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First Kiss⑩













   First Kiss⑩













ここから視点を元かえるのトシ君に移します。


その時、僕は、どうかしていた。体がだるかったんです。これはほんと。でも、体はだるいんだけど、心はその真逆で、人間に戻れて有頂天だった。で、そんなふわふわした浮かれた心で、芽衣にダメもとでわがまま言った。


普段の自分にはそんな勇気なかったと思う。


あの、2階のカフェで再会してから、ゆっくり、ゆっくりと近寄ってきた芽衣は、それでも、どこかに近寄りがたさを持っていて……。とても普段の状態では、キスさせてなんて気軽に声をかけられるはずがない。

どうかしてた勢いで、試しに言ってみたら、さっさと済ませろと。自分の腕の中で目を閉じた芽衣ちゃんをみて、マジかよと思いました。

その次にまぁいいかと思った。その時の自分はふわふわとしてていい加減でしたので。


これは、突然カエルになってしまうなんてひどい目にあったことに対するご褒美というわけでもないんですが、なんだろ?償い?


簡単に済ませろと言われ、恐る恐るとそっと、ちょっとだけ、芽衣に触れた。頭の中ではもう一人の自分がやっぱりまぢかよと叫んでた。何が何だかわからないくらいドキドキしてた。


そして、その次の瞬間に芽衣が、目を開けて突然滝のように涙を流して泣き始めたので、本気で、肝を冷やしました。一瞬にして体の熱が下がったというか……。


やべ、俺、やってはならないことを調子に乗ってやってしまった。血の気が引いた。


「ごめん、やっぱりやだった?」

「違う」

「え、違う?」


持っていた傘を地面に放り出して、芽衣が俺に抱きついてきた。


「怖かった」

「怖かったって何が?」

「トシ君がいなくなったらどうしようって怖かった」

「……」

「死んじゃったかもって思って」


そのまま、小さな女の子が泣くみたいに俺の腕の中で芽衣は泣いていた。


「ごめんなさい。心配かけて」


カエルの俺と再会してから、ずっと優秀な事務員のように冷静で無駄のなかった芽衣ちゃんが、子供みたいに泣いている。それが、自分にとってはなんというか、少しの驚きでもあり、また、静かな感動でもあった。


自分が想われているとか、そういうことに対する純粋な喜びとか、そういう要素もないわけではなかったけど、それだけではないんです。


なんというか……


「芽衣が……」


その言葉を口にして芽衣に言おうとして、やめた。その代わりに自分の心の中でつぶやいた。


芽衣は自分にとってもっと、独立した人でした。芽衣は確かにしっかりとした壁を持っていて、俺をそこから中へ入れるまいとしてましたから。出会った頃の芽衣はそうだった。

こんなふうに、弱い自分をそのまま誰かに見せるような人では決してなかったんです。自分の剥き出しの感情を他人に見せるような人では。


想われているということによりも、その素顔を晒すほどに芽衣が僕を内側に入れたということに僕は感動していた。その気持ちは入れてもらった僕の喜びに対してではなく、そこに人を入れることができた芽衣に対して向いていました。


「ごめんなさい。心配させて」

「心配なんてしてません」


しばらく経つと、泣き止んで、いつもの可愛くない芽衣ちゃんに戻ってしまった。体を離して自分の服の袖で顔を拭うと、傍に落とした傘を拾う。僕たちは二人とも少し濡れてしまった。


「すみません。ちょっと時間を無駄にした」

「いや、別に」

「じゃ、行きましょう」


そして、公園の出口で、芽衣は傘だけでなく僕のつっかけのサンダルすら取り上げた。


「サンダルもダメなの?」

「ちょっと痛いけど、我慢して」

「はいはい」


僕らはそこで分かれた。僕は傘もまた取り上げられて、霧雨に濡れながらコンビニへと向かわなければならず、また、芽衣はそこからついてこなかった。


「じゃあね」


芽衣は一人で使うにしては大きな傘をさして、男物のサンダルを手にした状態で、小さく手を振った。いつもの芽衣だったけど、その目はさっき大泣きしたせいで赤かった。


「次いつ会えるかな?」

「早くいって」

「明日?」

「明日は無理」

「会いたいな」


芽衣が小さくため息をついた。


「できるだけ早く会いに行くから」

「約束だよ」

「いいですよ」


そこで、裸足の足で道路を歩く。あまりいい経験ではなかった。はだしのゲンって漫画がそういえばあるけど、裸足でよく生活したよな。すぐそこのコンビニがとても遠く感じた。コンビニへと入る前にチラッと振り向いて芽衣のいたあたりを眺めた。そこはもう暗くて芽衣がいるのは見えなかった。


つまらないなと思いながら、コンビニの前に立つ。自動ドアが開いて、陽気な開閉音が響き渡る。真夜中に申し訳ないなと思いました。店内には誰もいなかった。ただ、とても明るかった。販売棚には目もくれず、真っ直ぐレジの中にいる店員に向かって歩く。


「あの……」

「はい」

「電話をかけてもらいたいんです。その、俺、今、何も持ってなくって」


話しかけた店員が俺のことをジロジロと観察している。俺の様子を見るうちにのほほんとしていた顔が徐々に引き締まるのをみていた……とこまでは良かった。


店内がすごい明るいなと思いながら、店員のその様子を見ていると、不意に床がまるで泥に変わったようにぐにゃりと柔らかくなった。その時、確かに思った。


あ、俺、また、カエルに戻ると……


それからの記憶がない。


***


目が覚めたら、清潔な場所に寝かされてました。天井が見えた。その後、俺が一番初めにしたこと。もちろん自分の体を起こし、自分でベタベタと上から順に触った。それは、少しひんやりとしててとても薄くて、しっとりと濡れたカエルの皮膚ではなくて、ガッチリとした骨で脳を守り、薄くはあってもカエルよりは厚いであろう皮膚に守られ、あるべきところには毛の生えた、お馴染みの自分の体だった。


「死ぬかと思ったぜ」


どさっとベッドにもう一度寝っ転がった。それから周りを確認していく。自分の腕に刺された針とそこから繋がった点滴の瓶。どう考えても病院だな、ここ。部屋には他にベッドがなかった。個室に入院するなんて、そんな偉い人だったっけ、俺。


親父、金、大丈夫かな……。


そこまで考えたところで、廊下の入り口の辺りから声が上がった。そっちを見ると看護師さんが俺をみて驚いていた。


「あっ」

「え……」

「せんせー」


そして、消えた。なんだったんだろうと思うと、しばらくしてお医者さんを先頭にゾロゾロといろんな人が入ってきた。


「気分はどう?」

「きぶん……」


なぜかそこで有名な練り物製品の会社を思い出す。かまぼこやはんぺんを作ってるあの会社だ。


「大丈夫?わたしたちが何を言っているのかわかる?」

「は?」


おじさんのお医者さんの脇にいたもう少し若い女の人、この人もお医者さんなんだろうか?横から口を出してきた。


「いや、わかります。わかります」


カエルになった時は、一生懸命話しても芽衣以外の人と会話できなかったけど、俺は人間で日本人です。わかります。俺の答えにその一同がホッとする。すると一堂の後ろの方で誰かが声を上げるのが聞こえる。


「ちょっと困ります。今、やっと目を覚ましたところなんですよっ」

「こっちも急いでるんですよっ」


何やら悶着した後に、ぬっと人相の悪い男の人が白い服きた人たちの間から顔を出した。


「松尾俊之君だね」


あ、やべ、これ、刑事じゃね?

慌てて芽衣としたリハーサルを記憶の片隅から思い出そうとする。なんだっけ?色々あったぞ。芽衣ちゃん!ごめん。今、ここに来てくれないかな?一気に心拍が上がった。起きたばっかで頭が働かない。無理。


すると……


「君はなんだっ」


お医者さん達の中心にいたおじさん、つまりはお医者さんが顔を真っ赤にして怒鳴った。


それから、いい年した大人達がすったもんだするのをベッドの上から眺めた。ちょっとドリフみたいでした。結果はお医者さん達が勝ち、人相の悪い男は部屋の外へ叩き出された。


その後、問診というのかな?体の調子を一つ一つ確かめられた。一旦問診が済んでみんなが出て行った。賑やかだったのが静かになってホッとした。それからふと尿意を覚えた。起きてトイレに行こうと思い、点滴をどうすればいいのだろうと思いつつベッドから足を下ろして立ち上がる。……そして、ぐらっときた。慌ててベッド脇の柵に捕まった。


なんだ?


「あらあら、何してるの?」

「いや、トイレ行こうと思って」

「ああ……」


監視でもされてるのだろうか、開けっぱなしにされたドアからすかさず中年女性の看護師さんがすっ飛んできた。フラフラしてる俺の片腕を捕まえると、自分の肩にヒョイっとかけ体を支えてくれた。そしてもう片方の手で点滴を持ってくれる。手際がよく、そして、看護師さんはなんというか見かけよりどっしりとしていた。


「なんか、すみません」

「いえ、仕事ですから」


普段であれば、母親くらいの年齢の女性に支えてもらうなんてことあるはずがないのだけれど、しょうがない。トイレに向かって二人三脚みたいな様子でゆっくり進む。廊下に出て看護師さんの向かう方向に歩きながら聞いてみた。


「俺、どうなってんですか?」

「それは先生から後で説明あると思いますけど」

「はぁ」

「簡単に言えば、遭難してしばらく飲まず食わずでいたような状態で」

「え?」

「中まで付き添いますか?」

「へ……」


いつの間にかトイレについていた。


「あ、いや、大丈夫です。ここからは」

「別に気にされなくてもいいですよ」

「……」

「仕事ですから」


ありとあらゆる老若男女の下半身を見たことがあるのかもしれない看護師さんの申し出を退け、フラフラしながらトイレに入った。病院のトイレには点滴をかけられるフックがあった。用を足した後に、また、見かけより屈強な中年女性の肩を借りて病室に戻ろうとしていると、前方で名前を呼ばれた。


「俊之……」

「あ……」


母親が廊下の少し先で俺を見て突っ立ってた。


「お母さん……」


ここで、何をいうべきだろうか。こんにちは?久しぶり?ヤァ!ハイ!

そんなことを考えてたら母がスタスタと近寄ってきて、両手でパシッと俺の顔を挟んでじっと目を覗いてきた。じっと。母の手は少し冷たかった。


「なんかごめんなさい」

「なんで謝るの?」

「いや、なんとなく」


子供の頃から何度もこの人に叱られてきました。母はその時、叱りつける時と同じような怒った顔をしていた。


「本当に俊之?」

「本物です」

「いなくなる前のまんまで戻ってきたの?」

「……」


この質問には参った。自分としては同じ状態で戻ってきたつもりですが。


「たぶん」


その後、いつもは気丈な母親からしたら珍しいことなんですが、しがみついて泣かれた。


「お母さん、ごめん、俺、ちょっとフラフラしてて」


後ろに本気で倒れそうになり、まだ近くにいた屈強な看護師さんが二人を支える。するとちょっと離れたところから、聞き慣れた声がした。


「あ、俊之、起きたのか」

「お父さん、これ、ちょっとどうにかして」


悲鳴のような声が出た。珍しく泣いている母親と、しがみつかれて支えきれずにフラフラしてる息子と、黒子のように俺らを支えてくれている屈強な看護師さんを見て、父が慌てる。


「おうおうおう」


ペタペタと病院のスリッパを鳴らしながらかけてくる。こけないだろうか。


「美津子さん、ほら、みんな困ってる」

「いえ、大丈夫ですよ」


黒子の看護師さんが律儀にそんなことを言う。


「なんだ、俊之、お前一人で立てないのか」

「なんかふらふらして」

「ほんとすみません」


父は頭を下げながら黒子の看護師さんから俺の腕を受け取ると傍で支えてくれた。看護師さんは軽く頭を下げると去ってゆく。そして、例によって例の如く、周りの人にジロジロと見られる。これは家族で歩いているとよくあることだ。父親と母親と俺と交互にジロジロと見られる。やれやれ……


「ね、病室まで連れてってよ」

「情けない」

「いいからさ」


父親の肩を借りて歩く。こんなのいつぶりだろう?幼い頃には背負われて寝たりしてたけど。僕の点滴は母が持って歩いてくれた。やっとベッドに辿り着き横になった途端、父が聞いてきた。


「で、お前、何があったんだ?」

「……」


なんて言えば良かったんだっけ?芽衣ちゃーん。


「えっと……」


すると、暗い顔でそばにいた母親がつと向きを変えると出口へと向かう。


「え、ちょっと、美津子さん?」


父が慌てて後を追う。しばらく病室の外で二人でヒソヒソと話していたみたいだが父だけが戻ってきた。戻ってきてベッド脇に置いてあったパイプ椅子を持ち上げると近くに置いて座った。


「母さんは?」

「ああ、なんか散歩してくるって」

「え?」

「まぁ、聞いちゃいられんのだろう、とても」

「はぁ……」


父は節目がちに首を傾げていたが、パッと顔を上げて俺の方をまっすぐにみて、ベッドの柵に両腕を乗せて前のめりになる。


「で、どうなんだ?」

「どうって、何が?」

「お前は、何をされたんだ?」

「へ……」

「あの……」

「うん」


芽衣ちゃん、なんて言うんでしたっけ?そうそう


「よく覚えてない」

「……」


そこで、父親は、普段はナチュラルにどちらかといえばハッピーな人なのだが、ドヨーンとした顔になった。


「父さんにだけは正直に言っていい。お前が母さんやえりに言いたくないなら」

「いや、本当に覚えてない」

「覚えてないってどう言うことだ?」

「えっと……」


芽衣ちゃん、なんでしたっけ?


「まず……」

「まず?」

「いつもみたく学校から家へ向かって歩いてて」

「それで?」

「突然、ガッと後ろから掴まれて」


本当はそんなことなかったのだけど、まるでほんとにあったかのように自分がその架空の人物になってみて後ろから手首を掴むような動作をしてみせた。


「男か?女か?」

「えっと、男」

「どんな男だ?」


ふえーん


「よく見えなかったんだよ。振り向く前にこうハンカチみたいの当てられて、すぐ気を失って……」

「それでなんで男だってわかったんだ」

「……」


父親も意外と細かく聞いてくる。警察のようだ。


「いや、力の強さとか、口に押し当てられた手が女の手じゃなかったし」

「咄嗟のことの割にはよくみてたんだな」

「今、思い出してみると、総合的にいって男です」

「うん、で?」

「それで、一気に気を失ってそれから覚えてないの」

「覚えてないってどこまで覚えてないんだ」

「……」


なんて言えばいいんだっけ?芽衣ちゃん!流石にそこからコンビニまで行く直前まではしょったら、乱暴か?


「時々目が覚めたんだけど、半分寝ているみたいな状態で、また薬かがせられて」

「その時はどこにいたんだ?」

「いや……」


考えていませんでした。全く。今までみた刑事ドラマで誘拐された場面を思い出しつつ言葉を選ぶ。


「倉庫みたいなとこだったような」

「で?」

「うん。寝たり起きたりを繰り返してて、気がつくと公園に寝かされてて、そっから自分で起きてコンビニに行ったんだよ」

「本当にそれしか覚えてないのか」

「うん」


やれやれ、なんだか疲れたぜ。父親は俺の話を聞いてからしばらく難しそうな顔をしていた。


「お前が攫われて」

「うん」

「金銭を要求されるわけでもなく、犯人の動機がよくわからなくて」

「うん」

「ただ、親の俺が言うのもなんだが、お前は姿形がいいからそういう目的でどっかに売られたんじゃないかと」

「……」

「な、俊之」

「はい」

「そういうことはなかったのか?」


父親が深刻な顔で俺の両腕をガシッと掴み顔を覗き込んできた。


「お父さんにだけは本当のことを言っていいんだぞ」


そういうこと、というのは、どういうことだろう?まぁ、でも、そういうことだろうな。


「いや、本当に何もありません」


カエルになってましたと言った方が、むしろ、親は安心するんじゃないかとこの時、ちらっと思った……。しばらく父は何もないという俺の顔を探るようにじっと眺めていたが、ふっとその表情を緩めて言った。


「じゃ、なんで?」

「ですよね……」


なんで攫われたかなんて、俺も知りません。


***


これはそれから、いろんな人から聞いたことを断片的に集めて自分なりにまとめた話だ。空き地でカエルになってしまってから、二日と少し経って自分は戻ってきて、コンビニでお兄さんと話していたのだけど、自覚がなかったけどその時、極度の飢餓状態だったようだ。それでそこで倒れてしまって、仰天したお兄さんが救急車を呼んでくれた。身元不明のままで病院に運ばれて処置されていたのだけれど、その時病院関係者の中で誰かが俺が裸足だったことと背格好から類推して、行方不明になっている高校生ではないかということになった。警察に連絡が行き、親にも連絡がいったそうだ。


発見されて病院に運ばれてから、こんこんと眠り続け、一日以上眠っていたというのだから驚きだ。


自分のいなくなっていた期間は二日と少しだったが、その期間の割に自分のその極限ぶりは医学的検知から言ってあり得ないレベルだったらしく、ある程度元気になってくるとお医者さん達にあれやこれやと聞かれた。申し訳ないが覚えてないのだと適当にかわした。

かわしたと言えば、警察もまたしつこくて辟易した。彼らは僕がこうやって元気に戻ってきても、そこに凶悪な何かを証明したいらしく覚えていないのだという僕にやっぱりあれやこれやと聞いてくるのだ。


「だって、俊之君も自分の住んでいる街にそんな得体の知れない犯罪集団がいると思ったら安心して暮らせないよね?」

「はぁ」

「どんな些細なことでもいいの、覚えていることを教えて」


子供には男より女の方がいいとでも思ったのか、せっせと足を運んでくるのは女性の刑事で、その人の熱心な様子を見ていると、もう少しなんか言ってあげたいなと思うのだから不思議なものである。しかし、与えてあげられる証拠はないのである。だって本当は僕、カエルになってましたので。


だんだん、僕に何があったのかを聞く人の勢いも緩くなってきて、すると自分にも余裕が生まれてきた。体が弱っている時によくないと思われたのか、あるいは別の理由でもあるのかスマホは渡してもらえなかったので、なにもすることがなくぼんやりと窓から空を眺めながら考え事をしていた。そんなに長い時間行方不明になっていたわけでもないのに体が極限状態になってしまったのは、やっぱカエルみたいなあんな哺乳類ではないものになってしまい、それから人間様に戻るときにエネルギーを使い果たしてしまったのではなかろうか。


それからしばらくカエルになって、カエルから人間に戻った件について考えていたのだけれど、つまらない出来事だったのでもうちょっと楽しいことを考えることにした。


で、何度も何度も芽衣のことを思い出してました。それはアレです。公園で最後に抱きしめたときのこと。自分の腕の中で泣いてた芽衣ちゃんのことを思い出した。抱きしめてた感触とか、芽衣の温度とか……。可愛かったなと。


キスしたときの感触は、はっきり言って大したことありませんでした。一瞬だったし。ただ……、なんというのかな?


その時、あの場面を思い出した。春菜にお願いして芽衣を呼び出してあの2階のカフェで向かい合って座って見つめあったあの瞬間。お互いによそよそしかったあの時。僕たち二人にはそれから時間をかけて歩み寄ってきた道のりがある。その重みを思うと、ほんのわずかな出来事だったけど、俺的には背後でどこぞのオーケストラが熱烈なファンファーレを鳴らしているような錯覚がする。花火が上がってるくらいのさ。


そして、時間が経ってもあの出来事のせいで微熱のようなものが続いている気がするのだ。そしてアホみたいにあの場面を何度も何度も思い出してた。これが映画で僕のみている場面が昔のビデオテープに撮られていたとしたら、何度も繰り返しすぎたせいでそのテープは擦り切れてしまっただろう。


ちょっと酔っ払ったような状態で、で、ベッドから空を眺めつつ、僕は芽衣は今なにをしてるのだろうと思う。そりゃ学校にいるのだろうけど。授業を受けながらあの時のことを思い出してるかなと思う。俺が今ここで芽衣ちゃんのことを思ってるように、芽衣も俺のことを思っているかなと。


会いたいな、できるだけ早く会いにくるって言ってたのにな。


病院に運ばれてからあれは何日目だったのだろう?そんなことを思いながらベッドから外を眺めていると、


「トシ?」


若い女の子の声がした。それでそっちを見た。


「あ、本当にトシだ。ね、ほら」


ドアを開けたところにゾロゾロと見慣れた顔が並んでた。みんなそこからこっちをじっと見ながら、ちょっとうるうるとしていた。なぜかそっから動かず部屋に入ってこない。俺はそこで、一人一人を眺めながら、いつものようにとある人を探した。


「あ、ほら、芽衣」


夏帆が例によって例の如く、平均身長の高い人たちの間で埋もれてた人を引き摺り出した。


「トシだよ、トシ」

「ああ、はい」


夏帆が興奮して、目をうるうるさせながら俺のことを指差してて、その横で芽衣が非常に落ち着いたいつもと同じ顔をしていた。あの日の夜のかわいさなどどこにも残っていない、いつものメイちゃんでした。


「トシ、お前、本当に生きてたんだな」

「あ、圭介」

「トシー」

「浩史」


そして、皆、俺がほんとに生きてたとかなんとか言いながら芽衣以外は若干うるうるしながら、なぜか、廊下から一歩も入ってこない。狭い入り口で押したり引いたりしながら俺のことをのぞいてた。俺は動物園のパンダか何かだろうか。


「あの」

「はい」

「廊下を通る人の邪魔になるから入って」

「ああ……」


それで一堂おずおずと中に入ってくる。ベッドの上から声をかけた。


「人数分椅子がないんだけど」

「ああ、いい、いい、すぐ帰るから」

「芽衣、座りなよ、ね」


で、一個だけあったパイプ椅子に芽衣が座らされた。座った芽衣と見つめ合う。やっぱりいっつもの芽衣ちゃんでした。機嫌が悪そうと言ってもいいくらいの。


「ね、ほんとに、トシだよね?」

「なんでみんな同じことを言うのだろう?」

「触ってみていい?」

「ばか、やめろ」

「別にちょっと触るだけじゃん」


夏帆が俺に触ると言い出し、圭介に止められていた。


「どうぞ」


腕を差し出してみた。


「ばか、やめろ。やめておけ」

「なんでだよ」

「そもそもなんで触りたいんだっ」

「元通りのトシか確かめるんだよっ」

「触ればわかるのかっ」

「……」


なんで、夏帆が俺に触れるのをそこまで止めるのだろう、圭介。すると、そんなすったもんだをじっとみていた芽衣が、つと手を伸ばして、俺の腕を握った。ぎゅ、ぎゅ、ぎゅっと場所をかえて三箇所。それから、すったもんだしてる夏帆と圭介を見上げる。


「別にいつものトシ君です」

「どれどれ」


それで、何が面白いんだか、圭介と夏帆に順番に腕を触られた。


「トシ、お前、痩せたな」

「大変な目に遭ってたんでね」

「……」


俺がそういうと、みんな、さっきまで目がうるうるしてたのが、顔が凍り、部屋の空気がピンと張り詰めた。芽衣だけが淡々とした顔をしていた。


「な、その……」


圭介が深刻な顔で何かを言いかけ、その圭介を浩史がビシッと叩いた。今度は浩史が口を開く。


「いつから学校来られるの?」

「よくわかんない」

「勉強遅れちゃうな」

「流石にここまで休むとしんどいな」

「ノートなら、俺が取っといてやるからな」

「……」


圭介が胸をちょっとそり偉そうにしたが、圭介のノートは、多分本人でも読めない。


「学校、なんか変わったことあった?」

「いや、お前のこと以外は別に何もない」


べしっ、圭介がまた叩かれた。気を取り直したように春菜が口を開く。


「もう、調子、いいの?」

「うん、まぁ、別に病気とかじゃないし。ただ、検査、検査でなかなか自由にしてもらえない」

「そっか」

「あ、みなさん」


それで、ベッドに座ったままではあるが居住まいを正した。


「今回はどうもすみません。色々ご心配おかけして」

「……」


軽く頭を下げた。頭を下げてからもう一度顔を上げると、不思議なことにみんなまるで兄弟のように同じようなハラハラとした顔をしていた。歩き始めたばかりの赤ちゃんが転びはしないかと見つめている親戚一堂。ちなみにもちろん芽衣ちゃんは普通の顔をしていた。


「いや、トシが悪かったわけじゃないし、ねぇ」

「うんうん」


それからみんなまたそわそわしている。そこでこちらから口を開いた。


「急に連れ去られて、で、眠らされていたんで、ほとんど何も覚えてないんだよ」

「……」


みな、その時、顔を凍り付かせた。また、時が止まったみたいに固まった。言わないほうがよかったかな。


「でも、俺、ほら、元気だし」

「……」


ちょっとバカっぽいですが、一昔前のポパイがしたように腕を二つ力瘤でも作るように構えてみせた。


「たいしたことはなかったんだよ」

「……う……ん……」


しかし、すごーく微妙な空気になっちゃったし……。ちょっと上擦った声が上がる。


「ま、でも、ほんっと良かったよ。トシがちゃんと戻ってきて」

「うんうん」


春菜の声に瑞樹と夏帆がうなづく。その後感極まった圭介に襲われた。


「なんかあったら聞くからな。俺はお前の味方だからっ」

「圭介、苦しい」


男に抱きつかれてもあまり嬉しくないのですが。みんなが泣き笑いのような顔をしているところで、芽衣ちゃんだけがやっぱりとっても普通の顔をしていた。その後も、なんだか奥歯に何か挟まったような会話が続き、椅子もない応接は程なく終わりを迎える。


「じゃ、トシも疲れてるだろうし、わたしたちはトシの顔が見られたら満足だから」


そう言ってきた時と同じようにゾロゾロと出てゆこうとする。芽衣が椅子から立ち上がった。皆についていこうとする芽衣の手首を捕まえた。


「え、帰るの?」

「みんな帰るし」


暇だったので、何度も何度も思い返していた記憶の中の芽衣ちゃんは、あんなに可愛かったのに、この冷たさはなんだろう?あれは期間限定だったんでしょうか、神様。すると助け舟を出してくれる人がいる。


「芽衣はもう少しいなよ。二人で話したいこととかあるでしょ?」

「じゃあな、トシ」


春菜がそう言って、皆も芽衣を置いてゾロゾロと出ていった。芽衣は少し、つまらなさそうな顔をしていた。しかし、ストンと椅子に座ると、持っていた手提げから不意にゴソゴソと新聞紙に包まれた何かが出てきた。


「りんごでも剥きましょうか」

「なんでそんなの持ってるの?」

「病人見舞いに行くのに、りんごぐらい持ってくるでしょ」

「ああ……」


そして、芽衣は果物ナイフも持っていて、新聞紙に包まれたリンゴを取り出すと、ナイフでくるくると剥き始めた。新聞紙の上に赤い皮が落ちてゆく。


「体調は?」

「びっくりするぐらいガタガタになってた」

「今は?」

「まぁ、落ち着いてる」

「そう、良かった」


くるくると赤い細い皮が剥かれてゆくのをのんびり眺める。


「なんかみんなよそよそしかったな」

「何があったかわからなくてどう接していいかわからないだけ」

「たいしたことはなかったんだけど」

「元気なフリをしてるだけで、本当はトシ君が傷ついているってみんな思い込んでるんですよ。はい」


丸く剥いたリンゴを、傍にあった紙皿の上で器用に幾つかに割って、その一つを僕にくれた。口に含んで齧った。


「りんごが美味しい」

「そうですか」

「カエルでは味わえない味かも」


ふっと笑われた。その芽衣の顔を見て、こっちも苦笑いした。


「みんなが心配するようなことなんてほんとに何もなかったんだけどなぁ」

「トシ君が前と変わらず元気にしてたら、みんなもすぐに普通に戻りますよ」


ため息が出た。


「思ってたより大変。親もなんか色々悩んで本人は元気なのに元気ないっていうか」

「今頃、トシ君をカエルにした加害者もこんなことになるとは思わなかったって反省してますよ」

「そうだといいけど」


芽衣に剥いてもらったリンゴを食べ終わると、試しに言ってみた。


「ね、芽衣ちゃんさ」

「なに?」

「いろいろあって疲れちゃったの、励まして」

「がんばれ」


即座に言葉で返された。


「いや、そうじゃなくって、言葉じゃなくって」

「なに?なぞなぞ?」


軽く両手を開いて芽衣に向かって差し出しアピールしてみましたが、そんなことが芽衣ちゃんに伝わるわけはなく。芽衣ちゃんは紙皿からもう一つ、剥きたてのリンゴを持ち上げた。


「もう一個食べる?」

「ありがとうございます」


もう一度言う勇気はもちろんなかった。


2024.01.27


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