First Kiss⑨
First Kiss⑨
コンビニに現れるのは、人目をできるだけ避けるために夜中まで待たなければならなかった。夕食を食べて、お風呂に入って、普通に生活をし部屋にこもって父母が寝静まるのを待つ。時計の針が天辺をまわってからもう少し待ちました。一度パジャマに着替えたのを着替え直して、そっとそおっと二人で一階へ降りる。つっかけのサンダルをトシ君に示し、自分はスニーカーに素足を突っ込んで、ゆっくり音ができるだけ響かないように玄関を開けた。
夜中の真っ暗な空、誤算だった。霧雨が降ってたんです。音が静かだったので、部屋の中では気づかなかった。
「芽衣?」
ドアを中途半端にしか開けないままでわたしが止まってしまったので、後ろに立ってたトシ君が近づいてきて後ろからわたしに覆い被さるようにして耳元で囁いた。振り向いて人差し指を唇にあてる。わたしごしに外を覗いて、トシ君にも雨が見えたようだった。支えていたドアをトシ君に持ってもらって、玄関の片隅に立てておいてある傘のうちから一番大きな傘をそっと抜いた。
二人で外へ出る。静かな夜でした。昼間の様子からすると、まるで別の街かと思うくらい静かな。ゆっくりと音を立てないようにドアを閉めて、歩き出す前に見渡す。電気のついている窓がないか。誰か外を見ていないか。
監視カメラというものは住宅地だからここはないと思う。ただ、個人宅にあるかもしれない。それが不安でしたが、心配ばかりしていては何もできない。雨が降っていたのは良かったかもしれない。傘で顔が隠れるから。二人で並んで歩き出すとトシ君がのんびりと話し始める。
「たった二日の間の出来事なんだよな」
「うん」
「すごい長い時間が経ったような気がするのは気のせいだろうか」
「トシ君」
「人間に戻れてよかった」
「トシ君」
「ん?」
一本の傘で肩を並べて歩きながらそっと傍の彼を見上げました。
「まだ終わってません」
「……」
つめの甘いのんびりした人のことです。釘を刺しておかないとどうなることか。
「うっかりちゃっかり警察の取り調べでミスをすると、普通の生活に戻れなくなりますよ」
「……」
勝手に終わりにしてゆったりとした気分でいた人に冷水を浴びせかけてみました。
「俺はただ不本意にもカエルになっていただけなのに」
「それ、わたし以外の誰にも言わないようにね。心の病院に連れて行かれますよ。あ、ついた」
「どこに?」
「公園ですよ」
「コンビニ行くんじゃないの?」
「まず、公園です」
「なんで?」
トシ君の手を掴んで公園に引っ張っていく。入り口から見て死角になる奥のベンチを確認して、軽く湿った地面の上を片手で傘を片手でトシ君を捕まえながら奥へ向かう。ついてくるトシ君はふわふわとしてた。つまりはちょっと足元がフラフラしてたんです。
ふと立ち止まり、後ろを振り返り、薄暗い公園の街灯のもとでトシ君を眺めました。
「トシ君、ちょっと痩せた?」
「え、そう?」
「なんか具合悪いですか?」
「悪いっていうか、力が入んない」
もしも……
この時夜中の公園で、静かに降る雨のもとで少し痩せてしまったトシ君の顔を眺めがら背筋がぞくっとした。もしも、呑気にあのカエルのままのトシ君を飼ってたら、体が弱って死んでしまったかも。
「芽衣?」
「こっちです」
少し歩く速度を落として奥のベンチの背後に回りこむ。
「ここに仰向けになって寝転がってください」
「え、なんで?」
「ここに置き去りにされて、ここで目が覚めたってことにするんです」
「こんなとこで寝られないでしょ?」
「だから、薬で朦朧としてて、ここに置き去りにされてしばらくは気がつかなかったってことで」
トシ君、ため息をついた。
「ややこしい」
「さ、早く寝っ転がって」
「汚れる」
「汚れてないとおかしいと思われるでしょ?」
ぶつぶつ言いながら横になったトシ君。
「パッと目が開いたら何が目に入りましたか?」
「何の話?」
「目覚めた時の供述ですよ。警察は事細かく供述させて、現場も確認しますよ」
「ややこしい」
「さ、何が目に入りましたか?」
「芽衣の顔」
「もう」
トシ君、笑った。その顔を見て、心からホッとした。発見されたら、とりあえずは病院に行くだろう。早く病院に行ったほうがいい。よくわからないけど、あんなちっちゃなカエルになって、それで人間に戻ったんだ。生態学的にかなりの負担を体にかけたに違いない。そんなことを考えていたら、トシ君が寝っ転がったまま不意にちょっと神妙な顔でわたしを見上げた。
「芽衣ちゃん」
「ん?」
「パンツのこと、忘れてた」
「……」
わたしもパンツのことをすっかり忘れてました。
「後からどうにかすると言いましたよね?」
「お金を持ってくるのを忘れました」
「え?」
「コンビニの使い捨てパンツみたいのを買おうと思ってたけど、お金を持ってくるの忘れた」
「何それ、じゃ、どうするの?」
「トシ君……」
パンツ問題について討論するためにむくっと起き上がるトシ君。たったままで見下ろすわたし。
「もともと、君は、極悪非道などこの誰かわからない団体に」
「団体なの?」
「団体でしょ。個人では無理よ、これは。団体に着ぐるみ剥がされて攫われているんです」
「いや、それは」
「そう思われてるんですよ。パンツまで脱がされて攫わされているんです」
「……」
「今更、パンツがなんですか!」
最初に脱がされてしまったのだから、最後まで脱がされてたっていいじゃないか。
「すごく変態的なことをされたと類推されますよね?それだと」
「もう、最初に脱がされた時点でそれは類推されるでしょ」
「いや、やなんだけど」
「やな気持ちはわかるけど、最初の事実は動かせないし」
「最後の事実は動かせるよね?約束したよね」
「……」
今からどうする?このもとカエルの高校生男子をここに放置し、あの音を少しでも立てたら親が起きてきそうな家にそっと戻り、お金をとってきてコンビニでパンツ買ってここまで戻ってくる?それ、ないな。その間に不審者としてわたしが誰かの目についたり記憶に残る可能性が高い。じゃ、コンビニでパンツ、万引きする?コンビニには監視カメラがある。カメラに映像が残っちゃう。思案した後に吠えてみた。
「潔く諦めろっ」
「約束したのに破るの?政治家みたいだなっ」
政治家の皆さん、もう少し約束は守ってくださいね、じゃなくて。
「その、パンツの部分はトシ君が自分の裁量で切り抜けてくださいよ」
「自分の裁量って?」
「怪しいことが行われたから脱がされたのではないと思われるような方法を考えるんですっ」
「どんな方法だよ」
「とにかくもうそろそろ行きますよ」
地面に座ってたトシ君に手を伸ばし、手を取って彼を立たせる。小さな男の子が拗ねるような顔をしていた。
「約束破った分、なんかで償って」
「この切羽詰まった状況で何を言ってるんですか」
「ね、これからのめんどくさいことのりきるために励まして」
「どうやって?」
「カエルの身だとなんか違ったんで」
そう言って、トシ君がわたしの手を引っ張って引き寄せた。簡単にすとんとトシ君の腕の中にいました。
「どういう意味?」
「やり直し」
「……」
「だめ?」
昼間のあれは人命的措置で全く何も考えず、また、何も感じませんでしたが……。
「嫌か」
「いや、嫌とかじゃ……」
別に今ここでこんなことする必要なんてないと思うんですけど。そこでそのまま言ってみた。
「今ここでこんなことする必要なんてないと思うんですけど」
「だから、償いだって」
「なんじゃ、そりゃ」
そして、思った。話し合ってたら時間が無駄だなと。そこで、気持ちを切り替えました。
「それじゃ、できるだけ簡単なのでお願いします」
「そんなこという人いる?」
「ここにいます。さ」
「芽衣ちゃん、目、瞑って」
その後、目を瞑ってからトシ君がわたしの髪を撫でてわたしに触れるまで、少しだけ時間があった。それは遊園地の絶叫マシーンで、すとんと真下に落ちるアレが、天辺で静止するあのくらいの時間。ジェットコースターがゆっくり登っていって滑り落ち始める前に止まる、あのくらいの時間。
その瞬間に自分が何を感じ、考えていたのか。
突然わがままを言い出して、そんな予定ではなかったのに、別に今ここでそんなことをする必要もないのに……。心の準備をしていなかったのでむしろ無防備に自分の心があるべき方向に滑っていったというか。
トシ君の柔らかくて少し冷たい唇がわたしにふれた時、その瞬間に感じた、それは安心でした。絶対的な安堵感。その安堵感のために涙が溢れた。
「わ、ごめん、ごめんなさい」
突然泣き出したわたしを見てトシ君、慌てて謝り出した。
「ごめん、やっぱりやだった?」
「違う」
「え、違う?」
まだ持ってた傘を放り出して少し痩せてしまったトシ君にギュッと抱きついた。
「怖かった」
「怖かったって何が?」
「トシ君がいなくなったらどうしようって怖かった」
「……」
「死んじゃったかもって思って」
ちゃんと戻ってきたんだって実感できて、やっと安心した。あの時の涙の続きを、今、ここで流す必要なんてなかったのかもしれない。誰かに見られるかもしれないし、まだ終わってないのだから。でも、止まらなかった。
泣きながら抱きついてるわたしの髪を、トシ君、やっぱり撫でてました。
「ごめんなさい。心配かけて」
トシ君が悪いのではないですけど。




