地下室の子どもたち
マークが本棚の一部を動かすと、そこがまるでドアのように開いて地下への階段が現れた。やっぱり、ここが入口だったんだ。だから、お屋敷の右棟に部屋を持つアイビーたちは、子どもの声も物音も聞いていなかったというわけ。
暗い石造りの階段は、まるでポッカリ開いた口のようで足がすくむ。私のためらいを見てなのか、マークが小さく笑って手を差し出してきた。
「お手をどうぞ、レディ」
「からかわないで」
「暗くて足場が悪いからだ。君に怪我をさせたくない」
「……わかったわ」
使用人たちの前では厳格な監督者の顔を崩さない、無愛想で、無口な家令のマーク。なのに、私の前では、こんな風に少年みたいな一面も見せる。冗談を言ったり、怒ったり、口調だって……。
もしかしたら彼が血まみれ伯爵の忠実な部下で、秘密を知ろうとする私を地下室に引き込んで殺してしまうかもしれない。そうする可能性だってゼロではないのに。私ったら、こんな状況でこんなにもときめいてしまっている。
まるで物語に出てくる、悪の大首領に拐われる姫君のようじゃない? マークになら、このまま地下室へ閉じ込められてしまっても良いとさえ……。
「さぁ、着いた。このドアの先は眩しいから、手で覆っておいた方がいい」
「え、ええ……」
階段を下りて結構歩いた先には木製のドアがあり、隙間から光が漏れていた。地下なのに、向こう側は結構明るいんだわ。あふれる光に目が慣れたとき、私の目の前には、快適そうなリビングルームとそれに似つかわしくない包帯だらけの子どもたちだった。
一番下は六、七歳くらいの男の子で、そこから年齢はまばらに男女が合わせて五人。小さい子以外はみな、すぐに部屋の端へ逃げていった。怯えていたり、威嚇するような表情で私たちを睨みつけている。
「マーク、この子たちは……!」
一人は顔の右半分が包帯に覆われていた。一人は左足がすべて包帯に包まれ左右で太さが違った。一人は手の指が何本かなくなっていた……。
「こんな、ひどい……。どういうこと? 何が起きているの? 答えて、マーク!」
「まくー?」
「え……」
一番小さな男の子が、笑顔で立ち上がってマークの方へ歩いていく。マークは彼を抱き上げて亜麻色の髪の毛を撫でた。嬉しそうに笑い声を立てる男の子を見て、私は、自分の想像が間違っていたことを確信した。
「ごめんなさい、大きな誤解を、していたみたい……」
「誤解? 俺たちはここに買い取った奴隷の子どもを連れ込んで、刃物で切り刻んでいるんだが」
「遊びでそんなことをする人間が、傷口をこんなにしっかり処置しないわ。この子たちは清潔だし、閉じ込められているのは確かだけれど、縛られたりしてない。ちゃんとした服を着ているし、顔色もいいわ。……奴隷というのは、本当なの?」
ニヤリと笑ってみせるマークに、私は首を振って気づいた点を挙げていく。気にかかるのは、なぜ子どもが奴隷になっているのかという部分だった。
「俺たちも奴隷制度を良しとはしていない。だが、周辺諸国の足並みが揃わない今、黙認してしまっている部分があるのはわかってもらえるか」
「ええ」
「先の戦、発端は隣国プリアルグァの王室が分裂し、我が国に攻め入ってきたことにあった。俺たちグロウス伯爵軍は防戦、後に打って出て折衝地を越えて進軍した。我が国は勝利をもぎ取ったが、プリアルグァは捕虜の身代金を払わなかった」
「えっ!」
そんなことがあったなんて! じゃあ、プリアルグァの人たちは、自分の国に捨てられたってことになるんじゃないの?
「捕虜の中には、逃げ場をなくした一般民もいた。身代金が払われないなら、彼らは奴隷になるしかない。実際、我が国や友好軍の諸貴族の中には、捕虜たちを食べさせていくだけの資金が尽きて奴隷商に売らざるをえなかった者が出た。陛下から下賜される恩賞を待つだけの余裕がなかったんだ」
「そんな……」
「奴隷商なら捕虜をすぐに金に変えてくれるし、捕虜たちも奴隷商が祖国の王と交渉してくれれば国に帰れる。それで回っていた部分があったんだがな」
それなのに、プリアルグァは捕虜の身代金を出さなかった。それだけじゃない、奴隷になってしまった国民すら見捨てて、行き場がなくなってしまった子たちがいるんだ。
「この子たちは、プリアルグァの……」
「ああ。奴隷落ちした避難民全員は無理だが、子どもだけでも買い戻して、施設に預けている。ここにいるのは怪我や病気で外科手術が必要になった者だけだ。逃げ出したら野犬の餌になるだろうから、こうして閉じ込めている」
マークが視線を向ける子どもたちは、隙を見せればいつでも飛び掛かってきそうなくらい敵意をむき出しの目でこちらを見ていた。確かに、閉じ込めておかなければ逃げ出してしまいそうだなと感じた。そして、マークの言う通り、野犬に襲われて……。私は頭を振って嫌な想像を振り払った。
「ねぇ、あなたたち、温かい紅茶でも飲まない? ミルクと砂糖を入れた、甘くておいしいの」
「マリッサ?」
「クッキーやケーキも持ってくるわ。ちょっとおしゃべりしましょうよ」
「何を言っているんだ、君は。言葉なんて通じないし、危ないから近づくんじゃない! 彼らの施術は昨日終えたんだ、もう今夜か明日にでも施設に送るんだぞ」
マークは低い声で唸るように言う。でも、私はこのまま彼らだけをここに置いては行けなかった。
「お願い、マーク。迎えが来るまででいいから。外に出してあげてとは言わない、でも、ほんのちょっとでもいい、安心させてあげたいの。彼らだって本当はわかっているはずよ、あなたが悪い人じゃないってことくらい。そうでしょう? 彼は暴力をふるったりしない、紳士なの」
部屋の隅にいる子たちは、戸惑ったように顔を見合わせている。言葉は伝わらなくてもいい、せめて、気持ちだけでも伝えたい。
「ね、マーク。これは旦那様が始めたことだとしても、実際に子どもたちのお世話をしているのはあなたなんだから。あなたも歩み寄って。ほんの一瞬の、すれ違うだけの関係でもいいじゃない、私は、あなたの良さをこの子たちにも知ってほしいわ」
「まぁむ?」
「えっ?」
マークに抱かれていた男の子が、私の金の髪のひと房を握りしめていた。見つめ返すと、不思議そうに見開かれた瞳が私を映している。どうしたらいいのかわからないまま、私は両手を開いた。
「いらっしゃい」
「まむ!」
マークの腕から飛び下りて、彼は私に抱きついてきた。抱え上げることはできないから、私は膝をついて彼を胸に迎え入れる。わんわん泣き出した彼の頭を撫で、ぎゅっと抱きしめていると、私の目からも熱い涙がこぼれた。