7話「城を出て」
荷物をまとめて、しばらく過ごしていた部屋を出る。
特にこれといった思い出はない部屋。それでもある程度の時間をそこで過ごしたことは確かなことで。ゆえに愛着は生まれていたらしく、自分でも意外ではあったが退室する時には心なしか切なさを感じた。涙が出るほどではなかったけれど。
別れとは寂しさを伴うものだ。
だが仕方がない。
ここの主にいずれなる人間に出ていくよう言われてしまったのだから。
そうして城を出ると、一台の馬車が視界に入った。
「おはようございます」
そこから顔を出して来たのは見覚えのある人物。
「えっ……ディア様」
「様付けなどしなくて良いのですよ」
「し、しかし」
「ディアと呼んでください」
「あ……は、はい。ですが呼び捨ては……さすがに。ディアさん、にします」
そう、その人物というのはディアだったのだ。
「今日ここを出られると聞き、こちらで待っていました。よければ実家までお送りしますよ」
「そんな……困ります」
「なぜです?」
「私は実家へ戻る気はないのです」
思いきって打ち明けてみることにした。
これまでどんな仕打ちを受けてきたか。
どれほど心ない扱いをされてきたか。
そして、両親は私を愛していないということも――。
「そうですか。では実家へ戻られるのが理想的とは思えませんね。……となれば、どうされます?」
気づけば私は彼に色々話してしまっていた。
「まだ迷っているんです」
「実家へ帰るかどうかを、ですか?」
「違います」
「では何を?」
首を傾げ尋ねてくるディアに。
「……これからどうするかを、です」
小さな声で答えを投げる。
「行き場のない私はどうすれば良いものか分かりません」
こんな個人的なことを話して、うじうじして、きっと嫌われてしまっただろう――そんな風に思っていたのだが。
「やはり、我が国へ来ませんか?」
ディアは不快そうな顔はしなかった。
「我が国であれば貴女を傷つけるようなことは何もありません」
彼は真っ直ぐこちらを見つめている。
「嫌、でしょうか?」
「……で、ですが、心の準備がまだ」
「暫しの宿として利用するだけでも問題ありませんよ。いつでも帰国できます」
迷いに迷って。
「……では、その……お願い、したいです」
ようやく出した答えは彼に甘えることだった。
「良かった……! では、そうしましょう」
「すみません」
「いえいえ。謝られる必要はありません。では早速、出発を!」
「ええっ」
まさかの展開である。
だが私に他の道はなかった。
他の道ではどう考えても幸せにはなれない。
だから今は彼に縋るしかなかったのだ。
迷惑だろう、とか、簡単には頼るなんて、とか、自分の中で思うことは色々あったけれど。
ただ、掴めるものがあるなら掴まなければ幸福への道は拓かれないのだから、それなら私は差し出された手を掴む。
穏やかなる未来のため。
希望のある未来のため。
甘えられるのであれば甘えてみようと決意した。
「ではエリサさん、しばらくここでお過ごしくださいね」
「このままそちらの国へ行くのですか?」
「はい。そうです。……何か問題がありましたか? 寄りたい場所があれば仰ってください」
乗り込めば、馬車は動き出す。
隣の席にはディアが座っている。
他国のではあるが彼もまた国王の血を引く高貴な人だ。
馬車に乗っている間、特に何をするでもなかったので、気づけば私は「いつも色々すみません」などと謝っていた。その言葉はほぼ無意識のうちに勝手に口から出たものだった。それに対してディアは「いえ、お気になさらず」とさらりと返す。その表情は柔らかで、包容力を感じさせるものであった。
誰かとこんな風にまともに言葉を交わすのはかなり久しぶりな気がする。
こうやって思いやりを持って接してくれる人に最後に会ったのはいつだっただろう? なんて考えてみても、思い出すことはできない。
「……到着までどのくらいかかるものですか?」
「スムーズであっても二時間ほどは大体かかるように思います」
ディアは春の陽のような人。
高貴な生まれでありながら一般人を見下すことはせず、凛とした正義感を持っているのに独りよがりではない。