距離
涙につられたのか、子どもたちが全員泣き出してしまって、私たちは互いに抱きしめあった。マークはそれを邪魔せず見守ってくれて、気づけば泣き止んだ子たちから順に自分の持ち場へ戻っていった。
最後、すっかり泣き疲れて寝てしまった小さな子を撫でていると、マークがやってきて隣に座る。
「ありがとう、マーク」
「……俺は何もしていない、すべては君の功績だ。さっき、料理長のドーゼンには事情を打ち明けて、子どもたちのための料理を作ってもらっている。一緒に食べるのは無理でも、温かいものが食べられる筈だ」
「良かった!」
私が笑うと、つられたのかマークも微笑んだ。
「正直なところ、君やドーゼンが受入れてくれてホッとしている」
「えっ、そうなの?」
「ああ。子どもとはいえ、彼らは敵国の人間だ。それを集めて、治療して、送り返そうとしているやり方に不満を持つ者は必ず出る」
「送り返す……」
国民を見捨てたプリアルグァに帰ったとして、この子たちは幸せになれるのかしら。ふと、そんな気持ちが心に影を落とした。
「プリアルグァの半分はどうせ我らがロイエンになるんだ。住み慣れた土地に帰れば、もしかしたら親や知り合いが見つかるかもしれないだろう。国は今回の件で散り散りになったプリアルグァ民をできるだけ故郷に帰れるよう取り計らっているようだからな」
「そうなの! それは嬉しいニュースだわ。さすが国王陛下ね。……でも、どうしてプリアルグァがロイエンのものになるの?」
「金が払えないなら、物で払ってもらうしかないだろう? 嫌ならすべてをロイエンが獲る。それだけの話だ」
淡々とした言葉に、彼もまた軍人だったんだなぁと実感する。きっと、当たり前のように従軍して、旦那様と一緒に戦ったのね。
恵まれた長身と、鍛え上げられた肉体。彼が側にいて呼吸しているだけで、その力強さが伝わってくる。長い前髪に隠された素顔はどうなっているのかしら。彼のすべてを、知りたい……。
気づいた時には、私の手はマークの黒髪に伸びていた。彼が鋭く息を飲むのと、私の手が掴まれるのはほとんど同時だった。言い表し難い沈黙が場に下りる。
「ご、ごめんなさい! 私、そんなつもりじゃなかったの……」
「なら、どんなつもりだったんだ?」
「あっ……」
マークに掴まれた手首と、抱き寄せられる肩が熱い。彼の顔が近づいたかと思うと、鎖骨に熱が触れた。
「……!」
「マリッサ、俺は」
その時、私の膝の上で寝ていた子どもが、うーんと伸びをして起きた。マークの手が緩んだ隙に、私は男の子をマークに押し付けて逃げ出した。
「マリッサ!」
「ごめんなさい!」
ガタガタの足で階段を這うようにして駆け上った。執務室を出て、自分の部屋に戻ると、ベッドに頭から倒れ込む。
私は……! あの時、言葉も出なかった。ダメだと言うべきだったのに、私は、マークを止めなかった。あのまま、あの子が起きなかったら、どこまでいってしまっていたかわからない。私は、伯爵夫人なのに!
彼の低い声が私の名を呼び、熱い大きな手で私に触れる……。でも、その喜びは、得てはいけない罪科の果実だ。私は危うく、マークを罪人にしてしまうところだった。
「マーク……」
私は今度こそ、自分の気持ちに気づいてしまった。でも、この想いは叶わない、叶えてはいけない。どうして彼に出会ってしまったの? どうして……。
その時、部屋のドアがノックされた。
「っ、どなた……?」
「アイビーです。奥様、お昼のお食事の用意ができました」
「ごめんなさい、今は、いらないわ。後でいただくから……。夕食も用意しなくていいって、ドーゼンに伝えてちょうだい」
「……わかりました。奥様、具合がお悪いのですか? お医者を呼びましょうか」
アイビーが心配そうな声で言う。私は後ろめたさに心が痛みながらも、それを断った。
「いいえ、いらないわ。本当に大丈夫。ありがとう、アイビー」
「奥様、お部屋に入ってもよろしいですか? あの、奥様のお顔が、見たいです。わたしたち、その、ちゃんとした言葉遣いができなくて、上手く喋れないんですけど……」
アイビーが言いよどむ。ちゃんとした言葉遣い? どういうこと?
「みんな、奥様のこと心配してるんです。慣れない場所にお一人だし、昨日も具合がお悪かったし。長旅でお疲れなのはわかってるんです、でも! 奥様は、わたしたちが失敗しても何も言わないし、何も欲しがらないから、逆に、無理してるんじゃないかと思って!」
私はベッドを下りて、ドアを開けた。そこには顔を真っ赤にして泣きそうなアイビーが立っていた。
「アイビー」
「奥様ぁ!」
「心配してくれてありがとう。でも、本当に平気だから。ちょっと考え事をしたいだけだったの。あなたち、言葉遣いを気にして、あんまりお喋りしてくれなかったの?」
「だって、恥ずかしくて……。わたしが一番マシだから、わたしが奥様についてますけど、本当はみんなやりたがってるんですよ?」
「なら、今日からは気にせず、誰でも来て。その方が嬉しいから!」
「ありがとうございます! 奥様、顔色はそんなに悪くないですね。食欲があるなら、お食事をここに持ってきますよ。広い食堂に一人は味気ないですもんね」
「ええ、そうしてもらえると助かるわ。ドーゼンには謝らなくちゃいけないけど」
「きっと気にしませんよ」
そう言って、私たちは笑った。アイビーの言葉に甘えて、昼食は部屋で摂った。それから夕食までの間、私は手紙を書いて過ごした。
一通は旦那様に宛てて。私が地下室に入り秘密を知ってしまったこと、それを手伝わせてほしいと思っていること。これまでの感謝と、これからの共同生活についての展望と。それから、マークをこのお屋敷から遠ざけてほしいという、要望を。
それからもう一通はマークに宛てて。今までの感謝と、お別れを。私がどれほどマークを尊敬しているかを書き連ねたら、まるで愛の言葉みたいになってしまったわ。私の我儘で彼のキャリアに傷をつけてしまうのは心苦しいけれど、きっとあなたなら、他の場所で活躍できる筈……だから、私を許してほしい。いいえ、許さなくても構わないから、幸せになってほしい。どこか、別の場所で、私以外の誰かと。
「マーク……好きになってしまってごめんなさい。悪いのは私なのに、あなたの場所を、奪ってしまうことになるなんて。でも、このまま一緒にいるなんて、できないから」
便箋に口づけして、封をする。
もし今夜、旦那様が帰っていらっしゃったら、直接話をしましょう。もし会っていただけなくても、手紙だけは受け取ってもらわなくては。マーク宛てのものは、後で、直接渡しましょう。マークがここを去ると決まった日に。
涙を拭いて鏡の前に立つと、自信のない表情をした私自身と目が合った。
「マークを守らなくちゃ。上手くやれるわよね、マリッサ?」
そう自分に言い聞かせて、微笑みを作る。その時、ドアがノックされてメイドのサラの声がした。
「奥様! 旦那様が今夜お帰りだそうですよ。お二人の寝室で待っていてほしいって!」
「え……」
ドアを開けると、ニコニコ嬉しそうに笑いながら、サラは手に持った籠を持ち上げて言った。
「さあ、準備しましょ、奥様。どの香りがお好みですか? うんとオシャレしましょうね!」