突飛な縁談
血まみれ伯爵エドモン・グロウス。
先の戦で功を立てた武勇の人でありながら、敵国の捕虜を生きたまま切り刻んだという悪名が付いて回る。彼の拠点からは昼夜を問わず、耳を覆うような絶叫が聞こえてきたという。
戦争が終わってからは自分の領地へ引っ込んで、社交界にも出てこない。ただ、奴隷商のお得意様で、子どもを買い取ってはその手足を切り刻んでいるとかいう噂もある。
「そんな所へマリッサを嫁がせるなんて、私は反対です!」
家族会議の席で、お母さんは叫んだ。質素な食堂でこれまた質素なテーブルを囲む私たちはもう何度目になるかわからない溜め息を漏らす。
お母さんは昔、世間知らずの伯爵令嬢で、今は落ち目のコンウェル伯爵夫人。おっとりした雰囲気で気立ての良さは娘の私から見ても誇らしい。お母さんがこの縁談の相手を知れば、絶対に反対することはわかりきっていた。
「そうは言ってもね、エラ。もう相手も承知していて支度金もいただいてしまったし、今さらなかったことにはできないんだよ。貴族同士の約束事なんだから」
そう言ってお母さんをなだめるのは、こうなった元凶その一、私のお父さん。コンウェル伯爵家の財産を一代で食い潰してしまった、お人好しの能無し。……良い人なのよ。優しくて心が広くて。でも、経営にはまったく向いていなかったの。
「そうだよ姉さん。噂なんて気にするべきじゃない。戦争の英雄だし、若いし、それに何より金持ちなんだよ。貴族の位としてはこっちの方が上なんだから、正妻のマリッサを傷つけるなんてあり得ないよ! それに、子ども好きの変態ならなおさら、年上の女になんて手を出さないよ」
今すぐ頬を往復ビンタしてやりたい発言をしているのは元凶その二、ジョアン叔父さん。お母さんの弟のクセに俗物なの。お母さんの実家に余っている爵位はなかったから、商人をしている。
先の戦争では、お父さんの軍に入って一緒に戦った。と言っても、ここは戦場から一番離れた領地だったから、お父さんたちが辿り着いた頃にはもうほとんど終わっていて、おかげで旅費だけが嵩んだのだけど。
それで、さらに減った蓄えを取り戻そうとして、お父さんとジョアン叔父さんは船での貿易に投資して、結果、見事に沈んでしまった。お母さんは実家に援助を求めたけれど、伯父さんに代替わりしていたから断られてしまった。そりゃ、十回以上も同じような理由で援助してきたんだもの、もう見限るわよね。
お父さんはここで大きな決意をする。
『そうだ、爵位を返上しよう!』
伯爵でいる以上、領地からお金は入ってくるけれど、その代わりに国に税金を納めて領地の役人にお給料を支払わなくてはならない。もちろん赤字になることだってある。その赤字は領主が被るの。もうこれ以上、うちに払えるものなんかなかった。
でも、「伯爵やめます!」なんて簡単にはいかない。何より貧乏領地の買い手がない。お父さんたちが噂のグロウス伯爵とどういう経緯で知り合ったのかはわからないけれど、なぜか、彼がうちを買い取ってくれることで話が進んだ。
私はいいの。いつかはこうなると覚悟をしていたから。だって、小さい頃から平民と同じような生活をしていて、パーティーなんてデビュタンスの一回だけ、王都にだって数えるほどしか行ったことない。こんなマナーも何も知らない貴族令嬢、貰い手なんかないわ。
だから、相手が血まみれ伯爵だろうと、同じ貴族なだけマシだと思える。だって貴族同士なら、貴族法に従って、妻の身体を傷つけたりはしないだろうから。
それに、まだ婚約段階なのに何度もお金を出してくれた伯爵には借りがあるし。何よりここで私が「やっぱりやめます」って言ったら、お父さんと叔父さんは詐欺師として死刑になるかもしれないし。
「お母さん、私なら大丈夫よ。伯爵はきっと、いい人よ」
「マリッサ……!」
お母さんのエメラルド色の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。私は、手縫いのレースのハンカチを握りしめているその手を包み込んで、自分の額に当てた。
「二十五年間、大事に育ててくれてありがとうございます。どうか、私を信じて、見守って」
「マリッサ、でも……」
「マリッサ! 良かった!」
「助かった〜!」
後ろ、うるさい!
「グロウス伯爵は、いい青年だと思うよ。噂なんか信じちゃいけないさ。マリッサは幸せになれるよ」
お父さんはウンウンと大きく頷いている。そうね、お父さんの人を見る目は確かだもの、私もそう信じたい。心からそう思うわ。
そして数日後、婚約式ができない代わりにと、伯爵から首飾りが届いた。結婚式の日取りも決まり、いざ結婚……という段になってお母さんが体調を崩し、式は延期になった。それを繰り返すこと三度、気がつけば、丸々一年経っていた。