつけない。手を伸ばせば届きそうなのに、いつでも壁が立ちはだかる。『分からない』その一言で。

 部屋に残ったジーノチカは全く動じていなかった。既に自分の世界だ。ぶつぶつつぶやきながらノートにペンを走らせていた。

「神官が司祭となる、と。太陽の復活には必要不可欠ではないか! だったら何故だ? どうして北事変は起きた? 司祭がいなくなる! 残りの太陽は復活できない! その為か? 他の太陽が要らないというわけか? じゃあ東を起こそうとしているのは誰だ? たまたまか? 小虎! なんでティーガ族は太陽の復活儀式をしなかった?」

 強大な力を手にすれば、グリンクラフト人によって民族が衰退したりはしなかっただろう。例に依って返事がない。

「小虎! ごまかしても僕には通用しないのを覚えておくがいい。君は言葉が分からなくはないだろう。分かるな。全て理解しているだろう。違うか? 違わないな。君に話の内容や指示が伝わらなかった事は今のところ全くない。君は分からないふりをしているのだろうが、僕はマリアとは違う。彼女は君の外見に騙されている。かよわい姿だ。庇護欲をくすぐるだろう。僕にもたっぷりあるが、理性も溢れているのだ。易々とくすぐられはしない。本当は何者だ?」

「...」

「答えられないのか。それでいいのか。良くはない。いったい幾つになる? 拗ねて黙って嵐の収まるのを待つしかないのなら子供だ、ガキだ、君が何歳だとしても幼児のままだ!」

 そこまで幼くは見えないのだが、ジーノチカには黙る子供は全て幼児なのかもしれない。

「しかし断言するぞ、君は僕らの言葉に不自由はない! 赤子でもないな? 質問には答えるように! ティーガ族はどうして儀式をしなかった? マリアはいないぞ、隠れるスカートはない! 本当に話せないのなら診察をさせろとさっきも言っただろうが。出て来るがよい」

 小虎のフードがベッドから少しのぞいた。シーツとのほんの少しの隙間から片目だけがのぞく。まっすぐに射るような視線だった。少年の声のまま鋭く言う。

()だ」

 やはり話の内容は伝わっているようだ。もっともジーノチカの発言を完全に分かっているのは当人だけだろう。

「結構だ。君は会話ができるのだな。それが分かっただけでもお互いのコミュニケーションにとって進歩だ。よろしい! ところで質問の答えは? 本当の名前は? ティーガ族は、なぜ滅びの運命に従ってしまったのか」

「知らない」

 ジーノチカが立ち上がった。右へ左へ歩く。だが視線はずっと小虎に注がれたままだ。

「腹の探り合いはもうたくさんだ。僕は医者だから必要なら腹をいくらでも探るが、会話の探り合いは不毛だ。正直に言うぞ。よく聞け小虎」

 足を停める。腕を組んだ。鋭い目つきだ。

「なぜ僕は君らと一緒にいると思う? エフェレットきょうだいを君から護る為だ。僕らは君の正体を知らない。目的も、名前さえもだ。正体の分からぬものは怖い。そう、僕は君が怖い。知らないままに君を受け入れるピドーとマリアも危うい」

 彼は一歩前に出た。

「もし何か企んでいるのなら投げるぞ。エフェレット家の連中は古い知り合いだ。僕は何としてでも、君がどんな力を持っていようと彼らを守るだろう」

 小虎の視線が泳いだ。フードを下げる。静かに頭がベッドの淵に沈んだ。

「知らない」

「ならば知れ。君はどうだ? 僕が怖くないのか?」

 長い沈黙があった。やがて再び頭が現れた。目元が隠れている。唇がわずかに動いたものの、なかなか言葉にならない。ジーノチカは辛抱強く待つ。

 小虎は戸惑っていた。周囲の出来事は全て怖かった。だがそんな感情は擦り切れて、ただ流されるままに日々を送っていただけだ。まさか自分が相手に怖がられるなど考えた事もない。

(僕は怖い存在なのか? 『忌むべきもの』って...)

 記憶を探っても出て来ない言葉だ。自分がそう呼ばれていたのさえ定かでない。

 マリアとピドーの態度には怖いというより、うろたえた。彼らは何のてらいも戸惑いもなくまっすぐに向き合ってきたからだ。

 ちらりとジーノチカを見上げた。それは迷いのない瞳だ。彼もまた真摯に向き合おうとしているのだろう。

 小虎はやっと声を出した。

「...怖い」

「ああ。でもそれは知らないからだ。水が岩か分からぬま足を踏み出せるか? できない。まあ僕は時々やってみるが、僕だからだ。凡人には勧めないな。地面が固いと分かれば安心して歩いていける。そういう事だ! 君に仲間はいるのか?」

「...」

「ずっと一人で逃亡していたとでも? 君の年齢からすると不自然だが...。仲間がいるとしたら、そこまで栄養不良にしておくとは思えん。やはり一人なのか?」

「...」

「もしや...まさかとは思うが...ランデスヴァルトの生き残りか?」

 ようやく細い声がする。

「......うん...」

「本名は? 家族はいるのか? 仲間は?」

「...知らない」

 ジーノチカは唸った。まるで開いた窓にかかるカーテンを押しているようだ。真剣に力をこめてもただふわふわと手ごたえは戻らない。もう小虎の目は床に落ちている。フードに隠れた顔からは何の感情も読み取れない。

「何が目的だ?」

 言葉につまる。

「...ご飯」

「は?」

 さすがのジーノチカもきょとんとした。すぐに複雑な表情になる。小虎のたどった十年の旅路を思ったようだ。

「そうか! 食事か。まあ...パトロンだのバックがいなければ生活にも労苦があるだろうが...。どうやってあのきょうだいを見つけたのだ?」

「...『東の赤』...見た」

「それだけなのか?」

「うん」

「よろしい!」

 ジーノチカは叫んだ。

「信じてよいのだな? 信じるぞ。君も僕を信じるがよい。君に危害など加えるつもりはない。僕を恐れずともよろしい。僕は優れた占い師で医者だからだ!」

「...髪...」

「これか」

 ジーノチカは束ねた髪をゆすってみせた。アッシュグレイの毛先を自らの目の前に持って来る。指でもてあそびながらじっと眺めた。それから頭を振り上げた。髪が鞭のようにしなった。立ち上がる。小虎の隠れているベッドの前に立った。腕を組んで見下ろす。

「暫定・小虎。あらためてきちんと話すぞ。だから君もちゃんと聞け、きちんと話せ。君はランデスヴァルトの生き残りだな。だとしたら...まさかロッホネスに監禁されていた子供の関係者か?」

 ベッドの下で、小虎の体が一瞬硬直した。ロッホネスは西州の王都にある湖だ。そこの岸辺に崩れかけた遺構があった。なぜ目の前の男がその名を出したのか。

(こいつは追っ手か?)

 では逃げなければ。そんな戸惑いを知ってか知らずか、ジーノチカは続ける。

「いや本人なのか? 当時、僕は城に出入りしていたのだ。見た事はないが話は聞いている。子供が地下牢にいたと、噂ではなく真実だと知っている! それは君か? 年齢が合わないが...自分の名前さえ忘れたというその子供は『北の黒』だと聞いた、それなら君という事になる」

 床に衣類がこすれる。小虎はじわじわと移動していた。ジーノチカはその音に合わせて動いた。

「待て逃げるな。君が『北の黒』であろうとなかろうと僕はどうでもよろしい。もっと大事な事がある! 僕の髪はこの色だ、理由を知りたいのではないのか? 君から聞いたのだ。どうせ逃げるのなら答えを聞いてから逃げろ。どうしても逃げたいのなら止めない、君が『北の黒』なら僕には止めようがないからだ! 君の威力は知っている。僕は城の外にいたが目撃したぞ」

 小虎の動きは、ようやく次の言葉で止まった。

「君が彼ならハンナ・ティッシュバンを覚えているか? 城にいたはずだ。君は会っているだろうか。上品な老婦人だ。僕はその孫だ。仲良しだぞ! おばあ様は何があったか一切教えてくれない。だが君の事は聞いた、とても心配している。今でもだ! そして僕は言っただろう。言った通りだ。君を西へ連れ帰ろうなどとは爪の先ほども考えてはいない! なぜなら君は逃げ出すべきだったからだ!」

 室内の全ての音がやんだ。窓の外で風が舞う。ガラスがひっそりと鳴った。遠くでクラクションが響く。空気が質量を持ってのしかかってくるような緊張感が二人の間に漂う。

 やがて小さな唸り声がした。それが何を意味するのかジーノチカには伝わらない。だが動きはない。小虎は分かっていた。キルヒェガルテンにハンナ・テッィッシュバンがいたと。

(孫か。やっぱり)

 血縁の光は似る。ジーノチカも彼女に通じた光を持つ。初対面の時に聞こうとしたのだが、彼のたたみかける言葉に押されてしまった。

 でも、だからこそ逃げずに彼と共にいる。それを説明できるほど語彙が無かった。

 逃げるのはやめたようだ、とジーノチカは判断した。

「さらに聞け。君以外にもティーガ族の生き残りがいるかもしれない! 僕は『忌むべき者』...違うな。神官の血筋と知り合いだ。明言はしなかった。だが彼女はそうなのでは...と僕は思っている。所在が分からん、探している。その為のこの髪、この名前だ。ジーノチカはティーガの名前だ。しかも女性だ!」

 小虎から反応はなくとも続ける。

「ティーガの神話について、今たくさんの謎があるな。僕はできれば彼女から聞きたいものだ。心からそう願っている。だからピドーに協力している。もう一度彼女に、僕の師匠に会いたいのだ」

 ジーノチカの声がとても静かになった。ふと視線がさ迷う。もう届かない過去を眺めているようだった。

「クロイツベルクに在住していた女性だ。占い師というよりは、毎年の暦を作り、言い伝えに乗っ取った運勢などを客に告げていたのだな」

 世間はそれをいわゆる占い師と呼ぶ。彼が言いたいのは、怪しげなまがい物ではないという事だろう。

「僕に暦や神話について教えてくれていた。北事変の前だった。だがあの忌々しい悪法が発令された。ティーガ族に在住資格の制限が課せられた。つまりは北の山へ帰還せよというわけだ」

 十年前の事だ。アナスタシアの妊娠後、ティーガ族に対する風当たりが強くなった。それでもジーノチカの師匠はいつでも堂々と、普通に生活を送ろうとしていたのだ。それでも、彼女も故郷へ戻った。一族は故郷へ集められ、そして北事変が起きた。

「彼女...ジーノチカ・スルツカヤは行方不明のままだ。北事変の後、僕は彼女の名を継いだのだ。優れた占い師であるからだ。僕も心身の導きを行うという点では、また素晴らしい占い師となれるであろう。だから名乗っているのだ。そして」

 片目だけ出していた小虎と視線がからむ。スイッチが入ったようだ。ジーノチカは元の通り、目をぎょろりと剥いた。見えない何かを殴るように拳を振り上げる。

「彼女が生きていれば、同名の占い師の噂を聞き付けるであろう。そいつは誰だ、と思うだろう。どうだ、彼女の方から僕を見つけに来るぞ、絶対だ! そして僕は告げる、彼女に言えなかった言葉を言う。絶対だ!」

 二人は無言で睨みあった。

 しばらくしてフードがベッドサイドに沈んだ。ふう、と小さく息を吐くのが聞こえた。少しだけ大きな声がする。

「どんな...どういう...ひと?」

「長くて美しい髪の持ち主だ。いつでもきちんと結い上げていた。耳を出すので真っ赤なピアスがよく目立つ。目が大きくて唇は薄い。もちろん綺麗だ! 賢くて強い。僕は何度か論破された」

 相当な知識があったのだろう。更には鋼鉄のメンタルも必須だ。このジーノチカとまともにやり合えるとしたら、相当な強者だ。

「それで出自はランデスヴァルト。明言はしなかったが神官の一族であろう。君と同じ能力を持っていた。...会いたいのだ。当時は言えなかった、僕は言う、愛の言葉を告げるだろう。当時は医学生だ、優れた成績だったが見習いは見習いだ。だが今は違う。いっぱしの男だ、優れた占い師であり医師だ。彼女のみならず家族まで一生支えきれるぞ! ...会いたいのだ...」

 沈黙が流れる。ジーノチカは過去形を使わず、今も居る人のように話した。だが今、ティーガ族はいない。

「...いた...湖」

「えっ! 彼女がか?」

「...違う...」

 小虎は隠れたままだ。ロッホネスにいたというのは自分の事だ。少し前に聞いた質問の答えがようやく来た。ジーノチカの話し方も自由だが小虎もずれている。それを理解するのにちょっと時間がかかったようだ。きょとんとしたジーノチカだったが、すぐに頷いた。苦い物を噛んだ顔になる。

「そうか...。やはり君か...。...ではピドーと同じくらいの年齢のはず...。その体格とは......。君の名前は? 言えない理由でもあるのか?」

 小虎の声がかすれた。

「...わすれた」

「年齢もか? 家族はどうだ?」

「......わすれた...」

 敵意が無いのは、お互いに伝わった。だが何度聞いても返事は同じ。小虎に記憶が無いのは真実だ。ようやくジーノチカは受け入れた。

 机に戻った。どさり、と腰を下ろす。肘を付き、額に手を当てた。俯く。だがすぐに顔を上げた。

「ジーノチカ・スルツカヤという女性に覚えはないのだな?」

「ない」

「何も知らないのか? それでいいのか? 自分の一族じゃないか! 言葉も忘れ、文化も忘れ、北事変の経緯も知らず、逃げるだけか。それでいいのか? 良いはずがない! 小虎、君は責任がある。生き残った者の責任だ。語れ、忘れたのなら思い出せ、知らないのなら探せ!」

「...ない」

「じゃあ大雑把な所でカンベンしてやる。もう一度聞いてやろう。太陽が復活すれば怖いものなしだ。なぜティーガ族は儀式をしなかったのだ?」

 教えて欲しいというわりには、あくまで上段にたつジーノチカである。

「日常はどうだったのだ? 暦の勉強はしなかったのか? さっぱり何も君の頭には残っていないのか?」

「...」

「ふむ。しかし神官たちは復活の儀式を忘れていたわけではないだろうに。うん? 必要な物は三つではないのか? 僕らでさえ付きとめたというのに。プロが間違えるはずはない! 分かっていたはずだ。司祭、石板、生贄だっ」

「...あと二つ」

「それは覚えているのだな。何だ?」

 無言。答えるつもりはなさそうだ。

 完全なパーツを知っているのが小虎だけなら、誰も彼に手を出しにくくなる。

「そうか、それは君の保険というわけか。では聞くのには手間がかかりそうだな。それで契約不履行になった者はどうなる?」

 小虎はしばらく考えているようだった。話の内容は分かっても、言葉はなかなか出にくいようだ。また首を振る。

 ジーノチカは顎に手を当てた。

「何も知らんのか...。ピドーが冥界に引きずり込まれては困るな。それでは復活させないとピドーの命が無いではないか! 神を呼びだすならそれくらいの覚悟は必要という事か。よし」

 小虎を置き去りにして、自分の世界に没入したようだ。ぶつぶつ呟きながら考えをまとめているらしい。

「ん? 司祭が必要なら、どうして北事変が起きた? 太陽が復活できないではないか! うん? 待てよ。既に『西の白』が復活している。もう要らないという事か? 『北の黒』の復活は予定外だったと。それなら筋は通る、気持ちいいぞ」

 ティーガ族にさえ忘れられた方法なのか。『西の白』も偶然に復活したのかは分からない。それを実行した者は強大な力を手にした。それで他の太陽の復活を阻む為に、必要不可欠な一つである司祭を全滅させた。このストーリーなら北事変の起きた理由はすっきりする。しかしジーノチカはまだ納得しきれていない。

「うん? まだ変だ。それなら『東の赤』を復活させようとしているのは誰だ? なぜだ? 司祭はいないのに。実行者は知らずにやっているのか、それともやり方を知らない別の者が参加しているのか?」

 ひとり言なのか質問なのか。どうやら前者らしい。

「小虎!」

 振り返るなり怒鳴るように声をかけた。

「君には仲間がいないと言ったな? ランデスヴァルトから連行されたのは一人だったそうじゃないか。だが脱出してから十年近い。その間はずっと一人なのか? 僕らから離れようと思えば、すぐにでもできるだろう。簡単なはずだ。それなのに敢えて一緒にいる。ご飯以外の理由があるのか? そうなら誰が何と言おうが僕は君を投げるぞ! 窓の外へ放り出すぞ。マリアをさぞ怒らせるだろうが、僕に理があるのだからやると言ったらやる!」

 やや面倒臭そうな調子が返った。

「ない」

「どうにも分からないのだ。どうして何故にキルヒェガルテンとアディートにアウゲンが現れた?」

「ばれる。ルーカ」

 話をしようと決めたようだ。つたないながらも返事が返ってくるようになった。

「誰だと? 何がばれるのだ? どうも君の話は見えないぞ」

「たいよう。つかう、わかる」

 単語ばかりだ。考えながら話しているのだが、きちんとした文章にはならない。ジーノチカは何度か聞き返した。わざとではなく、本当にうまく話せないのだとやっと信じたようだ。

 何度か問答を繰り返した。生き霊を感じ取れるのは小虎のもともとの力だ。ルーカは太陽の爆発があれば小虎の位置を読み取れる。やっと伝わった。

「あ~なるほど。冥界の太陽同士は、力の爆発があるとお互いに位置が分かるという事か」

 だからさっきも逃げようとした時、爆発を起こそうとしなかったのだ。

「ルーカという奴だな? そいつが『西の白』か?」

「うん」

「ルーカ? ...ル~...カ。分からんな。まあよろしい、よくある男の名前だ。そうか、君はティーガ神官の血筋のようだから、何はなくともルーカの居所がわかる。しかしルーカは太陽の爆発がなければ君を見つけられないと。ルーカとアウゲンは仲間だ。よし分かったぞ。それで君は」

 ジーノチカは言葉を切り、机を拳で軽く叩いた。

「今は僕らと一緒にいる。よし。そして僕はグリンクラフト連邦医師会とクロイツベルク医師会どちらにも登録済だ。どこでも診てやるぞ、ちなみに専門は産婦人科だ!」

 小虎はまた黙りこんだ。

 ジーノチカもとりあえずは納得したのか、また背を向けてノートを開いた。

「冥界の太陽はあと二つ寝ている。さて、東へ向かってどうするか。『東の赤』は七面鳥だったな。残るは十日ほどときた。ランデスヴァルトは封鎖されているな。いっそ西へ向かうか? 石板は無くなった、しかし僕は文様を記憶しているぞ。描く物は決まっているからだ!」

 ペンが走る。円を描いた。太陽の図だ。七面鳥と流れる血のような線を描く。彼はすっかり暗記しているようだった。

 小虎が顔を上げた。視線を巡らす。他の人には見えない何かを伺っているようだ。

 ぐらり、と建物ごと空気が動いた。

「ん? 地震か?」

 窓の外が赤く染まり始めた。だがカーテンは閉まっている。ジーノチカは気が付かない。そしてペンは最後の線を描き終えた。

 小虎が勢いよく立ちあがった。頬が紅潮している。口は動くが言葉は出ない。

 再び空間がゆらめく。



 周囲に人はいない。確認してからマリアは受話器を取った。狭いボックスはガラスで囲まれている。外は既に暗い。唇を結んだ顔が映る。マリアは髪をちょっと撫でつけ、にっこり笑ってみせる。そんな自分に肩をすくめてボタンを押した。女性の声が答える。

「はい、こちらはラドクリフ支部です」

「あ、ソフィア調香師組合の者ですが。番号は0079、レモングラスの植え付けの担当の方をお願いします」

 しばらく待たされる。男に代わった。

「レモングラスはやめたが」

「ではアップルミントでよろしいですか」

「結構! 今はどこだ?」

 マリアは受話器を持ちなおした。

(誰の声だろう?)

 通話の状況が悪い。誰か分からないものの、暗号は伝わった。ソフィア師団のラドクリフ支部なのだ。報告をしなくてはいけない。

「報告します。(オステン)州に向かって現在ケッセン近くの小さな町にいます。モーテルで一泊する事になりそうです。明日は」

 ジーノチカの忠告が頭をよぎる。

「東へ入るか、北へ戻るか...状況を見てから進路を決めます」

「買い付けは順調に行きそうか?」

「はい。現在のところ混乱や衝突はありません」

「そうか? アディート駅で一悶着があったそうだが? 状況はどうなっている?」

 マリアは口ごもった。原因ははっきりしている。けれども、どうまとめていいのか。太陽神話から始めてティーガの子と一緒だと言うにはためらいがあった。すぐに現場を離れたので、後の展開も知らない。

「どうした? 言えないのか。しっかりしてもらわないと困る! そちら方面に入っているのは君だけなんだ。次第によっては戻ってもらう。遊びじゃないんだ!」

「...はい」

「明日、また連絡するように。...え? あ、ちょっと待て」

 少し間が空いた。次に受話器から流れてきたのは聞きなれた声だった。通話状況が悪くてもはっきり分かる。

「マリア? 元気?」

 イーブ・ルパートだ。

「イーブ! 昨日はありがとう。大丈夫よ。まだラドクリフにいたの?」

「うん。連絡があるかなと思って、ソフィア入りを一日だけ延ばしたんだよ。君から電話があったら知らせてくれって頼んであったんだ」

 ほっとする。肩の力が抜けていった。

「今の奴、誰よ? 偉そうに!」

「ああ、偉いぞ。支部長補佐のハロルドだ」

「あの泣き虫ハロルドね! 今度会ったら、昔話を皆の前でしてやるわ」

 イーブが笑った。

「その元気なら大丈夫そうだね。ピドーは?」

「部屋で待っているわ。怪獣とね」

「怪獣?」

 小虎の事を告げて良いのだろうか。迷いは一瞬だけだった。

「ハンナの孫よ。意味不明なんだから!」

「ティッシュバンさんの...。ああ、親父さんから聞いたよ。ケッセンまで付いて来たのか? そいつは信用できるのかい?」

「さあね。父さんは信じろって言うけど、変な奴よ」

「気を付けてくれよ」

「大丈夫! 心配しないで。面倒見なくちゃいけない子もいるし」

 そこまで言ってしまってからマリアははっとした。ソフィア師団ではティーガ族の捜索はしていない。しかし、共同戦線を張るシェレンス軍では探しているのだ。

「ピドーったらいつも通りよ」

 咄嗟に弟のせいにする。マリアの手を煩わせる行動を取るのは間違いない。嘘じゃないもん、と自分に言い聞かせた。

「あ、明日ケッセンに入るからまた連絡すると思うわ。イーブはまだラドクリフ?」

「いや、もうソフィアに戻らないと。中央地域は無事だったから、そこに行くと思う。今日は声が聞けて良かったよ。ありがとう」

「私も話ができて良かったわ。父さんによろしくね」

 ガラス越しにピドーが歩いて来るのが見える。

「ピドーが来るわ。話す?」

「元気そうならいいよ。じゃあ」 

 マリアは受話器を置いた。扉を開けようとして、弟の様子が少しおかしいのに気が付く。

 ピドーは宿とボックスの中間辺りで止まった。上半身をひねりじっとどこかを見上げている。屋根越しの空だ。ぼんやりと赤い。だんだんと濃くなり、じわじわと上がって行く。靄が固まり、球体になった。内側から炎が沸き出しては、また中へと戻って行く。沸騰しているようだ。マリアは茫然と眺めるだけだ。いつの間にか電話機にしがみついていた。

 ピドーの体はそこにある。けれども意識は『東の赤』が見せる幻影の中にあった。数日間は見ないですんでいた冥界の太陽がピドーの前にいる。レイナーを大きく振り、離した。舞い上がる首。大きな口へ落ちて行く。

(何だ? どうして?)

 自分に起きている状況が理解できない。どうして、なぜ今、契約が進んでいるのか。

『整った! 全ては整った! 第二の太陽『東の赤』はお前に復活しよう! 足掻きの七面鳥! 受け取るがいい』

 燃える球体が押し寄せる。ピドーを包む。太陽の灼熱と冥界の冷気に同時に襲われる。叫んだつもりだった。しかし声は出ない。体中を焼かれながら指一本さえ動かないのだ。内側から人間としての肉体が崩れていく。どろどろに溶かされる。そこへ『東の赤』が溶け込む。再び構築された中身が残った皮に詰め込まれていき、元の人間であっても違う存在に変化する。

 そんな中でピドーは見た。真赤な空間をゆったりと横切る白い姿。レイナーだ。離れていくので顔は見えない。けれども全身からまばゆいばかりの光を放つ。彼は神に迎えられた。

「うゎ...」

 ようやく声が出た。と同時に、その場に座り込んだ。体に戻ったのだ。全身から一気に冷や汗が吹き出した。心臓の鼓動がうるさいほどだ。宿もボックスもそこにある。地面と空と、道路も駐車場も車もすっかり元通りなのに、見える世界は一変していた。視界が全て赤かった。まるでセロファン紙を通して見ているようだ。そしてうろついているたくさんの人々。きれいな服もいればぼろぼろの者もいる。手足が千切れていたり、顔に肉がなく、髪の毛さえまばらになった者がいる。彼らがピドーに気が付いた。目が合う。一斉に近寄って来た。宿の裏からぞくぞくと押し寄せる。

「何、なんだよ...」

 腹の底から熱い塊がせり上がる。冥界の太陽の一部のようだ。赤い光のドームがピドーの体を包む。みるみる膨らんだ。ホテルを飲み込む大きさになる。表面が太陽のフレアとなって揺らめいた。ひときわ大きく震え、シャボン玉のように弾けた。

 地上に炎が爆発した。ホテルの壁が崩れる。

 小虎が宿から走り出た。

 フードをしっかりと抑えて髪を隠したままだ。今までには感じなかったのに、彼に黒い光をはっきりと感じる。

(あいつでも焦った様子になるんだな)

 とぼんやり考える。塊は再び喉元まで上がってきた。熱い。そして同時に痛いほど冷たい。亡霊はもはやピドーをすっかり包んでいた。彼らを振り払う為にはこの熱球を出さなくてはならないと、なぜか分かっていた。ふっと息を吐く。暗いトンネルが脳裏に浮かんだ。

 小虎の体が一瞬黒い靄に包まれる。両手を地面についた。次の瞬間、稲妻が地面を走る。ピドーから発した爆発とぶつかった。炎と稲光がもつれ合う。轟音と爆風が走った。地面が揺れる。

 再びの爆発か。人々が緊張した面持ちで姿勢を下げる。

 赤と黒の球体がぶつかった。火花を散らす。お互いを飲み込むようにもつれて絡む。二つの色が混じり合う。まるで沸騰するかのように揺れた。そして不意に止む。発生したのは光だけだった。それでも不穏な状況に人々の声はやみ、しばしの静寂が流れる。

 ピドーはその場に座り込む。小虎はフードをさらに押し下げた。ピドーの襟首をつかんで揺する。

「起きろ」

「...起きてるよ」

 首を振る。小虎の手を払う。両手で頭を抱えた。爆風で埃が舞い上がり、辺りは真っ白だった。赤い空間は消えた。だがピドーの視界は戻らない。

「何だよ、これ...」

 細い指が落ちるようにピドーから離れた。フードの下から硬い表情がのぞく。

「...ピドー...やった」

「え...俺のせい...? まさか...?」

 目をこする。赤い光景はそのままだ。

「赤いんだ、景色が全部赤い」

「...来た...『東の赤』」

「そっか...。だから視界も変わっちまったのかよ...。これが太陽の力なのか...。てっきりお前が何かしたのかと...」

「つぶした」

「......潰す?...えー待てよ。どういう事だよ?」

 ピドーは髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回した。赤い空間へ再び入ったのだ。そして体に太陽が入って来た。これが復活なのか。色づいたままの景色を見渡す。

 宿の壁の一部が崩れ落ちて火を噴きだす。ばらばらと破片を浴びるのは倒れている者達。テーブルや椅子が飛び出して散乱していた。

 小虎は唇を噛んだ。

「ピドーの、つぶした」

「ん~...?」

「ぶつけた」

 懸命な説明だが要領を得ない。ピドーは無意識のまま冥界の力を使ってしまった。小虎はすぐさま電撃を放ち、爆発の力を相殺した。だがなかなかピドーには伝わらない。ついに口をつぐんでしまった。

「たくさん人が...」

 そう言ってピドーも絶句した。周囲に人々が歩きまわっている。生きているのか死んでいるのか分からない。しかし目が合うと、彼らは一瞬で炎となって散る。同時に、小虎からもひっきりなしに火花が散る。フードの下で髪がひどく膨らんでいる。さっきのような爆発が起きないのは小虎のおかげだ。だがピドーにはまだ分からない。

「そうだ、マリア!」

 振り返った目に入ったのは、がれきの山だった。サンダルが地面に転がっている。

「マリア!」 

 膝に力が入らない。這うようにボックス跡に近寄る。宿から飛び散った破片が直撃していた。砕けた石を賢明に取り除く。爪が何かにひっかかった。割れてめくれあがる。指が角にすれて血がにじむ。けれどもそれにすら気が付かなかった。ただ荒い息を吐き、がれきを投げる。裸足の足が見えた。電話ボックスの支柱の下だ。

 ひときわ大きな石が歪んだ支柱の上に乗っている。手をかけたが、びくともしない。

 宿の人々も外へ出て来た。崩壊した食堂近くにいたのか、体中が真っ白な者もいる。横たわる人の救助が始まった。ジーノチカが駆け寄って来る。ボックスのあり様に息を呑む。すぐに腕まくりをして、ピドーと一緒に大きな瓦礫に取りつくが、すぐに叫ぶ。

「てこになる物が必要だ! 何か無いか!」

 小虎が不意によろめいた。足を踏ん張って息を吐く。小さく舌打ちをした。無言でピドーとジーノチカの間に割り込んだ。石に手を当てる。ちらっと周囲に目を配った。また息を吐く。手の平を中心に黒い光が湧いた。小さなドームはすぐに消える。がれきが砕けた。破片が散る。右往左往する人々にはその現象はどう映ったのか。反応する者は無かった。

 ピドーは瓦礫を掻き分けた。きらきら反射しているのは砕けたガラスだ。真っ赤な布しか見えない。姉は小花模様のスカートをはいていたはずだ。

「違う、違う...」

 自分の呟きが遠くに聞こえた。

 彼女の腹に支柱がのしかかっていた。背中一面にガラス片が喰いこんでいる。火災の光を受けて、この場には不釣り合いなほど鮮やかに輝く。

「...マリアじゃない...違う...マリアじゃない...」

 別の誰かがしゃべっているようだ。

「何を言っている! これはマリア・エフェレット嬢だ! 君の姉だ」

 両肩を激しく揺すられた。ジーノチカに叱りつけるように言われても、何が起きたのか理解できない。目の前の光景がひどく遠い。手足が震えた。さらに何か言おうとしたが唇が動くだけだ。ジーノチカの手を払った。自然と数歩下がっていた。

「ピドー、どうした? 君も怪我をしたか? 真っ青だぞ。座っていろ」

 ジーノチカが肩に手をかけた。それだけで殴られたように体が跳ねた。その場に崩れ落ちる。動けない。夢の中にいるようだ。たくさんの人によってがれきがどけられ、姉の姿が現れていく。まるで映画でも見ている感覚しかない。誰も何が起きたのかは知らないが、埋もれている人がいるから助けようとしている。

「医者を呼べ!」

「居るぞ! 僕だ、ジーノチカ・L・ヒンメルだ!」

 救助作業が続き、やがて誰かが呟いた。

「ああ...これは...」

 ホテルから運ばれたシーツだろうか。地面に布が広げられた。横たえられたマリアは動かない。少し開いた瞳は真赤に充血し、口と鼻だけではなく耳からも赤い筋が垂れていた。

 ジーノチカが脈を取る。目を覗きこんで首を振った。肩のガラス片をつかんだ。白い髪が垂れて彼の表情は隠れた。だが唇をかみしめたのが見える。

「...きれいにしなくては」

 そっと大きなガラスを引きぬいた。赤く染まっている。だが体から血は吹き出さなかった。傷痕からゆっくり流れてすぐに止まる。胸の上で手が組まれた。

 風が吹き抜けた。爆発により舞い上がった埃はまだおさまらない。その中で人々は胸に手を当てて頭を垂れる。ぼんやりしているだけのピドーに小虎が倒れかかった。


    ツヅク!  第五話 交差する町  舞台は(オステン)州へ。中立地帯でうごめく新たな勢力とは? 

 こらシュペート、大人しくしてなさい!


お読みいただきありがとうございます。


我ながらややこしいお話しです…


今回の初出さんはナシ

ジーノチカはもう本当に黙っていられないんですよね…


シュペートがなぜ「自分は王太子ではない」と言ったのか、理由は後に明かされます。

お付き合いくださる方々には、感謝、感謝でございます!


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