表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
第一章 竹林
3/68

発作

 理佐が亡くなってから、治一の生活は荒んだ。


 ソトの仕事の度に、女と関係を持つようになった。


 ソトの女性は、皆髪が短く、時には、髪の色さえ黒では無くて、何も理佐を思い出させるところが無くて、そうして過ごしている時間は、治一は気が楽だった。




 治一はもう、此れ以上、悲しみになど、触れたくは無かった。




 其れでも、ふと、失ってしまった家族や、理佐を思い出す度に悲しくて如何(どう)したらいいのか分からなくなった。


―悲しみを、見て見ない振りをする以外に、如何(どう)やって忘れたらいいのかな。


 此の(まま)ではいけない事は、よく分かっていた。


 もう十月だが、今年の十二月二十一日、治一も十八歳になる。

 そろそろ、『水配り(ミックバイ)』で、結婚の相手も決まるだろう。


―こんな状態で、結婚なんかしても大丈夫なのかな。


 治一は、自分の身の処し方が分からないでいた。 

 其の点、ソトで遊ぶのは、実に、後腐れが無くて良かった。




 忘れたくて苦しくて、時々、治一は、集落中を歩き回った。


 集落は、理佐を思い出させるものばかりで、其れは時として、余計に治一を苦しめたが、其れでも、何かをせずにはいられなかった。




 ある日、(たわむ)れに、治一は、竹林の中に入った。

 十月ともなれば、秋が次第に深まってきて、竹林の中は、湿ってひんやりとした空気だった。


 土の臭いがする。


 此の竹林は、ほんの十五年程前に植えられた孟宗竹だったらしいが、幼かった治一は、竹林が無い状態の事を思い出せない。元は、たった数本の竹だったと聞くのに、其の繁殖力たるや凄まじく、気付いた時には、手入れが必要な状態になっていたという。

 戦後の食糧難の後、筍を採る為に植える計画は有ったらしいのだが、竹の手入れは手がかかるので、世相が落ち着いてから、という事で、延び延びになったらしい、というのは、伝え聞いた話である。




 治一は、竹林の中を歩いた。見事な孟宗竹の林である。


 ふと、竹に触れてみる。指先に白い粉が付着する。

 指を擦り合わせて粉を払う。


 ふと、目の端に、何か鮮やかな色の物が映った。女物の着物である。


 よく見ると、女が倒れている。

 慌てて駆け寄ると、其れは早佐だった。




 早佐を担いで竹林を抜けると、其の(まま)瀬原(せばる)家の裏庭に通じている事が分かった。


 以前、理佐の部屋だった場所に、早佐を連れて行く。

 其処は、理佐が嫁いだ後、早佐の部屋になったらしく、治一の記憶の中とは、調度が違っている(よう)に思われた。


 部屋の中は、ひんやりとしていて、人気(ひとけ)が無かった。


 敷かれた(まま)の乱れた布団の傍に置かれた水差しの盆が、如何(いか)にも病人の部屋、という感じがした。


「有難うございます。もう、大丈夫ですから」

 治一の背中の方から聞こえる声は、息も絶え絶えだった。


 早佐を背中から降ろし、足袋を脱がせて布団に座らせると、早佐は、少し落ち着きを取り戻し、枕元の水差しの水を飲んだ。そして、水差しの傍に有った何かを吸引した。ソトで、クライアントが使っているのを見た事がある。エアゾルだ。


「喘息の発作か」


 治は窓を閉めてやった。秋の風が障るかもしれないと考えたからだ。早佐が喘息持ちだとは知らなかった。顔色が酷く悪い。

 (もっと)も、幼い頃の彼女は何時(いつ)も顔色が悪く、治一は、早佐の頬が薔薇色をしているのを見た記憶も無かったのだが。


「ええ。うっかりしていました。マスクでもしていれば良かったのに」


 早佐は、喉をゼイゼイ言わせながらも、少し落ち着きを取り戻し、もう一度、水差しの水を飲んだ。


「…誰も居ないのか?」


 病弱で、滅多に外に出ない(はず)の娘である。

 侍女が部屋に一人も居ないのは、不自然であった。


「ええ。鬱陶しいので、食事の時以外は下がらせてあります。大抵の事は、一人で出来ますから」


 そう言うと、早佐は、着ている朱華色(はねずいろ)の小紋の裾を見る(よう)にして、目を伏せ、俯いた。()だ、呼吸の音は整っていなかった。


(なん)で、あんな所に居た?」

 

 早佐は、身動ぎもせず、俯いた(まま)だった。

 一番聞かれたくない質問だったのだろう。


 何せ、此処は隠れ里。(おさ)の許可なしに、集落の外に出る事は許されていない。


「…まあ、いいや。今度から気を付けろよな」


「…他言はしないと、御誓いくださいますか?」

 早佐は、ゆっくりと顔を上げた。


 早佐の動きに合わせて、艶やかな髪が、さらりと流れた。

 治一を見返す目は、力強く、真剣其のものだった。


 青白い頬に、目ばかりが輝いているというのに、其処には何時(いつ)もの、病弱な十五歳の儚げな佇まいは無く、凛々しい、美しい一人の女が居た。

 確か、今年の八月十五日に十六になったのである。

 此方(こちら)も、そろそろ『水配り(ミックバイ)』の年だった。


 治一は、息を飲んだ。


―不味い。此の女は、良くない。


「他言しないでいてくださるなら、御話します」


―話を聞いてはいけない。


「ですが、御話を聞いてしまった以上は、(はる)様は、私に協力しなければなりませんよ」

「…何だ?」


―聞いてはいけない。


 いけないと思うと余計に、治一は、早佐の顔から目を逸らす事は出来なかった。


「私は、ソトに行きたいのです」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ