永遠の誓い
遅い朝が来て、私たちはベッドで朝昼兼用の食事を摂った。お茶を淹れてくれたアイビーも、食事を運んてくれたドーゼンも、何か言いたげな視線を向けてきたけれど、黙ったまま下がっていった。
「マリッサ、無理していないか?」
「けっこう休んだから平気。本当は食堂で摂りたかったけれど」
「それは無理だな。ほら、口を開けて。食べさせてあげよう」
「ふふっ。さっきから、あなたまるで親鳥みたいよ、エディ」
得意げな顔でフォークを差し出してくるエドモン。私はそれに応えて口を開けた。
このお屋敷に着いてからこの朝まで、時間にしてみれば短かったのでしょうけれど、私にとっては随分長い道のりだったように思う。すれ違っていたようでも、彼の正体を知らずに過ごした時間が、今の私たちを作っているのだから、きっと無駄ではなかったんだと信じている。
「そういえば、あの子たちはどうしているかしら」
「心配ない。君がお別れを言いたがるだろうから、出発は遅らせてある。今頃は本物のマークが相手をしているさ。メイドたちもいる」
「良かった。……あの子たち、大丈夫よね?」
「断言はしない。だが、力は尽くす」
「ありがとう、エディ」
エドモンは返事の代わりに、すくい上げた私の金の髪にキスを落とした。
「……俺は生まれた時から、戦って死ぬと定められている男だ。その俺が、君のような女神を手に入れられたなんて、今日死んでも悔いはない」
「エディったら! 私を未亡人にするつもりなの?」
「君なら黒も似合いそうだが、やめておこう。傷心の君に言い寄る男がいたら呪い殺してしまいそうだ。もし俺が本当に死んでも絶対に墓から蘇って斬り殺す」
「呪うのか斬るのかどっちかにしてちょうだい」
むしろ死なないで。
「それにしても、女神のようだなんて、恥ずかしいわ。あなたってば意外と女性を口説くのに慣れてるのね」
「まさか。俺のことを知ればそんなことは言えなくなるさ。十代からの人生は本当に悲惨だった。女っ気のカケラもなかった」
「へぇ、そうなの?」
「ああ。俺が覚えている最初の誕生日プレゼントは剣だった。父は俺の掌に刃を押し当て、その怖さを教えてくれた」
「まぁ、エディ……」
私はベッド脇の椅子に腰掛けて、こっちに身体を乗り出してきているエドモンの肩を撫でた。
「ありがとう。だが、俺はその時、剣の怖さだけじゃなく美しさも知ったんだ。母もまた剣士だった。俺は二人の薫陶を受け育った。だが、二人とも、病気で死んだ」
「…………」
「グロウス伯爵家には、人体に関するあらゆる技と、薬草の知識が集結されていたが、それでも病には勝てなかったんだ。成人したてでまだ右も左も分からなかった俺は、今のルルトーシェ伯爵に随分と助けられたんだ」
「伯父様? まさか……」
「ああ。ルルトーシェ伯爵は歳の離れた弟妹のことをすごく大切にしている人だ。あの人の下で、領主として、軍の指揮官としての作法を学びながら、ずっと家族の話を聞かされていた。その中でも、俺と歳の近い姪っ子の話題が多かったな」
エドモンが悪戯っぽい笑みを浮かべて私を見ていた。毎年、お母さんと私にドレスを贈ってくれていたルルトーシェの伯父様。今回のことでは援助を断られたと聞いていたけれど、エドモンを通して手を差し伸べていてくださったのね。
「伯父様に手紙を書かなくちゃね」
「ああ。俺も書かないといけないんだ。本当は最後まで『白い結婚』でいるつもりだったのに、俺は恩人の大切な姪っ子に手を出してしまった。ウェディングドレスに身を包んだ君を見た時、本当に天使かと思ったんだ。もう手放すことなんてできない」
たくましい腕に抱きすくめられて、私は返事の代わりに彼の背に腕を回した。
「誓って、最初は契約を履行するつもりでいた。コンウェル領の経営が順調になったところで君に返す予定だったし、その時、結婚も白紙に戻して君の再婚に支障がないようにするつもりだったんだ……」
「そんなのって御免だわ。何年私に寂しい思いをさせるつもりだったの、エディ? 第一、離縁されて放り出されたら、私に再婚先なんてなかったわよ」
「そんなことないさ。社交界にも顔を出さない戦ばかりの血まみれ伯爵より、君のことを幸せにできる男なんて腐るほどいる」
「さぁ、それはどうかしら」
社交界へ出てこなさ勝負なら私だって負けてないわ。人脈なしの行き遅れ貧乏令嬢を拾おうだなんて物好き、あなた以外にいないと思うの。勝手に想像して、勝手に寂しそうになっているけれど、こんなに格好良くて優しい心を持った旦那様、絶対に離してなんてあげないんだから。
「愛してるわ、エディ。私の可愛い旦那様」
「俺も愛してる。一生をかけて君を幸せにするよ、マリッサ」
そう言うと、エドモンは私の頭にショールを被せた。お母さんの持たせてくれたレースのショールは、まるで結婚式に身に着けていたヴェールのように私を包み込む。エドモンはそれをうやうやしく持ち上げ、私にキスをした。
「下りられそうか? 子どもたちが待ってる」
「ええ、そろそろ大丈夫。アイビーを呼んでもらえる?」
「ああ、そうしよう」
身支度を整え、エディにエスコートされて階下へ行くと、始めて見る顔が二つあった。白髪の優しげな年配の男性と、栗色の髪の毛の利発そうな若い男性。彼らがクライドとマークなのだろう。もしかして、領主館に缶詰めにされていたのは、本物のマークの方だったりして。
子どもたちは昨日と打って変わってみな笑顔で、ハグをしてお別れをした。ほんのわずかな時間に打ち解けたのか、メイドの子たちの中には涙ぐんでいる子もいた。私ももちろん、泣いてしまったのだけれど。
「数えきれないほどの人間を斬ってきた俺の、せめてもの罪滅ぼしだ」
子どもたちを乗せた馬車が離れていくのを見ながら、エドモンはそうつぶやいた。私は彼の腕を取って、馬車が見えなくなるまで一緒に見送った。戦争が起こるのは彼のせいじゃない。むしろ彼は、私たちの国を守って戦ってくれていたのに。そう言ってもきっと、彼が心に負った傷は癒えないだろうと思う。だからこそ、私は彼と共にありたい。そして、子どもたちを救う手助けがしたい。
「そうだ、君の両親から手紙が届いていたんだった」
「嬉しいわ! 見せて」
エディが胸元から取り出した封筒は、お母さんの趣味の良さが光る品のいい物だった。エディはそれを持っていたナイフで丁寧に開いて、私に手渡してくれた。私がこのお屋敷についてから貰う、初めての手紙になる。いそいそと便箋を開くと、そこには嬉しい報せが書いてあった。
「エディ、お父さんがコツコツ作っていた木工細工が、陛下の目に留まったみたいなの。すごいわ、商品化して売り出すんですって」
「それは良かった」
「叔父さんの焦げ付いていた事業も持ち直して、お父さんと二人で新しく会社を興すって……。本当に大丈夫かしら」
「一応、後で俺も確認させてもらおう。見込みがありそうなら出資したい。君の叔父さんは、資金さえあれば成功するタイプなんだ」
「嘘でしょう……」
あの、ジョアン叔父さんが? 何度も事業を失敗しては、その度に貧乏暮らしをして、またコリもせず新事業に手を出しては失敗していたあのジョアン叔父さんよ?
「ルルトーシェ伯爵の援助もあったとはいえ、今も商人を続けられていることを考えると、そう不思議でもないんじゃないか」
「そう、ね。にわかに信じがたいけれど。お母さんもお店を始めたみたい。庭の花を売ったり、パーティ会場のデザインや、商会向けにマナー講習を開いてるんですって。今度こっちに遊びに来てもいいかって書いてあるわ」
「もちろん、いつでも大歓迎だ。その時は仕事を休んでもてなすよ」
「頼もしいわ。でも、もう少し二人の時間を大切にしましょうね」
「!」
そっと口づけすると、エドモンは幸せそうに笑ってくれた。彼はもう、冷たくて恐ろしい伯爵様じゃないわ。私の自慢の旦那様なの。
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