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追い詰められて

 サラはおしゃべりな女の子だった。私の髪の毛を洗いながら、可愛い声で色んな話をしてくれた。とても楽しかったけれど、今夜のことを思うと私の心は沈む一方で、その楽しさの半分も味わえていなかったと思う。


「奥様、旦那様ってイケメンなんですよね? いいなぁ~、わたしもイケメンと結婚した~い!」

「イケメン? まあ、確かに整ってらっしゃったわね。少し、怖かったけど」

「怖い人なんですか?」

「いえ、雰囲気がね。ほら、軍人さんだし、式のときには笑ったりしないから」

「そうなんですね~。じゃあ、今夜こそイチャイチャできるいいチャンスじゃないですか! お酒も用意しますか?」

「そうね……お願いしようかしら」

「は~い、じゃあマークさんにワイン蔵開けてもらいますね~!」


 サラが楽しそうに言うほど、今夜のことが現実味を伴って私の心を苛む。私の髪を洗い終えたサラは、身体も洗い上げてくれた。お風呂の後はイオやアイビーも来て、髪を乾かして私を飾り立ててくれた。


「それでは、わたしたちはこれで失礼します、奥様」

「良い夜をお過ごしになってくださいね~」


 メイドの子たちは、これが素晴らしいことだと信じて疑いもしないみたい。本来なら私だって、きっと喜んでいた筈。だって、ようやくここに嫁いできた意味が見いだせるんですものね。旦那様とお話をして、契約ではない本物の夫婦になって。務めを果たして……。


 旦那様に身を任せるのだと決めて、一度は自分から訪れたあの寝室。

 でも今は、そのドアを開けるのが怖い! 


「やっぱり無理よ! どうして、今になって……」


 何も、私が恋心を抱いたと同時に『白い結婚』の約束を破棄しなくたっていいじゃない! どうして私が彼を好きになる前に、私に会いに来てくれなかったの? 今までずっと無視しておいて。私がここに初めてやってきたときだって、顔も見に来なかったじゃない。お屋敷に帰ってきたって、私には挨拶も手紙もなかった。それなのに、どうして今なの……。


 私はベッドに腰かけて顔を覆って泣いた。素敵なナイトドレスも、豊かな花の香りも、何の慰めにもならない。帰りたい、今すぐに! ああ、このまま夜が更けてしまえばいい、旦那様だってきっと、空の寝室を見れば私の意思がわかる筈。彼だって紳士だもの、まさか私の部屋までは押しかけてこないでしょう。


「手紙を、置いてくれば良かったわ。そうすれば、旦那様が朝早くに出かけても、私の要望を知らせることができたのに」


 ああ、でも、こんな不義理を働く妻の願いなんて、叶えたくはないかもしれないけれど。なんて自虐的な考えに耽っていると、ドアが乱暴にノックされた。この荒さは、マーク? もしかして、私を迎えに来たの?


 マークの手で伯爵に引き合わされる、そんな最悪の想像に、私は血の気が引いた。そんなのは絶対に嫌だ! 今すぐ、ここから逃げ出さないと……。


「マリッサ? 話がしたいんだ、ここを開けてくれないか」

「嫌よ! 入ってこないで!」


 私は叫んで、部屋を見渡した。ドアを塞いでマークが入ってこられないようにしたかったのだけれど、私の力で動かせるような物はない。それならと窓を振り返る。身を乗り出して高さを確かめると、真っ暗だからかとても高い気がした。でも、シーツを限界まで垂らして飛び下りれば、上手く着地できれば、逃げられるかもしれない。


「マリッサ、俺たちの間にはきっと誤解がある。話し合いたいんだ、中に入れてくれないか」


 マークがそう懇願しているとき、私は苦労してシーツを引っ張りはがしているところだった。何が誤解でしょうか? 私は鏡台の椅子を窓辺に運び、その上に乗ってカーテンとシーツを結んだ。それを窓の外に出して、これで即席のロープの出来上がりだ。


 せめて朝が来るまでは、隠れていよう。それからのことは、また、考えなくちゃ。


「さようなら、マーク。……きゃあっ!?」


 シーツに体重をかけると、思ったよりも深く身体が沈んだ。結び目が緩かったの!?


「マリッサ? なっ、何をしてるんだ!」

「マーク……! ダメ、来ないで!」

「マリッサ! この、なんてお転婆だ……今引っ張り上げる、しっかり掴まっているんだ!」


 マークは悪態をつきながら、シーツを私ごと軽々と持ち上げてしまった。そして私の脇の下をがっしりとした手で支えると、あっという間に部屋の中へ引き入れてくれた。


「まったく、本当に何を考えているんだ、君は! 危なっかしいことこの上ない! 君ほどレディらしからぬお転婆には会ったことがないぞ!」

「あ、ありがとう、ごめんなさい……マーク、なのよね……?」


 声も、喋り方もマークに違いないのに、掻き上げた黒髪のその下は、一度だけ見た旦那様と同じ顔をしていた……。吊り上がった凛々しい眉に、灰色に見える不思議な薄青の目。でも今は、その目から冷たさを感じない、むしろ温かみにあふれているように感じた。


「もしかして、あなた……伯爵の隠された双子の弟なの?」

「違う」


 即座に否定されてしまった。目をパチパチさせてもう一度マークを見る。やっぱり、旦那様にソックリだわ。


「……俺が、伯爵なんだ、マリッサ。今まで黙っていてすまなかった。いやでも、まさかここまで気づかないなんて思わなかったんだ。だって俺は地下室ですべて話したつもりでいたから……君も、ほら、積極的だったし」

「ええっ!?」


 そんなことってある? 地下室で話してもらったことに、マークの正体に気づく要素なんてあったかしら? ぜんぜん記憶にないわ!


「積極的だなんて、私そんなこと……」

「結果的には邪魔されたが、キスしようとしたとき、嫌がってなかった」

「キスしようとしてたの!?」


 きっと彼の髪に触れた時のことを言っているんだろうけど、まさか、私にキスしようとしていただなんて……! その前に許可を取ってよ! 確かに良い雰囲気だったけれど!


「だから俺は、すべて知って受け入れてくれたんだとばかり思っていた。だいたい、家令がこんなに無礼なわけないだろう、すぐクビになる」

「マーク、あなたが言うの、それ……」

「エドモンだ。……エディでもいい。マークはただ、屋敷でそう名乗っていただけで俺の名じゃない」


 マークは、いいえ、エドモンは少しむすっとした顔でそう言って、手に取った私の指先にキスをした。


「でも、地下室であなた、子どもからマークって呼ばれていたじゃない」

「あれは君が先に、俺のことをマークだと言ったからだ。俺は独りで手術していたわけじゃない、助手が二人いたんだ。本物の家令と、俺の従僕と」

「そうだったの」

「騙していたことは本当にすまないと思っている。どうか、許してほしい……。だが、血も見たことのないお嬢様に、俺のしていることを見せても大丈夫かどうか、自信がなかった。敵国人を助けていると非難されたり、治療のためとはいえ子どもの手足を切り落としていたのは事実だ」

「……!」


 息を飲む私を見て、彼は少し哀しげな笑みを浮かべた。


「血まみれ伯爵、だろう?」

「あなたは、とても素晴らしい人よ、エドモン。あの子たちを見て、まだあなたのことを悪しざまに言う人がいたら、私が引っ叩いてあげる」

「ふっ! 見かけによらず、気が強いんだな、君は」

「あなたこそ、そんな風に笑うなんて最初は思ってなかったわ。……最初に会った結婚式の日、私のことを、あんなに冷たい目で見ていた、あなたが」


 エドモンはハッとして、左手で私の頬に触れた。あの熱い手が、滑るように私のこめかみまで流れて髪の毛をすくう。


「すまない。正直に言えば、その、俺は顔が怖いんだ」

「え?」

「緊張すると特にひどい。その状態で笑うと、みんな引く」

「笑って見せて」

「……どうだ?」


 私は思わず吹き出してしまった。だって、どう見ても残忍な血まみれ伯爵なんですもの!


「あはははっ! ひどいわ、エドモン! どうして歯をむき出しにするのよ」

「そこまで笑うなよ。傷つくだろう」


 エドモンはむっとしたようにそう言うけれど、その声に険しさはない。おかしくてクスクス笑っていると、彼の指が私の唇に触れた。


「あ……」

「そろそろ許してくれただろうか? 最初からすべてを話してもいいが、それだと夜が明けてしまう」

「いいわ、ぜんぶ、許してあげる」

「マリッサ、愛している。俺は君のものだ」


 私の答えは、唇が塞がれてしまって、言うことができなかった。

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