33
「「ようこそ、東方教会へ」」
「「お待ちしておりました聖女様、ミオ様」」
東方教会の扉を開けると2人の男性が同時に同じ言葉を発し、同時に澪と千影に頭を下げた。顔を上げると顔までそっくりで明らかな一卵性双生児の双子だというのがわかる。
「僕はカルタです」
「僕はカルネです」
「「よろしくお願いいたします」」
カルタとカルネと名乗った修道士の男性2人はぱんぱんと同時に手を叩く。すると数人の他のシスターたちが現れて澪たちを囲んだ。
「お疲れでしょう、祈りの儀は明日で構いませんのでお部屋にご案内いたします」
「ほら、皆さん。聖女様たちに失礼のないようにしなさい」
シスターたちは小さく頷いて澪たちをどこかに案内しようとした。
「待って。まだ日があるんだから先に終わらせたいんだけど」
「しかし準備がまだ」
「そんなにかかるものじゃないでしょ?それに、早くこの世界のために祈りたいんだ」
カルタとカルネは顔を見合わせてから、嬉しそうに目を細める。
「「聖女様がそうおっしゃるのであれば」」
カルタはそこにいたほとんどのシスターを引き連れて祈りの間に祈りの儀式の準備をしに入っていった。カルネは単身で澪と千影を控え室に連れて行く。
「それではこちらで少々お待ちください。20分以内に準備いたします」
そのまま頭を下げて扉を閉めた。
この教会には鉄格子のようなものはなかった。それどころか開放感のある大きな窓からは綺麗に手入れされた中庭の花壇や生垣に青々と葉の茂る低木が見えてとても景色がいい。
「……」
澪は窓の外の花壇や生垣に目をやる。色とりどりの季節の花。ピンクに赤に水色に紫に。種類も色も違うかなり丁寧に手入れされていそうな花たち。
「澪ちゃんどうしたの?」
後ろから千影が澪を抱きしめる。恋人にするようなバックハグに
「離して」
と、一応腹の部分に回された腕をどけようとしてみたが、明らかに力の強くなった今の千影にはやはり無駄な事らしい。
「どうしたの?」
「……はあ」
「みーおちゃん」
催促するように名前を呼ばれて、澪はまた花壇を見ながら返した。
「薔薇」
「薔薇の花言葉は愛だね。あ、遠回しに好きって言ってくれてるんだ!!」
僕も~と強い力で抱きしめられて久々に、ぐえっと声が出る。
「馬鹿、違う!」
「も~照れちゃって。可愛いんだから」
「……白薔薇のこと言ってるの」
「白薔薇は純潔……だっけ……純潔を捧げますって……こと!?」
勝手に興奮しだした千影に澪は思わず脛を踵で蹴った。
「いっ!!!!」
さすがに弁慶の泣き所を蹴られるのは堪えるらしい。千影の腕が一瞬緩んだので猫のようにするりと抜け出して窓に手をつく。
「白薔薇がどこにもない」
「……いたた……白薔薇って、もしかしてあのブーケの?」
「そう、ここに来るまでずっとちらちら探してるんだけどあの中央協会以外にないの」
あの血のような液体を垂らした真っ白で大ぶりな白薔薇。薔薇という品種は前に入ったレストランだとか、ホテルの受付だとか、それこそ北方教会のテーブルブーケなんかにも赤をメインに数多くの色の物使われていたが白薔薇はあの教会の中庭にしか生えていない。
硝子の向こうに見える中庭の生垣には赤い薔薇が咲いている。白い薔薇はどこにもない。
「そんなにあれが気に入ったの……?」
千影は少し嫌そうな顔をしていた。
「そんなわけないでしょ、気になるだけ」
澪もいやそうな顔をして返す。
ただ、なんとなく気になるのだ。確かにこの世界は自分たちの世界とはそれなりの違いがある。この世界には魔法があるという根本的な違い。人種の違い、見た目の違い、先ほど見た銃の構造のような細かい物の違い。あの白薔薇も魔法的な力が働いているから自分ちの世界の物と違うだけと言われればそれまでなのだが、澪の中でなんとなく、ほんとうになんとなくだがそういうこちらの世界とあちらの世界での違う以外になにかあるのではないかと思ってずっと気になっていた。
白薔薇の事を考えながら千影と一緒に中庭を見ているとコンコンと扉を叩く音がした。
千影が扉を開けると、カルタとカルネが扉の前で一ミリもずれていない同じ角度で頭を下げている。
「「聖女様、祈りの儀式の準備ができました。あとは聖女様のお着替えだけでございます」」
「そっか、わかった。じゃあすぐ着替えちゃうから待ってて」
澪は頷いて部屋を出る。すぐにカルタとカルネと数人のシスターたちが中にはいっていき扉を閉じた。中からゴソゴソと準備をしている音を聞きながら澪はそういえばと思い出す。最初の教会での儀式の際、千影はガッツリと背中の空いた衣装を着ていた。そして背中には明らかになにか模様が刻まれていた。それがロキの言う生贄の刻印だったのだとすぐに理解した。
数分後、着替えの終わった千影が神々しい格好に身を包み部屋から出てくる。
「じゃ、澪ちゃん」
――行こうか。
澪の体も心もきゅっと引き締まる。これから内部とが外部から崩していく教会を終わらせるロキの計画が始まる。何度も説明は受けたし、脳内でシミュレーションもした。ただ、失敗すればおそらくその瞬間殺されるだろう。
東方教会は西方教会と対をなすと先ほどラクイが言っていたし、なによりこの東方教会の近くにはメロナとラクイを含めた西方教会の精鋭が聖女様を守るために待機している。
失敗はできない。そう思えば思うほどに緊張して心拍数がどんどん上がっていく。平常心とポーカーフェイスを保っているつもりだがもしかしたら顔に出ているかもしれない。
確かに自分は正義感は強い方ではある。ただ、こんな陰謀に巻き込まれて命を懸けるなんて一般人の自分にはとてつもなく荷が重い。
緊張で祈りの間に一歩近づくたびに心拍数がどんどん跳ねあがる。このままじゃ爆発して死んでしまうかもしれない。
そう思っていると、
「澪ちゃん、お手手つないであげよっか」
ぎゅっと優しく手を握られた。
「こうするとさ、なんか、落ち着くよね」
ふわっと優しく目を細める千影を見て、一気に緊張感から解放された気がした。千影はたぶん何にも思っていない。ただ自分が帰るという目標に向けて言われたことをこなそうとしている。そして、自分を思いやれるほどの余裕もある。
「澪ちゃん」
こうして名前を呼ばれるのが嫌だった。変態ストーカー野郎がとずっと思っていたはずなのに、今は少し名前を呼ばれても不愉快ではないと、
「手汗でぬるぬるだね……舐めたらしょっぱくて美味しいんだろうな」
「……」
そんな甘いことを思ったのは一瞬で。
「このノンデリ!!!」
「きゃんっ」
手をはたき落してついでに千影の白い服で手汗をぬぐった。
「おふたりは本当に仲が良いですね」
「メロナ達から面白い二人と聞いていましたが本当に面白いですね」
「仲良くないから」
「え~、こんなに仲良しなのに!」
また手を握られる。
「離せノンデリ!」
また叩き落す。
「ノンデリじゃなくて千影ね」
「ノンデリっていうのはノンデリカシーって意味よ、このデリカシー皆無ストーカー男」
「「本当に仲がよろしいですねえ」」
声を揃えてくすくすと笑うカルタとカルネに連れられて祈りの間まで案内される。千影の突拍子もないデリカシー皆無の行動にピークにまだ達していた緊張はいつの間にか落ち着いていた。
ぎぎぎぃと大きな鉄扉を開くと、中にはこの東方教会のシスターや修道士、司祭に、
「お待ちしておりましたわ」
「ん……」
メロナとラクイを筆頭に西方のメンツも揃っていた。外で待機していると言っていたが急遽祈りの儀式をやるとなって参加を希望したのだろう。
メロナのあの敵意むき出しの顔とラクイの冷めた殺意を思い出して澪の心臓はまた大きいく高鳴ったが、もうやるしかないんだと決意を固めて千影の手をそっと離す。
「じゃあ、祈ってくるね」
「わかった」
千影の背中を見送り、カルタとカルネの横に並ぶ。
千影は西方や北方でやった時と同じように大きな四角い石の前まで行くと祈りのポーズを捧げる。また白い光がぶわっと溢れて千影を包み込む。
ロキに教えてもらったがあの立方体の白い石はこの世界に住む人々の負の魔力……黒い魔力を集めるための集約機らしい。生贄の聖女様の刻印に反応して、刻印を目掛けて貯められた魔力が降り注ぐ仕掛けが施されている。だから、今目の前で千影の体を包みこんでいるのは白く着色された負の魔力なのだ。綺麗で純潔に見せかけられたどす黒い負そのものなのだ。
澪は白い光が千影に同化していく姿を見届けると、祈りの儀式をその場の全員が熱心に見つめているのを確認しロキから貰ったイヤリングを外した。そのまま手の力を込めてばきっと手の中で割る。
数分の祈りの儀式が終わり、千影が戻ってきた。また全体的に色素が白くなっている。本当に神々しい見た目ではっと息を呑んでしまった。
「澪ちゃん……」
そのまま澪の前までくると力が抜け枝垂れかかる。
「うまくできた?」
「……うん」
きっと周りからは、祈りの儀式はうまくできたかと聞こえているのだろう。でも違う、これは伝達はうまくできたかという意味だ。事実、イヤリングに加工された伝達装置は起動した。今頃ロキもネロリもクレセントムーンの面々も三つ目の祈りの儀式が終わったことを知っただろう。
「……ちょっとだけ、意識なくなるからこのままでいて」
「……仕方ない」
「ん……」
そのまま千影の力が抜けた。
「「ミオ様、聖女様を控室にお運びしましょうか?」」
「ちょっとこのままでいさせてあげて」
「重くないですか?」
「しっかりお休みするなら控室のほうがよいかと」
「そこのベンチで十分よ」
ずるずると意識のない千影を引きずってベンチに千影を座らせる。そのまま自分も隣に腰かけた。
「「控室のほうがよいのではないでしょうか?」」
カルタとカルネが近寄ってきて困ったような顔をしていたが、
「ま、後で引きずっていくから気にしないで」
「「……畏まりました」」
澪に言われて渋々と言った形で納得したようだった。
別に控え室でもいいのだが、この後のことを考えると少しでも近いこの場所に留まったほうがいい。
ただ、問題はカルタとカルネは納得したようだが向こうのほうでこちらを見ながら何かを離しているメロナとラクイだろう。何か言われたら面倒くさい。できるなら千影が覚醒するまでの数十分何事もなくここに座っていたい。
「ミオさん」
顔を上げると笑顔のメロナがいた。
「ここは神聖な場ですわ。儀式が終わったのでご退出を」
「……えっと、そうしたいのはやまやまなんだけど」
ほら、と千影を指さす。目を開けてぼーっとしたまま意識のない状態になっているのだから動かすのは無理だと。
「大丈夫、わたくしどもでお運びいたしますわ」
にこにこと口元は優しい微笑みをたたえているが目が笑っていないのがよくわかる。一刻も早くここから千影……いや澪を遠ざけたいのだろう。
「ああ、そうだな。おーい、聖女様を運んでやってくれ」
ここから出たら鍵をかけられてしまう。かなり頑丈な鍵だと言っていたのでここから千影が目覚める前に追い出されると計画が狂ってしまう。おそらく、千影なら扉の破壊はできると思うがそんなことをせずにこの場にとどまりたい。
なんとか頭をフル回転させて追い出されない方法を考えてはみるが、何も思いつかない。
「さあ、澪様もご退出の準備を」
メロナに腕を掴まれる。腕が折れてしまうかと思うくらいに強い力だった。後ろのラクイもメロナと同じような雰囲気でを澪を見下ろしていた。いつの間にかカルタとカルネや東方教会の人間は先にいなくなっていて、ここにいるのは西方教会の者だけになっているらしい。このままじゃ自分の命も危ないかもしれないとメロナの腰にぶら下がっている銃を見て思ったが、
「ん……」
千影がどさっと澪の上に倒れた。膝枕の形になって、
「ここにいる」
ひとことだけ、妙に響く声を放つと、またぼーっとなって目から光が消えた。
「……と聖女様が言っているので」
メロナは仕方ないとでも言うように一度澪の腕を離して、ラクイと千影を移動させに来た屈強な修道士複数人を連れて少し離れると、何やらこそこそと話をしてから壁際に下がった。
澪と千影が見える位置にいるので監視をすることにしたのだろう。すぐにカルタとカルネがそこに加わり大所帯で澪と千影の様子をじっと見つめていた。あまり気持ちがいいものではなかったが千影は起きるまでの我慢だ。そう自分に言い聞かせあまり彼らのほうを見ないようにはやく覚醒してくれと願うしかできなかった。