22
「それでは聖女様、こちらへ」
朝食の後千影と澪は別々の部屋に連れていかれた。なんでも祈りの際には特別な装飾を施すらしくその準備は関係者以外は立ち入り禁止なのだと。あれから澪と二人きりになってもラクイやメロナがあの豹変を見せることはなくむしろかなり親切にしてくれる。地雷を踏まない限りは大丈夫らしい。
1時間ほど経ってラクイと数人のシスターが澪のいる部屋にやってきて準備ができたからと廊下の1番奥に連れていかれる。重厚な扉がぎぃいとゆっくりと音を立てて開くと中は入り口になっている礼拝堂と同じくらいの広くて天井の高い空間になっていた。
ただ内装は全く違っている。奥に伸びる真っ赤なカーペット。奥には大きな祭壇。その上に淡く白い光を放つ大きな立方体の石がある。これが彼らの信仰する物なのだろうか。
「澪ちゃん」
後ろから声をかけられて振り向くと、まるで結婚式の花嫁のようなヴェールを被った千影がいた。もしこれが本当に結婚式なのだとしたら今まで見たどの花嫁よりも美しいだろう。
「僕がお嫁さんみたいになっちゃった。本当はお嫁さんになるのは澪ちゃんなのにね」
「……ああ、はいはい」
聖女様とメロナに促されて千影は赤いカーペットの上を歩いていく。それこそ本当に花嫁が入場するときみたいに。ヴェールだけじゃなくて服も着替えさせられているらしく、背中が大きく開いていた。そこになんらかの模様が描かれている。
メロナは千影を祭壇の前まで連れて行くとさっとそこから離れた。
きらきらと天井から光が降り注ぐ中、千影はゆっくり膝間づいて祈りを捧げ始める。本当に儀式めいているなあと澪はその姿を後ろからぼんやり見ていた。
千影が膝を折って祈りはじめ、周りのシスターたちが呪文を唱え始めたその瞬間、一瞬、ほんの一瞬だけ白い光を放つ大きな石が血のように赤黒くなった気がした。瞬きする間に光は白に戻り優しく発光したかと思うと千影を包み込む。包み込む、いや取り込むような捕食するような、そんなイメージを覚える。
あんなにきらきらと白くて綺麗な光なのに、なんだかぞっとして澪は一歩後ろに下がった。
「聖女様、これにて西方教会での祈りは完了となりますわ」
千影を飲み込んで光はふわふわと散っていきそのまま上に上がっていく。気が付くと石から光が噴出して柱のようになっていた。
メロナが千影に近づき恭しく頭を下げる。千影は立ち上がりヴェールを脱ぐ。澪は動けないままその様子を見ていた。
「無事に終わってよかったな」
唐突にラクイに話しかけられて肩がびくっと震える。
「え、あ、は……はい」
「美しい祈りだっただろう?世界を救う祈りだよ」
なんだろうか。美しい祈りだっただろうか。何かあまりよくないものを一瞬感じた気がしたけどそれは……
ちらりとラクイのほうに目線をやる。恍惚、いや、理解できない自分にはない感情を宿している目だった。先ほど見せた座った目と同じく恐怖を感じて、
「そうですね、とても」
食い気味に答えて話を合わせた。
ラクイはその顔のまま澪のほうを向く。
「ほんとに」
まるで、
「わかってくれて安心したよ」
心臓にナイフを付けつけられたような、銃口をこめかみに充てられてるような
「ミオさん」
全身が凍る感覚が心まで支配する。
「澪ちゃん終わったよ」
永遠にも感じる凍った時間を柔らかい声が溶かしていき澪はラクイから顔をそらすことができた。
「なんでラクイさんと見つめあってたの?浮気?」
「はは、違うよ。聖女様は美しいねって話をしてたんだ。なあミオさん」
「そうね……」
まだ喉の奥が凍り付ている気がしてうまく声が出ない。
「ほんと?美しかった?でも澪ちゃんのほうが美しくて可愛いよ。澪ちゃんの花嫁さんは素敵なんだろうなあ。早く見たいね!でもね、白無垢も見たいからあっちの結婚式は白無垢にしようね」
早口でまくし立てる千影を見ていつもの感覚が戻ってくる。まるで熱に溶かされたように凍った固まった体がゆっくりと動き始める。
「嫌だし、無理」
声がきちんと出たことにほっとした。
「照れちゃって可愛いね」
「聖女様は元気な事で……」
今だけはこの勘違い能天気に救われる気がしてもう何も言わずに口を閉じる。
「では、聖女様お着替えを」
メロナとシスターたちもやってきて全員で祈りの間を出る。扉が閉まる一瞬、優しい白い光を噴き上げる石が禍々しい何かに見えて澪は目をそらした。
そのまま澪はシスターに昨晩止まった部屋へ案内され、千影は別の部屋に連れていかれた。ラクイも千影のほうについて行ったので心底ほっとしたがやはりこの教会や聖女への異常な信仰に不安感と不信感を覚える。このまま祈りの旅を続けるのは正解なんだろうかと思うがそれ以外にここから帰る方法は今のところ見つからない。
「うーん……」
この世界の本が読めたら少しは情報収集になるかもしれないがあいにく聖女の加護のない澪にはそれはできない。千影はこの世界自体には全く興味はないようだから情報収集なんかもしないだろう。頼めば読んではくれるだろうが対価を請求されるに違いない、それも今朝方みたいいやらしい……。
ぞくっと体に熱が登る。ぬるっとしたあの感覚が蘇ってくる。自分を見つめるじっとりとした暗い欲望の籠もった眼差しと獲物を食べる前の化け物が今から食べる物の体を確かめるように優しく触れる手の感触を思い出す。
「ああ……もう!」
あがってきた熱を振り切るように澪はベッドから跳ね起きる。空気でも入れ替えようと窓に近づいて気がつく。はめ殺しになっていると。あきらかに開きそうなデザインをしているのにびっちりとはまっていて動かない。
それなら気晴らしに散歩にでも行こうと扉を開けた。廊下には誰もおらずしんと静まり返っている。みな千影について言ったのだから当たり前だろう。
それにしても着替えにしては時間がかかっているなと感じた。この世界の着替えはどんな複雑なでザンデも魔法の力で秒で終わるのに。着替え以外にみんなで何かを行っているのだろうか。
ふと奥の大扉に目をやる。今ならあの祈りの間、今なら入れるのだろうか。あの気味の悪い石を近くで見ることができるのだろうか。足先が入口側の礼拝堂と反対方向に向く。一歩二歩と踏み出して先程のラクイの顔を思い出した。
あの時、千影と同じ場所にいたから自分は手を出されなかったがあれは明確な脅しだった。もし見つかれば……そう思い踏み出した足が止まる。いつ彼らが千影を連れて廊下に出てくるかわからない今祈りの間に自分が近づくのは得策じゃないと判断し、くるっと踵を返すと、
「ああ、こんにちは」
この教会では初めて見るシスターがにこやかに挨拶をしてきた。
「祈りの儀式は終わったのかい」
先ほど祈りの間にいたシスターたちの中にはいなかった。それどころか雰囲気も若干彼らとは異なる。それどころか中央教会にいた人やメロナやラクイとも違う不思議な雰囲気を持った凛とした顔立ちの綺麗な女性。
「終わったけど……」
「そう。見学させてもらいたかったんだけど一足遅かったかな」
高い身長、耳に心地の良いハスキートーン。きちんと上から下まできっちりと着衣しているに妙に色気を感じる着こなし、裾から見えるゴツいブーツ。
「聖女様、お疲れ様でした」
女性は目元と口元を少しだけ歪めて微笑む。
「……聖女は私じゃなくて千影の方」
「え?ああ、そうだっけ?」
女性が近づいてきて澪の胸元を見る。
「本当だ、バッジがない」
顔が近づいてきてわかる。本当に顔立ちが整っている。千影とは全く違うタイプのはっきりした美人。きりっとした狐のような切れ長の目に、すらっとした鼻。赤く彩られた唇はきゅっと口角が上がって常に微笑みを携えているように見える。それに、なんだか優しい花のような香りがする。女の澪でさえドキドキするほどに綺麗な人。こんな風になりたかったなと澪はまじまじと彼女の顔を覗き込んでしまった。
「ん?僕の顔になにかついてる?」
「あ、いえ……それよりみんな聖女のことはこのバッジで見分けてるの?」
「うん?ああ、そうなんじゃない?たぶんね」
彼女はそっけなく答えるとすぐに澪から顔を離し、
「じゃあ、僕はこれで。また会おうね」
そのまま廊下の奥に消えていった。後ろ姿をほうけたまま見つめていると別の方向からいくつかの足音が聞こえた。
「澪ちゃんなにしてるの?」
くるりと振り向くと、先程の儀式の格好から通常の衣装に戻った千影と、後ろに何人かのシスター。それからメロナが立っていた。
「……お手洗い」
メロナの姿を見てとっさに嘘を付く。もし、儀式をするあの広間に近づいていたと知ったらメロナはラクイと同じような顔をすると思ったから。
「そっか、迎えに来てくれたのかと思ったのに」
千影は少し肩を落としたが、すぐに近寄ってきて澪の腕を絡め取る。
「ねえ、僕、綺麗だったでしょ?」
「あー、はい。そうね」
「惚れ直した?」
惚れ直すもなにも、惚れてすらないのだが。
澪は適当に千影の返答を受け流しながらメロナに案内されるがまま朝に四人で食事をした部屋に通された。
そこにはすでにラクイが座っており、気だるげに右手を上げる。
「おかけになってください。聖女様、ミオ様」
メロナに指示されたとおりに座る。朝とは違い出入口の扉の前にはシスターが数人立っており、外から聞こえてくる音も朝と違ってなんだか騒々しい。
「これから聖女様には北方教会に向かっていただきます」
ひとりの若いシスターが地図を机に広げる。
「ここからだとちょっと遠いんだね」
中央教会からこの西方教会まではそれこそ、片道十五キロ程だから歩こうと思えば歩ける距離だが、各教会までは各々かなり距離があるようだ。それに、すべてが平坦な道というわけにはいかないようで、山があったり深い森があったりと歩いていくにはかなり厳しい道に見える。
「はい。そういえば中央から聞きましたがおふたりはここまで歩いてこられたんですわよね?」
「ふたりきりの新婚旅行が良かったからね」
「まあ、流石に北方まで歩いて行かせるわけには行かないからなあ……街でレジスタンスに襲われてるんだし」
「ということで、わたくし共で馬車をご用意させていただきました」
「馬車……運転手がいるとふたりきりじゃなくなっちゃう」
千影はわざとらしく、しゅんっとする。
「その点ご心配せずとも大丈夫ですわ聖女様。おふたりの新婚旅行の邪魔はいたしません」
「でも運転手が……」
「ああ、心配なさんな。ウチのお馬さんの中でも一番頭の良い俺達の言葉が通じるお馬さんを用意したから」
澪は複雑な気持ちだった。確かにまた千影を連れて歩くのは面倒だ。しかし馬車という密室空間で二人きりにされるのも不安がある。
「お馬さんには北方までの道を覚えさせてある。だから乗ってればそのうちつくさ」
「それなら安心だね、澪ちゃん」
「ああ、うん……」
キラキラと目を輝かせる千影。ここで嫌だといえばまたメロナとラクイはあの顔をするだろうと思うと澪は何も言えずにただ馬車での二人旅を受け入れるしかなかった。