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「ああ、聖女様……」
男性は澪の方を向いて口を開いたが、聖女の証のバッジが千影についているのを見てすぐに千影の方を向き直った。
「聖女様御一行だとは存じ上げず大変失礼いたしました」
深々と九十度近く頭を下げる。少女も「すみませんでした」と同じ角度で頭を下げた。
「気にしてないよね、澪ちゃん」
「気にしてもない、あとカップルじゃない」
「カップルじゃなくて夫婦だもんね」
「なんで勝手に結婚してるの?ありえないんだけど」
「どうせお嫁さんになるんだから恋人を通り越して夫婦でいいかなって」
「ならないんだってば」
困惑したように中年の男性は二人の漫才じみたやり取りをおずおずは見ていたが、
「許してくださるということでよろしいのでしょうか……」
腰を低くしたままおずおずと間に割って入った。
「許すも何も怒ってないよ、ね?」
これには同意して澪も頷く。
「感謝いたします」
中年男性はほっとしたように安堵の表情を浮かべる。中年男性とは裏腹に少女は千影の胸元のバッジを指差して、
「どうしてそっちの男のほうが聖女様なんですか?」
当然の疑問を口にした。
「あ、こら。マリン!」
安堵の表情から一転、顔を青くする中年男性。マリンと呼ばれた少女はあまり動じていない様子で更に続ける。
「だって、パパ……今まで聖女様が男性だってことなかったでしょ。聖“女”なんだから」
「事情がお有りなんだろう。失礼な口を聞くな」
マリンはあまり物怖じしない性格のようで中年男性、父親の忠告も聞かずに「それに」と続ける。
「聖女様は結婚できないから夫婦にはなれないのに」
マリンや父親に一切興味がなさそうに澪を見つめていた千影の頭が初めて二人の方を向く。
「「どういう意味?」」
千影も澪も同時に口を開く“聖女だから結婚はできない“とマリンは言った。しかしながら聖女に一番縁の深い教会は盛大な式を上げると約束をしてきた。明らかに矛盾している。
「だって……」
「こらマリン!!引っ込んでなさい」
父親がくるくるっと指を回すとマリンは強制的にくるりと長いエプロンとスカートをお姫様のように揺らして振り返り。
「パパ、この魔法は嫌だって言ってるでしょ!」
そう残して厨房の方に消えていった。
「娘がまたも大変……大変失礼いたしました。すぐにお食事をお持ちいたしますので……!」
父親も何かしら突っ込まれる前にとそそくさと厨房の奥に消えていく。
「結婚なんてできない……」
千影は先程のマリンの言葉を反芻するようにぽつりと繰り返し、少し考えてから澪に問う。
「聖女は偉いから庶民とは結婚できないってことなのかな?」
「さあ?」
「でも澪ちゃんは僕と同じ世界の人間だしできると思うんだけどなあ、どうせ全部終わらせたら元の世界に帰るんだし」
「ああ、あれじゃない?」
今までの意趣返しに少し意地悪してやろうと澪は目を細めて切り替えした。
「聖女はそのお偉いさんだから元の世界に帰れないんじゃないの。だから結婚できないってこと」
さあどう返すか、黙るかと千影を見る。
「それはないね」
帰ってきたのはかなり冷静な返答だった。
「もし聖女様が帰れないのなら歴代の聖女様がどこかしらにいないとおかしい。でも僕は少なくともあの教会では見かけなかった。あの街やここでも過去の聖女らしき存在は見ていない。もしかしたら役目を終えた聖女はどこかしらに居場所を作ってもらっているかもしれないけどね。そもそもの話し、聖女だから結婚ができない=帰れないには繋がらないよ澪ちゃん」
「いきなりまともな事言わないで。びっくりするから」
「澪ちゃんが荒唐無稽で馬鹿なこと言うから」
澪がまた何かをいいかけたところで中年男性がカートを引いて澪たちの元にやってきた。
「失礼いたします」
サービングカートの上には、自分たちが頼んだものに加えて香ばしい香りのするパンやサラダ、スープ、それに三段重ねのいわゆるアフタヌーンティーに使われるようなハイティースタンドが乗っている。スタンドの上には焼き菓子や小さなケーキが乗っていた。
「先程は娘が失礼いたしいました。こちらお詫びになるかわかりませんが……」
そう言いながら丁寧に机の上に皿やカトラリー、ティーセットなどを並べていった。焼き立てのパンの香りやポークステーキにかけられたジンジャーソースの甘酸っぱい香りが鼻腔を刺激する。
「他、ございましたら何でもお申し付け下さい」
再度恭しく頭を下げる中年男性。聖女というものはここまでされるべき偉い存在として認識されているのだろうか、と澪はかぼちゃスープの甘い香りを嗅ぎながら考える。
「じゃあさ」
「はい、聖女様」
「宿、まともそうなところ教えてくれる?」
「まとも、と申しますと」
「安全そうなところ」
千影の顔がにこりと笑う。明らかによそ行きの作り笑い。自分に向けるニチャアという効果音がつきそうな気持ち悪い笑みとは真逆の爽やかスマイル。澪は千影もこういう普通の表情ができることに感心しながら温かなスープに口をつけた。
「安全……、道中なにかございましたか?」
「さっき入ろうとしたカフェ、ちょっと嫌な感じしたから。教会の人に聞いたんだけど聖女をよく思わない組織がいるってことは、聖女をよく思わない個人もいるってことでしょ?だから、そういう場所じゃない安全なところ宿に泊まりたい」
「承知いたしました……しかし、聖女様をよく思わないなんて……そんな場所が?」
中年男性は心底理解できないというように目を丸くする。
「裏路地にある……ガラスに月の模様のある」
「月……」
そのまま少し考えるように口元に手を当て、何かに思い至ったのか
「ああいうのは少数派です。たまにいるんですよ。この素晴らしい聖女様たちの活動に理解を示さないやつらが」
冷たく吐き捨てる。
「この島のほとんどすべての民は聖女様たちの味方です。聖女様がこの世界を救ってくださる素晴らしいお方というのはわかっています。あの手のわかっていない連中はごくごく少数です」
「ふうん……」
「しかしながら、不愉快な思いをさせて申し訳ございませんでした。宿の方は最高の場所を手配までさせていただきます」
「ありがとう。これで失礼はチャラだね」
「ありがとうございます、聖女様」
下がっていいよと千影が合図をすると中年男性はもう一度深く頭を下げてサービングカートを引いて厨房の奥に消えていく。そのすぐ後エプロンを外したマリンが飛び出していいくのが見えた。