松尾君は絶対勘違いしています①
松尾君は絶対勘違いしています①
作品を読むにあたっての注釈
この作品の章の順番と時系列は一致しておりません。
バレンタインと中村芽衣参上は、これから始まる本編よりも未来の話です。
今後、始まる本編と、更にまだ書いていない章も含めて時系列を下記に記します。
ご参考まで
1)松尾君は絶対勘違いしています
↓
2)専業主婦は見た!
↓
3)僕たちのサボタージュ
↓
4)St.Valentines Day
↓
5)中村芽衣、参上!
↓
6)First Kiss
2)3)6)はこれから書く内容で、また章のタイトル等は今後執筆の際に変更が入るかもしれません。
また、今回追加で書いている部分において、既に書いたバレンタインと参上の部分と前後で矛盾が生じるところが出そうでした。
ですので、全体を書き終えた上で、バレンタインに一部修正が入るかな?たいした部分じゃないのですけどね。
それでは、本編をお楽しみくださいませ。
汪海妹
松尾俊之
あれは中学3年生の頃、まだ部活が終わっていなかった時、練習の後、部室で着替えるのが面倒くさくてコートの隅っこに座り込んで数人とだらだらとしていた。僕の所属していたテニス部のコートから、体育館の出入り口が見えた。女子バレー部がゾロゾロと出てきた。真ん中にジャージ姿の春菜が見えた。
そのまま校門に向かって歩いてゆく。しばらくしたらもう一人、体育館からぴょんと出てきた。
「春菜ちゃーん」
ぴょんぴょん飛び上がるようにして手を振っている。少し先を進んでた一団が立ち止まってそちらを見る。嬉々とした様子で彼女がかけていく。一緒に並んでその様子を見ていた部活仲間がぼそっと言う。
「ほんっと中村って春菜のこと好きだよな」
「うん」
そして、男たちで特に他に見るものもなかったのでその少し離れたところにいる女子バレー部の一団を見るとはなしに見ていた。手前で待っているバレー部の奴らに比べて、小柄な中村芽衣がてててててとかけていく。
「中村って犬みたいだな」
「それは、小型犬か?」
「そうだな」
「うん」
傍で部活仲間がそんなことを言っている。すると、トイプードルみたいな芽衣が……
「あ」
「うそ、まじ?」
ちょっと芽衣と言って、少し離れたところにいた春菜が自分の荷物を傍の奴に持たせると芽衣に駆け寄る。
「このくらい大きくなっても人間ってこけるんだな」
「すげーこけ方だったな」
春菜が近寄り、他のメンバーも近寄る。倒れたままだった芽衣が顔を上げる。転んだくせに砂まみれな状態で笑ってた。笑ってる芽衣を立たせて、何か口々に言いながら複数人でバサバサと芽衣を叩き、体から砂をはらっている。
「もうそろそろ帰ろっか」
「だな」
やれやれと立ち上がる。みんなで少し離れた部室へと向かいながら、
「それにしてもすげえこけ方だったな」
「しばらく忘れられなさそう」
芽衣がこけた話はしばらく続いた。
***
それは僕しか知らない密やかな習慣でした。なんでかよくわからないのだけど、気がつくと芽衣のことをよく眺めている。とある授業中には、僕の視線の先で、芽衣は僕に眺められているのなど知らずにシャーペンの芯を替えている。ところがカチカチとノックしても芯が出てこない。そこで、シャーペンを持ち上げて下から覗いてる。
「何やってんだ?」
思わずぼそっと呟いてしまった。前を向いて授業を聞いていた隣の席の女の子が僕の方をチラッと見る。僕は教科書を前に立てその影で机に伏せて、そして、自分の腕の向こうに芽衣を覗き込んでたのだけど、その視線を外して黒板の方を見た。しばらくそうやってやり過ごした後に、もう一度そっと芽衣を見る。彼女はまだ性懲りも無く、出てこないシャーペンの芯を出そうとして、下から覗き込んでいて、突然そのシャーペンからバラバラに砕けた短い芯のかけらが飛び出してきて、彼女の顔にあたった。
「あたっ」
ぷっと笑ってしまった。すると、また隣の女の子が僕の方を見る。僕はまたそっと前を見た。
その日の放課後、教室の床に水色と白のマーブル模様の細いシャーペンが落ちていた。拾い上げるとそれは思ってたより重くて、そして、冷たかった。
ガラリと教室のドアが開いて、芽衣が入ってきた。自分の机のところに行って何かガサゴソと探してた。
「これ、探してる?」
「あ」
「床に落ちてた」
「ありがとう。松尾くん」
僕はその水色のシャーペンが芽衣のものだと知っていた。彼女は近づいてきてそれを僕から受け取ると、また、カチカチとノックして芯を出そうとする。
「買い換えたほうがいいんじゃない?」
「え?」
「いやなんでもない。じゃあね、バイバイ」
「バイバイ」
彼女と入れ違いに教室を出る時振り返ってみると、彼女はまだカチカチとシャーペンをノックしていた。長い少し茶色がかった細い髪。その後ろ姿をしばらく見ていた。
他の女の子と芽衣の何が違うのか自分でもよくわからないのだけれど、ただ、芽衣を見るのは飽きなかった。くしゃみをしていたり、寒いなと身を縮こませて腕をさする様子。春菜たちについて歩いている後ろ姿。体育の時にいつもはおろしている髪を無造作に上にまとめている様子。
気がつくと芽衣を目で追っている自分を、ある日、発見した。
何かおかしいなと思う。
どうして芽衣だけはほって置けないのだろう。気づくと見てしまう。
どんな角度から見ても、何をしていても、芽衣は見事に芽衣だった。なんだか彼女らしい何かが視線の先にいつもあって、見ているとほっとした。そんなことは他の女の子を見ていても起きない。
僕は自分のその感情を自分で持て余してました。
その感情に何か名前とか形とかを与える気になれなかったんです。
そして、僕のその密かな楽しみのようなものは、卒業式を迎えて終了した。
葛藤がなかったわけではない。このままいくと会えなくなる。そこに葛藤がなかったわけじゃない。ただ、それは慣れない出来事で、僕にはその慣れない感情に名前とか形を与えて前に進んでいくような勇気はなかったんです。僕はそんなに器用な人間じゃない。
なんとなくぼんやりと思っていた。今は僕を悩ませるそういったものも、会えなくなって時間の経つうちにそのうち小さくなって消えてなくなるんじゃないだろうか。
春になって雪が溶けてなくなるように。
***
そして、春休みが終わり、僕たちは新しい制服に腕を通して、高校生になった。待っていたのは悲しかったり、痛々しかったりする毎日では全然なく、ただ、どこまでいっても退屈で平凡な毎日でした。
同じ中学から上がった奴らもいたけれど、大半は他中から入ってきた奴らで、色々な見知らぬ同世代の男女に囲まれ、本来ならウキウキしたりワクワクしたりする頃なのかもしれない。だけど、見事にその中に芽衣のような女の子はいませんでした。僕が思わず視線を送ってしまうような。綺麗は綺麗、可愛いは可愛い、でも、新しい学校の女子たちの中に、強烈な何かはなかった。
そんなある日、家に帰ろうと思って下駄箱を開けて、靴を取り出すと靴と一緒に何か紙切れのようなものがひらりと落ちた。
「お、何これ」
一緒に帰ろうとしていた圭介が拾った。残念なことにそれは、封筒に入れられていたとかそういうことはなく、A4のノートの用紙を破って四つ折りにされただけの紙だったので、あっさりと開かれてあっさりと中身を読まれた。
「屋上に来てくださいって書いてあるぞ」
「え、うそ。見せて、見せて」
拾った圭介と浩史が奪うように覗き込んで見てる。
「返せよ」
学生鞄を肩に担ぎ、もう一つの手を伸ばして返却を要求する。
「井上」
「井上ってどの井上?」
「え、何人も井上っていた?」
「ああ、わかんねぇ」
入学してからそんなに時間が経ってなくて、同学年の名前と顔が一致していない。それどころか、男なのか女なのかもわからない。
「返せ」
いつまで言っても返さないので、取り上げた。紙はぐしゃぐしゃになったが、破れはしなかった。くだんの紙を覗き込む。屋上に来い、いや、来てください、井上としか書かれていない。
「俺、なんか、まずいことでもやった?」
「何を言ってるんだ」
したり顔で圭介がぽんぽんと僕の肩を叩く。
「よく見ろ」
「何を?」
「これは男の字ではないだろう?」
「はぁ……」
そう言われれば、サラサラと弱々しい。
「女から呼ばれたら、もう、あれしかないだろう」
「あれって何?」
浩史が興味津々に尋ねる。
「そりゃ、あれはあれだろ。な、トシ」
「めんどくさいなぁ」
「な、なにを?」
圭介は、あともう少しで鞄を取り落としそうなくらい愕然とした。
「俺らなんか、これから高校3年間をここで過ごしてもおそらく訪れることはないかもしれないようなイベントを前にして、トシ!」
「なんで、屋上なんだろ。靴、履いちゃったんだけど」
靴を履いてそのまま家に帰る途中に行けるところにして欲しかったな。
「まさか、行かないなんてことはないだろうな!」
「字の綺麗な男からの手紙で、なんかややこしいことになってたらやだし。行く」
「ええっ」
しょうがないので、一度履き替えた靴をもう一度内ばきに履き替えた。
「先に帰ってて」
「ついていかなくていいのか?」
「は?」
ちょっと考える。字の綺麗な男からの手紙で、自分ではよくわからないけど、何か地雷を踏むようなことをしていて、複数人にいきなりボコボコにやられるとか?
……
「どう考えても、再起不能になるまで殴られるほど酷いことをした覚えもないし、俺、そういうキャラじゃないんで、帰ってもらって結構です」
「後で、報告しろよ」
「はいはい」
登校口に彼らを残して歩き出す。屋上って、よく考えたら複数あるんじゃないの?どの屋上だよと思いながら。
「今日中に報告しろよー」
「ああ、はいはい、わかった」
後ろを振り向かずに背中で手を振って離れた。
その屋上は、俺ら一年生の教室のある棟の屋上でした。適当に当たりをつけて上に上がってみると、スカートを履いた学生が僕に背を向けて校庭を上から眺めてた。長い髪が風にはためいてました。
これで、振り向いて、でも、そいつはカツラをつけて女装した男子だったってオチはないだろうなとふと思う。
「あのー」
いつまで経ってもあっちを向いているので、背中から声をかけた。すると女子が振り向いた。
「えっと、井上さん?」
「こんにちは」
「どうも、こんにちは。あの、なんですか、用って」
靴箱に入れられていたノートの切れ端を片手に持ちながら、聞いた。彼女はこちらに向き直ると、落下防止用に少し高めに作られている屋上の壁のへりに両腕をのせ、背中を壁に預けながら僕をまっすぐに見た。髪が風になぶられるのをモノともせずに。
「松尾君って彼女とかいるの?」
「いいえ」
「じゃあ、わたしが付き合ってあげてもいいわよ」
「……」
非常にカルチャーショックを受けました。なんというか、うまく言葉に表せませんが。
「せっかくですが、結構です」
「はぁ?」
「え……」
井上なにがしは、突然甲高い声を出した。尻尾を踏まれた猫のように。
「なんで断るわけ」
「いや、よく知らない人なので」
下の名前も知りません。
「それは理由にならないわよね?」
「え、そうなの?」
「お互いに知らないのなら、付き合ってこれから知り合えばいいでしょ?」
「……」
彼女はそういうと、後ろの壁のへりにのせていた腕を片方下ろすと、手のひらを天にむけ、それを僕に向けて差し出してくる。その時、確かにその通りだと思ってしまった。次の瞬間に、なんだかまずいなと思う。何がって、そうだなぁ。
明らかにこの人、なんというか、妙な説得力と存在感がある女の子なんですけど、僕はこういう女の子が非常に苦手です。ものすごく一方的だし、うまく逃げなければ捕まって、永遠に馬車を轢かせる馬のように利用されそうな気がする。野生の本能が告げている。逃げろ。
世の中の一部の男子を除き、大抵の平凡な男たちが望むのはシンデレラに出てくる、まんまシンデレラな女の子であり、シンデレラの姉たちのどちらかでは決してないんです。
「なんで、よく知りもしない俺のことを捕まえてそんなことを言い出すんですか?」
「そりゃ、あなた」
パッともう片方の腕を壁から離すと両手を合わせてニコニコと笑みも満面に近寄ってくる。急に近寄られてちょっとビクッとした。
「顔」
「へ……」
「この高校に入学してから、ざっと男子の顔を見たけど、松尾君が一番整っている」
「……」
「あなた、磨けばもっと上をいくわよ」
それはもう、告白をしている女子というよりは、芸能人をスカウトしようとしているやり手の女社長にしか見えなかった。井上なにがしは社長っぽいぞ。本当に女子高校生か?
「あの、すみません。無理です」
「だから、なんで?」
その時、いろいろな意味でカルチャーショックを受けて、機能が低下していた自分の脳みそが再度動き始めた。告白を無難に断る定例文句はなんだ?
「俺、好きな子いるから」
「付き合ってるの?」
「へ……」
「なんで付き合わないの?」
「……」
なんで、付き合わないんだろう?
というか、俺の好きな子って誰だ?
その時、ふと、芽衣の顔が浮かんでしまった。シャーペンの芯を顔にうけて、びっくりしている芽衣の顔が。この、井上なにがしの急襲をうけて、望むと望まざるに関わらず、僕の名前と形を与えられずにいた感情にそれが与えられてしまった。
「その……」
「まぁ、いい」
井上は、片手をあげて自分の長い髪を上から下へ一つにまとめて片方の肩に垂らした。それから両腕を組むと少し斜めに構えて僕をきっと見た。
「とりあえず、保留で」
「は?」
なくならないんすか?ポカンとした僕の前で井上はくいと横を見て片手を顎にあて上目遣いに空を眺める。
「別にわたしも、松尾君一筋でどうのというわけでもないし」
「はぁ」
「3ヶ月の猶予をあげる」
「……」
「3ヶ月後にお互いどうなっているかわからないけど、その時にまた話せばいいわ」
そして、彼女は僕の目の前で腕時計を見た。
「じゃ、帰る。こう見えてもね、忙しいのよ、わたしも」
そう言って、本当に下に置いてあった鞄を取り上げてドアの近くにいる僕の横をすり抜けようとする。しかし、僕の傍でふと歩みを止めた。その時、なんだか甘い香りが彼女からした。彼女は間近で僕を見上げると、僕を人差し指で指差しながら言う。
「いい?松尾君」
「なにが?」
「3ヶ月でものにできなかったら、それはもう見込みがない、あきらめな」
「え……」
「失恋決定。一生かけてもうまくいかないから」
そして、颯爽と僕の横をすり抜けて階段を降りてゆく。なんだか後ろ姿が凛々しかった。よく知らない女の子から、とある高校入学から間もない日に、呪いのような言葉をかけられた。失恋決定。
その日、ものすごいショックを受けて帰り道を辿った。バス停まで辿り着き、いつもなら奴らと座る座席に1人ですとんと腰掛けた。背もたれにもたれ頭まで寄っ掛かり、軽く目を閉じてしばしそのままでいた。何にショックを受けたって、僕の拙い一般常識からいって、なんというか、告白というのはもう少し、もう少し……、なんというのだろうな?情緒があるというか、なんというか……。
がたがたがた
しばし、バスのゆく音をただ聴く。
ビジネスの交渉みたいだったんだよな。あんな前向きな人、見たことない。
彼女として、あんな怖そうな人、絶対やだ。だけど、別の意味で感服したというか、立派な人だった。妙に説得力あったし。
立派な人だった……?過去形にしていいんだろうか?3ヶ月後にどうのと何か言っていたような……。
なんかよくわからないけれど、結局、めんどくさいことに巻き込まれている気がする。
はぁ〜、ため息が出た。すごく疲れた。バスの椅子に浅く座る。ぼうっと窓の外を眺める。そして、井上なにがしと付き合って横にいる自分を想像してみる。丸い小洒落たガラスのテーブルの横に井上が偉そうに座っていて(サングラスをかけている)、僕が、ゴージャスな飲み物(上に果物とか飾ってあるようなやつ)を、運んでいた。なぜか、執事のような黒いタキシードを着ていた。
明らかにこれは彼氏と彼女ではなく、女主人と召使である。
ぶるぶるぶると頭を振る。
いやだいやだいやだ。そんな、奴隷な人生。
はぁ〜、もう一度ため息が出た。
電車の座席の窓枠のあたりに頭を預ける。飛び去ってゆく風景を見るとはなしに眺めた。その時、ふと、なんとなく、芽衣と僕が二人でいる様子を思い浮かべた。
その時、確かに、僕の脈は速くなった。
芽衣と二人きりでいる様子はうまく思い浮かばなかった。二人きりでいたことがない。教室でたまたま一瞬とかいう以外は。すぐ隣に並んで歩いたら、あるいは、どこかで二人っきりで向かい合って座ったら、彼女は僕にどんな顔をするのだろうか。
彼女の顔は想像がつかなかった。だけど、自分がどんな顔をするのかはわかった。僕はただずっと飽きもせずに芽衣を眺め続けるだろう。彼女が何をしていても、僕は彼女を眺めているとほっとする。こっそりと眺めるしかなかった彼女の様子を独り占めして眺められたら、きっと僕はそれだけで満たされるだろう。幸せなんだと思う。
僕の名前をつけられなかった感情はゆっくりと時間をかけて、一つの形をとった。それは不器用な僕が紡いだ、初めての恋心。