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松尾君は絶対勘違いしています⑦













   松尾君は絶対勘違いしています⑦













   松尾俊之













……その時、僕はやっとわかったんです。おそらく好かれている春菜本人や、周りの女子たちも知らない、芽衣がこんなに春菜に懐く理由。


「もう家族以外の誰かを信じることなんてできないって思ってた。でも、春菜ちゃんが地獄みたいなところからわたしを救ってくれた」


そう言いながら、手と手を合わせてうっとりとした様子で目を軽くとじ微笑んだ。その後芽衣は目を開けて僕を見ました。


「松尾君、わたし、今、幸せなんです」

「うん」

「福岡に来てもきっとまた似たようなことが起こるって思ってた。でも、楽しく暮らせるようになりました」

「うん」

「わたしは普通の人とは違うんです。みんなにとっては、わたしの今の生活なんて別に当たり前のものなのかもしれないけど、わたしにとっては奇跡。親もわたしが元気になって喜んでます。これ以上はいらない」


そして、僕ははっきりと拒絶された。これ以上はいらない。


「春菜ちゃんには、松尾君を傷つけるなと厳しく言われましたけど、春菜ちゃんはわたしに色々あったってことを知らないから。これからも教えたくないし。ただ、わたしには恋愛なんて無理なんです。だからわかってください」


一方的に結論づけられてしまった。こちらからほとんど何も話さないうちに。そして、彼女は立ち上がる。話は終わったとでもいうように。


「帰ろう」


僕はでも、立ち上がらずに芽衣を下から眺めていました。


「芽衣ちゃん」

「はい」

「正直、突然いろいろ聞いてしまって混乱してます」

「はぁ」

「ちょっと時間をください」

「えっ……」


似合わない野球帽かぶった芽衣がポカンとしたあの顔は、結構傑作だった。右手と左手をそれぞれリュックの肩紐に添えて、帰る気満々で足すら踏み出して、ポカンと立ち止まってた。


「だめ?」

「や、でも……」


芽衣の中では、ここまでで100%僕が引くというシナリオだったんだと思います。何をいうべきかわからなくなったらしい。


「松尾君が思うような人じゃなかったわけでしょ?わたしは」

「あのね、芽衣ちゃん」


僕は心を込めて芽衣に話しかけた。


「はい」

「お互いのことをよく知らないから、人は付き合うらしいですよ」

「はっ?」

「僕も最近とある人から教わったのだけれど」

「……」

「じゃ、とりあえず、今日は帰ろっか」


立ち上がって、彼女の傍に立って、僕は自分の片手を彼女の方に差し出した。


「芽衣、手、繋いでいい?」


芽衣は右手と左手でリュックの肩紐をそれぞれぎゅっと握ったままで、僕の差し出された手をじっと見た。


「わたし、汚いから」

「……」


突然のカミングアウトで、僕も混乱してました。それは何に対する混乱だったのだろう?とにかくショックを受けてた。学校に通えなくなるような、そんな深刻ないじめなんて問題が自分の身近にあったことはなくて……。戸惑ってた。そんなことを言い出した相手に対してどんなふうに接したらいいかわからなくて……。


「僕の好きになった女の子は」


芽衣は、あの日、どんな気持ちでそんなカミングアウトを用意してたのだろう?後からそんなことを考えた。あの瞬間はそんなことを考える余裕はなくて、だけど、あの瞬間、僕が片手を差し出して馬鹿みたいに芽衣の傍に突っ立っていた瞬間。


僕はあの、映画を見た時に泣いてしまった芽衣を思ってました。あの時、許されるなら泣いてる芽衣を抱きしめたかった。芽衣が僕に自分はいじめられていたと告白した後、その気持ちが変わったか?おそらくよくわからないけれど、気持ちが変わるというのは一瞬なんだと思うんです。もしもあのカミングアウトで、僕の気持ちが別のものになってしまったのなら、きっと僕は芽衣に触れたいとは思わなかった。


とても混乱していたけど僕の気持ちはそれでも、許されるなら芽衣を抱きしめたかった。


「汚くなんかない」

「……」


昔、芽衣をいじめたというその顔も名前も知らない人たちに怒りを覚えた。それは唐突な怒りだった。唐突な。

それでも、芽衣は、じっと僕の手を見ながら固まってました。僕が、というよりも芽衣はその時、何かが怖かったんだと思います。


「芽衣」

「はい」

「何も確かめてみないうちから無理だって諦めないでほしい」

「……」

「試しに男の子と手ぐらい繋いでみたら?」

「どういう権利があってそういうこといってるの?」


少し上げた手が疲れてきたなと思いながら、その権利について考える。権利、権利……。


「今、昔に比べて幸せで」

「はい」

「でも、もしかしたらもっと幸せになるかもしれない」

「それはいらないって……」

「別に試しに手ぐらい繋いだって、今の幸せが減ることも壊れることもない。それは保証する」

「……」

「嫌なことがあったら、その時、中断すればいい。でも、何もしないうちから諦めるのはちょっと……」

「なに?」

「僕は好きな子には最大限に幸せでいてもらいたいので……」


小首を傾げたまま、しかめ面している様子が可愛かった。そう。芽衣は犬に似てるんだよな。その時の芽衣は昔の飼い主に酷い扱いを受けて傷ついた、警戒心の強い犬みたいだった。


「元気になるって決めて、頑張ってきたんでしょ?」


どうしても今日、手を繋ぎたかった。別に、月並みなすけべ心からそんなことを思っていたわけじゃなくて、もし、今日、手を繋がなければ、芽衣は僕の手の届かないところまで逃げてしまう。なんとなくそうわかってたから。


芽衣は僕が差し出した手を、胡散臭い宗教の勧誘の人が差し出したそれを見るみたいなしかめ面で眺めてた。それから言った。


「こんなことで元気になるの?」


ちょっと笑った。


「たいしたことじゃない。試してみたら?」

「……」

「ここなら誰も見てないし」


恋愛なんて無理なんて、人生を簡単に諦めないでほしい。それは僕の純粋な気持ちでした。


小首を傾げて僕を眺めていた芽衣がやっと片手をリュックから外して、その手をおそるおそると僕に預けた時、ほんと言うとちょっと泣きそうになった。もちろん泣かなかったけど。


「手、小さいね」

「普通だよ」


ちょっと泣きそうになりながら、僕は笑った。


「今、すげー幸せ」

「……」


よく考えれば、芽衣の幸せにばかり思いはせ、それについてばかり話し合ってましたけど、自分の幸せについて忘れてた。二人で駅の方へ向かってゆっくり歩き出した。


「こんなことぐらいで幸せなの?」

「うん。生きててよかった」


芽衣が傍で吹き出した。その振動が繋いでる手を通して伝わってくる。


「意外と安いな、松尾君」

「その、苗字で呼ばれるのやだな」

「え?」

「みんな、俺のこと名前で呼ぶじゃん。芽衣だけだよ。苗字で呼ぶの」


ため息つかれた。


「トシ……」


やっぱりまた小首を傾げながら、人の名前で試し呼びをする。その、小首を傾げる仕草が今日、好きになった。


「トシ君」

「くんがつくの?」

「なんとなく」


芽衣の小さな手を自分の手の中に捕まえながら、その声で名前を呼ばれると、心が確かに跳ねました。


「みんなと同じようにトシって呼んだほうがいい?」

「いや、芽衣だけ別なほうがいい」

「あ、そう」

「……生きててよかった」


また、芽衣が笑った。


「安いな、トシ君」

「すみませんね」


この時、とても幸せだった。


***


帰り際にロフトに寄った。あの黄色を見ると能天気にハッピーになれるような気がするロフト。


「妹にプレゼント選ぶの手伝って」

「プレゼント?」

「誕生日なの」

「なに買うの?」

「安い物」

「ひどいな」


笑われた。


「じゃあ、あまり高くないもの」

「具体的には?」

「文房具とか?」


文房具のフロアにゆく。二人で棚から棚へ見て回った。


「シャーペンとかは?」

「ああ、いいかも」

「これとかは?」

「え、何この値段、これ、シャーペン?」


今まで見たこともないような高いシャーペンだった。


「誕生日のプレゼントでしょ?」

「いや、製図用だって、これ、もっとプロの人が使うようなやつじゃないの?」

「ああ……」

「妹にはこんなの要らないよ」

「そっか」


それで、また別のものをガサゴソと持ってくる。


「これは?これ、かわいい」

「これも安くないね」

「誕生日のプレゼントでしょ?」


呆れられた。そのシャーペンは、確かに普段使っているようなシャーペンと比べると高かったけど、それでも、たかがシャーペンだ。安くはないが高くはない。二人で並んで、テスターを使ってみる。


「あ、なんか書きやすい」

「いいね」

「何色がいい?」

「うーん、普通はやっぱ赤?でも、わたしはこっちの木目のほうが好きかな」

「そっか」


レジで会計を済ます。プレゼント用にしてくださいと言ったら、ちゃんとちっちゃくリボンをつけてくれた。二人で駅のホームでベンチに座って電車を待っている時に、自分のカバンをガサゴソと探る。


「これ、あげる」

「え?」


自販機でジュースを買って飲んでた芽衣がポカンとした。


「妹さんにじゃなかったの?」

「二つ買った。赤いのと、芽衣には……」


芽衣が受け取った袋を開けてのぞく。芽衣には木目のシャーペン。


「妹とお揃いでごめんね」

「なんで?」

「なんとなく」


シャーペンを見ていると、あの調子の悪いシャーペンをカチコチやってた芽衣を思い出して、買いたくなった。……それとですね、これはちょっと口に出せませんけど……。


「ありがと」

「いや」


シャーペンって毎日、使うでしょ?使うたびに買ってくれた人のことを思い出してはくれないかという姑息な話です。僕はちょっと前屈みに座り見上げるように芽衣の方を見た。


「ちゃんと使ってくれる?」

「ん?」

「え?」

「ああ……」


手の中の真新しいシャーペンを眺める芽衣。


「今、使っているのが壊れたら」


ちょっと眩暈がした。


「それは」

「ん?」

「そのシャーペンは書き心地がいいの?」

「いや、こっちの方がいいかな」


芽衣はそう言いながら、包みを持ったままで小首を傾げた。


「じゃ、壊れるのを待たずにこっちを先に使ったら?」

「ああ……」


明日から使ってもらえないと、折角買った意味がありません。日本製のシャーペンは長持ちしそうだし。


「じゃあ、2本持ちしようかな」

「うん」

「折角だから」

「うん」


当初の目的を果たして安心した。そして、隣に座ってる芽衣の方に手を伸ばして、もっかい芽衣の手を握った。芽衣は何も言いませんでした。ただ、何も言わずに駅のホームに並んで座って、芽衣の手を握ってる。どうしようもないくらい、幸せでした。


***


「ただいま」

「おかえり」


家に帰ると妹がソファーに座ってテレビを見ていた。


「えり」

「なに?」

「ハッピーバースデー、たいしたもんじゃないけど」


カバンから小さな包みを出して、妹の頭にコツンとぶつけた。えりは包みを受け取った。


「え、来週なんだけど?」

「なんか、渡しとかないと渡すの忘れそうだから」

「なんだ、それ?」

「ありがとうは?」

「ありがとう」


めんどくさいので会話を終わらせた。ガサゴソと妹が包みを開けている。


「あ、かわいい」

「じゃ、そういうことで」


自分の部屋へ戻ろうとすると、妹が後ろから声をかけてくる。


「今日、どこ行ってたの?」

「どこでもいいでしょ」

「誰と行ってたの?」

「友達」

「友達って?」

「友達は友達だよ」


なんか後ろでまだ色々言ってるのをほっといて2階へ上がる。今日だけはもう少し一人でいたかった。

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