第1話 獄中都市
近年、犯罪者が増え、各地の刑務所の収容人数を越える事が目前に迫っていた。
そこで法務省が発表したのは、態度の良い模範囚のみを収容する場所―――『獄中都市』だった。
都市の周りは海に囲まれており、尚且つ海流が激しい。
万が一、その荒波を越えたとしても、十メートルに及ぶ絶壁を登らない限りは本土に辿り着く事はできない。
本土との移動手段は跳ね橋の一カ所のみ。物資や人の輸送時以外で、その橋が架けられる事はない。
所謂、陸の孤島であるその場所は、刑務所の代替地としては最適の場所だった。
獄中都市に収容される受刑者には、五畳ワンルームの部屋が無償で提供される。
しかし、食料は自分で調達する必要がある。つまり、働かざる者食うべからずという事だ。その点は、一般社会と変わりない。
金を手に入れるためには、指定された刑務労働をきちんとこなすしかない。勤務態度が良くない場合は、当然刑務所に逆戻りだ。
それ以外には週に一度刑務官と面会し、定期報告をしなければいけない。これを守らない場合も刑務所に引き戻される。
タバコやギャンブルのような嗜好品や賭け事等は禁止されているが、それ以外は基本自由だ。
もちろん刑務所として機能しているため、刑期の期間をそこで過ごせば出所する事ができる。
そのため獄中都市で過ごしたくて犯罪を犯す人もいる。獄中都市自体の見直しは検討すると言われているが、議論は進んでいないようだ。
しかし、獄中都市の存在によって人々の棲み分けがされていて良い、という意見もある。犯罪予備軍が収容されることで、市民が安心して暮らせるのである。実際、本土の犯罪件数は減少傾向にあった。
だが、獄中都市には犯罪者にとってメリットは多いが、デメリットもある。
それは、獄中都市に移住した者には磁気ネックレス、通称首輪の装着が義務付けられる。
これは強力な素材でできており、首でも切り落とさない限りは外れない仕組みになっている。
つまり、服役後もその首輪を外す事はできない。
更に首輪の内部にはGPSが組み込まれ、常に警察の監視下におかれる。
一般社会に復帰したとしても犯罪者だと一目でわかるため、周りから冷ややかな目で見られる事になる。
人付き合いもできず、仕事も決まらず、社会的迫害をされるケースが多々報告されている。獄中都市にいるより不自由な生活を送る事になるため、再犯する犯罪者が増えている。
そういった背景もあり、服役後も獄中都市にそのまま留まる人も多い。
社会のバランスを重要視する政府は、そういった人間がいることを知りつつも黙認しているのが実情だ。
結果として、獄中都市の人口は増加傾向にあった。
◆
大学の掲示板を眺めては溜め息をつく。
卒業まで残り半年程だ。そろそろ将来について考えなければならない時期だ。
並べられていた求人の中で良さそうなのは、大学の職員くらいだ。
だが、好待遇の代わりに採用条件がかなり厳しい。
二年間大学に通い、単位を落としてはいけない。その上、無遅刻無欠席のオマケ付きだ。
追加で予備員として二年間の労務が課されるが、今より広い部屋を支給され、給料も高額だ。
今のところ単位を落としてはいないが、無遅刻がアウトだ。
また明日考えよう。
女子大生の清水美幸は考えるのを先送りした。
清水は大学に通い始めて二年目になるが、彼女は世間一般の女子大生とは一線を画していた。
三年前に施行された少年法の改正により、十八歳以上にも懲役刑が科されるようになった。
おかげで今年二十歳の清水も獄中都市に送還される羽目になった。
獄中都市の大学は一般の大学とは違い、職業訓練学校としての位置付けである。
選択科目として大学のような専門的な授業を受ける事も可能だ。
清水は大学に一年半通い続けているが、そのような授業を受けた事は一度もない。
二十五歳以下は獄中都市内の大学に無条件で通うことが許可される。代わりに指定される仕事は簡単な刑務作業のみに留められる。
社会復帰をしやすくするための措置だろう。
重労働を避けるために渋々通っているが、授業自体は非常に退屈なものであった。
真上に昇る太陽がじりじりと地表を燃やす。
帽子を深く被り、陽射しを遮るも全く効果を成していない。
首輪に汗が溜まる。鬱陶しいといったらこの上ない。
この後の予定もないので、清水美幸は仕事に向かうことにした。
汗を滲ませながら彼女は街で唯一のスーパーを訪れる。
ようやく目的地に到着すると、冷気が彼女を出迎えてくれた。
涼みながら、どれにしようかと商品を見定める。
ロールパンの六個が四円、おにぎり一つで三円だ。弁当は七円だった。
ここで過ごしている限り、稼いだお金は食事や日用品にほとんどが消えていく。
財布の中には二円しか入っていなかった。最近仕事をしてなかったので、ほとんどお金が残っていない。
暫く物色した後、清水は何も買わずにスーパーを出る。
再び猛暑の中歩いていると、すれ違う男性にぶつかる。清水は小声で謝ると、軽く頭を下げた。
相手に舌打ちをされたが気にしない。
足早に路地を曲がり、その場を離れる。男が追いかけてきていない事を確認すると、戦利品を確認する。
ズボンのポケットに財布入れてるなんて、スッてくださいと言ってるようなものである。
中身だけ抜き取ると、財布をゴミ捨て場に投げ入れた。
財布には四十円が入っていた。そこそこの成果だった。
その手癖のせいでこんなところに来る羽目になったが、獄中都市でもその手を休めることはなかった。
獄中都市は刑務所より時給が低い。
自由を与えられている代わりに、必死に働いても大した額は稼げない。体力仕事を一時間こなしても十円かそこらだ。
簡単な刑務作業しかしていない清水は、それよりさらに薄給だった。
それでは一日二食しか食べれない。それに、好きな物も食べれない生活を送らなければいけない。
つまり、汗水垂らして稼ぐより、スリで生計を立てた方が効率が良いのだ。
本来であれば夜に活動したいところだが、昼間に働く理由がある。
夜になると受刑者同士のいざこざが増えるので、パトロールする刑務官が増える。
捕まるリスクを考えると昼間の方が安全というわけだ。
現に何度も仕事をこなしているが、今のところ捕まった事はない。
清水は上機嫌に歩いていると、突然後ろから肩をガシッと掴まれる。
その手の先には、先程の獲物がニヤけた表情を浮かべていた。
「スリの腕はなかなかだが、残念だったな。俺も同業だ」
男は清水の学生証の入ったパスケースをかざしながら告げる。
いつスられたのか全く気づかなかった。
確かトートバッグに入れていたはずなのに。
「このまま刑務官に突き出してやろうか」
「待って…!」
男は清水をじりじりと路地裏に追いやる。
「お前の行動次第では刑務官に言わないでやらないでもない」
「行動?」
舐め回すように清水の身体を見つめると、男はベルトを緩め始める。
「わかってんだろ?」
荒い息遣いで清水に迫ると、彼女の両手首を掴む。抵抗するが、全く解ける様子がない。
「たす…」
「助けを求めてもいいぞ?そうなったら、お前の刑が追加されるだけだ」
男は耳障りな声で囁く。
獄中都市で再犯を行った場合、刑務所に連れ戻された上に、刑期が延長される。
本当にまずい事になってきた。
どうする?
この男にいいようにされるくらいなら、助けを求めるべきか。迷っている暇はない。
清水は覚悟を決め、声をあげようとした時―――
「せいぜい楽しまぁざら%ぢぃ&ば#…」
男の眼が徐々に赤く染まり、顔には血管が浮かび上がる。
悍ましい顔となった男が大きく口を開く。
その瞬間、男の顔がひしゃげるように曲がった。男は横に吹き飛ぶと、ビルの壁にぶつかり倒れ込む。
「大丈夫か!?」
そこには鉄パイプを持った男が立っていた。