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松尾君は絶対勘違いしています⑥













   松尾君は絶対勘違いしています⑥













   松尾俊之













「大丈夫?」

「……」


映画が終わった後、映画館を出て、外のテラスのベンチに少し座ってた。明るい光が心地よかった。


「なんで動物の目ってあんなに優しいんだろう」

「うん」

「死んでゆく時まであんなに」

「かわいそうだったね」

「どうしてこの世にはあんな酷いことをする人間がいるんでしょう」

「うん」

「ひどいのはいつも人間で、そのせいで人間だけじゃなくて動物まで酷い目に遭ってる気がする」

「……」


芽衣はとても、純粋な人だった。世の中、やっぱり今日のような映画を見て、あの場面を見てかわいそうだと思う人はいると思うんです。でも、たいていの人はかわいそうだと思って、そして、3秒後には歩き出す。さて、映画も見たし、次は何をしようかと。

芽衣は3秒で歩き出す人ではなくて、もっと感じやすく、そして、もう少し純粋だった。


「最後に逃げられて良かったね」

「うん」


最後の秘境にはあの親子以外にもまだ同じ種の仲間がいたというラストで終わった映画だった。


その時、お昼を少し回った頃で、ほんというとお腹が空いてました。でも、芽衣はまだイルカが死んでしまったその余韻の中にいて、なんだかいたずらに急かす気にもなれなかった。困ったな。困ったなと思いながら、泣いてしまったので邪魔になったのか、眼鏡を外して、ついでに帽子も脱いで、いつもみたいに髪を下ろした芽衣の様子を眺めてた。


髪を下ろすと、今日の格好がますます似合わない。でも、そんな様子を眺めていても、自分は満たされてました。多分、きっと、服装がどうのとか髪型がどうのとか、そういうのは表層の部分であって、そこがどうであっても、僕が芽衣を求める気持ちに変わりはない。ロングの彼女が好きだったけど、ショートにしたから嫌いになるというようなそういうことは起こらないのだと思います。どんな格好をしていても、芽衣は芽衣だから。


「あの恐竜たち、あそこから増えるのかなぁ」

「どうだろう」


芽衣がやっと俯いていた顔を上げました。


「あの恐竜たちって、本当は失われつつあるものを表してるんじゃないかな」

「え?」

「人間の愚かさのために失われつつあるものを表していて、それを守れるかどうかは見ているわたしたちにかかってるって、そういう疑問を投げかけるための映画なのかと」

「……」


芽衣の言った言葉を頭の中で反芻する。


「すっごい難しいこと考えてるんだね」

「あ、ごめんなさい」

「いや、謝らなくても」


はぁとため息をついた。そこで、芽衣はイルカが死んでしまったショックから立ち直りました。


「お腹すいた」

「じゃ、なんか食べに行く?」


映画館のあった建物にもご飯を食べられるところがあったので、適当に入ろうかというと、芽衣はじっと僕を見る。なんかコーヒーをかき混ぜる時のことをふと思い出した。この子、何かしたいことがある時、こんな顔をするなと。


「どっか行きたいとこがあるの?」

「……」

「ここの近く?」


すると、芽衣はそっと俯きました。


「映画もわたしの見たいのだったし」


遠慮してる。ふっと笑ってしまった。


「すっごい高いお店とかだったら困るけど」


何せ高校生ですから。


「そんなに高くはない」

「じゃあ、そこにしよう」


その店は映画館から歩いてそんなにかからないところにありました。


「なんか、俺より住んでるの短いのに、福岡詳しいね」

「調べたんです」

「え……」


その時、自分がたいして用意をしていないことを責められたような気分になった。


「あの、ごめん、俺が調べるべきだったかな?」

「いや、わたしは、別に予定がなくても色々調べてみるのが好きなので」

「……」

「昔から、地図を見るのが好きなの」

「地図を?」

「うん。行った事ない街を覗いて色々調べて想像するの。福岡だけじゃないよ。日本全国、覗いてる」

「へぇ、旅が好きなんだ」

「いやいやいや、そういうのじゃないんだよ」

「そうなの?」

「だって、一人で旅って、なんかわたしは無理」


さらりとそんなふうにいった。


「松尾君みたいな人にはわからないと思うけど」


そして、僕と君との間に笑いながらまた境界線を引く。


「想像の中だけで旅をするのでも結構楽しいんだよ」

「でも、それでもやっぱり直接いけた方が楽しいでしょ?」

「それはそうだけど、いっぱいあるし」

「全部は無理でも近いところなら付き合うよ」

「……それは楽しくないでしょ?」

「なんで?」

「いや、わたしの行きたいところだし。松尾君の行きたいところではないわけだし」


芽衣ちゃんの中には、この頃、自分が楽しいと思うことを誰かがそばにいて一緒に楽しいと思うという、そういう誰かと楽しさを分かち合うという感覚が抜けてた。春菜たちと一緒にいる時に楽しさを分かち合う経験はしてたけど、それは、芽衣主導ではなかったんです。


「でも、俺はそれで楽しいけど」

「なんで?」

「いや、それは……」


芽衣が楽しいのを眺めていると、自分も楽しいから。


「あ、着いたよ。あれじゃないの?」

「あ」


木の扉の上面にガラスが嵌め込まれていて、白いペイントでライオンの顔が描かれている。こぢんまりとしたこ綺麗な洋食屋さんだった。*3


「並んでるね」

「他の店にする?」

「いや、いいよ。並ぼう」


並んではいたけれど、少し遅い時間だったからそこまで待たずに入れました。


「なんにする?」


僕に気を遣って何度も別のところへゆくかとオドオドと言っていた芽衣は、だけど席に座ると笑顔になった。


「何が美味しいの?」

「オムライスが美味しそうなんです」

「じゃあ、それを」

「二つ、同じのではつまらない」

「じゃあ、二つ好きなのを頼んでいいよ」

「それは悪いから」

「じゃあ……」


正直なところを言うと、何が食べたいかではなく値段で選びました。シンプルに一番安いものを。と言ってもオムライスより100円安かっただけだけど。


「ここも想像してた店?」

「うん」

「初めて来たの?」

「そうです」

「春菜とか誘ってこようとか思わなかったの?」

「いや、でも、美味しいかどうかわからないのに、誘って外れたら悪いし」


そのうち、頼んだものが来て、僕は芽衣のことを考えて取り皿をもらった。二つとも食べたいのだろうと思って。取り皿が来る前に芽衣は料理の写真を撮っていた。


「冷めちゃうよ」

「でも、記念ですから」

「料理だけとって人間は取らないの?」

「……」

「記念じゃん」


僕が欲しいのは料理の写真じゃなくって、そんなものネット検索すれば他人の撮ったものが見られる時代だし。人間の写真だった。芽衣が何も言わない間にお店の人に頼んで写真を撮ってもらった。


「こんな格好なのに」

「大丈夫、大丈夫」


これが僕たちが二人で撮った初めての写真になった。さっきまで食べ物を前にしてニコニコしてたくせに、写真を撮られて不機嫌な顔をしている芽衣と、僕の写真。


ご飯を食べて外に出た。


「他に行きたいところは?」

「松尾君は?」

「どこでもいいけど、まだ帰りたくない。まだ早いし」

「……」

「ずっと会ってもらえなかったし、折角会えたからもう少し一緒にいたい」


芽衣ちゃんはまた、困ってしまった。困った顔が可愛いなと思った。


「とりあえず、公園でも行く?」

「公園……」

「こっち」


舞鶴公園というすぐ近くの公園へ行った。


「石垣がある……」

「ああ、福岡城の跡だよ」

「福岡城……」

「うん」


すると、芽衣はスマホを出してパシャパシャと写真を撮り出した。


「なんでも写真に撮るんだね」

「だめ?」

「いや、別に。好きなだけどうぞ」


そして、芽衣が写真を撮っている姿を僕はこっそり写した。適当なところでベンチを見つけて並んで座った。


「春は桜が綺麗だよ」

「そう」

「一緒に来る?」

「……」

「桜もだめか」


簡単にうんと言ってくれない人だなぁ。両手を後ろについて足を前に投げ出した。


「松尾君、あの……」

「はい」


そして、芽衣は徐に、僕ら付き合ってもないのだけど、別れ話をし始めました。


「今日はちょっと時間をかけてゆっくり話をした方がいいと思って準備してきました」

「準備」

「はい、準備」


もちろん僕はその時、嫌な予感しかしなかった。わざわざ福岡まで出てきて、ちょっと不思議な部分はあったにせよ、自分としては楽しい時間を過ごした上で、芽衣ならやりかねない。天国から地獄っていうんですかね?いきなり落としてくるだろうと。


ただ、とりあえずはまず向こうの言い分を聞きました。


「誰にも言わないで欲しいんですが」

「誰にも?」

「春菜ちゃんたちに言わないでください」

「……」


ちょっと驚いた。何を言い出す気なのだろうと思いました。その時の芽衣の様子を僕はよく覚えている。似合わない服を着て、野球帽かぶって、そこから出た長い髪が肩にかかってる。僕の方を見ずにまっすぐ前を見ていて、で、でも、そこで芽衣は少し躊躇って俯いた。


その後、僕の方をまっすぐ見た。紺色の野球帽に長い髪。女の子らしさを男の子の象徴とでもいうべきもので押さえ込んだ様子。それはまるで、彼女の女の子らしさを求める僕に対しての壁のようにも思えた。抵抗とでもいうか……。


「松尾君から見て、わたしは普通に見えますか?」

「ふつう……」


そんなこと聞かれると思わなかった。芽衣はとても真面目な顔をしていました。その時風が吹いて、僕たちの髪を揺らしていった。風に靡く長い髪を邪魔そうに抑える芽衣の顔が目の前にあった。


「いや、人は一人一人違うものだし。普通って、どういう……」

「浮いてるっていうか、変っていうか……」

「浮いてる?」


なんて答えたらいいか瞬間非常に悩んだ。正直いうと、芽衣は確かに浮いてると思う。ただ、それは、多分、自分が芽衣を好きだからだと思う。自分にとってはいろんな人たちの中で彼女だけ特別に目立つというか、なんというか。それは浮いてると言ってもいいと思う。ただですね、おそらく芽衣が今確認したいのはそういう話じゃないよなと。


「正直、芽衣はよく見ると他の人とはちょっと違うようなところがあると思うけど」

「……」

「でも、それは悪い意味ではなくていい意味で、別に浮いているというわけじゃ……」

「やっぱり、先生みたいな話し方するんだね」

「……」


また言われてしまいました……。


「先生はいつも、そんなふうに曖昧にぼかした言い方ばっかりする」

「はぁ」


まるで、先生を憎んででもいるような口調。そういう人を非難するような語調で話す彼女にちょっと違和感というか驚いていた。芽衣らしくないような気がするというか。でも、彼女が次に口にした言葉で、その理由が分かった。


「わたしはね、東京でいじめられていたの」

「……」


とっさにどんな顔していいかわからなかった。


「それも、生半可なやられ方じゃなくって、不登校になりかけて、セラピーに通わなきゃいけなくなるくらい」


その芽衣の言葉は尖ってた。とことん傷つけられた人の持つ、刃のようなものを、芽衣はそのおとなしい外見のうちに隠し持っていたのです。

その後、芽衣は僕を見てニヤリと笑った。それは、今までに見たことのないような笑顔でした。


僕の、知っていた芽衣。僕の、好きになった芽衣。

その女の子はこんな顔して笑わない。


「引いたでしょ?」

「……」


そして、突然手首につけてた腕時計を外して、手首を僕の方に晒した。

その時、きっと僕は青ざめていたと思います。自分で自分がどんな顔をしているのかよくわからなかった。人は非常に混乱すると、自分がどんな顔をしているのかわからなくなるのかもしれない。


「なーんてね」


そして、芽衣は外した腕時計をゆっくりとまた手首につけた。


「あると思った?傷」

「……」


そして、芽衣は僕の知っている芽衣に戻りました。


「松尾君みたいにまっすぐに育ってきた人は、ちゃんと相応しい相手を選んでください。わたしはどんなふうに見えるかわからないけど、歪んでるんです。隠してるだけ」

「芽衣が福岡に来たのって……」


言いたいことを言ったから気が済んだのか、芽衣は肩から力を抜いて前屈みになって、城壁をぼんやりと見ながらポツポツと話し始めた。


「すごい大変だったんですよ。東京で。酷い目にあって、わたしがとうとう学校に行けなくなって、それで親にいじめがあったってわかって、お父さんが仕事そっちのけになって、学校とか、わたしをいじめた子達相手に訴訟を起こそうとして、別人みたくなっちゃって」

「うん」

「わたしのお父さんって普段は冗談好きな普通のおじさんなの。なのに、別人みたいに鬼のようになっちゃって。どうしても勝たないと、わたしが前に進めないって思い込んでたみたい」

「お母さんは?」

「すごいショック受けちゃって。流石にあの時は、よく泣いてたな」

「……」

「そんな親を見てて、流石にやばいなと思って、頑張って学校に行こうと思うんだけど、どうしても怖くて」

「うん」

「学校どころか一時期は家の外に出るのが難しいぐらいになっちゃってて」


どこかサバサバとした様子で、芽衣は空を見上げた。


「お父さん、本当は東京で、やりたい仕事をやって毎日生き生きとしてたのに。わたしのせいで、仕事に集中できなくなって……。お母さんはいつも怯えたようにわたしを見てくるし。そのことが申し訳なくって」

「芽衣は別に悪くないでしょ?」

「もしも、松尾君が同じ立場だったら、自分が悪くないって思える?」


くるりとこっちを見て、とても冷たい目でそう言い放たれた。しばらく芽衣は僕の顔の中の何かを探るような目で黙って僕を見ていた。それから目を逸らして前を見た。


「セラピーを受けながら、どうにか保健室登校だけはできるようになって、で、わたしが言ったの。どっか別のところで暮らしたい。東京を離れたいって。お父さんは東京に残って、お母さんと二人で田舎に行ければいいかなって思ってたんだけど、お父さん、地方への異動願い出しちゃった」

「……」

「東京で好きなことやってたかったろうに……」


遠いところを眺めながらそういう芽衣の顔は、花火大会が終わった後にもう何も見えない真っ暗な闇を眺めている人のような顔をしていた。そんな芽衣を僕はどんな顔で眺めてたんだろう。芽衣は僕の方を見て、ふっと笑った。妙に大人びた疲れた笑顔だった。


「とりあえずあのお父さんと、学校や加害者の人たちとの泥沼みたいな争いをやめさせたかっただけ。福岡に来たってどうせまた同じだって思ってた」

「そうなの?」

「とにかく楽しく暮らせなくたっていいから、静かにさえ暮らせればって思ってたんだ」

「うん」

「そしたら、春菜ちゃんが……」


その時、初めて芽衣は、明るい目の色をした。


「春菜ちゃんがわたしの世界を変えてくれた」


そう言って笑った。


*3 こ綺麗な洋食屋さん

実際に福岡にあるライオン食堂さんを参考にさせていただきました。残念ながら海外在住の身で福岡どころか九州を訪れたことはありませんので、作中の情報は私がネットをもとに得た情報をもとに創作させていただいております。

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