第8話 遭遇 (1)
「キャアアアアアアア」
湯村の声だ。
成瀬は部屋をすぐさま飛び出し、湯村と只野がいた場所へと走る。清水と男も成瀬の後を追った。
元いた場所に湯村と只野はいなかった。乱雑に散らかった本だけが机に置いてある。
成瀬は湯村の泣き叫ぶ声に耳を澄ます。声はホールの隅にある廊下から聞こえてくるようだ。
照明の落とされた廊下だった。その暗がりの中に二人の背中を確認できた。
それと同時に、只野と相対する二匹のゾンビが目に映った。
湯村は腰を抜かし、地面に座り込んでいる。彼女の左腕からは血が流れていた。
只野はナイフを使いながらゾンビが伸ばした手を跳ね除けていた。ゾンビに捕まらないように間合いを取っているようだが、小型のサバイバルナイフではゾンビの懐に入れずに苦戦していた。
成瀬は鉄パイプを振りかぶると叫んだ。
「只野さん、しゃがんで!」
只野がしゃがみ込んだと同時に手前にいたゾンビを殴り倒した。
只野は起き上がろうとするゾンビを足で抑えつけ、その首を勢いよく切り裂いた。
血が噴き出し、只野の顔や服が血吹雪で濡れる。
その間に成瀬がもう一匹を殴り倒すと、只野は同じ様にゾンビの首を切った。
只野が言っていた通り、不死身だと思ったゾンビがピクリとも動かなくなった。
失血させる事で、ゾンビは本当に倒せるようだ。
「大丈夫ですか?」
成瀬は涙を流して座り込む湯村に手を伸ばす。
成瀬の血に濡れた顔を見ると、彼女はより怯えてしまい、成瀬の手を取ろうとしなかった。
後方に控えていた男は本物のゾンビを目の当たりにして圧倒されているようだ。初めてこんな物を見れば無理もない。
成瀬は湯村から離れ、只野に事情を尋ねた。
「何があったんです?」
「湯村さんが手洗いに行ったのですが、悲鳴を上げたので駆けつけました。たぶん途中にあるこの部屋を覗いたらゾンビが出てきた、というところだと思います」
確かにトイレの手前にある部屋の扉が開いていた。扉には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれている。
ゾンビはドアを開ける事ができず、閉じ込められていたところに、湯村が入ってきたので襲いかかったのだろう。
部屋を覗くと三人の遺体が倒れていた。
床は大量の血で覆われ、その匂いが充満している。
部屋の惨状に清水は胃から来る衝動を抑える事ができなかった。
トイレに向かおうとしたが、耐えきれず廊下の隅で嘔吐した。
口の中が胃液臭い。乱れた息を整えると、汚れた口元を洗いにトイレの戸を開けた。
洗面台で勢いよく顔を洗う。
気を抜くと、先程の惨状がフラッシュバックしてしまう。顔をあげると、ひどく疲れた顔をしている自分が映っていた。
「大丈夫か?」
ハンカチで顔を拭っていると成瀬が声を掛けてきた。彼も手を洗いにトイレに来たようだ。
ここは女子トイレだと言おうとする前に成瀬が口を開いた。
「今後は一人で行動するのは避けてくれ」
「何、急に」
「トイレにだってゾンビが隠れている可能性だってある。一人で動いてたら死ぬぞ。ただでさえ、君は武器を持ってないんだから」
言われてみれば、この状況では軽率な行動だったかもしれない。分かってはいても、成瀬の物言いが気に食わなかった。
「いちいち指図しないで」
トイレを出ると関係者入口の扉はもう閉められていた。三人は既に廊下にはいなかった。ホールの方に戻ったのだろう。
倒れたゾンビはもう動かないと分かっていても、万が一動き出したらと考えてしまう。
清水は早足でゾンビの横を通り過ぎる。
湯村は元いた椅子に座り、まだ泣いていた。
腕はかなり抉れているようだ。ちょうどヒトの口の大きさ分、肉の部分が剥き出しになっている。骨までは見えてないが、とても直視できない。
腕の上の部分を布地で縛っているので、多少止血できているようだ。
長身の男は彼女の近くに座っていたが、只野の姿は見えなかった。
彼もかなり血を浴びていた。男子トイレで洗い流しているのかもしれない。
後ろから聞こえる音に振り返ると、成瀬がゾンビの近くに座り込んでいた。
ゾンビが今にも動いて、成瀬に襲いかかるような気がした。
「ちょっと何してるの?」
死んだゾンビをよく見ると、血にまみれてはいるが制服を着ている。 生前はここの職員だったのだろう。
「失礼します」
成瀬はゾンビの服を探り始める。
彼は目当ての物を見つかったのか、手を止めた。
その手にはネックストラップ付きのカードケースが握られていた。
こちらに近寄る成瀬に声を掛ける。
「何それ?」
成瀬は血に染まるケースを差し出した。
「職員カードだ」