第11話 獄中大学 (1)
目的地が決まったので図書館を後にする。
外に出ると、纏わりつくような熱気が身体を覆う。太陽はまだ高く、夏の暑さはまだまだ健在のようだ。
一足先に出ていた成瀬は車のバックドアを開け、物置スペースに頭を突っ込んでいた。
「何してるの?」
中を覗くと梯子やデッキブラシが置いてある。元々使っていた用具をそのまま車に乗せていたのだろう。
「いや、何か使えそうな物はないかと思って」
さっきの例もある。思いも寄らない所からゾンビが出てくるかもしれない。その時、武器として使える物が有るか無いかは、かなり大きい。
清水も一緒に探してみるが、大した物は見当たらない。強いて言うなら工具箱の中にあった電動ドリルくらいだった。
しかし、これがあったところでゾンビから身を守れるとは思えなかったので、そのまま工具箱に戻した。
「これならまあ使いようはあるか」
成瀬からガムテープを渡される。
「使える場面は限られるけど、何かの役に立つかもしれないから」
「ありがとう」
「もっと良い物があれば良かったけどな」
薬師寺と只野は図書館にあった水や缶詰を車に運ぶ。
残り時間を考えると、全て持って行く必要はない気もするが、有るに越した事はないだろう。
成瀬は車に積んであったデッキブラシを薬師寺に手渡した。
「薬師寺さん、これを。無いよりマシですし。あなたなら使えるかと思います」
「あ、ありがとうございます」
清水ほど小柄な女性なら長さのあるデッキブラシは足枷となるが、男性かつ身長もある薬師寺なら扱えると考えたのだろう。
出発準備を整え、成瀬は運転席に乗り込む。運転は引き続き地理に詳しいから、と彼が引き受けてくれた。
薬師寺は街から歩いて図書館まで来たようなので、そのまま車に同乗する事になった。
助手席には変わらず清水、二列目に只野と薬師寺、最後列に湯村が座った。
滑らかに車を発進させる。周囲を警戒するが、まだこの辺りを彷徨うゾンビはいないようだ。奴らの行動範囲は狭いのかもしれない。
畑が続く道をひた走るなか、薬師寺が静かに話し始める。
「あの、さっき話しそびれたんですが、ここの伝承について気になる事がありまして…」
「ここに調べに来たっていうやつですか?」
清水が後ろを振り返ると、薬師寺は頷く。彼の真剣な眼差しに、重要な話である事は分かった。
「その昔、この土地には豊作の神として崇められていた穀土様という存在がいたそうです。農作物が不作に終われば、村民は貧しい生活を送る事になります。だから、豊作を願って新鮮な野菜や鶏を穀土様に供えていたそうです。ですがある時、日照りが続いて不作の年が続きました。これを穀土様の怒りだと考えた村民は、若い女性も供物の一つとして捧げたそうです」
「供物って…その神様はいないのにどう供えるんですか?」
清水は思わず疑問を投げかける。
「この島の南端に穀土様の祠があるらしいです。だから、供物として選ばれた女性は穀土様から見えるように、その傍にある崖から海に身投げをしていたそうです」
「ひどい…」
いもしない神のために命を捧げるなんて馬鹿げている。
「昔から自給自足で生活するような閉鎖的な村だったからこそ、生まれた伝承かもしれないですね。でも、供物をどれだけ捧げても日照りは収まりませんでした。そして…さらなる穀土様の怒りがこの地に降り注ぎました」
薬師寺は話すのを止めた。話す事自体を躊躇っているようにもみえた。
ここまで話して引き下がれないと感じたのか、ようやく重たい口を開いた。
「突然、村の人の中で真紅に染めた眼を持つ者が現れたそうです。物を壊してまわったり、牛や豚の家畜を食い殺したりしたそうです。穀土様が舞い降りたとされましたが、次第に赤い眼を持つ人が何人も現れ、村は壊滅状態になったと言われています」
話の中に出てきた真紅に染めた眼。それは今日、散々見てきたものだ。
「それって…」
「はい、ついさっき見たアレが穀土様の姿なのかもしれません」
「あれが神様だっていうの?ただのゾンビじゃない」
前を向いたまま、成瀬が会話に加わる。
「なるほど。もしかしたら政府は不自然に壊滅した村を調べたのかもしれないですね。そして、それは穀土様なんかではなく、ウィルス感染者だと分かった」
「著名な黒岩先生がこの地にいるのは、そこも関係しているのかもしれないですね」
黒岩がこの島にいる、という事に合点がいく。有名な学者がこんな島に移住するには充分な理由だろう。
「でも村の人がもういないなら感染しないんじゃ…。それに元々シーズウィルスは人には感染しないって話じゃなかった?」
「昔の集落なら家畜を捌いたり、世話をする事はあっただろう。血液や汚物の処理をしている中で、ウィルスが変異して人に感染したのかもしれない」
「じゃあ、ここに獄中都市を作った時から、ウィルスに感染するリスクはあったって事?」
「恐らく。でも、これで刑務官達の動きが速すぎたのも頷ける。彼らは知っていたんだ、この土地のリスクを」
「なんでそんな場所に獄中都市を作ったんだろう…」
「さあ、他にいい場所がなかったか、シーズウィルスが猛威を振るう可能性は低いと考えたのか」
フロントガラスから見える景色が、人工物が織り成す物へと変わっていく。
「さあ、お喋りはそろそろ終わりだ。街に入るぞ」
暫くすると見知った道になるが、相変わらずゾンビばかりが歩いている。
中には知った顔もあった。今すれ違ったのはスーパーの店員だ。歯が何本か取れ、左腕がひしゃげている。誰かにやられたか、ぶつかったかしたのだろう。
生前は優しそうな人だったのに、と同情する事しかできなかった。
緩やかな坂道を上がっていくと、つい三時間前に訪れていた校舎が見えてきた。
ここは森を切り開いて建てられた場所で、三方向を木々で囲まれている。
整備されている道は南側のこの道しかない。敷地内には小さな畑もあり、加えて家畜も飼われている。それらも職業訓練の一環として使われていた。
動物から人に感染するリスクがあるなら、学校内の動物に近づくのは危険だ。
道の途中にある駐車場を通り過ぎた。建物のギリギリまで車で行くつもりなのだろう。
獄中大学には職員も含めて多くの人が集まっていたためか、思っていたよりウィルスに感染した人が多い。
このまま降りれば、そのタイミングで奴らに襲われる可能性がある。成瀬は舌打ちをすると、バックして迂回し始める。
大学は三階建ての東館と西館の二つの棟に分かれている。東館に講師の部屋があるが、どうやら西館側に車を向かわせているようだ。遠回りになるが致し方ないだろう。
西館の裏手側にまわる。こちらは牛や豚の飼育小屋があるが、掃除の時間など決まった時間以外に人がいる事はほとんどない。
それに小屋の前を通らず館内に向かう事はできる。近くを通らなければ、ウィルスに感染するリスクは低いだろう。
人影が無い事を確認し、成瀬は車を止めると車窓を開けた。ゾンビの声や足音に耳を澄ます。音がしない事を確認し、車から降りた。
だが、ただ一人、湯村が降りてこなかった。見かねた成瀬が声を掛ける。
「湯村さん、どうしました?」
「私は行かない」
彼女は窓に顔をつけたまま動こうとしなかった。この数時間で疲労が顔に色濃く出ている。腕を怪我したのもあるだろう。血は止まっているようだが、かなり痛々しい。
最初に会ったきらびやかな印象は、今や見る影もない。
「もう行きたくない」
「でも、ここに残っているのだって安全とはいえません」
成瀬が説得するも、彼女は聞く耳を持とうとしなかった。
ここでゾンビに囲まれれば、身動きが取れなくなる。さらにここに戻ってきた時、ゾンビに出くわすリスクも高くなる。
どうしたものかと頭を悩ませていると、只野が口を開いた。
「なら、私も残りますよ」
驚いた。
彼がそんな事を言い出すとは思わなかった。もっとドライな人間だと思っていたからだ。
彼女と過ごして情でも湧いたのだろうか。
「…わかりました。では、僕らで見てきます」
成瀬は納得はしていないようだが、ここで言い争っても仕方がないと判断したようだ。
三人で東館に向かう事になった。