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この街は最初の教会の本部らしき建物のある街と違って少しこじんまりとしていた。同じく白のレンガ造りの街並みというのは変わらないがこちらの方がもう少し自然との調和を目指しているのか街のいたるところには花が植えられており、木も多い。緑と自然の街といったところだろうか。
「何食べたい?」
綺麗に整備されたレンガの道路を歩きながら問う。
確かにお腹は減っているけど何が食べたいかというのは明確に出てこない。ちらっと広間の大時計を見ると、現在時刻は15時半を回ったところ。そもそもこの世界ではティータイム時にランチはやっているのだろうか。なんて考えていると、
「澪ちゃんは、大学時代は大学近くのピザ屋さんの豚トロピザが好きで社会人になってからは会社の近くのパスタ屋さんのミートパスタが好きだし家の近くの焼肉にも一人で入るよね……なら、お肉がいいかな?」
歌でも歌うかのように軽やかなに楽しそうに澪の好きなものをあげる。澪は、何で知ってるのとジト目で睨むが、
「澪ちゃんのことで知らないことなんて無いもん」
あっさりと笑顔で言われて頭がくらくらした。もうこのやり取りも何度目だろうか。
「……会社近くって会社も特定済みなわけ?」
「そりゃそうだよ。そもそも真向いのビルに勤務してるし」
「向い……」
澪の働いている会社は都内の小さなデザイン会社だった。オフィスビルの一角に小さな事務所を借りており、総従業員数は10名ほどの吹けば飛ぶ零細企業。その真向いのビルとなると……
「早坂商社……?」
数十階建てで硝子張りの大きなビル。大手商社と言われる早坂商社の東京本社。
「あ、そうそう。おばあちゃまにちょっとコネがあってね。あのあたりの会社ならどこでもよかったんだけど、ちょうどよかったから入れてもらった」
「……人生舐めてる?」
「そんなわけないよ、ちゃんと仕事してる。こう見えて成績優秀なんだよ。お客さんみんな優しいしね」
そりゃその顔で微笑めば女担当なんてイチコロだろうよ。そもそもあんたは外面だけは本当に良いんだから。と、大きくため息が出た。
「ため息つくと幸せ漏れちゃうよ」
「はは……」
もう乾いた笑いしか出なかった。
「わりとランチの時間合わせて同じ店行ったりしてるのに澪ちゃんってば気づいてくれないからやきもきしてたんだよ?隣に座ってても気づいてくれないなんて鈍感さんだなって思った。もうこうなったら同じ会社に転職して意識してもらおうって思ったんだけど、零細企業だとやっぱコネ難しいしデザイナーの仕事ってしたことないから諦めた」
「……あー、そう」
「ごめんね、僕にコネがないばかりに同じ会社で働けなくて、でも早坂のビルの社内カフェの窓からだと澪ちゃんの働くフロアが見えるんだよ。だから毎日見てた」
就職活動や転職活動がコネで入るものだと思っているのか。この男はつくづく常識が通じない。澪はもう話を切り上げて早足でレストランやカフェの多そうな通りを歩く。もう昼のピークを過ぎているので店自体の客入りは多くなさそうだったが、ランチが終わっていそうな場所も多く、気がつけば少し通りを離れた路地に入り込んでいた。
「あ、澪ちゃんここどう?」
少し奥まった道にカフェのような店を見つけて千影は指を指す。月の模様の描かれたガラスの奥にはアンティークな雰囲気の内装が見えた。昼食というよりも軽食の店に見えるが、そこまでお腹が空いたというわけでもないし「ここでいい」と言って澪はノブに手をかけようとした。
「あ、待って澪ちゃん」
ぱっと手を掴まれて澪は千影を見上げる。
「何?」
「やっぱやーめた」
「え、ちょっと」
ぐいっと腕を引っ張られてカフェから無理やり引き剥がされる。意味がわからずにずるずると数メートル引きずられる。気がつけば大通りに戻っていた。
「なんでいきなり、あんたがどうって言ったのに」
「うーん、なんとなく。今カフェ飯って気分じゃなかったし」
「ああ、そう」
気まぐれにつきあわされるこちらの身にもなってほしいと澪は思いながらついていく。数十歩歩いて急に千影が立ち止まった。澪は引っ張られてそのまま体制を崩し、
「おっと」
千影に体を支えられる。やっぱり薔薇のような香りがした。あの中庭で嗅いだ白い薔薇の香りに似ている気がする。
「いい香りがする」
「……あんたが?」
「うん?違うよ。ほら、焼き立ての香ばしい香りするでしょ?」
鼻で空気を吸い込む。確かに焼き立ての香ばしい香りがする。それに交じってお肉を焼いた時のような食欲をそそる香りもする。
「レストランさんかな?でもテーブル席あるっぽいね。ここにしよう」
「あ、ちょっと」
カランコロン。小気味の良いカウベルの音が響く。
「ああ、いらっしゃいま……」
スタッフと思われる十歳くらいの少女がやってきて挨拶もそこそこに目をぱちくりとさせて澪と千影を見つめる。
「さっき街の入り口でいちゃついてた変なカップルだ」
「い、いちゃついて……!?」
冷やかすような笑みに澪は顔が真っ赤になったが反対に千影は顔色は変えていなかった。
「恋人同士がイチャイチャするのは当然じゃない?」
「公衆の面前だと珍しいわよ。はいカップル一組~」
スタッフは揶揄う様にテーブル席に案内する。もうランチタイムもほとんど終わりに近づいているのか客はまばらだった。ふっと視界が暗くなる。頭にフードを被せられたようだ。
窓際の席に通されてメニューを渡される。
「読めない……」
写真を見ればだいたいどんな食べ物化想像もつくし、元いた世界とあまり変わらない食生活を送っていそうだがいかんせん文字が読めない。
「読んであげるよ、気になるのはどれ?」
「……あんたは読めるの?」
「うん、加護があるから読めるみたい」
「……便利ね」
ローストポークらしき写真とハンバーグらしい写真を指差す。
「これって何肉?」
「えーっと、両方豚みたい」
「じゃあ、ローストポークで」
「じゃあ僕このパスタにしよっと」
机の端っこにおいてあったベルを鳴らす。リリーンという甲高い音が響いてすぐさま先程の少女とエプロン姿の中年の男性が飛んできた。少女はなんだかしょげた顔をしており男性の方は少し焦ったような顔だった。