First Kiss⑧
First Kiss⑧
トシ君、裸のまま人の部屋ですくっと立ったまま叫んだ。
「うそ!戻った」
「トシ君、ちょっと声おっきいです。それと、自分が裸なの気づいてます?」
「あ……」
「とりあえずこれで」
顔を背けてできるだけ見ないようにしながら、タオルケットを差し出した。
「すみません」
トシ君がもぞもぞとタオルケットを体に巻き付けていると、下から母の声がした。
「芽衣?」
わたしは立ち上がるとドアを開けて廊下に出ると階段の手すりから下を覗き込んだ。
「なに?」
「誰か来てるの?」
「なんで?」
「なんか声がしたように思ったんだけど」
「気のせいじゃない?」
「そう」
「外の声でしょ」
「ああ、そう」
すると母は気が済んだのか、リビングの方へスタスタと戻っていった。誤魔化して部屋に戻ると、タオルケット巻きつけてベッドに座ったトシ君が自分で自分の体を抱きしめながらじんとしていた。
「何やってんですか?」
「自分の体が愛おしい」
「……」
ちょっとやばい人みたいだなと思ったけど、ま、事情が事情なので何も突っ込まずに済ませた。トシ君の横に並んで座って、やれやれと思う。しばらくして、初期の感動の嵐が引いてくると、ふとトシ君はわたしの方を見た。
「ところで、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい」
「なんで突然俺は壁に叩きつけられたんだろう?」
「ああ、それ」
「ええ、それ。なんで?」
少し非難を込めた目で見つめられた。
「グリム童話では」
「その話、長い?」
「いいから聞いて。グリム童話では、最初っからお姫様のキスで王様に戻るという話があったわけじゃないんです。それは、何度も版を重ねた後に、口伝で伝えられてたラストとは異なるラストに変えられたというわけ」
「はあ」
「口伝で伝えられた話では、図々しく自分の寝室まで入り込んできたカエルを腹に据えかねたお姫様が壁に叩きつけるんです」
水に落としてしまった鞠を引き上げるお返しに、カエルを友達として遇するという約束を反故にしたお姫様。父親に叱責され嫌々願いを聞いていたが、ベッドでの同衾には激しい抵抗を感じたのだろう。
「そうなの?」
「殺意を持って叩きつけるんですよ」
「……」
割と暗い顔になった、トシ君。弱々しい声を出す。
「……ま、でも、それならそうと最初に教えてくれたらよかったのに」
「受け身を取られたら困るので」
「へ?」
カエルは身軽ですからよほど虚をつかなければ、叩きつけてもパッと壁に取り付いて潰れないです。
「これから壁に叩きつけられるんだと思ったら、トシ君、本能的に身を守るでしょ?」
「……」
「あくまで原作にできるだけ忠実に再現するには、トシ君は知らなくてよかったんですよ。中途半端にやったら戻れるかどうかわからないでしょ?」
「そんなんフリじゃだめなの?」
このふざけた変身劇、アリスのウサギがほんの瞬間出てきたあたりから適当なやり方で簡単に戻りそうな気がしてましたけど、警察はまともに動いているし、細部のリアリティにはこだわってる気がする。だって、リアリティにこだわらないなら、キスで目覚めるほうがロマンティックじゃないですか。ここにこのトシ君をカエルに変えてしまった加害者のひねくれた性格とS的要素を感じたわけで……。(←中村芽衣の犯罪心理分析)
「そりゃわかんないですけど、一回やってだめだったからって何度も死ぬ気で叩きつけられる恐怖に耐えられます?」
「……」
トシ君、無表情なままでしばしわたしの言った話を反芻してる。だらしない裸の胸元が見えてるし。
「芽衣」
「ん?」
「俺がカエルのまま死んでたらどうするつもりだったの?」
「人間に戻ったんだから、それはもういいじゃないですか。結果オーライということで」
ばんばんと背中を叩く。これ以上この問題を引き延ばされると厄介なので、話題を変えることにした。そして、明るい声を出した。御伽話の世界なら、森にキノコでも探しに行くシーンである。
「さ、いつまでも裸でいるわけにもいかないし、なんか適当に服を探してきますね」
そして、立ち上がり部屋を出る。
たとえば、ふりで人間に戻れるかもしれないという仮説を立てて、軽ーく壁に叩きつける。人間に戻らない。それで、少し叩きつけるレベルを強くするわけですが、ここで相手はトシ君です。必ずああだこうだ言うでしょう。そもそも、この方法が本当に正しい方法なのだろうかと言われて、それで第三の可能性を探ることになる、まず、十中八九、そうなる。
思い切り叩きつけたら、カエルのままで成仏する可能性はあったけど、アリスのウサギなんてふざけたものを出しておいて、殺人事件(正しくは器物損壊)に発展するようなおどろおどろしさはないだろうと踏んだ。
一か八かで叩きつけてみました。わたし的にもちょっとドキドキしましたよ。
父母の寝室に入り、ウオークインクローゼットの中を適当に漁る。警察が動いている。トシ君が見つかった後に来ていた服を調べるかなと思ってた。日本の警察の科学捜査がどんなものかわからないのだけど、とりあえず大量に出回っている市販品で、それも新品のものにしたいなと思ってたんです。我が家に繋がってしまっても困るし。父親のDNAが衣服から出ました!なんてのもね。
「あった、あった」
我が母というのはストック魔とでもいうか、安い時に衣服をまとめ買いすることがあるんです。下着とか靴下とか、あとはパジャマ用のルームウェア。新品の某有名メーカーのルームウェア上下、包装袋に入ったままのやつを取り出して満足の声を上げた。
その時である。
「芽衣?どうしたの?具合でも悪いの?」
わたしの部屋の方から母親の声がする。
な、な、な……
パニックになりました。どういう状況?今、わたしの部屋には裸の男子高校生がいて、それが見つかっても大騒動ですが、ぶっちゃけ、それだけなら、ごめんなさいエヘヘですみますが、その人、行方不明で警察が探している人ですっ!
や、ややこしい!
アワアワしながら、ふと自分の制服のポッケの固いもの、つまりはスマホに気がつく。あわあわしながら取り出した。もう少しで取り落としそうになる。そして、自宅の電話番号を振るえる手で選択すると、発信ボタンを押す。
トゥルルルルル、ル、トゥルルル、ル
「あら、電話」
そこで、母親はかちゃりと人の部屋から出てくるとトントンと階段を下がってゆく。そこで、忍者もかくやというふうにさささと呑気に階段を降りてゆく母を尻目にルームウェアの包みを抱えつつ自分の部屋に戻ると、咄嗟に部屋内部を確認。体に巻きつけていたタオルケットを伸ばしてベッドに横たわり頭から足までをかろうじて隠しているトシ君を発見。
「はいはい」
階下で鳴っている電話に必要ないのに話しかけている母の声。やばい、時間は全然ありません。
有無を言わさずタオルケットを剥ぎ取り、裸でいるトシ君にルームウェアを押し付けつつ無言でクローゼットを指差し、自分はというと剥ぎ取ったタオルケットを被りながらベッドに横たわる。トシ君はカラカラとクローゼットを開けてなんとかその隙間に裸の自分の体を押し込もうとしてた。十二分に間抜けでした。
「もしもーし、どちら様?もしもーし」
一階にたどり着いた母が無言の電話に声を上げているのが聞こえる。できるだけ音を立てないようにしながら自分のスマホをそっと出して手繰り寄せる。
「何、いたずら?こんなことして何が楽しいんですかぁ」
できればもう切ってしまいたいのだけど、トシ君が四苦八苦してまだ入り込めてない。
「切りますよー」
そして、母は電話を切ってしまった。また、トントンと階段を上がってくる。ベッドに寝てたのを体を起こして立ち上がり、やっとなんとか体を縮こめたトシ君の後ろでクローゼットを閉じたのと母が部屋に入り込んできたのは同時でした。
「あら、芽衣、寝てなかったの?」
「お母さんの声で目が覚めた」
「どっか具合悪いの?」
そう言って人の額に手を当ててくる。
「帰ってくるなり部屋に入るし、風邪でもひいた?」
「ちょっと眠いだけ」
「そう」
それから、心配そうにまた人のこと見てる。
「大丈夫だから、ね、ちょっとほっといて」
「うん……」
うちの親って、ちょっと過保護なんです。一人っ子の宿命ですね。
「風邪ひいたなって思ったら言いなさいよ」
「はいはい」
母の背を押しながら部屋の外に押し出す。トントンと下がってゆく足音を聞きながら、念の為しばらく待ちました。また上がってくるかもしれないし。やれやれ。
もう上がってこないなと踏んでからトシ君に話しかけた。
「トシ君、大丈夫ですか?」
「なんとか」
「あの、不本意ですがいたしかたなく二度トシ君の裸を見てしまいました」
「うん」
「もう、見たくないのでさっき手渡した服をその中で着てもらいたいんですが」
「どう考えても無理」
ため息が出た。
「じゃあ、目を瞑ってるね」
「はぁ」
言葉通り目を瞑りながらカラカラとクローゼットを開ける。
「着替えが終わったら言ってください」
「芽衣ちゃん、これ、パンツないの?」
「贅沢言わないで、とりあえず着て」
「はい」
ゴソゴソもぞもぞと音がした。
「終わった」
それで、目を開けた。ちょっとつんつるてんなトシ君がいた。二人でとりあえずため息をついた。やれやれとどさっと並んでベッドに腰掛ける。
「お父さんの、ちょっと小さいね」
「これ、お父さんのなの?」
「そう、買い置き」
「ね、芽衣ちゃん、パンツがない」
「……」
贅沢を言うな!
「パンツは新品がないんですよ。かといってお父さんの履いてたのを履くわけにもいかないでしょ?洗濯していたとしても!」
「……」
パンツ兄弟!イエーイ!……気まずい沈黙がしばしありました。
「あの、これからどうするんだろう?」
「そりゃ、然るべき形で、お家に帰ると」
「なんか警察とか出てきて騒ぎになってるんだよね?」
「なってるね」
「つまりは聴取を取ったりとかするのだよね?」
「まぁ、事情は聞かれるね」
「その時、発見された時にパンツ履いてなかったのはバレちゃうんじゃないの?」
「……」
「こう、調査のために発見時の衣服って没収されちゃうんじゃないの?その時、パンツはって言われてありませんでしたっていう俺の身にもなって」
発見時にパンツを履いていなかったってことから、一体どんなことが類推されるだろう?ま、碌でもないことでしかないな。
「ま、パンツのことは後にして、これからどうするかまず相談しましょう」
「なんか履いてないと落ち着かないんだけど。特に芽衣ちゃんの前で」
「とにかく、パンツのことは後にして。後で必ずどうにかしますから」
「うん」
なんて、低レベルな会話なんだろう。
こほん、気を取り直していこう。ベッドに並んで座りながら、少し背筋を直した。
「それではわたしは警察の取調官です」
「何が始まるの?」
「だから、面接試験の練習みたいなものですよ。繰り返します。わたしは警察の取調官です」
「はい」
「俊之くん、君はこの二日あまりどこでどうしてたの?」
「カエルになってました」
「……」
ピシッと肩の辺りを軽く叩いて突っ込んでおく。
「正直に言ってどうするっ」
「え、だめなの?」
キョトンとする、トシ君。
「というか、警察のお姉さん、疲れました」
「あ、こら、寝るな。人のベッドで」
勝手に人のベッドでゴロゴロしだし、さらにあろうことか人の枕に顔を埋めた。
「芽衣ちゃんの匂いがする」
「……」
一瞬、殺意が湧きました。
むくり、何を思ったのかトシ君が起き上がる。殺意が伝わったのかもしれない。
「すみません。調子に乗りすぎました。人間に戻れたので浮かれて」
「はぁ」
「ただ、ちょっとお腹も空いたというか、ここんとこ大変だったので」
「ああ、まぁ、確かに」
そこで、立ち上がる。
「何かあれば、ハウス」
「ん?」
「あれ、ハウス」
「……」
さっき縮こまって入り込んだクローゼットを指さす。我が家は父母の寝室にはウオークインクローゼットがありますが、わたしの部屋は普通のクローゼット。さっきまでペットだった人に対してペットに命ずるように指示を出した後、一階に降りて食べ物を漁る。
「あら、芽衣、寝てないの?」
夕飯を作っている母が声をかけてくる。
「なんか小腹を満たすような食べ物ないかな」
「お菓子食べたら夕飯残すじゃない」
「ちょっとだけ」
「じゃ、バナナにしときなさい」
「あ……」
ナイスバナナ。これは結構な優秀食品ですよ。簡単チャージです。よっこらしょっと。
「ちょっと芽衣。あんた何本食べる気?」
「大丈夫。大丈夫。夕飯も残さないから」
いちいちうるさいなー、お母さんっと思いながら階段を上がって部屋に入ると、トシ君が大人しくベッドにいました。ニコニコしてる。
「胡散臭いですね」
「あ、バナナだ」
その笑顔に胡散臭さを感じる。トシ君は笑顔を使って様々なことを誤魔化そうとする人間である。
「ベッドの上で食べないで、床で食べて」
「はいはい」
バナナを房ごと渡し、床に座ってバナナを剥いている彼氏をほっておいて部屋を点検する。自分の部屋を眺めていて気づいた。
「本棚、いじりましたね」
「わ、探偵みたい」
「何を見たんですか?」
「いや、昔の写真とかないかなって思って」
床に座ってバナナを向いている彼氏をクワッと振り返った。油断も隙もない。
「そういうの勝手に見る?」
「すぐ戻ってきちゃったから見てないって」
もぐもぐ……
「バナナの味がするー」
「……」
そりゃするだろ。バナナなんだから。でも、人間に戻れたのが嬉しくてハイテンションなんだろう。色々言いたいことはあるが、とりあえず、無事に自分の家に戻してしまおう。
「じゃあ、食べながらでいいから続けましょう。俊之君、この二日あまりどこで何をしていたの?」
「カエルになってました」
「だから、それじゃだめなんだって」
「でも、本当の話……」
「トシ君、それだと心の病院に入れられちゃって普通の高校生活送れなくなるよ」
「え……」
トシ君、ここで、ポロリと食べかけのバナナを落とした。
「だって、そうでしょ?自分がカエルになっていたなんて、重度の精神障害でしょ?」
「じゃ、なんと言えばいいの?」
「だから、こうします」
「うん」
とりあえず床の上で正座をした。本気の正座である。トシ君もあぐらかいていたのを、足を正す。
「まず、あの空き地の近くで襲われて、何か薬を嗅がされて気を失ったと」
「うん」
「クロロホルムのようなもの、ハンカチで口を覆われて」
「はい」
「じゃあ、俊之君、そのあなたを襲った相手はどんな人だったの?」
「え……」
「そりゃ、警察は聞くでしょ。事細かく聞くよ」
「顔は見なかった」
「男、女?」
「男です」
「あなたより背は高かった?どんな人?」
「背は高かったかな?どんなって言われても顔を見てないし」
「体つきは?」
「え?」
「抑えられた時の手の感じとか腕の感じとか」
「うーん」
バナナを咥えながら、下を向く。
「で、トシ君、こっからが重要ですが」
「うん」
「まだ頭が朦朧としてよく思い出せないんです」
「へ?」
「ストーリーはこうです。クロロホルムを嗅がされて、空き地で服を脱がされたわけだけどそれはトシ君は覚えてません」
「うん」
「それから、気づくとどこか屋内で」
「うん」
「それからも、薬で眠らされてることが多くて寝たり起きたりでよく覚えてないと」
「はい」
「で、やっぱり半分眠ったままで車で運ばれてて近くで降ろされたらしい」
「どこで?」
「どうしよっか。気がついたら近くの公園の端っこの方に寝かされてたってことにしましょう」
「はぁ」
「徐々に薬の効果が切れて目が覚めてきたから歩いてコンビニまで来たと」
「コンビニ?」
「そう、あの、近くのコンビニに入ってそっから家に電話してもらって帰ることにしたら?」
「ああ、はい」
ため息をついた後に、もう一本のバナナを剥き始めた。
「なんか色々考えるの、しんどい」
「そんな大変じゃないでしょ?」
「なんつうか、すっごいだるいというか疲れてて……」
「そうそう、だから、しばらくは疲れてるとかしんどいって言いながらよく覚えてないって言って、その間に細かいところを考えておけばいいよ」
自分のことでもないのにこんなに真剣に考えているわたしに対して、本人やる気も自信も全くない、とほほな顔をしていた。
「そんな役者でもないのに事細かく嘘をつくなんて、俺にできるかな?」
「でも、何もなくってただ自己都合で姿を隠してて、戻ってきましたっていうと、捜査費用を請求されるかもよ」
「……」
「未成年だからそこまでの罪にはならないだろうけど、世間には同情される代わりに非難されるよね……」
実はそんな大変なことになっているなんて知らなくって彼女の家に隠れてました。むしろこの場合、非難されるのは黙ってたわたしにもなってしまうわけで……。
「俺はただ、不本意ながらカエルになってただけなのに……」
いや、確かに。カエルになったら可愛いかもってだけで、この人に呪いをかけた人は呑気だな。しかし、そんなこと言ってても始まらないので話をまとめることにした。励ますためにトシ君のダラリと膝に置かれた片手を両手で持ち上げる。
「大丈夫ですよ、きっとうまくいきますって」
「芽衣ちゃん、優しい」
「そりゃ、大変な目に遭った人にはね」




