僕たちのサボタージュ④
僕たちのサボタージュ④
***
そして、問題の水曜日の朝
家は普通の顔をして出ました。それからしばしいつもの通学路をトコトコといきました。後ろを振り向いた。もちろんそこに芽衣ちゃんを見送るお母さんの姿はありません。それから芽衣ちゃん、おもむろにスマホを取り出した。それから、チラチラと周りを見回す。
周りには芽衣のように通学する人たちや勤め先へ向かうのであろう大人たちの姿がちらほらとある。そっと、そんな人たちの流れから抜けていつもの公園に入りました。少し離れたところに犬を散歩させているおじいさんが見えた。その人に背中を向けてスマホを握る。
どっちからいこう。
それで、言葉数が少ない方、つまりは、教えてもらった番号でトシ君の高校に電話をかける。
呼び出し音を聞きながら、これでもかというほどドキドキしました。大丈夫、大丈夫。
「はい」
「あ、あのっ」
予定よりも高い声を出してしまいました。それから、こほんと咳払いをする。後ろの方で犬がワンと吠える音がした。
「俊之の母ですが」
「ああ、松尾の。どうかしましたか?」
「実は、昨夕から熱を出してしまいまして」
「へぇ、昨日はピンピンしてたのに」
「……」
今日のことがあるのだから、ちょっとぐったりしといてもよかったんじゃないのかーいと思う芽衣ちゃん。
「何度ぐらいの熱を出したんですか?大丈夫ですか?」
「あ、いえ、大したことはないんですが」
「はぁ」
「念のため病院に連れて行こうかと」
「ああ、そうですか」
「今日は休ませます。よろしくお願いいたします」
「ああ、はい。お大事にされてください」
なんとか一件済みました。やれやれ。
はっはっはっは
妙な音にハッとする。自分の足のあたりを見るとそこには芝犬が無垢な瞳で芽衣ちゃんを見上げてる。
「お嬢ちゃん、どうしたの?学校行かなくていいの?遅刻しないの?」
地方の人って親切だよね。
「あ、今日は学校に行く前に病院によらなくちゃいけないんで」
「そうなのか」
戸板に水が流れるように嘘がペラペラと出てくる芽衣ちゃん。
「どこが悪いの?」
「……」
田舎の人って好奇心旺盛だよね……。特にご老人。
「み、耳がっ」
「耳?」
「中耳炎なっちゃって、あ、でも、もう治りかけなんですけど」
戸板に水が流れるように嘘がペラペラと……(以下略)
「あ、中耳炎」
「そう、中耳炎」
近所のおじいちゃんと中耳炎ネタで盛り上がっているわけにはいかないんだけど。
「あれ、痛いよね!」
しまった。高齢者は暇だということを忘れていた……。朝から捕まってしまったぞ。しかも、こんな日に!
「あ、すみません。病院の予約の時間があるんで」
要領よく切り抜けた芽衣。犬を連れて、中耳炎ネタはここからがいいところなのにと若干の残念な顔を見せてるおじいちゃんを置いて公園を出る。しまったな。路上では電話がかけづらいぞと。そこで次に芽衣が入り込んだのは……。
ちょっと迷ったが、コンビニのトイレである。店員が見てない隙を狙って某全国チェーンのコンビニのトイレのスライド式ドアをスライドした。忍者のように中に入り素早くしかし静かにドアを閉めて鍵をかちゃりと閉めた。
こほん
あんまりのんびりはしてられない。あまり遅くなると欠席の連絡をするにしては不自然だ。呼び出し音がなる。またドキドキする。うまくできるだろうか。
「はい」
「あの、1Bの中村芽衣の母で……」
「あら、中村さんっ」
すると突然芽衣の担任の中年女性教師が朝から声をはずました。
「この前いただいた梅干しが本当に美味しくて」
「うめぼ……」
某有名コンビニの清潔なトイレの片隅で、頭が真っ白になる芽衣。
「それにほら、糠漬けも」
「ぬか……」
「本当にお料理お上手ですよねぇ。全部手作りで」
「はぁ、いや、それほどでも」
「あら、風邪でもお引きになりました?」
「あ……」
「いつものお元気が感じられないような……」
現役女子高生よりも元気な中年女性、中村美月。そこで、咄嗟に電話口でゴホゴホとする芽衣。
「実は娘に風邪をうつされまして」
「あら、じゃあ、中村さん、今日、休み?」
「ええ。皆さんにうつしてしまってもなんですので」
「ああ、中村さん、風邪にはあれがいいわよ」
電話口の向こうで勢いづく女性教師。
「にんにく味噌」
チーン
「なんなら、今日の夜にお届けしますよ。梅干しのお礼も兼ねて」
「あ、いや……」
「遠慮しないでいいですよ。あ、じゃあ、このへんで。お大事にー」
切れた……。
しばし、コンビニの清潔なトイレの中でどっと疲れた芽衣。なんて一方的な人なのでしょう。しかし、意外とこの年代の人に一方的な人というのは多い。というか、お母さん、いつの間に学校の担任と仲良くなってたのだろう?やれやれ。
とりあえずカラカラと個室のドアを開けました。すると、トイレを出て数メートル前方で屈んで棚に製品を置いているコンビニ店員とバッチリ目が合った。じいっと見てくる。
「なにか?」
「ああ、いや、別に」
まだ若いもやしのようにひょろっとした男性店員は、ふいっと視線を棚に戻す。朝からトイレに閉じこもった女子高生を見て、うんこなら家でしてこいよとでも思われたのだろう。突然催したに違いない。この女子高生めとでも思われたのに違いない。不名誉なことである。だが、仕方がない。用は足していないのだが、手を洗い、ハンカチでしっかりと手を拭いた。ため息が出る。割と当初予定していなかった小さなトラブル、予想外の出来事というのが起こるものなのだな。こういうことは。
モタモタしている間に 登校の時間は過ぎてしまってる。もし、街中で「君、何をしているの?」と咎められたら、さっきの柴犬がして見せたような害のない瞳でもって「病院へ行ってから学校へ行くんです」と嘘をつこうと頭の中で思いながら、てくてく歩く。そして、ふとしまったと思う。というのはですね、さっきわざわざトイレに入ったのだから、着替えてしまえばよかったなと。そうすれば街を歩くときに周りの視線を気にする必要も、誰かになにか聞かれたらなんて答えようなんて考える必要もなかったじゃん。
ま、しょうがないか。
バスに乗って駅へ向かう。何度も利用したことのあるバスだけど、不思議とドキドキしました。それは、本来なら学校にいるはずの時間に、いるはずのないところに、それも、制服でいる。
うー、やっぱ着替えればよかった。
こんなことするまで気づかない。わたしはやっぱり小さいハートの持ち主だったなと。こんなことは今回限りでもう二度とすまい。バスの座席に心なしか縮こまりながら、地味に後悔してた。自分は大物スパイとかにはなれそうにないなと、なる予定があったわけでもないのに思い浮かべてちょっとがっかりしてみる。
そんな芽衣の心を知ってか知らずかバスは駅のロータリーに滑り込みました。何度も利用したことのある駅。そして駅の近くにそれがあるのを前から知ってましたけど、あることを知りつつ、まるでそれが透明であるかのようにその存在をすっぽりと忘れてたものがあった。バスを降りようとしながら窓の外を見ながら芽衣ちゃん気がついた。
それは交番である。
交番のおまわりさんはもしかして、制服を見たらどこの高校かわかるのじゃ?今はもう学校の始まる時間だし、そんな時に電車通学でもないのに駅へ向かうY高生を見かけたら不審に思って職務質問をしてくるのではなかろうか?されなかったとしてもどこへ行くのだろうと観察されるのでは?
問題はこうなんです。
駅前はロータリーになってる。バスを降りたところから駅へ向かうとしたら、交番のある側の半円を通った方が近いんです。しかも、駅のトイレは交番と駅の正面出口の間にある。もし、反対側を行ったら遠回りです。しかし、制服でこの時間にお巡りさんの前を堂々と通るのか?
それなら、遠回りだけど反対側から行くか?
しかし、ロータリーは見晴らしが良い。おまわりさんは駅前で何か異常事態が起きていないのか見守るのが仕事なわけだし。女子高生がぐるっと遠回りをして駅前を歩きしかも駅に入らずトイレに入る。明らかに挙動不審ではないか。わたしは交番を避けてますとでも言っているようだ。それで、変な女子高生だなと思ってた子がなかなか出てこない。
もし、注意力の高い人で、わたしが着替えて出てきた時に、女子高生と同一人物だと気づいたらどうする?
考えすぎだろうか?
バスを降りて、バス降り場の雨よけのためにもうけられているバス停の屋根の柱を巧みに使って交番の死角に入りながら、中村芽衣、思索する。うーん、うーん。
しかし、そこで、芽衣の心にひとしずく、こんな思いがポトンと落ちました。
こんなところで負けていいのか?芽衣。
わたしは、わたしの特技は何?
この時まで中村芽衣の心の中にはっきりとした自覚はありませんでした。自分の良さってなんだろう?人に負けないところって何?
薄ぼんやりと感じていたことはあったけど、はっきりと文字として認識したのは、交番が怖くて柱の影に隠れていたこの時。芽衣の奥に隠れてたもう一人の芽衣が語り出す。
何をしているの?芽衣。そんなところに隠れてないで、自信を持って歩き出しなさい。あなたなら大丈夫。他の人ならヘマをしてしまうかもしれないけど、あなたなら。
だって、あなたって人一倍、空気のように目立たない。
そこまで思い立った時に、芽衣の背中がシャキーンと伸びる。そうだ!わたしは空気のように目立たない!印象の薄い女!そして、思う。むしろわたしって、スパイよりスパイ。実は!
そして、突然芽衣の中で テンテレレンテ、テテーンとお馴染みの007*8のテーマが流れ出す。
何が遠回りじゃ、わしゃおまわりさんの前、歩いたるでぇ。おまわりさんの印象に不思議と残らない自信があるでぇ。(なぜか関西弁)万が一職質受けても「中耳炎で久留米まで病院に行くんだ」って言い切ってやる。ビビリなどしない。大体、警察が気にかけているのは犯罪を犯しそうな人やねん。あとは犯罪に巻き込まれそうな人やねん。犯罪に巻き込まれるのは、いたいけな美少女と決まってる。
わたしはどっからどう見ても、いたいけな美少女ではない!
変なポイントでガッツポーズを小さくすると、芽衣、動き出す。頭の中ではこう繰り返していた。
わたしは空気が薄い、わたしは空気が薄い、わたしは空気が薄い……
よく考えれば、わたしは印象が薄いが正しいのであるが、その間違いに気づかず、ひたすら呪文のように唱えながらてくてくと交番前を通って、しれっと駅脇のトイレに入った。……ほんのわずかな時間でした。
トイレに入ってから誰も見ていないところで、ゼエハアと肩で息をする。なんのことはない芽衣ちゃん、自分でも気づかないうちに息をしないで歩いていたのである。しばし、自由に呼吸を楽しみ、十分に酸素を取り入れた後で、酸素のせいかどうかちょっとハイになる。
ふ、はっはっはぁ、どうだ!見たか!実はわたしはポスト007だぞっと。
このセリフをもし声に出して言っていたら、流石にちょっと心のお医者さんに行かなきゃいけないかもしれないけど、頭の中でのみ叫んでおりましたので、大目に見てやってください。
やれやれと。
そこでスパイごっこを終わりにして、トイレの個室でゴソゴソと着替える。着替えを済まして外に出る。これでもう女子高生じゃないぞっと。それから、駅の方へ向かうときに前方を眺めた。
眺めた……。
芽衣ちゃん、この時まで忘れてた。自分の特技は目立たないこと。ただ、めちゃめちゃ目立つ人とよく考えれば今日一緒に出かけることにしてました。
芽衣ちゃんの視線の先には、家から真っ直ぐ駅に来て、さっさと制服着替えて芽衣、遅いなと思いながら、できるだけ目立たないような隅っこにいればいいものを駅構内に入ろうとする出入り口のど真ん中に突っ立って待ってるトシくんがいました。トシ君の周りを通り過ぎ駅に入ってく人たちにチラチラ見られているのに気づかず。
トシ君って外見のせいで目立つんです。この人、目撃情報、残りやすいんじゃないでしょうか。それが巡り巡って学校に知られたらどうします?風邪引いて休んでいたはずの日に、街を堂々と歩いていたよって。……女の子づれで。
その後、思考はさらに先へ。
学校サボって遊んでいたことがバレたら自分はどうなるのだろう?退学、は流石にないと思うけど、停学ぐらいにはなっちゃったりして。
……え、なんか当初予定していたよりも結構やばいことしてたりして。ちなみに、そんなアホな理由で停学とかなったら、裏でどんなふうに言われるか……
しばし、虚空を見つめながらぼんやりとした芽衣ちゃん。
しばらく経つとおもむろに芽衣ちゃん鞄の中から先ほどコンビニで用を足してもないのに手を洗う時に使った大判のハンカチをシュバっと取り出した。
***
*8 007
ダブルオーセブン。日本ではゼロゼロセブンと訳されていた時期もあった。イアン・フレミングの小説シリーズ、また原作としたスパイ・アクション映画シリーズのタイトル。




