『生きる』こと
若き日の私は歩いていた。
行く当てもなく十二月半ばで小雪がちらつき、風がごうごうと吹いている中だった。
私の二個下の妹と喧嘩をしてしまったのだ。
そして、
「私は『生きて』いたくない。」
「生まれてこなければよかった。」
など考え、薄手の服のまま上着も着ずにぶらぶら歩こうと家を飛び出してきたのだ。
少し歩くと向かいから冷たい風が私の頬に触れた。
風が止むまでじっとするかと思い、風に当たらぬよう妨げる建物を探し、うずくまっていた。
それでも一向に風は止まぬのでぶらっと草むらの中を通り、馬へ会いに小屋へ行ってみる。
その馬は私が生まれるより前から其処に居た。
その馬は私が
「おーい。」
と呼ぶとびくっとしてから此方に向かってくる。
その馬にそこら辺に生えている野草を千切り、食わせる。
食わせるとき、馬の歯が見え少し怖い。
だが、小さい頃に祖父と此処に来ると必ずこのように馬に野草を食わせていたので、なんとなく食わせる。
そして、そぉっと鼻の頭を撫でる。
すると、小屋の中にある餌が私の手に着く。
でもあったかく、湿っていて心地よい。
嗚呼、この馬も『生きて』いるのだ、そう思った。
その時、こんな声が聞こえた気がした。
「『生かさてれている』だけさ。」
その言葉を聞き、一瞬戸惑ったが数秒後に理解した。
この馬は生きてはいない、人間の手によって『生かされている』だけなのだと。
『生きて』いる馬はこんなところに閉じ込められて、人間に餌をもらって過ごす一生を過ごす訳がない。
自分の足で駆け回り、自分で野草を食う、そんな一生を過ごすのだ。
そこでふと思う。私は『生きて』いるのだろうか。
この馬と同様、『家』という小屋で『親』という人間に『生かされて』いるだけなのではないか。
そう思った。
すると
「お前は『生きられる』。」
ハッキリとそう聞こえた。
「っ…!」
そうだ。私はこの馬と同じじゃない。
成長すれば、私は『生かされる』のではなく一人で、自分で『生きる』ことが選べるようになる。
そのことを馬は私に伝えようとしてくれたのだろうか。
お前は、自分と違い選択が出来る。
だから後悔が無いよう、『生きろ』。
そういうことなのだろうか。
そう考えるだけで胸が温かさでいっぱいになる。
嗚呼。私はまだ『生きて』いないから、こんなところでやめたらダメだ。
ここから『生きる』のか、『生かされる』のかを決められるんだ。
こんなところで立ち止まっていちゃいけない。
という思いになれた。
私は馬に感謝を込めて野草を食わす。
今度は怖くなかった。この馬は私を励ましてくれた。
「ありがとう。」
そう言い鼻の頭を撫でる。
馬は私の言葉を分かっているのか、一回頷き小屋の中にある餌のところまで戻っていった。
帰り道、小屋に行くまでに付いた引っ付き虫を取っていると、風がびゅううと強く吹いた。
私にはその風が
「早う帰ってやることを見つけなさい。」
そう言っているように思えた。
私は笑いながら
「分かっているわ!急かさないで頂戴!」
と言いながら走って帰った。
あれから十年。
私は成人し、一人で『生きられる』歳になった。
今は一人暮らしをしている。
あの馬はもういなくなったが、私はあの言葉を絶対に忘れない。
そして一歩ずつでもいいから進んで、
『生きて』いくのだ。