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馬車の振動はあまり心地の良いものではなかった。車輪の問題なのか道の問題なのかそもそもの乗り物構造の問題なのか、いつも乗っている電車や車ではありえないガタガタとした揺れで酔いそうになる。
千影は特段そういうのは感じていなさそうで馬車の内装だとか外の景色を珍しく興味深そうに眺めていた。
「何か気になるの?」
「うん」
千影も、なにか思うところがあるのだろうか。この世界がなんとなく自分たちが思っているような場所ではないような気がすることに、教会という組織になにか裏がありそうなことに気がついているんだろうか。
「馬車での登場もいいかなって」
だとしたら今、二人きりの今なら話すことができるかもしれないと思ったのも束の間、千影の発言に澪は眉をしかめる。
「……は?」
「結婚式、ウェディングドレスを着た澪ちゃんとタキシードの僕で馬車から降りて花道を歩くでもいいんじゃないかなって、素敵じゃない?」
「……なんの話ししてるの」
「だから、僕らの結婚式だよ。プラン考えておかないと」
「しないけど」
「するんだよ」
やっとまともに話ができると思ったのにこの男はと久しぶりに強く睨んで気がつく。千影の右目の色が若干薄くなっている気がする。
そのまままじまじと見つめる。千影の目の色は黒曜石のような真っ黒な色だったはずなのに右目の色素が抜けたように若干灰色になっている。白内障のように白身がかっているわけではない、色素が抜けたとしか言いようのない色の変化だ。
「あんた、目どうしたの」
「目?」
千影はカーテンを閉めてガラスを鏡のようにして自分の目を見る。
「あれ、色変わってる」
本人は今ようやく気がついたようで驚いたように目を少しだけ見開く。
「痛いとか、視力落ちたとかないの?」
「うーん、痛みはない。視力は……」
千影の顔が見の方を向く。そのまま澪を瞳の中に捕らえたまま視力が変わっていないことを告げた。そのまま澪を見つめたまま動かない。
「なに?」
千影は目をあわせたまま体を澪の方に寄せる。狭い車内の壁に手をついて覆いかぶさるように。
「ねえ澪ちゃん、オッドアイの僕ってどう?綺麗?」
「……心底どうでもいい」
そもそも千影の顔に興味がないのだからオッドアイになろうと瞳が光ろうと顔が崩れようと澪にとってはどうでもいいのだ。
「それよりどうしてそうなったかの話がしたいんだけど」
「……うん?」
「あの光の……ん゛ん゛!!?」
唇が重ねられる。すぐに舌が滑り込んできてぬるぬると口の中を這う。頭に手を添えて唇を離せないようにホールドし、嫌がって逃げ惑う舌を無理矢理捕らえて絡める。
「ん、ふ……う」
今朝からこの男は調子に乗っている気がする。睨んでも嫌だと何度言っても理解しないし疲れるだけだから諦めていたのがこの男の言動を助長させたんだろうか。もっと強く言っておけばよかったと思ったが後悔先に立たず、千影の舌はどんどん深くまで潜り込み澪の舌を絡め取り弄ぶ。
「はあ……ちゅー好きになってきた?」
澪の唇と千影の舌先を繋ぐように銀色の糸が伝ってたらりとこぼれ落ちた。
「なるわけないでしょ……おっ!?」
千影はにんまりと目を細めて笑いながら澪の膝の上にお知りを乗せると、
「じゃあ、もっとしよっか、そしたら好きになるよ」
頭をあげさせて唇を近づけて、すっと顔色を真顔に変えて小さく唇を動かす。
「その話、ここでしちゃ駄目だから今は合わせて」
「は?」
「いいから、いちゃいちゃしてるってことにして」
「は……なん……ん!?」
その話というのは澪が出した光の話だろう。どういうことかと聞こうとしても舌を入れられて貪られているから何も出来ない。そのうちだんだん酸欠なのか感じてきてしまっているのか体が熱くなってぼーっとしてくる。
「はあ……」
吐息が熱いのが自分でもわかる。またこの男にこんな乱されている自分が嫌でたまらないのに、力が抜けてどうしようもできない。
今朝のよりも気持ちがいい。舌が口の中で這い回るたび、頭を撫でられるたび、体に優しく触られるたび、ぞくぞくしてたまらなくなる。
「澪ちゃん、えっちな顔してるよ」
指先が唇を撫でる。
「澪ちゃんは僕が好きだからそんな顔できるんだもんね」
「……ちが、う」
「嘘吐き」
口の中に指が入ってくる。まるで舐めろと言わんばかりに口内を粘膜を擦り上げる。
「可愛いね、ほんとに。こんな可愛い子、早く攫って閉じ込めないとね」
暗い笑み。執着を感じさせる濁った目。甘い声。口の中で舌を弄ぶ骨ばった男の指。
「は、う」
自分がこれしきのことだけでここまで乱されて支配されるか弱い存在だったのかと知らしめられて屈辱的な気分でいっぱいになる。そして同時にこのままではいつか本当にこのストーカー野郎の手に落ちてしまうのではないかという危機感に駆られた。
指が引っこ抜かれてそのまま再度口づけが降ってくる。
「……澪ちゃんは僕が好きだよね」
エコーが掛かったような、呪文のような言葉。ぼーっとした脳みそに魔術にように染み込む。
「……あ」
はい、と答えそうになる。今朝と同じシチュエーションなのに、体が、脳みそが「はい」と答えさせようとしている。
「は」
ふわふわとした感覚が脳みそを支配したまま、唇が勝手に動く。
「……うーん」
唐突に体を離されてぼーっとした意識が覚醒する。まるで風船を割ったかのようなぱちんという音が頭に響いた気がした。
「やっぱりね~……」
千影は指についていた澪の唾液をべろりと舐め取って手を見る。
「ちょっと魔力が強くなったかも」
「……どういうこと?」
要点を掴めずに聞き返す。
「なんかね、儀式終わったあとから体うずうずしちゃって。あ、これいけるかもって朝とおんなじ方法で澪ちゃん洗脳してみようと思ったんだけど朝より全然簡単にできちゃいそうで……」
「……は、あんた」
自分で魔力実験基い洗脳実験をしたのかという怒りでわなわなと震える。
「でもすごく思ったんだけど無理矢理言わせる“はい”、より心から“はい”って言ってくれたほうがいいか
ら洗脳やーめた。こういう従わせ方ってちょっとつまんないもんね」
「……このっ」
ぶっ飛ばしてやると拳を作って怒りに任せて突き出す。
「あは、おててつなぎたーいの?」
「はっ!?……あっ!」
渾身の一撃のはずだったのに簡単に受け止められて手を握られる。そのまま握りこぶしをするするっと解かれてきゅっと恋人繋ぎにさせられてしまった。
「澪ちゃん積極的で可愛いね」
たしかに祈りの間で儀式を行ってから千影の力は強くなっている。魔力だけではなく身体能力も飛躍的に向上している。昨日までの千影であれば、澪の拳をもろに食らってもんどり打っていたか、ギリギリで避けるしかできなかっただろう。なのに、いまは。
「こっちもにぎにぎしちゃお」
唖然として力の入っていないもう片手もするっと握られる。
「澪ちゃんと手繋ぐの好きだなあ」
薄く細められた目が、灰色の右目が薄く光った気がしてひやりとした感覚が心臓を撫であげた。
「……澪ちゃんのぷにぷにお、て、て」
千影にまるで手をにぎにぎと弄ばれながら澪はいろんなことを考える。
このままじゃ千影に抵抗できなくなるという焦り。次に祈りの儀式をしたら千影はもっと力をつけるのだろうかという懸念。そもそもこんな平和な世界で祈りの旅や儀式をする意味。そして、聖女にこんな力を与える必要性があるのかという疑問。
最後に最大の疑問、ロキの組織、クレセントムーンがなぜ教会を敵視し、聖女を排除しようとしてるのかというのも気になる。澪にとって教会は何を考えているかわからない組織ではあるが少なくともこの世界の人間にとっては平和を維持する組織なのに。
「澪ちゃん」
「なに」
「澪ちゃんチンチラみたい」
「……ちん、ちんちらぁ?」
「そう、僕欲動が見るんだけど動画のチンチラもね、こうやってお手々きゅってされて……せっせーせーのよいよいよいって玩具にされてて」
「……チンチラみたいなんじゃなくてチンチラ動画と同じにして遊んでるだけでしょ、あんたが」
「チンチラはそんなふうに睨まないんだよ、ほら笑って~」
「チンチラは笑わないでしょ」
「澪ちゃんチンチラは笑うんだよ、僕だけに微笑むんだ」
「じゃあ澪ちゃんチンチラは睨むこともできると思わないの?」
「屁理屈ぅ~」
「そっちがね」
とりあえず、今のところ千影は力を試しただけでこれ以上無理矢理何かをするつもりなさそうでホッとする。また睨むと千影はにやにやとしただらしない顔のまま耳元に顔を近づけて、
「さっきの話はまた後でね」
至極真剣な声で一言だけ発すると、またペットを甘やかす時の腑抜けた声になって馬車が次に止まるまで澪で遊ぶのだった。
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