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「聖女様はそんなことをしないッッ!!!」
再度あの音が響き渡る。
このズダンというのはシスターが思い切り地団駄を踏んでいる音らしい。
「いくら婚約者だからといって言っていいことと悪いことがあると思いませんかッ!?」
ぎろりと睨みつけられる。先程まで朗らかで優しそうだった顔とは真逆の般若のような激怒に驚いて澪は固まってしまった。
「聖女様はこの世界をお救い下さる神にも等しい存在。そもそも、貴方みたいなおまけがくっついているのがおかしいのに、愚弄までするなんてッッ!!」
明らかに興奮状態で唸り、今にも攻撃せんばかりの女を前に澪は考えていた。もし襲いかかってきたらいなすのは簡単だが、女に手を挙げるのはあまり好みではない。ただ……この場合正当防衛だろう。しかしながら、教会の人間に手を出すのは今後のことを考えても得策ではない。
だんだんとまだ地団駄を踏んで血走った目でこちらを威嚇する異常な様子のシスターに臨戦の構えだけをして睨み合う。
硬直状態のままどれくらい経ったかわからないが、ふいに扉がゆっくりと開いた。
「ねえ澪ちゃん、あの中に置いていっちゃうなんて酷いよ」
何も知らない千影が入ってくる。あの敵意むき出しの表情のシスターを見たら千影に変なスイッチが入るかもしれない。そう懸念したが……
「まあ、聖女様。ようこそいらっしゃいました」
瞬間、シスターの表情も態度も先程までの優しくて朗らかそうなシスターに戻り最初に澪を出迎えたときのように恭しく頭を下げた。その代わり味の速さに言葉が出ない。
「澪ちゃんこの人は?」
「わたくし、西方教会の代表を努めております、メロナと申します。以後お見知りおきを聖女様、ミオ様」
朗らかに口角を上げて微笑むシスター改めメロナにぞっとしたものを感じながら澪は小さく頭を下げた。
「さあ……聖女様こちらへどうぞ」
メロナに促されるまま礼拝堂の奥の扉へ進む。礼拝堂の奥は長い廊下になっていた。廊下沿いにいくつか扉がある。
彼女はここはお手洗いだとかここは倉庫だとか色々と設備の説明をしながら二人と連れて廊下を歩く。途中何人かとすれ違ったが彼らは聖女である千影を見ると足を止め、キラキラと目を輝かせながら手を合わせていた。
やはり彼らにとって聖女とはそれほど神聖な存在なのか。それとも千影の見た目が良いから見た目を見て目を輝かせたのかは定かではないが全員が聖女千影に並々ならぬ興味があるのは間違いなかった。
「先ほどは大変な目に遭いましたね、聖女様」
「大変?」
「街でレジスタンスに襲われたとお聞きしました」
「ああ……」
レジスタンスという単語に反応して千影の拳に力が入る。
「ねえ、その組織のピンクの髪の男の事知らない?」
「……ピンク」
メロナは一瞬ぼそっと呟いて、足を止めた。明らかに何かを知っている反応だったが、大げさに首を横に振った後、
「さあ、わたくしはあまり詳しくありません、申し訳ございません」
深く頭を下げて謝罪をする。
「ああ……そうですわ。副代表のラクイならそういった組織に詳しいと思うので明日紹介いたします。今宵はこちらでお休みなさって下さい」
そのまま数歩歩いたところの扉を開けて二人を中に入るように促した。
「宿のお部屋が駄目になったとお聞きしたので、わたくしどもで準備させていただきました」
部屋は八畳ほど部屋で、簡素な丸いテーブルと椅子がふたつ。大きめのベッドが一つ置いてあるだけの簡素な内装の部屋だった。ビジネスホテルレベルの簡易客室といった感じに見えた。おもてなしの気持ちなのかテーブルの上にまだ活けたばかりであろう黄色い花束が飾られている。
「それではごゆっくりお休み下さい」
メロナの言葉とともにがちゃんと扉が閉まり、メロナのコツコツとヒールを鳴らす音がフェードアウトしていく。二重人格レベルの豹変をした彼女と何事もなく別れられたのはほっとしたが、それ以上の問題がそびえ立っている。
「澪ちゃん、どうしてそんな顔してるの?」
「ベッド……」
ベッドが一つしか無い。それも大きめのベッドとはいえセミダブルくらいのサイズしか無い。
自分の体と千影の体があそこにきゅうきゅうに収まると思うと澪の背すじにぞぞぞっと怖気が走った。ソファでもあれば自分はそこで寝るという選択肢も取れたがソファすら無いので逃げ道がない。かといって床で寝るなんて絶対に嫌だった。
「あ、一緒に寝れるね!」
千影が嬉しそうにベッドの上に座る。
「おいで、澪ちゃん」
「嫌」
「ベッドは一個しかないんだから」
ほら、おいでとぽんぽんとマットレスを叩く。
「椅子並べて寝る」
「そんなの無茶だよ。疲れ取れないよ」
「一緒に寝たくないの、何されるかわかったもんじゃない」
千影はきょとんとした顔をする。
「何もしないよ。言ったでしょ、合意がないとしないって」
「…………さっき胸元開けられた」
「あれはマーキングだから別物でしょ?ってか澪ちゃん……」
きょとんとした顔が今度はにやああっといういやらしい顔に変わる
「すけべなことばっかり考えてる?」
「……は?」
まさかの言葉に固まる。そしてふつふつと怒りが湧く。
「赤ちゃんの部屋とかいう人に言われたくないんですが」
いやらしいことばかり考えてるからこんな言葉が出るんだろうと、先程のメロナに負けないくらいの目つきで睨みつける。
「あ、じゃあ言い換えるね、子宮」
あっけらかんと言われて睨みつけるのすら馬鹿らしくなり、手近にあった椅子を引きそのままどすんっと腰掛ける。だいぶ古い椅子なのかぎぃいっと木が軋む音がした。
「え~?こっちおいでよ」
腕を組んでつんっと顔を背ける。澪にできる最大限の拒絶の意志だ。
「じゃあ僕がそっち行くね」
しかし千影は基本的にそういうのには気が付かないので、すっとベッドから立ち上がり
「みーおちゃん」
「ぎゃっ!!」
澪の膝の上にそのまま座った。千影は身長こそ高いがかなり細身の方なので重いということはないが骨が体にあたって痛いのと上に乗られた不快感で澪は千影を下からじっとりと嫌だと言う目で見つめる。
「退いて」
「え?やだ。それより上目遣い可愛い~」
じっとりとした目線を上目遣いと勝手に受取愛情が爆発した千影にぎゅ~~~~~~~っと抱きしめられて更に骨があたって体が痛む。先程も思ったことだが痩せぎすの人間は皮下脂肪がないから直接骨が体にあたってぎしぎしと痛むのが鬱陶しい。
「……ぐぇ」
そのまま身動きが取れないのを良いことに数分抱きしめられた後、そっと体が離れる。
「あのね」
目線がぶつかる。
「……」
「僕のせいで襲われたんだよね、ごめんね」
思いもよらない謝罪に澪は目を見開いた。