First Kiss③
First Kiss③
その時、自転車を漕ぎながら、こんなことを考えてた。
もしも、トシ君が死んじゃっていて、あそこにトシ君の幽霊がいるのだとしたら、何があったのかを聞いて、迎えに行かなきゃと。体があるところを教えてもらわないと、そんなことを考えてた。
ほどなくあのL字型の空き地につきました。周りを見渡す。少し離れたところに通行人がいたけれど、こちらを見てはいなかった。自転車を降りそれを引いて空き地に入る。道路から目立たないところに止めると、奥に進みあの建設用の資材がまとめられているあたりへと来た。
「トシ君。トシ君、いるの?」
我ながら何をやってるのだろうというのがふと頭をよぎったが、暗い空き地の中で、誰もいないところへ向かってわたしは話しかけた。わたしに返す人はいない。
やっぱりあれは気のせいだったのかな?
どうかしてたな自分と思ってその場を離れまた自転車に乗って家へ帰ろうと頭では思っているのです。だけど、ためらう自分がいた。もう一回、もう一回だけ話しかけてみよう。それで何もなかったら、やっぱり昼間のあれは気のせいだったんだってことだと思う。
「トシ君」
「芽衣、また来てくれたの?」
すると闇の中からやっぱり声がした。不思議と怖くはなかったんです。それは聞き慣れた人の声だったし。ただ……。気のせいじゃなかったと喜ぶわけにはいかなかった。じんわりと目尻にまた涙が滲む。
「芽衣、どうしたの?泣いてる?」
「トシ君、何があったの?死んじゃったの?」
「生きてます」
「……」
溜まった涙が自分の頬をすうっと伝う感触を感じながら、今の言葉を反芻する。
生きてます……
これは、あれだ。死んだばっかりだから生きてると錯覚しているのではないだろうか。こういうところもトシ君らしい。
「でも、わたしからは見えないんだよ。どこにいるの?」
「そっから見えない?上にいる」
「見えないよ」
「角度が悪いのかな」
軽く目を瞑る。もう片方の目からまた涙が伝った。
「ね、トシ君。何があったの?今、本当はどこにいるの?」
「ここにいます」
「心はここにいるのはわかったけど、体はどこにあるの?」
「ここに」
「でも、見えないよ」
「あの……」
その時、言い渋る。しばらく幽霊の彼が言葉を選ぶのを待つ。
「驚かないで聞いて欲しいんだけど」
「はい」
「すごく困った状態になってしまって」
「うん」
「でも、生きてるんです」
「……」
二度目の生きているを聞いて、ふと涙が乾きました。指で右左と涙を拭い、テキパキという。
「クイズのように小出しにしないでさっさと言ってください」
こちとら空き地で独り言言ってる女子高生。目撃者が出たらややこしいことになりますし。
「見てもらった方がはやい気がするんだけど」
「何を?というか本当にここにいるの?」
「さっきからそう言ってるでしょ?」
「……」
あっちこっちと見回した。夜の闇しか見えませんが?
「天狗の隠れ蓑とかで隠れてるってこと?」
「なんそれ?」
昔話ネタ、通じなかった。
「ああ、もう。というかさっさと現れてくださいよ」
「じゃ、ちょっと」
「へ?」
「そのまま前に寄って」
「前?」
「いいから」
それで、言われた通りに前に寄った。目の前にあった資材の塊にピッタリくっつくような姿勢になった。愛想も素っ気もない塊の硬さをすぐ目の前に感じる。
「それからですね。お願いだから、芽衣ちゃんの頭に何かがカサッとのってもびっくりして振り払わないで。それ、俺だから」
「は?」
「振り払われたら、俺、死ぬ」
「何を言って……」
「いい?振り払わないでね。それから、バシッと叩いたりしないで」
その後、本当に頭に何かがちょこんとのった。
え、なにこれ?
「すみませんが、ゆっくり手を頭にのせてくれない?ゆっくりね」
それで言われた通りに、何かがのった自分の頭のその辺りに自分の手をそっと当てました。カサこそと小さくて軽い何かが自分の手の甲の上に乗り移った。そおっとその手を下ろしてみる。
「芽衣ちゃん」
「ええっ、嘘でしょ?」
「俺も嘘であって欲しいとずっと思ってるんだけど……」
それは、黄緑色の小さなアマガエルでした。
「トシ君、どうしてこんなことに。流石にびっくりしすぎて腰が抜けそう」
「芽衣ちゃん、お願い。俺を地面に落とさないで」
「え、ええ?なんで?」
その後、手の上のアマガエル、クタッとした。
「ちょっ、トシ君、どうしました?」
「なんか、芽衣に会えて安心したら、腹へった」
「なにも食べてないんですか?」
トシ君が行方不明になったのは昨日の夕方です。それから24時間以上経ってます。
「芽衣ちゃん……」
そこで、トシ君、しんみりとした声を出しました。
「よく考えてみて。人間だったのにある日いきなりアマガエルになったら、芽衣ちゃんだったら何を食べる?」
「えっと……」
そう言われて、考える。アマガエル、アマガエルの食べ物。頭の中で凛々しいアマガエルがどこまで伸びるんじゃーいという舌をシュタッと出して、飛び立とうとしている羽虫を捕まえたぞ。虫じゃね?
「人間だったのに、普通のカエルが食べるようなもの、食べられる?」
「……」
自分だったらとりあえず、教育テレビの画像でスローモーション映像で見たようなあれが、本当に自分にできるのかどうか試してみるかもと思いましたが、ネチネチと暗い様子のカエル(元男子高校生)に向かっていうのはやめておきました。
「まぁ、そういうことなら帰りましょう」
「どうやって?」
「自転車で」
「それ、俺、どこに乗ればいいの?」
わたしはカエルのトシ君をみて、カエルはわたしを見上げる。
「芽衣ちゃんにとっては大したことない風圧で、儚く落ちるぐらいの体重しかない、俺」
「ええ、じゃあ、ポケット?」
「うっかりちゃっかり潰さない?」
「……」
ややこしいな。カエルになった彼氏。どうしよう?
「あ、じゃあ、このフードの中は?」
「……」
「よかったぁ。フードのある服を着てて」
しばらく不服そうな顔して胡散臭そうにわたしを見ていたが(カエルというのにも不思議と表情はあるものだと知る)しょうがなくフードに入ることを了承した。
「くれぐれも安全運転で」
「わかってるって」
それで、ゆっくりとペダルを漕ぎながら家へと向かう。
「ところでどうしてそんな姿になっちゃったんですか?」
ところが彼氏が声を出さない。
え?うっかりちゃっかり落としたか?
慌ててキュッと自転車を止めると自分のフードに手を突っ込む。
「芽衣ちゃん、びっくりするからいきなり手を突っ込まないで」
(トシ君の現在の体長から考えて、人間の手はショベルカーのショベルより大きい。しかも、ショベルカーのショベルはガガガ、ゴゴゴと、まったりとした動きしかしませんが、人間の手は遊園地の空中をぶんぶん振り回されている遊具のような速度と予測不可能な角度で迫ってくるのです)
「なんだ、いた。返事しないから、もう」
「うとうとしてたんだよ」
「え?」
「昨日からほとんど寝てないんだよ。何が起こるかわからないし。どうしたらいいのかわからなくて」
「ああ……」
自転車のハンドルを片手で持ちつつ、片足をサドルに乗せ、もう片方の足を地面についた姿勢でしばし考える。それもそうか。天敵がなんなのかもよくわからないし。事故死する可能性もあるわけだし。野生ってデンジャラスだな。納得。そして、もう一度サドルに乗せた片足に力をこめる。
「じゃあ、もう邪魔しないから、着くまで寝てて」
「うん」
そして、しばらくペダルを交互に漕ぐ。やがて見慣れた我が家の門が見えてくる。すると、その門の前にこれまた見慣れた人が立っていて、キョロキョロしてたのだけれど、わたしを発見すると、間髪をおかず猛烈ダッシュでこちらに向かってきた。
咄嗟に自転車の方向を変えてもと来た道を逃げなきゃと本能的に思った。そのくらいの迫力でした。ただ、逃げる必要はなかったのだけど。
「芽衣っ、どこ行ってたの?もう」
顔面蒼白。髪振り乱し、鬼気迫る表情のお母さん。自転車に跨ったままで路上に停止しているわたしにつかみ掛からんとしている。その時その衝撃でトシ君を潰してしまったり、放り出してしまったりしないかということが頭をよぎる。
「ごめん、お母さん。ごめんなさい。ただ、わたしに触らないで」
「なんで?」
「今、壊れやすいもの持ってる」
「どこに?」
「ここ」
パーカーの前面についてるポケットを指差す。
「壊れやすいものって何?」
「ミルフィーユ」
壊れやすいものといえばミルフィーユである。見た目も美しいし、味わいも格別だが、デートで食べるとぱらぱらと溢れるわ、下手すると薄いカケラが唇や歯にくっついて、ドリフのようになる。ドリフ好きの相手でなければあまりお勧めしない。
「なんでそんなとこに、なんでミルフィーユ?」
「なんとなく甘いものが食べたくなって……」
そこで、自転車のハンドルを両手で持ったまま、しんみりそう言って少し俯いた。冷静に考えればですね、どこにミルフィーユ買いに行ってたんだって話ですよ。普通、突然何か甘いものを食べたくなれば、コンビニへ行くわけです。自転車で行かずとも徒歩の方が便利でしょ。
「芽衣ちゃん……」
でも、お母さん、今日、警察の人からわたしがトシ君の声が聞こえるというおかしなことを言って、号泣したって話を聞いてるはずだから、これ以上しつこく詮索して来ないだろう。そういう計算があってしんみりしてみせたわけで(厳密に言えば街灯の角度と影の具合が醸し出す効果まで計算にいれていた)、これは成功した。母、髪は相変わらずボサボサだったが、しゅんとした顔になった。鬼婆モードが切れました。芽衣ちゃんのお父さんとお母さんはね、一人娘に弱い。いじめに遭って不登校になりかけてから、なおさらです。
「おうち入りましょう。ご飯できたわよ」
「うん」
「ミルフィーユはご飯の後にしなさいね」
「はい」
自転車に乗らず、母と並んで歩く。車輪の立てるカラカラとした音が夜道に響いた。
「自転車をしまったら手を洗いなさいね」
「うん」
母が先に家に入る。わたしは自転車を車庫にしまいながら、トシ君に話しかけた。
「トシ君、起きてます?」
「んー」
「というか生きてます?」
「……」
「ご飯って何を食べたいんですか?」
「……」
「トシ君?」
やっぱり死んだか?餓死か?
フードから取り出そうとして手を突っ込むと、カエルが目を覚ます。
「自分から出るから掻き回さないでっ」
(芽衣ちゃんにはトシ君の恐怖がいまいち伝わらない。今、芽衣ちゃんはトシ君から見たらガリバーである)
「じゃあ、わたしの手に載ってください」
ちょこんと小さいものが手に載った。それを自分の体の前に取り出そうとして……
「あ……」
ピタン
黄緑色の小さなものを後方のフードから手を引き寄せ前に出し、手のひらの角度を変える時にうっかり落としました。車庫の冷たいコンクリの地面に落ちた。
「ご、ごめん。大丈夫?」
「……」
「死んでないよね?」
そっと屈んで、コンクリの上は冷たいだろうと手を差し出す。のそのそと動いて手にのってきたので、死んではいなかった。
「ね、トシ君、ご飯は何を」
「……生まれて初めて」
「ん?」
「こんな高いところから落ちた」
「……」
(カエルの体長は3センチくらいです。それが、160センチのところから落ちるというのは、人間で言えば28階建てのビルから落ちたのと同じくらいです。ただ、重力は体の重さによってかかり方が違うので、カエルの軽さでは死なない)
「死ぬかと思った」
「すみませんでしたね。さ、行きましょう」
カエルになったばかりなので、色々混乱しているのだろうと思い、優しくすることにしました。一応、聖母マリアのような笑顔で微笑んでみた。家へと帰る道すがら気になっていたことを聞いた。
「寒くないですか?」
「……」
その時、民族や文化どころか、種類の違う人に話しかけていたことを忘れていた。
「芽衣ちゃん」
「はい」
「芽衣ちゃんは今、哺乳類ですが」
「はい」
「僕は残念ながら両生類なので」
「……」
「温度の感じ方が違うことに戸惑ってます」
「そ、そうか」
トシ君、裸だし、ずっと外にいたし、大丈夫かなと思ってたけど、それは哺乳類の考え方だったらしい。
「ご飯何を食べたいですか?」
「何が食べられるかよくわからないけど、米。米なら食べられる気がする」
「虫とか捕まえて持ってきましょうか?」
「……」
あくまで心から親切のつもりで言いました。あくまで。カエルの目が細くなってしばし沈黙した。
「カエルが何を食べるものなのかわからないけれど、そこ、人間に寄せてくれませんかね?」
「でも、消化できなかったらどうするの?」
「とりあえず米なら大丈夫な気がするから、それ以外はいらない」
家に入る前に庭で話してたら、背後でかちゃりと音がした。
「芽衣、何やってんの?」
うちのお母さん、心配性なんですよ……。
「ミルフィーユ食べてた」
「ご飯の後にしなさいって言ってたでしょ?しかも、こんな外で食べなくても」
「ごめんなさい。家の中だとカケラが散ったら掃除が面倒だと思って」
(どれだけ野武士のように育てられてんねんって話ですが、母、その発想の違和感を全くスルーし、穏やかに声をかける。意外と中村家では掃除がめんどくさいものは庭で立ち食いするのが常識らしい)
「早く入りなさい」
咄嗟についた嘘はさっさとけりをつけてしまおうと、ミルフィーユは食べてしまったことにして、カエルを手のひらに載せたまま片手をそっとパーカーのポケットに入れると、家に上がりました。靴を脱ぐと2階に上がる。
「ご飯よ」
「荷物置いたらすぐ降りるから」
トントンと階段上がると自分の部屋に入ってベッドのすぐ脇の出窓のところにトシ君を出しました。のそのそとわたしの手から降りました。その背中に声をかける。
「寒くないですか?」
「……」
ついまた言ってしまった。
「あ、ごめんなさい。トシ君、服着てないし。寒いかと」
「人間の感覚だとそうなるね」
それから、トシ君、キョロキョロした。
「芽衣ちゃんの部屋、初めて入っちゃった」
「見ないでください」
「ずっと目を瞑ってろってこと?」
「それができないのはわかってるから、見ても見てないふりしてください」
「よくわからん」
そして、トシ君は出窓のところでまたクタッとした。
「まだ眠いんですか?」
「眠い」
「このまま冬眠とかしちゃいません?」
「よくわかんない」
そして、トシ君はそのまま寝始めてしまいました。そのままそこに置いておくのがなんか落ち着かなくて、ティッシュを2枚取り出すと何回かおって、一つをトシ君の下にもう一つをトシ君の上にかけた。カエルを持ち上げてティッシュ式敷布団に載せる時に起こしてしまいました。
「芽衣ちゃん」
「ん?」
「人間じゃないんだから、掛け布団も敷き布団もいらないよ」
「でも、なんか寒そうで」
どうしても抜けない感覚である。見てると寒いのだ。体の下と上にティッシュをかけられ、どうでもいいと思ったのかそのまま寝始める。
「芽衣ー」
一階からお母さんが呼びかける。
「はいはい」
部屋を出る時に、電気を消しつつ振り返る。そこからはもうトシ君が寝ているのかどうかよく見えなかった。




