第21話 休息 (2)
湯村の背中を洗っていると、彼女が声を掛けてきた。
突然何を言い出すのか。いつも成瀬達に助けられてばかりで、そんな場面は一度も無かった。
「さっき、あの久保田って人を助けようとしてたでしょ。車から見えたわ」
「ああ、でもあれはあの人がいないと黒岩さんの場所が分からなかったから」
「そうね。でも、そう簡単にあんな奴らの前に出れないわ。少なくとも私にはできない」
「いえ、そんな事は…」
そう言いかけて言葉を止めた。
現に湯村はゾンビを前に座り込んでいた。今、彼女への気遣いは皮肉でしかないと思い改める。
「あ、そうそう、あの磯谷って男には気を付けた方がいいわよ」
「え?」
気を付けた方がいい?
あの家主を警戒する必要はないだろう。
こんな大人数を受け入れてくれた彼を疑う理由が無かった。
「あの人の笑顔はどこか嘘くさいのよね。私、今までそういう人たくさん見てきたから」
彼女の経験から感じるものという事か。
考えすぎな気もするが。
湯村は右手で身体に湯をかけボディーソープを洗い流した。
「ありがとう。助かったわ」
そう告げると、彼女は浴室を後にした。
一人残った清水は、今度は自分に湯をかけた。温かくて気持ち良かった。
桶の湯を使いながら髪を簡単に流し、湯船に浸かった。
これほど湯を使って水が無くならないか心配だったが、浴槽に流れ込むように蛇口から湯が出ているようだ。
しかし、湯にそっと手をかざすと、それは湯ではなく水だった。
どういった仕組みでお湯になっているのだろうと不思議に思ったが、湯に溶けるように思考が飛んでいった。
天井の木目を数えながら、湯村の言葉を思い出す。
彼女にはああ言っていたが、あの時は久保田がいなくなったら、なんて考えていなかった。咄嗟に身体が動いただけだ。
今にして思えばかなり無謀だった。大した武器も持たず、ゾンビの前に立つなんて死にに行くようなものだ。
実際、死ぬと思った。成瀬や薬師寺がタイミング良く助けてくれなければ、この世にいなかったかもしれない。
ゾンビに遭遇した湯村は腕を噛みつかれ、腕に怪我を負っている。だが、同じようにゾンビと相対した清水は無傷だ。
二人に何か違いがあったのかと言われれば、それは運でしかない。たまたま彼らがいただけだ。
「湯加減はいかがですか?」
格子窓の外から家主の声が聞こえてきた。
「あ、はい。大丈夫です!」
なぜ外に家主がいるのかと思ったが、この冷水を温めるような場所が外にあるのだろう。そうでなければ、ここは水風呂になってしまう。車から見えた煙は風呂を温めたものだったのか。
まだ後ろがつかえていることを思い出し、慌てて風呂からあがった。
部屋に戻ると、少し騒がしかった。台所と和室を成瀬や薬師寺が出入りしている。
何をしているのかと和室を覗くと、背後から家主が声を掛ける。
「素麺を茹でたのでどうぞ」
もう部屋に戻っていたのか。
彼の手には大きな器いっぱいに盛られた素麺があった。
昼は乾パンしか食べていないので、かなりお腹が減っていた。そんな事を考えていると、腹の虫が大きく鳴いた。皆の注目が集まり、顔が熱くなる。
とんだ恥ずかしい目にあったが、素麺を食べれるなら良しとしよう。そう心の中で呟いた。
自分の分を小皿に盛ると、そこから一口分取り、つゆにつける。
「美味しい…」
「なあ、こんなに美味しいと思ったのは初めてだ」
横に座る成瀬も勢いよく啜っていた。
湯村も美味しそうに食べている。包帯も取り替えていたようで、腕の痛々しさが軽減されていた。
素麺を食べ終わると、只野が風呂場へと向かう。
よく見ると隣の和室には人数分の布団が敷かれていた。
全員の風呂が終わった頃には二十一時を過ぎていた。
「よかったら、こちらの特製茶でも。飲むと元気になりますよ。お酒もありますが、飲まれますか?」
「お、酒があるのか!」
久保田が素早く反応する。
「ええ、磯谷さんが残した酒がありますよ。私は酒は飲めないので、よければ飲み切ってもらって大丈夫です」
『磯谷さん』という言葉が引っかかった。
彼は磯谷家の人間ではないのだろうか。
家主は台所から一升瓶とお猪口を数個持ってくると久保田が早々に手をつける。
「じゃ、遠慮なく」
久保田はお猪口に波々と酒を注ぐ。アルコールの匂いが鼻についた。
「くぅ〜、うめえ」
酒を一気に飲み干すと、またお猪口に酒を注いだ。独り占めしたいのか、酒瓶から手を離そうとしなかった。
そもそも飲みたいと申し出る人は他にいなかったので、彼の勝手な振る舞いを咎める者もいなかった。
「あの、改めて突然お邪魔してしまい申し訳ありません」
「いえ、構いませんよ。この家には私一人しかいませんので、久しぶりに賑やかになって楽しいですよ」
そう笑う主人に対して、自己紹介と簡単にこれまでの経緯を話した。
「それは大変でしたね」
「あの、我々と共に明日ワクチンを探しに行きませんか?」
「いえ、私はここに残ります」
「ですが…」
「どうせ逃げ場がないなら、私はここで最期を迎えたいのです」
そう話す彼には強い意志を感じた。
すると湯村がそっと立ち上がり、布団の敷かれた隣の部屋に向かう。
「あの、お茶は疲労に効きますので、寝る前にお飲みになってください」
彼女を呼び止めるように、家主が声を掛けた。
「いえ、私は大丈夫です。すみません、もう寝たいので」
湯村は誘いを断ると、隣の部屋に入って戸を閉めた。腕を押さえていたところを見ると、まだ痛むのだろうか。もしくは、まだ家主が信用に足る人物と認めていないのかもしれない。




