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St.Valentine’s Day④













   St.Valentine’s Day④













***













   そして、カメラはまた少し時間を戻る。

   自転車に乗って松尾家を目指した芽衣ちゃんの背中を追います。













日の暮れた道を自転車を飛ばしてく。どこの家にも灯りがついていて、いい匂いや料理をしている音が漂ってくる。冬ってあまり好きではないのだけれど、だけど、家に帰って温かい夕飯が待っている時、一番幸せになる季節はやっぱり冬だなと。そんなことをぼんやり思いながら自転車を漕いでました。


自転車に乗ると風になぶられるから冬が余計寒い。もう、ほんと、お母さんって時々手に負えない子供みたいなんだから。


トシ君や春菜ちゃんちの近くまでたどり着くと近くの公園に入りました。前も用事があった時にこの公園には来たことがある。自転車を適当に止めるとポケットから携帯を取り出した。コール音を少し聞いた後で、トシ君の声が向こうから聞こえてくる。


「芽衣?」

「うん」

「どうしたの?」

「あの、ごめん。わたし、もう一個渡さなきゃいけないものがあるの、今日、忘れてて」

「え?」


電話の向こうできょとんとされた。そりゃそうだ。若干意味不明。


「トシ君ちの近くにいるんだけど」

「え、今?」

「うん。近くの公園」

「ああ、ちょっと待ってて」


しつこく色々聞かれることはなく電話は切れました。トシ君を待つ間、ブランコに座った。錆びた古びたブランコ。そう遠くはない昔に、ここにトシ君と春菜ちゃんが並んで座って、芽衣ちゃんの話をしていたことを芽衣ちゃんは知らない。


「芽衣」


ほどなくトシ君がきた。公園にたどり着いて、芽衣ちゃんの姿を見つけると近寄ってきた。


「どうしたの?」

「ああ、あのね」


言いながら、ブランコに座った姿勢で両手を右と左のポッケに突っ込みガサゴソと探る。右でした。上品な小さな包みを引っ張り出す。それから立ち上がってトシ君の前に立った。


「これ、あげる」

「え?」


不思議そうに手渡された小さな包みを眺めるトシ君。


「まだ、あったの?」

「それね、あの、その……」

「その?」


渡した包みを指でさしつつ、ちょっと若干恥だなと思う芽衣ちゃん。しかし、仕方ない。


「母からです」

「え……」

「すみません」


なぜか勢いで謝ってしまった。お辞儀する。ぺこり。


「芽衣のお母さん?」

「うん」

「なんで?ていうか、俺のこと知ってるの?」

「まぁ、小さい街だから見かけられてて」

「ああ……」

「わたしが渡すついでに渡してって預かってたの、忘れてて」

「そうなんだ」


ブランコの周りに囲むように手すりがあって、そこに軽く腰掛けたトシ君。芽衣ちゃんも並んで腰掛けた。


「ちっちゃいね」

「ああ、なんかね。娘より立派なの贈ってはと思ったみたい」

「そうなの?」

「あ、でも、これちっちゃいけど、すごい高いやつだよ」

「へぇ、開けてみていい?」

「いいよ」


綺麗なリボンを解いて中を覗く。形はシンプルに四角いのですが、金色のスプレーで吹き付けたようなデコレートが美しい。例えていうなら空に散らばる星のよう。


「すげー、綺麗」

「味も美味しいよ」

「芽衣、食べたことあるの?」

「同じのじゃないけど、同じお店の、たまーにね」

「ふうん」


するとトシ君不意に包みの中のチョコを一粒取り上げた。


「あげる」

「え?」

「芽衣が食べて」

「でも」

「はい」


口元に捧げられて、芽衣ちゃん、困った。しかし、ま、いいかと思う。母にはちゃんと渡したと言おう。ここまで運んだ駄賃だ。パク。


「美味しい?」

「うん」


こんな適当な場所で食べてはならないような、なめらかな舌どけのするチョコでした。ほおっとした顔をしている彼女を微笑みながら見てたトシ君、不意にいう。


「俺、芽衣からもらったの以外は食べないから」

「え?」

「今年も、来年も、ずっと」

「……」


ちょっとため息が出た。

わたしなんかやめておけといっても、トシ君は、来年も再来年もわたしと一緒にいるつもりなのか……。


「嬉しそうじゃないね」


トシ君は寂しそうに笑った。


いつもならここで、一緒にいることはあなたのためにならないと何度も繰り返してきた言葉を言うはずだった。だけど、なぜだろう?今日は違う言葉が浮かんだ。


「今日」

「うん」

「かわいくない態度とってごめんなさい」

「……」


何を言われるかと身構えて傍の芽衣を覗き込んでいたトシ君が、目を丸くした。


「わたし、人に嫌われるのが怖いから」

「うん」

「ひどい態度取ることなんて家族以外ないのに」

「うん」

「なんか、トシ君にはそれがうまくいかなくて」

「……」

「ちょっと自分でも困ってる」


芽衣ちゃん、自分を覗き込んでる彼氏の方は1ミリも見ずにまっすぐ前を見てました。トシ君、芽衣ちゃんのすぐ傍で、ちょっと息を呑んだ。それから、自分の手すりに腰掛けてた体を浮かせると芽衣ちゃんのもうちょっと近くに座る。それからそっと後ろから芽衣ちゃんの体に腕を回して、自分とは遠い方の芽衣ちゃんの手に自分の手を重ねた。ちょっと怒られるかなとビクビクしながら。


「俺は」


トシ君が話し出す顔を芽衣ちゃんはそっと首を動かして見た。すぐ近くにトシ君の顔がありました。


「芽衣が俺にひどいこと言う時は」

「うん」

「芽衣が言ってるんじゃなくて、芽衣の病気が言わせてるって思ってる」

「病気?」

「芽衣ちゃんはわたしなんか病にかかってるから」

「何それ」


 トシ君の腕の中で芽衣ちゃんがぷっと笑う。彼女が笑う振動も、その体の温かさも今はくっついてる部分から伝わってくる。芽衣ちゃんの笑った顔を見ながら、トシ君も優しく微笑みました。


「そういうネガティブな感情は、誰にでもぶつけられるものじゃないと思うんだけど」

「うん」

「俺なら聞くから」

「……」

「多分、そう言うのを誰にも見せずに隠しておいてもその病気は治んないんだよ。俺ならいつでも聞くから。俺は芽衣がひどいこと言いまくった後には、治ると信じてるからさ」


 芽衣ちゃん、今度は笑わずに、ちょっと泣きそうになりながらトシ君の方をまっすぐに見てました。


「治る?」

「治る」


 すごい時間かかったけど、やっと俺の言葉が届くようになってきたのかも。まっすぐこっち見てる芽衣ちゃんを見ながらそう思うトシ君。この子、目を合わせて話してくれない時が結構ある。今日はちゃんと俺のこと見てる。


「芽衣は今の自分、好き?」


 芽衣ちゃんは激しく被りを振った。


「わたしは昔っから自分が大嫌い」


 トシ君、そんなふうに言う芽衣ちゃんをちょっと悲しい顔で見てました。


「芽衣が自分を嫌いになっちゃったのは、芽衣が本当につまんないやつだからとかじゃなくて、周りのせいなんだよ」

「……」

「俺には芽衣が、そんな嫌いにならなければならないような人には見えてないんだけど」


 自分から変わらないと、人は永遠に同じ自分のまま。例え、自分のせいではなく今の自分になったのだとしても、そうした相手とか出来事に文句を言い続けても、自分は変わらない。自分のせいではないのにと人生に文句をつけても、何も変わらない。


「わたし、本当に治るの?」

「たぶん」

「……」

「芽衣はどうしたい?」


 芽衣ちゃんはトシ君の顔をじっと見てました。


「よくわかんない」

「うん」

「そんなふうに考えたことなかったから」


 芽衣ちゃんがしていたのは、自分が完全にこの人なら大丈夫だと思う相手に対して窓を開き、そして、そうではない人たちを自分の世界から排除すること。その窓をこれ以上大きくすることとか、窓から誰かを侵入させることなんてあり得ないことでした。


 正直言うと、自分を混乱させるトシ君の存在は、迷惑だったと言ってもいいのかなぁ。


 ただ、もしも、自分が変われるなら……。

 自分は一生このままだと思い込んでいたから。

 でも、変われるなら、わたしはどんな自分になりたい?


「もうちょっと頑張ってみてもいいのかな」

「うん」

「でも、失敗したら怖いんだけど」


 そう言って芽衣ちゃん不安そうな顔でトシ君を見上げた。


 芽衣は、人一倍、繊細なんだよな。

 彼女の小さくて柔らかな手を自分の手の中で何度も撫でながら、なんて言ってあげればいいんだろうとトシ君は、考えてました。なんて言えばいいんだろう?彼女の爪の大きさや形が自分のそれと違うことを指でなぞって確かめながら。


 言葉なんて本当はきっと何の役にも立ちません。

 言葉はよく、軽く滑る。喋れば喋るほどに嘘っぽく聞こえることもあるし。


「芽衣ちゃんが治って」

「うん」

「毎日をもっと楽しく生きてくれたら、俺もそりゃ嬉しいけど」

「うん」

「そうならなかったとしても少なくとも」

「少なくとも?」

「俺は芽衣のそばにいるし」

「……」

「仮に芽衣が失敗しても、俺はそばにいるし」


 何かもっとうまいこと言えたらいいのにね。ただね、これは嘘じゃない。自分の片手をトシ君に預けたままで、腕の中にいた芽衣ちゃんが笑った。


「トシ君の人生、そんなんでいいの?」

「いいですね」


 芽衣ちゃんがもう一回笑った。その顔を見てると、心の奥の方がじんとする。好きな人には笑っててほしい。誰に対してもこんなこと、感じるわけじゃない。


「トシ君、優しいからダメなわたしに同情してるだけじゃないの?」

「つまり、勘違い?」

「そう。で、わたしが元気になったらわたしに興味がなくなるの」

「芽衣は元気にならない」

「は?」

「完璧には元気になれないから、だから、俺が必要なの、ずっと」

「なんじゃそりゃ」


 芽衣って笑おうと思ったら、こんな風にも笑えるんだ。その明るい笑顔は、ちょっと別人のようだったと思う。その後、芽衣ちゃん、トシ君の方を見てたのを顔を逸らしてしまいました。それから、ポツリといった。


「ありがとう」


 それが、最初は自分一人の心の中で始まって、春菜ちゃんの助けを借りて形にして、それからずっと追いかけてきた恋愛が、自分は一度完全にこの人に拒絶されたこともあるし、それが、初めて報われた瞬間だった。


 トシ君、むっちゃじんときた。そりゃそうだ。今までずっと何度も、壁を作られてきた。一度も自分がそばにいることを芽衣が喜んでいると感じられたことがない。初めてありがとうと言った。目は合わせてくれなかったけど。


 それで気が緩んだのもあるし、このくらいなら許してくれるかなと。まだ前を見てる芽衣ちゃんの髪に顔を寄せる。柔らかな髪の毛からいい匂いがした。


 チュッ


 前を向いてた彼女がパッとこっちを見て、じっと見られた。


「ごめんなさい」

「……」


 ここまでか……。やっぱり。トシ君が唇を寄せたのはもちろん、芽衣ちゃんの唇ではなくて、頬ですらなかった。髪の毛にちょっとチュッとやっただけ。芽衣ちゃん、トシ君のことしばらく無言で見つめた後にパッと前を向いた。


「もうそろそろ帰んなきゃ」


 そして、トシ君の腕の中からパッと立ち上がってしまった。ちょっと、いや、かなりガッカリしながら、トシ君も立ち上がる。それから、止めてあった自転車の方へ向かう芽衣ちゃんに向かって声をかけた。


「ごめん、怒った?」


すると振り向いて不思議そうな顔をした。


「なにに?」


鍵を外そうとした手を止めてじっと見てる。


「いや、別になんでもない」


鍵を外して自転車に乗ろうとしている芽衣ちゃんに言った。


「送ってく?」

「どうやって?」

「自転車とってくる」

「いいよ。めんどくさい」

「じゃ、走って送ってく」


芽衣ちゃん、笑った。


「なんのトレーニング?」

「あまり速く漕がないでね」

「いらない、いらない」

「ほんとに?」

「大丈夫だから」


笑いながら手を振って断られてしまいました。


「じゃあ、またね」


そう言って夜の闇の中に消えていく。もう会えなかったらどうしようとその時唐突に思った。それで、後で電話しようと思う。セカセカと歩くつもりにはならなくて、かといってトボトボというのでもなくて、今はただ時がゆっくりと過ぎて欲しいと思う。忘れられない夜がもう少し、続いてほしい。今日が終わらないでほしい。そう思いながらゆっくりと歩いた。


 それからぼけっと思う。芽衣、怒んなかったな。いやがんなかった。あそこまでで怒らなかったってことは、どこまでなら怒らないんだろう。


 家にたどり着き、入った。

 

***


「お兄ちゃん、ご飯だよ」


春菜ちゃんと電話で話してたらえりちゃんが呼びにきた。


「あ、なんか、飯できたって。じゃあ、またな。春菜」

「ああ、うん」


電話を切ってベッドから起き上がる。えりちゃんはトシ君の部屋を見回して机の上の紙袋を見つけた。


「え、何、これももらったの?」


手を伸ばして触ろうとした。


「触るな」

「へ」


伸ばしてた手をそのままに、トシ君の方を見る。


「触るな、そして、絶対に食うな」

「へ……」


ポカンとしてる妹の横をすり抜ける。えりちゃんがついてくる。二人でトントンと階段をおりる。


「お兄ちゃん、あれ、何?」

「ケーキ」

「冷蔵庫入れないで大丈夫?」


階段の途中でピタと止まる。


「チョコレートのケーキって外に置いといたらダメなの?」

「冷蔵庫入れといたほうがいいでしょ」

「……」

「心配しなくたって誰も食べないわよ」

「じゃ、後で入れる」


真夜中に入れようかと思う。妹が下から兄の顔をジロジロと見ていた。


「あれは本命の子からなんだ」

「……」

「あの時々、放課後に会ってる子?」

「え……」

「知らないと思ってた?みんな知ってるよ」

「みんな?」

「狭い街だからねぇ」


ケラケラと笑ってる。それから階段の途中で兄を追い越してトントンと足音軽く下りてゆく。


「おかあさーん、お兄ちゃんがねぇ」


あ、ばか、えり、言うなよと言って止めに入ったのは幼い頃だ。昨今ですね、人の口に戸は立てられない。


そして、ふと思い出した。そうだ。芽衣、家にちゃんと着いたかなと。スマホ取り出した。芽衣ちゃんにかけるとほどなく出た。


「もしもし」

「ちゃんと家にいる?」

「なに?いるよ」

「いや、心配になって」


はぁ、ため息つかれた。


「え、なに?ごめん、しつこかった?」

「別に謝んなくていいよ。それだけ?」

「うん」


俊之、何やってんのと後ろで呼ばれてる。


「じゃあね」


電話が切れた。


芽衣ちゃんがため息をついたのは、芽衣ちゃんはね、一人っ子なんです。そりゃもう、お父さんとお母さんにめちゃめちゃ大切にされてて、四六時中心配されてんです。そのお父さんとお母さんと似たような人がもう一人増えちゃったなと。


贅沢なため息です。


***


その次の日の朝、冷蔵庫を開けた美津子さん。いちばん上の目立たないところになんか入ってるのを見つけた。


なんだ?


冷蔵庫は自分の縄張りです。本能でそれを取り出す。すると、食べかけのチョコケーキだった。ビニール袋の中に紙が入ってた。食べるなと書かれてる。


「あら……」


これが昨夜えりの言ってたケーキかと。しばし眺める。

違う違う。冷気が逃げちゃうわ。冷蔵庫の元あったところにケーキを戻す。そして、卵を取り出すとパタンとしめた。目玉焼きを焼くためにフライパンに卵を割り入れながら、思う。


あの俊之がねぇ。


母親がこんなふうにしみじみ思う時、必ず頭の中に生まれたばかりの頃の様子を思い浮かべている。それから、ごく普通に、相手ってどんな女の子かしらと思う。まぁ、でも、わざわざあんなケーキ手作りで作ってくれるのだから、大切にされてるってことでいいのかしらね。


本当はそこ、違うんですけどね。ごめんなさい、お母さん。


ちゃんとおいしいのかしら?


そして、じゅうじゅうと音を立てるフライパンの前でフライ返しを片手にはたと思う。美津子さんの中では、料理が上手な人に悪い人はいないのである。しかし、これは科学的な根拠による判断ではございません。


ちょっと薄く削って食べてみようかしら?薄く削ったぐらいなら、食べたって気づかないんじゃないかしら?


トシ君、ここはやはり、食べるな危険と書いて、髑髏マークまで描き入れた方が良かったんじゃないかね?しかし、そんな危険なものを何でわざわざ自宅の冷蔵庫で冷やしているのかが謎だが。












   おまけ バレンタインから数週間後、とある週末














 バレンタインには少し肩身の狭い思いをしていた飯塚春菜と愉快な仲間たち。そんな日は何処へ?またいつもと同じくバレーに青春を叩きつけていた。よっしゃー!そして、そんなとある週末。練習試合で隣の高校の体育館にお邪魔していた時のこと。一試合目が終わって二試合目までの休憩時間のことだった。例によって例の如く春菜ちゃんたちに金魚のフンみたいにくっついてきてた芽衣ちゃん。体育館を出てトイレに行ってまた体育館に戻ってきたところで呼び止められた。


「ちょっとあんた」

「はい」

「あんた、Y高の一年生だよね?バレー部?」

「みたいなものです」


練習試合にお邪魔していたD高の、多分向こうも一年生だろう。数人の女子に声をかけられた。


「ちょっと顔貸して」

「……」


映画や漫画の中でしか見たことのないようなセリフを真ん中にいた女の子が口にしてクイッと顎を引いた時、芽衣ちゃん、ポカンとした。


「わたしが何かしたでしょうか」

「いいからちょっと」


なんで他校生に絡まれねばならんねん。となぜか関西弁で思いつつ渋々後をついてゆく芽衣ちゃん。


とは言ってもね、芽衣ちゃんに関しては春菜ちゃんたちがいつも動向を気にしてるので。トイレに行った後帰って来ないと、春菜ちゃんともう一人の女の子(A子:名前はまだない)があたりを探しにきた。すると、体育館裏である。定番の場所じゃないですか。数人の女子に囲まれている芽衣がいる。


「ほんとにあんたが松尾くんの彼女なわけ?」


あ、絡まれてるなと思い前に出ようとした隣のA子の腕を掴む春菜ちゃん。


「春菜?」

「もうちょっと待って」


手前の角のところからそっと覗く。見られているとも知らずに続ける皆さん。


「はぁ、まぁ」

「ねぇ、悪いこと言わないからさぁ、別れてくんない?」

「……」


映画の中や漫画の中でしか見たことのないようなセリフを本当に使っている人がいる。結構びっくりして口のきけない芽衣。カルチャーショックである。


「ちょっと聞いてる?」

「はぁ」

「ね、別れてくんない?」


この人は、取引というのはお互い何かを持ち寄って交換するから成り立つということを知らないのだろうか?そして、芽衣、なんと返せばいいのだろうとちょっと考える。わかりました。別れる代わりに何かくださるんですか?でも、金品等をくれそうなほどにリッチそうにも見えないし……。途中までうっかりちゃっかりその申し出について検討した後、あ、でも、春菜ちゃんに一生口きいてもらえなくなるな、と思い当たる。


「わたしが別れたからといって、松尾くんがあなたと付き合うかどうかは本人次第だと思うんですが……」

「それもそうなんだけど、だけど、あなたみたいな人が松尾くんの彼女だなんてなんかムカつく」


こんなこと直接いう人いるんだ。またもやカルチャーショックを受ける芽衣。それからまた考える。なんて答える?わかりました?


「確かにわたしも、なんかしっくりこないなぁってずっと考えてたんですけど」

「けど?」

「ただ……」

「ただ?」


この時、隠れてた春菜ちゃん、芽衣ちゃんがなんて答えるのか待っていた。トシの気持ちについてはいつも本人が話すから知ってる。でも、芽衣は全然話さない。だから、芽衣の気持ちについてきいてみたかったんです。


「いないとわたしも困るんです」


芽衣ちゃんは思ってました。自分が変われるかもしれない。変われるってトシくんが言った。こんなややこしい女の子のそばにいて、ひどいこと言われても離れていかない男の子なんてそんな簡単に見つからないでしょう。だから、トシくんと別れたら、多分自分はもう自分のこの捻くれてしまった心が治るかもしれないなんて期待しながら、誰かと過ごすことなんて一生、二度とない。


それは困るんです。


「松尾くん本人が別れようというなら聞きますけど、自分からは言えません。ですからそういう話は本人の方にしてください」


そこまできっちり言わせた上で、突然姿を現す春菜。


「ちょっとあんたたち、何してるの?」

「あ、D高の飯塚だ。逃げろっ」


蜘蛛の子を散らすように逃げられた。


「え……」


あからさまに怪獣のように恐れられて流石にショックを受ける春菜。


「春菜、すごいな現れただけで敵を散らした」


春菜にあらためて畏敬の念を覚えるA子。


「あ、ちょっと待って、お名前をー」


なぜか芽衣が追おうとする。A子がその腕を捕まえる。


「こら、芽衣。何しとんじゃ」

「いや、だから、お名前を」

「なんでや」


なぜか関西弁、許してください。


「いや、トシ君に報告しないと」

「いらんだろ、別に」


春菜が二人に声をかける。


「行くよ。芽衣」


春菜ちゃんに声をかけられておとなしく子犬のようについてくる。


***


そしてその1週間ほど後

市立図書館にいるトシ君と芽衣ちゃん


三学期も終わりに近づき、学年末試験があるために部活は休み

一緒に勉強しようと出てきてたのです。


お昼が近くなってきた。ちょっと離れて勉強してた芽衣ちゃんに声をかけるトシ君。


「芽衣、お昼、どうする」

「サンドイッチがあります」

「じゃあ、俺は何か買うか」

「トシ君の分もあります」

「え……」


付き合ってるっていいつつも、若干疑問な関係を長く続けているもので、芽衣ちゃんの方からスペシャルな待遇を受ける可能性が自分にあるということを完全に理解していないトシ君。


「作らないほうが良かった?」

「あ、いや……」


そして、気の利いたことをもちろん言えずに二人で連れ立って外へ出る。いちばん寒い時期を越えて今日は心なしか温かい気もしないでもない。ご苦労なことに今日も舟にのった観光客が水路をゆく。上から眺めた。外のベンチに並んで腰掛けて芽衣ちゃんがカバンからサンドイッチの入ったボックスと水筒を出してきた。温かい紅茶が入ってました。芽衣ちゃんの膝の上にボックスを包んでいたクロスを広げて、その上にサンドイッチを置く。


「これがハムとチーズで……」


ランチボックスの蓋を開けてサンドイッチの種類の説明を始める彼女を目の前に、少し気が遠くなりかけたトシ君。俺、朝、ちゃんと起きたっけ。これは夢でもうそろそろちゃんと目が覚めるのではなかろうか。


「どうしたの?」

「あ、いや、なんでもありません」


説明が終わると、ウェットティッシュが出てきました。やはり女子力高いです。芽衣ちゃん。ウェットティッシュを受け取って、しかし、手を拭かずにトシ君聞く。


「これ芽衣が作ったの?」


そうか、そうだよな、夢でないのだったら、これはバレンタインにチョコまでくれた芽衣のお母さんが……


「うん」


お母さんが……


「春菜がどっかそこら辺から出てくるんじゃないの?」

「へ?」


そうだ。春菜も実は呼ばれてて、図書館のどっかで隠れて勉強をしていて、お昼に合流するんだろう。


「さっきから何を言ってるの?春菜ちゃんが今日どこにいるかなんて知らないよ。どれがいい?」

「じゃあ、玉子がいい」

「はい。あ、手、まだ拭いてないね」


ウェットティッシュで手を拭いてから、もらったサンドイッチを食べました。


「トシ君、どうしたの?泣いてる?」

「いや、なんか、目に埃が……」


おい、しっかりしろ。俊之!今までの出来事、特にバレンタインのケーキが実は春菜のものだった事件以来、この人、ちょっと軽いPTSDにかかってるんじゃないかと思う。


苦節……何年だろう?こんな普通に彼氏と彼女がやってそうなことを自分がする日が来るなんて夢に見たこともなかった……と思うトシ君。


「あ、そういえば」

「なに?」

「この前トシ君の高校の女子バレー部の人と練習試合をしたんだけど」

「うん」

「なんか、バレー部の一年の人に絡まれた」

「男?」

「だから女子バレーって言ったじゃん」

「なんで」

「トシ君と別れてって言われた」

「は?」


なんて余計なことを言う輩だ。どこのどいつだ。


「どこのどいつ?」

「名前を教える前に逃げてっちゃってさ」


飯塚春菜が一歩前に出ただけで、蜘蛛の子を散らすように逃げてった。あの時の春菜ちゃん、大将みたいでかっこよかったよね。


「あ、でも、ちょっと待ってね」


食べかけのサンドイッチを一旦置くと、脇のカバンから小さなノートを取り出す芽衣ちゃん。


「高田 165、体重 はてな これか?」

「なんだ?」

「じゃあ、これ、大坪 157 身長は低いが冷静な判断でトス回しが高評価、体重 はてな これか?」

「何を読んでるの?」

「ああ、他校の女子バレー選手、調査票というか」

「へ……」

「体重だけはなかなかわからなくてさ」


チーン


「どうやって集めるの?そんな情報」

「そりゃ、コツコツと培ってきた草があっちにもこっちにもいるからさ」


ここで言っている草というのはちなみに、ネット用語のそちらではなく、スパイという意味でした。


「……」


トシ君、若干引いてます。


「勝負は情報戦だよ!これでも最近は監督に重宝がられてて、やっと部員になれそう。マネージャーとして」

「芽衣って部員じゃないの?」

「うん」

「でも、こんな頑張ってるんだ」

「だってそりゃ」


急にキラキラとした目になる芽衣ちゃん。


「春菜ちゃんのためだものっ」


チーン


「春菜ちゃんが高校を卒業するまでに少しでも高みに上るお手伝いをしたいのっ」

「ああ、そうか」


やっぱり、俺、一生、春菜にだけは勝てない気がする。


「ではなくて」

「ん?」

「なんか思い当たる人いない?このリストの中に」

「うーん」


ノートを覗き込んで名前を上から眺める。


「トシ君のことが好きだからあんなことしたんだと思うよ」

「でも、よく知らない。わかんない」

「そっか」


ま、いっかとノートをカバンにしまう芽衣ちゃん。


「次は何食べる?」

「ツナがいい」

「はい」


***


その日、芽衣ちゃんと別れてからの帰り道、トシ君。何度も何度も同じことを考えてました。


バターとチョコを溶かして、卵黄を泡立てて、薄力粉を振るって……


(なぜ、ガトーショコラの作り方を知ってる?トシ、ま、それは置いといて)


その時は芽衣、春菜のことを思いながらケーキ焼いてたんだよな。それは俺が食ったけど。でも、今日は……


玉子茹でて、刻んで、塩胡椒して、マヨネーズであえて……


芽衣、今日は俺のこと考えながらサンドイッチ作ってくれたんだ。


こんな日が来るなんて思わなかった。感無量。ちなみにこの時のトシ君ハイパーにぼうっとしてた。例えるなら電柱にぶつかったり、柳川らしく間違って水路に落ちて舟に乗ってる観光客に笑われた挙句写真を撮られるくらいぼうっとしてた。ベタな展開なのでそれは書きませんが。


人生って素晴らしいな。そうだ、今日をサンドイッチ記念日と名付けよう。これから先、折れそうなことがあったらこの日を思い出して、この、ロングアンドワイディンロードを乗り切ろう。


ローング、アーンド、ワイディンロード……


かなりいっちゃってます。


しかしですな、全くもって認識されていないからここであえて苦言を申しますが、君、えりちゃんがわざわざお兄ちゃんに持ってきた、チョコに付随していた手紙やカードを読んでいませんよね?つうか、自分が誰からチョコもらったのか、全く把握していませんよね?


この芽衣ちゃんに対する態度とその他女子に対する態度の二面性に若干引いちゃうんだけど。


つうかな、君、気をつけないといつか、女に刺されるぞ。ぐさっとな。

それが嫌なら、ワタクシに貢ぎ物を持ってきなさい。プラス、その他女子についてももうちょっと配慮しなさいよっ!圭介君じゃないけどさ。


第二章の本編へと続く。

To be continued……

2023.05.24


どうでもいい語注


呼ばれて飛び出てジャジャジャジャン

ハクション大魔王 第一作 1969−1970年 第二作 2020年

大魔王が出てくる時のセリフ

念のため言っておきますが、第一作の時は生まれておりません。なんで知ってんだろ?


チロルチョコ

日本でロングセラーとなっているチョコレート駄菓子。1962年発売開始。

新発売のチロルチョコピスタチオ生チョコ仕立てが気になる……。


ロングアンドワイディングロード(The Long and Widing Road)

John Lennon,Paul McCartney作成によるビートルズの楽曲でございます。 


手のひらを太陽に

日本の童謡、作詞やなせたかし、作曲 泉たく。1962年 NHK みんなのうた

なんと、アンパンマンのやなせたかし先生作詞だったとは。ちなみに、念のため言っておきますが、1962年には生まれておりません。


恋する人の背中には翼が生えている

ネット検索したけど出てこなかったわぁ。誰の言葉なんだろ?……私?

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― 新着の感想 ―
[一言] 汪海妹様 いつも楽しく拝読しております<(_ _)>(*^-^*) ほのぼのハッピーのひと段落ですね! D高の飯塚だ! うーん これもすごい そして 草 を自認する芽衣ちゃんも …
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