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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第一章 竹林
4/68

写真

 理佐(りさ)は、侍女の手を借りて、婚礼衣装を、普段着ている着物に着替えた。


 婚礼衣装は、結婚式の其の日まで、二度と袖を通す事をすまいと、心に誓った。




「姉様、もう着替えられてしまったの。御綺麗でしたのに。本で見た、十二単の様」

早佐(はやさ)、起きてきたの」


 妹の早佐が、寝間着に羽織を引っ掛けて、よろよろと歩いてきたのを、抱き留めながら、理佐は優しく言った。


「…汚してしまうと良くないから。本番の日までの御楽しみ」


「でも、そうしたら、姉様は御嫁に行ってしまわれるのでしょう?早佐は、ちっとも楽しみではありません」


 早佐は、そう言うと、しょんぼりと肩を落とした。


「おいで」


 理佐は微笑んで、縁側に、早佐と一緒に座った。

 そして、妹の頭を抱き寄せた。白梅の香の香りがした。

 異母兄の、令一(れいいち)からの贈り物だった。

 今は晩秋だから、時期は少し早い気もしたが、雪の中で健気に咲く白梅を思わせる香りは、儚げな妹に、よく似合っている。

 実際、早佐は、令一の見立てだという事には多少の不満を持ちつつも、香りは気に入っている様子で、季節に関係無く、よく部屋で焚いているのである。


 理佐は、妹が時折、妬ましかった。

 母である紅葉(もみじ)は、病弱な早佐に付きっ切りだった。

 昔は、此の娘が熱を出す度に、心配しながらも、母を取られた(よう)な、複雑な気持ちになったものである。


 しかし、早佐は理佐を慕っており、理佐もまた、早佐を可愛がった。

 母亡き後、早佐が頼るのは、理佐のみであり、理佐を癒すのもまた、早佐の存在のみであった。


「兄様は嫌いです。()ぐに、早佐を閉じ込めようとなさるのだもの」

「そう」


 令一は、早佐を、あまり外に出したがらなかった。


 確かに、此の妹は虚弱な体質で、アレルギーやら何やら、体の不都合を数え上げれば枚挙に(いとま)が無いのであるが、異母兄の過保護さは、理佐にも異常に感じる事があった。


 其れは確かに、早佐は、冷たい空気の中を急に走らせたり、長く歩かせたりしては喘息の発作を起こす。

 ダニの居る(よう)な布団や、掃除をしていない(よう)な場所で寝かせても同様で、土埃のする場所や、木の多い場所も良くない。


 其れでも、理佐には、早佐に吸引器さえ持ち歩かせていれば、健康な人間のする生活をさせても大丈夫な(よう)に思われた。自室で過ごしている分には、普通の娘と何も変わらないのだし、体力をつけさせる事も必要だろうと思った。


 しかし令一は、父、()(ばる)(ゆう)(いち)が亡くなってから、妙に神経質になった(よう)に思われる。


 父は父で、兄に付きっ切りで、本家の当主としての心得を叩き込んでいたから、理佐には、母程には馴染みの無い人物だったのだが、十三歳で父を失った令一にとっては、父は絶対の存在だった。


 母の紅葉亡き後、父に、異母妹達を頼むと言われてからの令一は、少しずつ変節していく(よう)に見えた。

 理佐にとっても、令一は大事な異母兄だが、其の変節の仕方は、何と無く不気味に思われた。


 傍目からは、何処が如何(どう)変わったとは説明が出来ないのであるが。


 閉じ込められていると感じる、早佐の不満も、理佐には、よく分かった。


「早佐には姉様だけなのに。姉様が御嫁に行ってしまわれたら、如何(どう)したらいいのでしょう」

「早佐も、()ぐに嫁ぐ事になるから」


 此の集落の本家の娘達は、十五、六になる頃には、嫁ぐ決まりになっているのだ。そして、大体、十六で、第一子を産む。此の、理佐より二つ下の妹とて、例外ではない。


「でも、御相手も()だ決まっておりませんのに。其れに、こんな、家から出してもらえない(よう)な体では、御相手にも喜ばれないのではないかしら」


「そう、卑下するものではないから。実際、四つの頃が一番酷かったけれど、年々、喘息も良くなってきているのだから」


 妹は、人形の(よう)に整った容貌をしているのだった。

 加えて、何か、小さな白い花の(よう)な儚さが有る。

 身内の欲目は多少有ろうが、理佐から見ても、妹を気に入らない男性は居ないと思えた。

 庇護欲をそそられるとでも言うのだろうか。

 反面、体付きは、理佐よりもしっかりしているところがある。

 数年経てば、素晴らしい美女に成長すると思われた。


 何と無く、令一の早佐への過保護さも、其の美への執着から来ているのかもしれないと思う(ふし)は有る。


 確証は無いが。


 ある意味で過保護になるのは仕方のない事であったし、両親が亡くなってからは、兄妹頼り合って生きていかなければならないのだから、早佐が可愛がられているという事実は、良い事には違いが無かった。


 其れでも、何故か、理佐には其れが薄気味悪く、あまり羨ましくはなかった。


「自分が御嫁に行くなんて、想像もつきません」


「そう。でも、私の(よう)に、既に相手が決まっているわけではないけれど、そんなに、先の事では無いから」


 特に申し渡されなくとも、家柄や年齢から、大体の相手の予想はつく。

 早佐にも、二、三人候補は居た。

 早佐は、萎れた(よう)に押し黙った。

 結婚相手の大体の予想がつくからこそ、気乗りがしないのかもしれない。


 確かに、候補達の誰もが、容姿容貌が早佐に釣り合うとは、あまり思えなかった。


 理佐の様に、許婚を気に入っているというのは、僥倖(ぎょうこう)なのだろう。


 暫く二人でそうしていると、急に、何かが光った。


(みち)


「もう婚礼衣装を着替えてたのか。珍しいから写真を撮ろうかと思ってたのに」

 岐顕が、使い捨てカメラを構えていた。


 理佐は、目を瞬かせて問うた。

如何(どう)したの、其れ」


「ソトで、気紛れで買ってね。あと何枚かは撮れるから。さあ、もう一枚。二人とも、笑って」


「嫌です」

 早佐が膨れて、抗議する(よう)に言った。

(みち)様は、姉様を取っちゃうから嫌いです」


 岐顕は、其れを聞いてケラケラ笑った。

()だ、そんな小さい子みたいな事言って。いいな、妹って、可愛いだろ、理佐」


 岐顕が、あんまり笑うので、思わず、理佐も微笑む。

 早佐は増々膨れた。


「早佐ちゃん、二人の写真を現像したら、あげるよ。さあ、笑って」

岐顕が、あやすように言った。


 写真が貰えると聞いて、早佐の機嫌は少し直った。


 存外現金な妹だ、と思うと、理佐は可笑しくて、クスッと笑った。

 そうして、早佐と二人、岐顕に写真を撮ってもらった。


 妹が居て、好きな許婚が居て。

 此の明るい晩秋の日の一場面を切り取った写真は、きっと幸せな形をしているに違いなかった。


―もう少し頑張ってみよう。例え、虚しくても。嫌われているわけでは無いのだから。


 優しい岐顕の笑顔に、理佐は、また、そう思い直した。




 何時(いつ)の頃からか、食事は、各自、自分の部屋で取る事になっていた。


 両親が亡くなった時、令一が決めたのである。


 理佐が居ない事に、早佐を慣らせようと言うのだ。


 父が亡くなってから、令一は忙しく、留守にしている事もあったが、家人は当主の令一が決定した事に従順だった。令一が屋敷に居る日も居ない日も、理佐と早佐は、別々に食事を取っていた。


 しかし、侍女に囲まれながら、一人で古めかしい箱膳の上に整然と並べられた食事を(つい)ばむのは、理佐にとっても心憂いことだった。




 其の日も、夕餉を終えたら、早佐の部屋へ行こうと考えていたところへ、出し抜けに、令一が、理佐の部屋にやってきた。


「兄様」


「今日は、婚礼衣装が出来上がったと聞いたが。見るのを楽しみにして帰ってきたのに、遅くなってしまった。もう着替えてしまったのか」


「ええ」


 令一の笑顔は、美しい作り物の(よう)だった。

 返事をしながら、理佐は少し背筋が寒くなった。


 まただ、と理佐は思った。


 令一の目に、妹を見る目ではない(よう)な、違和感を覚えるのである。


 理佐は、令一と対峙していると、時々、其のような違和感を持ってしまう。


 しかし、其の違和感は、やはり、理佐には上手く説明が出来なくて、同じ(よう)に笑っているのに、一体、令一と岐顕の何処が違うのだろうと、不思議に思うくらいだった。


「来年の三月には婚姻の儀か。楽しみにしているぞ」

「…はい」


 其れだけ言うと、令一は、美しい微笑みを湛えた(まま)、理佐の部屋を去って行ってしまった。


『楽しみにしているぞ』


 其の言葉が、何故か、理佐には少し怖かった。




 一つ上の異母兄、令一の容貌は、美しかった。

 理佐が今までに見た、どの男性よりも美しい。

 赤毛に多少難が有ると理佐は思うが、色素の薄いのは瀬原(せばる)の家系の特徴なのだ。父の由一(ゆういち)も赤毛だったし、早佐も赤毛だ。紅葉に似たのか、赤毛でないのは理佐くらいのものである。


 其れにしても令一は、其の、目鼻立ちの整っている事、瞳の持つ妖しい輝き、肌理の細かい肌まで、何もかもが、浮世離れして見える程に美しい。だから、何とは無しに、作り物めいた、冷たい印象を持ってしまうのかもしれなかった。


 理佐は、途中で考えるのを止めた。


 令一が大事な人である事には違いないのだし、此の集落では、令一に逆らえる人間など居ないのだから。何かを恐ろしく思っても、其れは、きっと、気のせいなのだと思う事にした。


 ただ異母妹の婚礼を楽しみにしていると言ってくれている彼の、何を恐れる事があるというのだろうか。


 理佐は、何故か感じてしまう違和感を、必死で打ち消しながら、其の日を終えた。


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