よそよそしい使用人たち
私が到着する日はきちんと伝えておいたのに、まさか旦那様がいないだなんて。
愕然を通り越して落胆してしまった。形だけの結婚だから、お飾りの妻だから、仕事より優先する必要はないっていうことでしょうね、これは。お父さんの人を見る目、曇ってきたのかもしれないわ。
「なら、良いわ。侍女頭と家令にも挨拶をしたいのだけど」
「侍女頭は、わたしです……」
「あなたが?」
「は、はい」
茶色いおさげ髪にあどけない顔立ち、どう贔屓目に見ても二十歳そこそこの女の子だ。見た目に反して経験年数がすごい人もいるけれど、彼女のこの緊張具合を考えると、そうは見えない。
「私はマリッサ。グロウス伯爵夫人よ。あなたの名前は?」
「アイビーです」
「この屋敷に侍女とメイドは何人くらいいるのかしら」
「えと、わたしを入れて、八人です」
八人、だけ?
すごく少ない気がする。お城に比べてお屋敷自体はそこそこの規模だけれど、それでも、八人だけでどうやって回すのかしら。
「ランドリーメイドとキッチンメイドが別にいるの?」
「あ、洗濯もわたしたちの仕事です。キッチンは料理長がいて、そこは仕事が違うので」
「じゃあ、キッチンメイドは別にいるのかもしれないわね」
「いえ、あそこには男の子がひとりいるだけです」
グロウス伯爵はお金持ちだって聞いていたのだけれど、ずいぶんこじんまりした生活空間なのね。
「わかったわ。今日からよろしくね、アイビー。後で全員に挨拶をするから、私のことを伝えておいてね」
「はい、奥様」
初めて呼ばれる「奥様」という響きがくすぐったい。うちも使用人はすごく少なくて、ほとんど私とお母さんで家の用事をこなしていたから、「お嬢様」だなんて呼ばれることも少なかった。私専属の侍女もメイドもいなかったし。これから、上手く「奥様」をやっていけるか、ちょっと心配。
「じゃあ、次は家令さんね。呼んできてもらえる? それとも、別の子を呼んで行ってもらった方がいい?」
「わたしが行きます!」
アイビーは慌ただしく出て行った。もしかして、私、嫌われてる? ……金髪が嫌いなのかしら。それとも、私の顔がキツイ? そこまで吊り目じゃないと思ってたのに。
ふと開きっぱなしのドアから見える廊下に目をやると、別のメイドたちがコソコソと逃げていくのが見えた。やっぱり、嫌われている!
ガックリしながら家令を待つことにする。屋敷を取り仕切る人にまで嫌われていたら、それこそお母さんが言っていたような「帰ってらっしゃい」になる可能性が高い。早くもお腹がシクシクと痛み始めた。どうか、話のわかる人物でありますように!
ややあって、ガツンとドアが殴られた。
「あ、失礼」
深みのある低い、若い男性の声がする。ソファから文字通り飛び上がるほど驚いていた私は、胸の上から心臓を押さえつつ、平静を装って挨拶した。
「どうぞ、入って。はじめまして、私がマリッサ・グロウス伯爵夫人です。あなたが、家令でよろしいの?」
「はい」
まず最初に、彼の高い身長に気がついた。旦那様と同じくらい。体格も似ているけれど、ちょっと猫背気味だ。黒髪なのも同じだけれど、目の前の彼は前髪を長く垂らして半分顔が隠れている。不思議な髪型ね。
「ええと、お名前は?」
「マークです。この家のことはすべて自分が管理しています、何でも申し付けてください。使用人は少ないですが、足りない分は外から業者を呼んで対応します」
マークは温かみのまったくない、平坦な声でそう言った。長旅の過程を労られることなく本題を切り出されたことに、ちょっとだけ、ショックを受ける。蔑ろにされている? いいえ、きっとそういうのに気が付かない人なだけよ。
でも、それとは別に彼が口にした内容が気になる。
「何でも、とはどういうこと?」
「言葉通りの意味です。ただ一つのことさえ守っていただけたら、屋敷のことは貴女の好きにして構わない、とのことです」
「それは?」
「地下室には入らないこと」
地下室……。
その言葉は私の背中をゾワッとさせた。あの生臭い噂と直結している気がして。私は慌ててその妄想を振り払った。
「わかりました」
「では続きを。屋敷を管理しているのは自分ですが、貴女はこの屋敷を好きにしていい。屋敷の模様替えも自由にして構いません。使用人の入れ替えも自由です」
「使用人の雇用を、私に任せていいの?」
「ええ」
「料理のメニューは?」
「それも貴女の自由にどうぞ」
「まぁ」
確かにお屋敷の細かな差配は夫人の権利だけど、私はここに来たばかりだし、対等のパートナーじゃないのに……。
「欲しい物は何でも買ってきましょう、貴女が買いに行くと言うなら人を付けます。観劇に出かけるのもいいでしょう」
「そこまで? でも、予算は……」
「欲しいだけどうぞ。上限に近づいたらお知らせします。年額が決まっているので、それを越えたらまた次の年に買えばいいかと。……伯爵はお金だけは腐るほどありますから」
その、馬鹿にしたような響きに私は思わず叫んでいた。
「ちょっと! 聞き捨てならないわ。自分の主人のことをそんな風に言うなんて!」
「……すみません」
マークは驚いたようだった。怒られてもスネたりはせず、それどころか呆然としている感じに見える。
「もう言わないで。そうしてくれたら嬉しいわ」
「わかりました。申し訳ありません。……お茶の用意がありませんね。もう飲み終わられたのですか」
「あ、忘れていたわ。先に挨拶しようと思っていたから」
「すぐに用意させます。失礼のあったメイドはクビにするので安心してください」
「クビに!? 何言ってるの、ダメよそんなこと! 失礼具合で言ったらあなたも同じくらいでしょう? アイビーをクビにするなんて、絶対にやめて!」
「そう、ですか……?」
マークは疑うように私を見て、それからお茶の用意をしに行った。私は彼の背中を見送ってから、背中からソファに深く沈み込む。
「疲れた……。私、ここで本当に上手くやっていけるのかしら……」
前途多難とはきっとこういう状況を指すのだろう。お茶の後は私の部屋に案内してもらった。メイドたちの私を見る目に、怯えが混じっているのを感じる。
お風呂に入って、夕食を摂って、夫婦の寝室に行く。私の部屋からドアを一つ挟んでその先が二人の部屋になっている。
大きなベッドとランプ置きの台、張出し窓の側には読書机と硬めのソファ。私はソファに座って旦那様を待った。