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汝を除て 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山黎
エピローグ
2/68

瀬原理佐

 ()(ばる)()()は、婚礼衣装の仮縫いの時間が、嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。


―早く仕上がればいい。


 理佐は、早く、婚約者の実方(さねかた)(みち)(あき)と一緒になりたかった。


 岐顕と一緒に居られる。ずっと一緒に居られる。


 頭の何処かでは、其れは、幼い、考えの浅い事だというのは、理解していたのだが。




 理佐が岐顕の事を想う程には、岐顕は理佐の事を想ってくれていないのは、理佐にはよく分かっていた。




 岐顕の視線は、何時(いつ)も遠くにあった。

 集落ではない場所、『ソト』と呼んでいる場所に、思いを馳せているのだろうと、理佐は思った。


 岐顕は、時々、ソトに仕事に行く。


 ソトは、どんな場所なのだろう。どんな楽しい事があったら、そんなに、何時(いつ)も、ソトに思いを馳せている(よう)な顔が出来るのだろう。


 一緒について行きたくて、理佐は何時(いつ)も、悲しかった。


(みち)と一緒に居たい。


 しかし、ソトに一緒に行くことは許されなかった。理佐は、隠れ里である瀬原集落(せばるしゅうらく)の有力者の妹なのだ。他の集落との接触を極力断っている此の隠れ里に暮らす以上、(おさ)の許可無しには、特に女性は、此の集落を出る事は許されない。

 だから、理佐は、一度も、此の集落を出た記憶が無い。


 其れでも、岐顕の視線は、相変わらず、遠くへ向けられていた。


 理佐は、時々虚しくなる。岐顕は、一生、自分という人間を見てくれる事は無いのではなかろうか、と思ってしまうのである。


 そう思ってしまうと、理佐は、堪らない気持ちになる。


 理佐が必死に掴もうとすればする程、岐顕の事を捕まえる事は出来ないのではないだろうか。


 理佐は、岐顕と結婚する事が決まっている。

 其れを、理佐も疑った事は無かった。でも、其の、一生一緒に居るしかない相手が、自分の事を、一生見てくれないのだとしたら。


 理佐は如何(どう)すればいいのだろうか。


 理佐は時々、自分が、結婚する相手だから岐顕の事が好きなのか、岐顕が、岐顕だから好きなのか、分からなくなるのである。


 自分も、岐顕の事を本当は見ていないのではないかと思ってしまうのだが、考えても答えは出ない。


 理佐が焦がれ、求めるのは岐顕だけであるが、岐顕を求めるという事は、同時に、今、自分が居る場所の閉塞感を見てしまう事でもあった。


―でも、此の、婚礼衣装が仕上がれば。


 少しは、岐顕も、理佐の事を美しいと思ってはくれないだろうか。


 淡い期待は、やがて、唯一の希望へとすり替わっていった。


 少しは、理佐の事を美しいと思ってくれたなら、岐顕も、理佐に興味を持ってくれるかもしれない。




 婚礼衣装が完成した日。


 理佐は、周囲が止めるのも聞かず、真っ直ぐに、岐顕の元に走った。


 早く岐顕に会いたい。早く岐顕に見てほしい。

 婚礼の衣装は重かったけれど、裾を絡げて、実方家の裏庭まで、理佐は一目散に走った。




 実方家の裏庭に在る枝折戸(しおりど)を開け、敷地の中に入ると、岐顕は、理佐との共通の友人、坂元(さかもと)治一(はるいち)と一緒だった。


 坂元本家の一人息子の治一は、岐顕より一つ下で、今年十七歳になる、理佐の一番の友達だった。


 理佐を見つけた二人の反応は、見事に、理佐の期待を裏切った。


 治一は、まるで、貴いものでも眺めるかの(よう)な、うっとりとした目つきをしていた。

 岐顕は、何時(いつ)もの(よう)に微笑んで、良いね、と言った。


「衣装出来たの。よく似合ってるよ、理佐」


 理佐の大好きな、優しい微笑みだった。大好きな、何時(いつ)もの優しい声だった。


 理佐は、二人に微笑み返し、ゆっくりと、実方家の庭から出た。




 実方家から離れた、竹林の前まで来ると、理佐は、涙が止まらなくなってしまった。

 涙を誤魔化す為に、理佐は自分の屋敷まで、また、一目散に走った。


―失敗した。


 此れは、全くの失敗だった。全然、駄目だった。


 岐顕は変わらなかった。何も変わらなかったのだ。


―其の代りに、(はる)の、あの顔。


 友人の、自分を見る目付きに、理佐は、誰か知らない、大人の男の人を見た(よう)な気分になっていた。


 理佐は、友人を失った、と思った。


 もう、前の(よう)には一緒に居られない気がした。


―こんな(はず)ではなかったのに。


 理佐は恐れた。


 何よりも、自分の心が()んでしまう事を恐れた。


 岐顕を求める事に、もし、()んでしまったら。


 此の先の人生、如何(どう)やって生きていったらいいのだろう。


 理佐は、岐顕と家族と友達の治一以外に、大事なものを持っていなかった。


 そして、治一という友達は、今日失った気がしてしまっていた。




 此の上、岐顕を求める事さえ失ってしまったら。




 抜け殻の(よう)な人間が、一切の興味を持たれず、ただ岐顕と一緒に居るだけの人生になるのだろうか。


―其れは、分からない。…一緒になってみない事には。


 其れでも、岐顕に興味を持ってもらえるかもしれないという、淡い期待を抱き続ける事は、身を裂かれる様に(つら)かった。


 此れから先の道は、如何(どう)進んでも苦しい。

 岐顕の愛情を求める事も、岐顕の愛情を諦める事も。


 其れは分かっていても、理佐には、岐顕以外との結婚は考えられなかった。


―其れでも、(すが)ろう。


 あの、理佐の大好きな、岐顕の笑顔に、縋っていこう、現実を受け入れよう、と、理佐は決心した。




 傍らで竹林が、枝を渡る風に、サラサラと葉を鳴らした。


 何時(いつ)だったか、治一が言っていた。


 此の竹林から、こっそりソトに出られる道が在るのだと。


 そんな話を信じていたわけではないが、其れを聞いて以来、(つら)い時は、此の竹林を眺めると、心が慰められた。


 此処は、ソトに繋がっている。



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