第4話 兆し
車から降りてきたのは、Tシャツにジーンズといったラフな格好に眼鏡をかけた大人しそうな男。男は前髪で視線が隠れ表情が読みにくく、いかにも根暗そうだ。
続いて後部座席から、派手な化粧に胸元の開いたワンピースを着た女が降りてきた。
それに二人とも首輪を付けている。どう見ても刑務官ではなさそうだ。
清水は刑務官が来たのかと予想していただけに落胆してしまう。
女は渡れない橋を見ながら言った。
「もう橋が上がってるじゃない!」
成瀬は降りてきた二人に近づくと声を掛ける。
「あなた達も街から逃げてきたんですか?」
「ええ」
男は清水達がいたコンテナハウスを指差す。
「あそこには何もなかったんですか?」
「残念ながら受刑者では橋は下ろせなさそうでした。詳しくは中で話します」
駐屯所内に入ると、成瀬は橋を下ろすにはパスワードが必要で、あと一度間違えれば橋を下ろせなくなる事を話した。
刑務官から聞いた話を告げようか言い淀む。女がストレスをぶつけるようにハイヒールの爪先で床を何度も叩きつけた。
「何よ、勿体ぶってないで早く言いなさいよ」
成瀬は刑務官から聞いた話を伝えると、女は青ざめた表情を浮かべる。
「ど、どういう事?私たちは明日死ぬの?」
「日本が下す決断とは思えないですね。それは間違いないんですか?」
「間違いないよ、私も聞いてたし」
「ねえ、もう一度話してみましょうよ。このまま死ぬなんて嫌よ!」
「もう一度通話したところで結果は変わらないと思います。最悪通信が切られて二度と連絡できなくなります。せめて何か交渉材料でもあればいいんですが…」
眼鏡の男は窓の向こうに映る橋を眺めていた。顔には出さないが、内心はショックを受けているのだろう。
女は悲観に暮れ、目に涙を浮かべていた。
「ここは受刑者以外の人だっているでしょ?どうしてそんな酷い事…」
獄中都市には少数だが今も一般人も何人かいるはずだ。駐屯所のリストにも来島時間しか記されていない人の名前は載っていた。
だが、今となってはまともに生きている人はいないかもしれない。
仮に国がこの大量殺戮をしたとしても、全員ウィルスに感染した事にすれば世間の目も甘くなるだろう。
なにせその殺戮を糾弾し、獄中都市の人々を本土で保護すれば、自分達が感染するリスクがあるのだから。
「お偉いさんの意見はわからないが、アレが本土に上陸する危険と天秤にかけたんじゃないですか」
成瀬も同じ考えのようだ。
模範囚とはいえ、犯罪者の集まる場所だ。
都合が悪くなれば、蜥蜴の尻尾のごとく見捨てられるという事だろう。
理解はできるが、それでも納得はできない。
少なくともこの四人は感染していない。
救出対象として扱ってくれてもいいはずだ。
清水は眼鏡の男に歩み寄る。
「ねえ、この車はどうしたの?刑務官は?」
「死んだ刑務官の鍵を拝借させてもらいました」
清水は溜め息をつく。
期待はしていなかったが、やはり駄目だったか。
「なんだ…刑務官がいるならもう一度橋を架けてもらえると思ったのに」
「もう街ではゾンビ達が歩き回ってるわ…もう生きてる人なんていないわよ」
女はしゃがみ込むと、鼻を赤くし涙で頬を濡らしていた。取り乱した表情は、あまり綺麗とは言えなかった。
残された時間は約一日。しかも、残りの時間の間に自分がゾンビにならない保障はない。冷静でいろという方が難しいだろう。
どんよりとした雲が空を覆い隠していく。僅かな望みも絶たれた。
清水がふと成瀬を見ると、一人何かを考え込んでいる様子だった。
すると成瀬は急に顔を上げ、口を開いた。
「そうだ…そうだよ…」
「どうしたの?」
「シーズウィルスって、どこかで聞いた気がしたんだ!それがようやく思い出せた!昔授業かなんかで聞いた覚えがある!」
成瀬は高揚しているのか早口で捲し立てる。
「あれは…いつだったか…四年くらい前か…いや、そうだ。あのシャープペンを使っていた頃だから三年前だ!」
成瀬の言葉が途切れたところで、眼鏡の男は尋ねた。
「それは本当にそのウィルスの話だったんですか?」
「ええ、間違いありません。その時メモをとった記憶があります」
「それで、シーズウィルスはどんなウィルスなんですか?」
「…あ、いや、すみません。そこまでは覚えてなく…」
思わせぶりな態度だった割に何もないのか。
いや、でもまだ兆しはあるかもしれない。
「でも授業で話すような有名な話なら、もしかしてワクチンとかがあるんじゃない?」
「ワクチンがあれば私たちはかからないってことよね!?」
清水の言葉に食いつくように女は立ち上がった。
眼鏡の男が小さい声で反論する。
「ワクチンがどこにあるかなんて、どうやって調べるんですか?そもそもこの島に無かったら意味ないと思います」
そう言われてしまうと返す言葉はない。
獄中都市は外部との連絡は制限されている。駐屯所のパソコンもネットには繋がっていなかった。あくまでシステム的な処理を行うだけの機械だ。
「でも所在がわかれば、向こうの刑務官との交渉材料にはなります。確か図書館ならネットが繋がるパソコンがあったはずだ。外部と連絡はとれませんが、調べるだけならできるはずです」
成瀬は清水の意見に賛同するように付け加えた。
図書館なんて普段訪れる事はないので、知らなかった。さすが大学に務めているだけはある。
「図書館ってどこにあるの?」
「街のはずれにある。場所は知ってる」
「またあの街に戻るなんて嫌よ!」
「このまま何もしなくても全員死ぬ事になります。助かる道があるなら、やれるだけやりましょう」
ワクチンを探したい気持ちは当然ある。あんなゾンビの姿になるなんて絶対嫌だ。
だが、奴らのいる街に戻ると言われると、途端に足が重くなる。
「ゾンビに会ったらどうすんの…あいつら死なないし」
「出くわさないように気を付けるしかないんじゃないか」
眼鏡の男は清水の不安を拭うように即座に否定した。
「ゾンビは死にますよ」
「え?」
「あれは殴ったりしても駄目です。首を切ったりして失血させたらもう動きません」
「そうか。元々人間だったから、失血させれば動かないのか」
成瀬は納得したように頷く。
「とりあえず図書館に向かいましょう」
四人はガソリンに余裕がある成瀬の車に乗り込み、街へ戻る事にした。
清水は夏草が生い茂る地を見ながらふと思った。
もしワクチンがあるなら、何故爆撃なんて事をするのか。
非感染者にワクチンを打てば済む話ではないのだろうか。