09
「これもなんとかして」
裂けた服を指さす。
「ふふ、また舐めてほしい?ハマっちゃった?」
先ほどの得も知れぬ感覚が一瞬背筋をあがっていってぶるっと震える。
「馬鹿言わないで。この裂けてる箇所何とかしてって意味」
「ああ、確かにこれじゃお腹冷えちゃう。それに澪ちゃんの大事な大事な赤ちゃんの部屋がある場所だもん。誰にも見せたくないしすぐ直しちゃうね」
「は、あんた、いま……」
澪が本気で嫌悪の眼差しを向けているのをスルーして千影はなにかしらを唱える。しゅるしゅると布が再生するように穴が塞がっていき、血の染みも破れも解れもない綺麗な服に戻った。
「はい完成。これで大丈夫」
「……どうも」
一応直してもらったことにはお礼を言って三歩ほど距離を取る。
「澪ちゃん、どうしたの」
一歩千影が近づくと、
「いやほんとに気持ち悪いので離れて歩いてほしい」
澪は大きく一歩下がる。
「何が?」
また千影が距離を詰めようと一歩近づくと
「赤ちゃんの部屋とか……」
澪はさらに大きく二歩下がった。
「事実なのに」
「事実だとしてもセクハラだから。本気で嫌いになる」
低い声で脅すように言ってはみたものの、フィルターがかかるだろう。そう思っていたのに千影の足は、ぴたっと止まった。
「嫌い……」
今日何度も嫌いだとか気持ち悪いと言っているはずなのに、今ようやく千影の変換アダプターっを突破して嫌いという言葉がダイレクトに届いたらしい。
「澪ちゃんは下品なの嫌いなの、ごめんね……迂闊な発言だったね」
若干受け取り方が違うが、通じたらしい。あからさまにしゅんとして大きい体を縮こませる千影に澪は少し驚いたが、そのまま散歩ほど距離を保ったまま歩き出す。
数十分歩いたが千影が隣に来ることはない。たまにちらりと後ろを見てもしょぼくれたまま俯いて着いてくるだけだった。よほど「嫌い」という言葉を認知してショックを受けているらしい。
千影は街の入り口についても千影は三歩後ろで縮こまっていた。
「……ねえ」
「なに」
「もう許すから、いつまでもしょぼくれるのやめてくれる?」
「嫌わない?」
黒い瞳がうるうる揺れる。
「……いや、嫌いだけど」
「うっ……」
うるうるした瞳からは今にも大粒の涙がこぼれそうで澪はぎょっとした。今ここで千影に泣かれたら大きな街の入り口で聖女様を泣かせたことになる。きっと周りからはすごい目で見られるだろう。今だって、人の目が痛いのに。
「わかった、これ以上嫌わないから」
「ほんとに?」
「ほんと、だから泣かな……っい“”!?」
ホップステップの勢いで距離を詰められそのまま抱きしめられる。一日歩いてきたというのにふわっとしゃぼん玉と薔薇の混じったような優しい香りがする。
「ありがとう澪ちゃん大好き」
あまりにも明るい声で言う千影。先ほどまでのしょぼくれた態度は演技だったのかと思うほどの切り替えの早さに呆れてしまった。
「やっぱき……」
「……らいなわけないよね」
「キモい」
「キモいならいいや」
そっと体を離される。
「もう疲れちゃったからとりあえず休憩できるところ探そうよ澪ちゃん」
「……そのバッジを使ったら無料でいろいろできるんだっけ」
「そーみたいだね。なんか僕、ゲームの勇者みたいだよね」
千影は細い指で胸元のバッジを撫でる。
「まあ、世界を救うっていう意味では一緒なのかも。違いは恋人と世界を救ってるか仲間と世界を救ってるかの違いかな」
ね?という顔を向けられて澪は嫌そうに首を横に振った。
「じゃ、お昼食べて宿取ろうよ」
「教会は?」
街から少し離れたところに見える大きな教会の建物を指さして問うが千影はちらりとそちらに眼球だけ向けて、
「明日でいいんじゃない?」
至極どうでも良さそうに言う。澪的にはさっさと終わらせたいのだが千影にとって世界を救うというのはどうでもいいことらしい。あくまで彼の目的は新婚旅行なのだから。
「ほらいこ」
もうナチュラルに、それこそ恋人が相手の自然に繋ぐように澪の手に自分の手を絡めると街を歩きだした。