葬儀
『瀬原集落聞書』シリーズ、『相生の松』『緑色の空』『同じ顔』前日譚です。少し性描写が多くなるかもしれませんが、上手く調節できるようにしてみます。
理佐が死んでしまった。
未だ十七歳だった。
死因は伏せられた。噂によると自殺らしい。遺体も、顔を見せてはもらえなかった。
坂本治一は、集落の伝統である、白い装束を着て、幼馴染の、瀬原理佐の葬儀に参列した。
通夜には間に合わなかった。
あの、溌溂としていた理佐が、十七で命を落としてしまうとは、治一には、未だ信じられない。
集落の外で仕事をしていた治一が駆け付けた時、治一の親友であり、理佐の夫である、実方岐顕は、放心した様に、一歳になる息子を抱いて、立っていた。
話し掛けても、殆ど反応は無かった。
顔色が、紙の様に白かった。
岐顕とても、未だ二十歳なのであった。
此れから、如何やって息子を育てていくのだろう。
一歳になる息子は、龍顕という名前だった。
産毛が次第に生え変わってきて、ふさふさとした髪が、艶々と鳶色に輝いている。
愛らしい顔立ちだったが、あまり岐顕には似ていないな、と思った。
龍と呼ばれている其の子は、ニコニコと治一に手を振ってきた。
小さい歯が、口元から見える。
未だ自分の母親が亡くなった事など、何も分からないのだろう。
其の、罪の無い笑顔が哀れで、治一は、思わず泣いてしまった。
治一は、理佐の事が好きだった。
あんなに美しい娘は居ないと思っていた。理佐の持つ、大輪の牡丹の花を思わせる様な華やかさが、時折、治一の胸を焦がした。
其れでも、結婚する事が出来ないのは、初めから分かっていた。
此の瀬原集落では、瀬原家の当主、長と呼ばれる人間が、『水配り』という婚姻制度の元、婚姻を決定しているのである。
『水配り』に参加すれば、集落の中での立場が良くなるし、ダメ元で参加したが、やはり駄目だった。
家柄などを考慮すると、長に言われる前に、大体、自分の結婚相手は察しがついているものであるが、理佐は、長の妹であるという事もあってか、早々に婚約者が決まっていた。
オマケに、理佐は、岐顕の事が好きだったのである。
最初から、何処にも、治一の入り込む隙間は無かった。
そんな事は分かっていたが、やはり、理佐が結婚してしまうのは悲しかったし、其処から一年も経たずに理佐に死なれてしまった今となっては、治一は、もう、如何していいのか分からない気持ちになった。
誰に此の気持ちをぶつければいいのだ。
―岐に?何故、理佐が死んだのかって?…まさか。
親友の岐顕が、どれ程傷付いているか。其れに、其の親友の岐顕に抱かれている幼児の、あまりのいとけなさを見てしまっては、其の父親に何か言う事など、とても出来そうに無かった。
溜息をつきなら、辺りを見渡すと、驚くべき事に、参列者の中に理佐が居た。
―あの髪の長さは見間違わない。
此の集落に、何人と居ない。本家筋の娘の印だからだ。
思わず駆け寄ると、横顔を見せていた其の人物は、ゆっくりと此方を振り返った。
其れは、理佐ではなく、理佐の妹の、瀬原早佐だった。
最後に会ってから、十年近く経っていたので、見違えた。
もう十五歳だろうか。
病弱だという事で、殆ど表には姿を現さない娘なのだ。
美しい髪が、膝丈程も有って、殆ど太陽と親しくなった事など無い様な白い肌に、白い喪服を着ているので、一瞬、理佐かと思ってしまったが、よく見ると、顔立ち自体はあまり似ていないし、全体的に、色素も随分薄い。
其の点では、甥である龍顕とは似ているかもしれない、と、治一は何と無く思った。
理佐には、華やかな、何処か凛々しい美しさが有った。しかし、早佐も美しい娘だが、何処か儚げな容貌をしている。
通常なら、人目を惹きそうな姿であるが、目は赤く、傍目からも、気の毒なくらいに萎れてしまっていて、何だか、存在感までもが希薄に感じる。
早佐は、治一に向かって、丁寧に一礼して、言った。
「治様ですか。御久し振りです。此の度は、姉の葬儀に御越しいただいて、誠に有難うございます」
早佐は、治の事を覚えていたらしい。
「いえ、此の度は…」
其処から治一は、言葉が詰まってしまって、何も言えなくなってしまった。
思わず、涙が零れる。
早佐は、治の顔を、ぼんやりと眺めていた。
空気の中に、何か、目には見えない悲しみが充満してしまっていて、其れを一呼吸吸う度に、涙が出るような、辛い空間だった。何せ、理佐の遺体は、もう荼毘に臥されていて、あの美しい、華やかな姿を目にする事は出来ないのだ。
自殺だったのだと言う。しかも、首吊りの。とても、見せる事が出来ない状態だったらしい。
集落の有力者の妹でも無かったら、本来は密葬にされていたかもしれない。
葬儀は進み、理佐と早佐の異母兄であり、此の集落での権力者、瀬原令一の弔辞で、葬儀は幕となった。
ふと気づけば、岐顕と早佐は、真っ直ぐに令一を見据えていた。
治一は、其の視線の揺るぎなさに、少しだけ、違和感の様なものを感じたが、何も言わず、黙って、此の悲しい時間が過ぎていくのを、ただただ耐えた。
気を緩めれば、泣き伏してしまいそうな自分が居た。
―こんな気持ちは、家族を全部失って以来だ。十五の時に。
あの時まで、は、かけがえのないもの、という意味が、よく分かっていなかったのだと思う。欠けて、無くなってしまったら、代りが居ないもの、という意味なのだ。
治一は、実際に失ってみて、初めて其の重さを思い知った。
死んでしまった家族の代わりも、理佐の代わりも居ないのだ。
だから、こんなに悲しくて、如何したらいいのか分からないのだ。