[02]セイクリッドシンズ出動
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平和と言う物は唐突に失われる。その日の大枉津市敷島銀行もそうであった。
「グハハ! この銀行は我々アブソリュートが支配してやったわ! この世に絶対の法をもたらす為! 貴様ら民草はこのバッドダイカンへと年貢を捧げるのだ!!」
天秤の紋が付いた裃を身に纏った異形の怪人が叫び、銀行員は慌てて現金を袋に詰める。
「グッフッフ……。ワシは今までの連中とは違う、余計な邪魔が入る前にさっさと脱出すれば任務完了。上様の覚え目出度くなってから捨て駒を使ってあ奴らを始末すれば良い……」
ブツブツと独り言ちるバッドダイカンを周囲の人間は恐怖に満ちた目で盗み見ていた。
「んん~? 何じゃお主ら、このワシに何か文句でも有るのか?」
ギロリと周りを睨め付け、低い声でバッドダイカンは唸る。
人質達は危険を感じて怪人から慌てて目を逸らすが、一人だけ恐怖で硬直してしまった者が居た。
「おい、そこの女、お主じゃ。ワシを見ておったろう? さてはワシに惚れたか? ん?」
「ひっ……!」
小さく悲鳴を上げて後ずさる女性の腕を掴み、バッドダイカンが厭らしく笑う。
「ほほう、中々の顔立ちではないか。気に入った、連れ帰って可愛がってやろう。グハハハハハ!」
「い、嫌……」
震える女性の目から涙が零れる。
――――その瞬間、ガラス張りの帳壁と金属製のシャッターが音を立てて破られた。
「よォ、アブソリュートのクズ共ォッ!! セイクリッドシンズの登場だ! さっさと人質を解放しなァ!!」
現れたのは赤き戦闘衣装に身を包んだ男、セイクリッドシンズのラースである。
「グヌヌ……。おのれ、セイクリッドシンズ! このワシの華麗なる計画を邪魔しようとは!! 皆の者、出合え! 出合えぃ!」
予想よりも遥かに早いヒーローの参上に内心慌てつつ、バッドダイカンは配下の戦闘員に命令を下して逃げる準備をする。
「「ジャッジー!」」
下級戦闘員であるジャッジーズは特徴的な掛け声を叫びつつラースに襲い掛かった。
「憤怒!」
鉄拳一撃。白と黒で塗られたジャッジーズがあっさりと殴り飛ばされて飛散した。
だがすぐに第二陣、第三陣が現れる。
「「ジャッジー!」」
「ちっ! 憤怒!」
ラースはわらわらと湧き出る敵を拳の一振り、腕の一薙ぎで冗談の様に倒してみせるが、戦闘員達は雲霞の如く居る。
多勢に無勢、これでは負けずとも敵の幹部を追い掛けて倒す事が出来ないかと思われたその時である。
「敵捕捉、発射!」
ラースの後ろ、大穴の開いたシャッターの向こう側から声が聞こえ、幾本もの対怪人ミサイルが飛び出した。ラースには掠りもせず、的確に敵へと命中し爆発する。
ミサイルとは本来人に向けて放たれるべき威力の物ではない。しかし怪人とは人に非ず。力尽きれば塵に還る存在へ人道的攻撃をしてやる理由はヒーローにない。
「遅えぞミフネ!」
振り返ったラースが声を上げた。
その視線の先で他のセイクリッドシンズがシャッターの穴を潜り抜けて銀行の中へと入って来る。
「お前が一人で突っ走っただけだ馬鹿。猪突猛進しか出来ないのか阿呆」
「んだとぉコラ!?」
呆れた声色で言うプライドにラースが食って掛かった。
プライドことミフネもラースと良く似た青いコスチュームを身に纏い、顔の上半分はバイザーで覆われている。
「はいはい、喧嘩しないの……。まだ人質救出が出来てないわ……。ほら、『地母神の庇護』……」
ピンク色のコスチュームを着たラストが手を翳し、壁際に逃げていた人達を覆うように桃色のバリアが張られた。
人質達が慌ててシャッターに向かって逃げ出し始め、ジャッジーズはバリアを攻撃する。しかし透明な薄い隔壁が破れる様子は無かった。
「グハハ! 甘いのうセイクリッドシンズ! このワシの手元にまだ人質は残っておる! 人質が惜しければ今すぐ武器を捨てて……」
バッドダイカンの台詞の途中でプライドが拳銃を撃つ。銃弾がバッドダイカンの広い額に当たってキン、と硬質な音を立てた。
「イデッ!? こっ、こっちには人質が居るのだぞ! 躊躇無いなお主!?」
「チッ、威力が足りなかったな」
プライドは反省する様子も無く平然と呟いた。それを見たバッドダイカンは白塗りの顔を赤く染め、全てのジャッジーズ達にセイクリッドシンズへと襲い掛かる様に命令を出す。
「弁明の一言も無しとは……。良かろう! ならば、この女の顔に消えぬ傷跡を付けて後悔させてくれるわぁ!」
銀行を制圧する為に用意された戦闘員の数はおよそ百、女性を助けようとしても戦闘員の壁がそれを妨げる状態だ。
もしもヒーローの行動によって人質に後遺症が残ったとなれば名誉失墜は確実。
所謂、〝窮地〟である。
「クソッタレ! テメェら邪魔だ!」
「「ジャッジー!!」」
ラース達が押し寄せる戦闘員を薙ぎ払うが、バッドダイカンまでの距離は一向に縮まらない。一秒間に十体が塵へと還ろうとも、同じ数のジャッジーズがセイクリッドシンズへと突撃した。
「さぁ、高らかに悲鳴をあげよ!」
「キ、キャアーっ!!」
振り被られたバッドダイカンの凶悪な鉤爪がギラギラと輝き、女性の顔を引き裂こうとする。
「――――『成り換わりの一手』」
涼やかな声が怪人と女性の耳を撫でた。ナイフの如く鋭い爪が女性の顔ではなくバッドダイカンの肩へと突き刺さる。
「ん? ……グヌァーー!?」
一瞬遅れて痛みに気付き、怪人は間の抜けた悲鳴を上げた。血の様な黒い液体が傷口から勢い良く吹き出し、空中で霧散する。
「危ない所だったね」
何時の間にか、バッドダイカンが居た場所には緑色のコスチュームを着たエンヴィーが現れていた。
その腕には女性を抱えており、バッドダイカンは少し離れた所へ移動している。
プライドの一撃が気を逸らした隙にバリアの中に隠れていたエンヴィーが敵の後ろへと回り込み、自分と相手の場所を入れ替える能力を使う事で人質を助けたのだ。
「でかしたァ、レイ!」
ラースが叫び、最後のジャッジーズを殴って消し飛ばす。
「大丈夫かい? 出口はあっちだ、急いで」
「……はっ、はい。すみません、ありがとうございます!」
マスクを着けた翠戸玲に見惚れていた女性は声を掛けられた事で気を持ち直し、シャッターに向かって急いで逃げ出した。
「グ、ヌ、ヌ……! おのれぇ、よくも、よくもこのワシに傷を付けおったなぁ……!」
「いや、自分でやったんだろうが」
冷静にプライドが突っ込みを入れる。
「黙れ黙れ黙れぃ! かくなる上はこの『山吹色の菓子』で……」
「――『Angry Hungry』!」
バッドダイカンが懐から取り出した木箱が消えるまでの時間、実に僅か二フレーム(※三十分の一秒)。
「って何ぃ!? 今確かに取り出した筈なのに!?」
怪人は慌てて周りを見回して探すが、スイッチの入った木箱は何処にも見当たらない。
木箱は何処へと消えたか? その答えは黄色のコスチュームに身を包んだ少女に有る。
「ン~? オカシって言ったのにあまくないヨー。べつにいいデスけど」
金属が咀嚼される様な音の後にゴクリと何かが嚥下された。
「……え、ひょっとして食べた?」
「イエーース! オフコーース!!」
グラトニーが元気良く返事する。
「ワ、ワシの決戦ロボ『完全超悪~お主も悪よのう~』号が……」
引く程ダサいネーミングの秘密兵器は哀れにも登場すら許されず、バッドダイカンが膝からガクリと地面に崩れ落ちた。
「ネー、ポーラお腹へったデス。他にタベモノ持ってないノー?」
「くっ、馬鹿にしくさりおって! 持っていたとしてもくれてやる筈が無かろう! お主はこのワシが刀の錆にしてやるわ!!」
バッドダイカンが腰に佩いていた太刀を抜き放つのを見ながら、エンヴィーは密かに後ろへと下がった。まるで巻き込まれるのを避ける様に。
「エー、じゃあもういいデス」
まるで危機感の無いグラトニーが溜息を吐き、指を伸ばしたまま先端を合わせた形を作る。
「……! 死ねぃッ!」
不穏な気配を感じ、バッドダイカンは瞬時に斬り掛かった。
距離にして約十メートル。一足一刀と言うには遠い距離を驚異的な速度で詰め、稲光の如き袈裟斬りを放つ。
その太刀筋はそれまでの道化めいた所作からは想像出来ない程に苛烈であり、並のヒーローが不意を打たれたのならば間違い無く致命傷に至る物である。
「『Hollow Swallow』」
グラトニーが窄めた指先をパクリと閉じた。
「ぎゃ」
〝見えない何か〟が紙屑を丸める様にバッドダイカンの全身を押し潰し、圧迫された肺から漏れ出る悲鳴ごとゆっくりと飲み下す。
怪人の手に握られていた太刀の先端だけがその被害を免れ、床に落ちてカランカランとヒステリックな金属音を立てた。
「ゴチソーさまデス。まぁマズクはなかった……カナ?」
グラトニーが合掌し、マスクの下で唇をぺろりと舐める。
一般人もアブソリュートの幹部も戦闘員もその悉くが消え失せ、銀行の中は水を打った様に静まり返った。
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「皆、お疲れ様。私はこの後会議だから何か有ればレイズィーに言うように。それじゃ、解散」
ゴールドバーグの言葉を聞いてセイクリッドシンズのメンバーは雑談しながら部屋から退出する。
「……しっかし、つまんねえ戦いだったなァ。いつもの事だけどよ」
赤い短髪に鋭い目付きの男、剣斗旭が先程の銀行強盗退治に愚痴を述べた。
アサヒは憤怒を司るラースであり、その性質から怒りを発散出来る敵を常に求めている。
もっとも、パンチ一発で車を軽く吹き飛ばせるアサヒが満足出来る強敵なぞそう居る物ではないが。
「あの時代劇にでも出て来そうな奴の太刀筋は悪くなかったが、茶番を演じるのが悪いな。まぁヴィランにとって他人の悪感情を煽り立てるのは本能だろうから言っても詮無き事だろうが」
隣のミフネは相槌を打ちつつチラリと斜め後ろのレイを見る。
その視線の先で、レイは疲労している様子こそ有るが休暇申請が通った事で幾分か気を楽そうにしていた。
「……ねえ、レイ。休んでいる間、何処か行くのかしら……?」
アサヒとミフネが雑談を続ける後ろで、主人白夜――色欲を司るラストである――がふと気になったと言う様子で問う。
ハクヤは最近レイの調子が悪いと言う事に早くから気付いており、休暇を取る様に勧めたのも彼女であった。
「え?」
「温泉やエステ、マッサージとか……。色々……、有るでしょう?」
長く美しい黒髪に深い夜の色をした物憂げな瞳、すっと通った鼻筋と柔らかく艶めいた唇。ハクヤの魔性の美しさを帯びた静かで落ち着いた声にはぞくりとする色香が含まれており、呆っとしていたレイは慌てて返事をする。
「いやいや、僕は家で休むよ! ……出掛けるとお金も掛かるし」
慌てたせいで少し大きな声を出してしまったレイは頬を赤く染めながら小声で後半部分を付け足した。
給金も貰っていると言うのに貧乏性である。
「そう……。マッサージなら、私も得意だから……、御代も要らない……」
ハクヤはゆっくりと喋り、蠱惑的な笑みを浮かべる。レイはその意味に気付いて背中に汗が流れるのを感じた。
ハクヤの両親は非変身型のヒーローである『超人』と、人間側に帰化した女性怪人だ。
父親は日本の真言立川流と中国の房中術に、その源流であるインドのタントラヨガを修めた仙人。母親は生物の精気を吸い取る夜魔の中でも特上の部類であり、その娘であるハクヤはその素養を余す所無く受け継いだ――――要するに〝生まれ付きの怪物〟である。
「あ、有難う……。でも僕は遠慮しておくよ……」
視線を合わせると魅了され兼ねないのでレイは目を逸らして返事をする。
山道で獣と遭遇した際には眼を合わせながら後退して逃げろと言われているが、素人が不意打ちで出くわしたとしてもショックで動きが止まってしまうのが普通だ。
特に自らが獲物として見られている時のプレッシャーは並々ならぬ物であり、それならば最初から無関心を装う方が幾分かマシである。
「そう……、残念……」
ハクヤは眼から危険な光を消して、退廃と淫靡に満ちた溜息を吐いた。
それを見てレイも密かに溜息を吐く。
「エンヴィー、ドコかカラダ悪いデス? ポーラのオヤツ食べる?」
不安そうにポーラが持っていた紙袋から粉糖の掛かったドーナツを取り出してレイへと差し出した。
小柄なポーラだがヒーローコスチュームに身を包んでいなくともその食欲は留まる所を知らず、既にピザを三枚とラーメン二杯を平らげた後だ。
尚、ドーナツの紙袋はまだ四袋有る。
「あはは……、ちょっと学校が忙しくて疲れただけだから大丈夫」
レイの眼はシュー生地で作られた美味しそうなドーナツに僅かの間吸い寄せられたが、軽く手を振って遠慮する。
「つかれた時はよく食べてよく寝るのがイチバンデス!」
「そうね、〝良く食べて〟〝良く寝る〟のは良いわ……」
ポーラの言葉にハクヤも薄く微笑んだ。
レイは二人の言葉にややニュアンスの違いを感じたが些細な事である。些細な事としておく所だ。
(食べると寝るの意味が同じな気がするけど、突っ込むのは止めておこう……)
口には出さず、心の中で呟いておく。
口は禍の元。無闇矢鱈に色気の有る美人からのセクハラは無視するのが吉だ。
「突っ込み推奨よ……?」
「テレパス!? あ、無視し損ねた!!」
その突っ込みと言う言葉にも微妙な含みが有った事は言うまでも無かった。
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