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会議室に集まっていた教会の幹部たちをバラバラにする役割を終えた澪は地下に戻り千影と二人で待機していた。
花畑を燃やした時の揺らめく炎、燃えていく聖女の血をすすった白薔薇。チェルシーの絶望した顔、メロナとラクイの憎悪の籠った表情。フラッシュバックしてため息ばかりが漏れる。
ヘイトを買い、固まっていた幹部連中をバラバラに散らす役はもともとロキの役目だった。おそらく会議室に集まっているだろうからそこに突っ込んでいってしっちゃかめっちゃかに場を引っ掻き回した後、錯乱する幹部や今日のために集められたシスターやブラザーたちをあらかじめ待機していたクレセントムーンメンバーで叩きながらバラバラ行動をしている幹部連中をネロリとロキで叩いていく。それがあらかた終わり安全になった教会に澪と千影が侵入し、大聖堂へ行き女神像を壊す。
しかし澪が花畑を燃やしたいと言い出したので急遽作戦変更となり、澪がヘイトを買い、メンバーの一部を陽動、それと同時にロキたちが動き出す。そこからは同じで、今は安全確保ができるまで地下で待機状態となっている。
人数や戦力差を考えると三十分以内に制圧はできるとロキは豪語していたがもう三十分
はとっくに過ぎている。制圧が終わったら黒い煙のゲートを開くと言っていたがそれも一向に開く気配はない。あのゲートはロキにしか開けない。
「澪ちゃん落ち着いて」
千影は落ち着いた様子で瓦礫に腰かけていた。
「……」
「澪ちゃんは優しいから、あんな光景見て復讐心に燃えてるのはわかるけど焦ってもしょうがないよ」
「……わかったような口をきくのね」
先ほど見た聖女の末路への衝撃とこんなことをずっと続けてきた教会への義憤。何も知らずにただ祈りの旅を続けていたら、千影はあの仲間入りをしていたのだろう。それだというのに当事者が暢気な事にカチンときてつい言葉がきつくなる。
「澪ちゃんの事なんでもわかるもん」
「じゃあ、今私がどう思ってるか当ててみてよ」
千影は澪の顔を見て、口元に手を当ててうーんと考えた後、
「僕の心配」
花の咲くようなこの場に不釣り合いな笑顔を浮かべた。
「心配……あんたの?」
「そー。違う?」
心配していたのだろうか。ただ、自分は千影もあの養分の仲間になっていたと思うと――
澪はそこまで考えて黙り込む。
「とりあえず座ったら?」
千影がぽんぽんっと自分の膝を叩く。
「まあ……そうね」
澪はそれを無視して座りやすそうな瓦礫の上に腰かけた。
「澪ちゃん、はい」
千影は澪の隣に座り直し、くるくるっと宙を描いた。魔法の力で現れた小さなカップを澪に手渡す。中には温かな湯気を立ち昇らせる琥珀色の液体が入っていた。
「このお茶好きでしょ?いつも自販機とかスーパーで買ってた」
確かに色も匂いも澪がよく飲んでいるメーカーのお茶だった。
「……ほんと、何でも知ってるのね」
「だって僕は澪ちゃんの運命の相手だよ?知らない事なんてないよ」
「旦那から運命の相手に昇格したの?」
「最初から運命の相手だよ」
千影は笑うと、同じ物を飲む。
「苦っ……僕これ嫌い」
「この苦みがいいんでしょ?」
嫌そうな顔をする千影を見て、苦笑しながら澪もお茶を一口すする。温かなお茶が喉を通ると体がふわっと温かくなって気持ちが少し落ち着いていく。
「落ち着いた?」
「……少しは」
空になったカップを置く。澪の中のどうしようもない焦燥感や行き場のない義憤はすっかり影を潜め普段通りの冷静な彼女に戻っていた。
「よかった」
千影もカップを置き澪の頭を優しく撫でる。
「髪型が崩れる」
文句を言いつつも普段のように払いのけることはしなかった。
「ねえ」
「ん、なあに?」
「どうして普通にアプローチしてこなかったわけ?」
そもそも普通に声をかけてくれれば惚れる可能性があったかもしれない。
「澪ちゃん、本気で言ってる?っていうか記憶から飛んでる?」
千影は心底驚いたように目を見開いて、それからしょんぼりと肩を落とした。
「最初普通に声かけたでしょ?」
「……いつ、どこで?」
「大学の帰り道で……」
澪は記憶をたどる。
澪は小さい。そしてどうしても幼く見える顔立ちをしている。どんな格好をしていても子供に間違われることも多く変質者に付け回されることも多かったため、対抗策としての柔道を習っていたというのもある。なので大学の帰り道に変質者に声をかけられることなんてざらにあったのであまり覚えていない。
「もう少し情報ないの?」
「家の近くで花束持って告白したでしょ?」
「……」
告白と聞いて思い出す。確かに大学時代に変な男に一週間ほど待ち伏せされて、白い花束を渡されて告白されたことがあった。確かにこんな顔だった気がしなくもない。ただ、それは澪にとっては不審者、変質者のひとりでしかなかった。
「それが普通のアプローチだっていうならあんたの感性は終わってる」
「だって、人に惚れたのって初めてだったし」
「……だからって……どこでそんなアプローチ方法覚えたのよ」
「少女漫画」
「しょ、少女漫画……」
確かに少女漫画にはその手の、イケメン男性に突然アプローチされて告白されるようなものもありそうだ。恋愛のお手本が漫画だったことにがっくりときて澪の体から力が抜けた。
「あのねえ、普通に声かけるって例えば友達づてに紹介してもらって仲良くなるとか……」
「澪ちゃんに近づきたくて、澪ちゃんの友達に声かけたらその子に惚れられて無理だった」
「……同じ講義取るとか」
「僕と澪ちゃん学部違ったでしょ?」
「…………同じサークルとかバイト先に入るとか」
「澪ちゃんサークルもバイトも入ってなかったでしょ?運動部とか運動サークル系の助っ人はやってたけど」
「………………」
「接点ないんだもん。直接行くしかなかったんだもん」
「……うーん」
自分で言っておいてなんだが、もし千影と不通に接点があったところで澪は千影には惚れなかっただろう、と澪は思った。
なぜなら澪のタイプの男性はそれこそフィジカルで自分を守ってくれそうなゴリゴリのマッチョなのだから。昔から変質者や不審者につけ狙われる澪は自分を守ってくれる強い男にあこがれを持っていた。
ただ、大人になって大抵の事には動じなくなったし、それこそ不審者は自分でしばき倒すことができるようになってしまい自分より強い男なんてそこら辺にいるものではない。そもそもの話、自分はその手の強い男が好きなタイプの女ではないと諦めの感情が強かった。
少なくとも、不通に接点があったとして現実世界のヒョロヒョロもやしの千影には惚れることは絶対になかっただろう。その結果、結局ストーカーになっていた気がする。
「澪ちゃん、好きだよ。一生守ってあげる」
「……私は……嫌い」
「えーん、まだそんなこと言うの?プロポーズしてくれたのに」
千影は左薬指の指輪を印籠のように見せつける。
「だーかーらー……」
何度目の否定だろう。もう百回は超えた気がする。そんなふうに思いながら再否定しようとすると左手が絡めとられる。
「ちょ……」
そのまま引っ張られて
「んんっ……」
唇が重なった。
「……ちゃんと蹴りつけて帰ろう」
「……そうね」
「それで、すぐに結婚しようね」
「それは無理ね」
「えーー、この流れならそうねって言うべきじゃなーい?」
「そういうだまし討ちやめろっ!!」
全力で体を離す。そして指の違和感に気が付いた。
「は、なにこれ」
左薬指に淡く模様が刻まれている。
「指輪の代わり。帰ったらプラチナリングはめてあげる」
「また、人にマーキングして……」
「千影君の加護だよ?嬉しいでしょ?」
「……すっごく迷惑、ほんと嫌。最低」
「僕と心まで繋がれる絆の模様なのに」
千影も左手を出す。指輪の上の部分に同じ模様が刻まれていた。
「最悪すぎる」
「もー、照れなくてもいいのに!可愛いねっ!」
じゃれつかれそうになって距離を取り、気が付く。
「ねえ、ゲート開いてない?」
「……あ、ほんとだ。合図ってことだね」
「全部ぶっ潰して帰る」
「そうだね、ところで帰る日ってこっちの日数経過と同じなのかな?」
「さあ」
「帰ったら大安だといいな~、ふふふ」
「……はあ」
澪はげっそりとした顔で今日一番大きくため息をつくと黒い煙の中に足を踏み入れた。