『人喰い城』の話
ドーゼンは拳大のロールパンをオーブンでさっと温めると、真っ白なお皿にそれをふたつ載せた。ジャムの瓶とバター皿を取り、作業台の脇の少し低めの台の上に置いていく。
洗い物を乾かす籠から取り出されたティーセットにお湯を注ぎ温め、その間にジャムをすくうスプーンやバターナイフを用意、お茶の入った缶から茶葉を掬って、温まったティーポットに入れ、お湯を注ぐ。
その頃にはリオが戻ってきていて、籠から布巾に包まれた塊をそっと持ち上げて清潔な調理台の上に置いていた。そこからはドーゼンにバトンタッチだ。布巾を取り去ると出てきたのは塊肉で、ドーゼンはその縛り糸を解いて冷肉を薄切りにすると、お皿に盛り付けてパン皿の横に置いた。
「さ、どうぞ奥様。ここでの食事は【見習い風まかない】となってますから、椅子を取ってきて座って食べてくださいな。はい、お紅茶上がり」
「すごいわドーゼン! まるで魔法みたいな手際ね」
「職人って意味では魔法使いには負けてないわね、シェフも。砂糖とミルクは?」
「いただくわ。でも、本当にすごい」
用意されたカトラリーの中からフォークを取り、いつの間にかソースがかけられていたお肉のお皿を手前に持ってきて、ありがたく【見習い風まかない】をいただく。
「良ければさっきリオがちぎっちゃったチシャもどうぞ、奥様」
「ありがとう、いただくわ」
「それで、何の話でしたっけ。地下? リオが下りていったのは確かに地下だけど、貯蔵庫ですよ。後で一緒に見に行きましょ」
地下貯蔵庫……。
そうか、食材を保存するなら確かに、日の当たらない場所がいい。ここはお城で、昔はきっとかなり大勢の人がいただろうから、そのために食料を溜め込む場所が広く取られているのかもしれない。
「ここから他の場所へ繋がっているってことは、ありえない?」
「ないですね。もしあったとしても、棚を全部どかさなきゃいけないから、こっちへ抜けてくるのは難しいでしょうね」
「そう。説明してくれてありがとう。もし他に地下室の心当たりがあればぜひ教えて」
「もしかして、奥様ってば、『人喰い城』の噂の真相を探りたいの〜?」
頬杖をついたドーゼンがニヤリと笑う。『人喰い城』ってどういうこと? このお城にそんないわくがあったなんて、知らなかった。
「初耳だわ、詳しく聞かせて!」
「やだ、からかったつもりだったのに……」
身を乗り出す私とリオとは反対に、ドーゼンは気を落としたようにつぶやいた。溜め息をつきつつも、ドーゼンは続きを話してくれた。
「グロウス伯爵は昔からこの土地を治めている領主様でね、とても戦上手なの。戦があれば出かけていって、手柄を立てて帰ってくる。戦がないときは、気に入らない人間を切り捨てて練習台にしていたとか。時々、城からは悲鳴が聞こえていたって言うわ」
ドーゼンの低い声で語られる内容に私は震えた。先の戦争……、つい二年前に終着したあの戦争でも、グロウス伯爵は大きな軍功を立てている。そして、敵の捕虜を切り刻んだ、と。
「だから、悪い子は伯爵様の城に連れて行かれて、二度と帰ってこられないんだ〜、って。まぁ、言うことを聞かない子どもを怖がらせるための作り話でしょうね。ワタシもよく言われたわ〜」
「本当に、作り話なのかしら」
「当たり前でしょう」
ドーゼンはピシャリと言った。
「ワタシは実際にお会いしたことはないけど、グロウス伯爵は素晴らしい人よ。敵には容赦しなかったけど、彼は民間人に被害は一切出さなかった。自分の軍にも略奪行為やそれに類するものは絶対に許さなかったの。ワタシは彼の軍にいたんだから断言できる」
「えっ、ドーゼンはあの時、従軍していたの?」
「すげぇ……!」
驚いた、特殊技能を持つ人間は兵役を免除される筈。だから私は、ドーゼンは戦争に参加していないと思っていた。意外な事実にリオも興奮している。
「志願したのよ。って言っても誤解しないで。純粋な兵士じゃなくて、料理人としてついていっただけなんだから」
「それでもすごいわ。普通の人にはできないことよ。きっと過酷な日々だったんでしょうね……」
「まぁね。でも、さっきも言ったとおり、グロウス伯爵軍は規律がしっかりしていて、士気も高かったから。最前線で戦いながら怪我人の救助もしていたなんて、信じられる?」
「すっげぇ! かっこいい! 伯爵様、どれくらい敵をやっつけたの?」
「そうね〜、その話は仕事が終わったらしてあげるわよ」
「え〜〜」
興奮したリオがお話をせがんで断られていた。旦那様の一面を知られて良かったけれど、じゃあ、子どもの奴隷を買い取って切り刻んでるって噂の方はなぜ?
そして大事なことを聞いた。ドーゼンは旦那様に会ったことがない。つまり、ずっとここに勤めているわけじゃないんだわ。
「ドーゼン、お話をありがとう。もう一つ聞かせて、あなたがここに雇われたのは、いつ?」
「ワタシは一年前ね。でも、面接して雇い入れてもらったのに、式が伸び伸びになっちゃってお城に入ったのは奥様が来られる十日前くらいかしら」
「ごめんなさい……」
「いいのよ、その分も、ちゃ〜んとお給料もらってたんだから。むしろラッキーだったわ」
パチンと片目を瞑って笑顔を向けてくれるドーゼンに、私はホッとした。
「お、おれは五日前です、奥様!」
「メイドさんたちもワタシと同じくらいよ。むしろワタシが一番先に来たの。ただ驚いたのは、ワタシを面接してくれた家令はクライドさんって言う年配の方だったのに、いざ来てみれば若い男の子じゃない? 何があったんだろうって思っちゃったわ」
「何があったの?」
「さあ? マークは使用人の上下を重んじるタイプみたいだから、ちっとも打ち解けてくれないのよね。メイドさんたちも彼の前じゃ萎縮してるし。食事を一緒に摂らないのは、彼なりの気遣いなのかも」
「おれも、マークさん、ちょっと怖いです」
リオはエプロンの端をぎゅっと握りしめて、目を逸らしながらつぶやく。
「マークは一人で食事しているの?」
「ええ、そうね。初日の夕食が地獄だったから、かしら」
確かに、マークとアイビーたちが談笑しながら夕食を摂っているところは、あまり想像できない。
「でも彼、笑うのよ。口を開けて、あははって」
「あら、やるじゃない、奥様! 男を笑わせられるのは、彼にとって貴女はイイ女ってこと。きっと相性がいいのね」
「そう、かしら。そうだといいわ」
でも、本当に相性の良さを知りたいのは、マークじゃなくて、旦那様なのだけれど。




