第8話 暗闇の森の戦い
夜の森の中、魔物と遭遇しました。
山全体へ響くかの様な轟音を上げながら、それは姿を現した。
「わぁ~、大きい猪さんですね」
ステラが場違いな程、呑気な声を上げる。その声に、何故だか少し楽しそうな響きが含まれている。
正直な所、フォルスは異形とも言える魔物の遭遇に、極度の緊張で身体が堅くなっていたのだ。彼女のゆったりとした声で肩の力が抜けたのを感じた。
狙っていたのかな、と思いながらフォルスは槍を軽く握り返し、ステラを庇うように一歩前へ出る。
「ステラ、後ろへ」
ステラは、目の前に見える背中を頼もしく思いながら、素直に従って一歩下がる。
「…それにしても、どうしてこんな猪型がいるんだ?」
フォルスは前方へ意識を向けながら独りごちた。
彼らの目に写っている魔物は、確かに大型の猪型の魔物だ。通常の大きさのゆうに10倍はある。
呟いたフォルス自身、質問する形になってしまったが、答えが返ってくるとは思っていない。視線は常に眼前の巨大猪の魔物へ集中したままだ。
低い低い唸り声が、闇夜の森へ不気味に響いている。
森の闇の中に血走った赤く妖しい光が浮かび上がる。その眼光がぎょろぎょろと何かを探る様に動き、しばらくするとある一点を見つめるように、ぴたりとその動きを止める。飢えた赤い瞳の行き先が、自分の背後に向けられている。
「こらこら」と、もう一度小声で呟くフォルス。いくら魔物の本能であろうとも、か弱い女性を狙うのは許せない。
暗い森の中だ。確かに、その巨体の全貌は明らかになっていないが、どれだけ大きくなろうとも魔物自身の習性は変わらない筈。
フォルスは自分自身に言い聞かせながらステラを守るように、槍を構え直した。
次の瞬間、巨大猪を包む空気が変わる。
やや前傾姿勢になり、片方の前足で地面を掻いている。
猪の基本的な攻撃手段は、突進からの圧殺だ。その突進を繰り出す前、大抵は前掻きをするのが習性なのだ。
フォルスはちらりと背後へ視線をやり、ステラの位置を確認する。その視線に気付いたステラは、小さく1つ頷いた。
ぐおぉぉぉぉぉ……!!
一際大きな咆哮を発し、巨大猪が震えた様に見えた。同時に、全てを押し潰そうという突進が繰り出される。
手近にあった木が倒れ、進路上にあった倒木や茂みは、けたたましい音を立てて粉砕していく。巨大猪の進路上は完全に死地だ。
「ごめん」とフォルスはステラへ一言掛けると、腰に手を回し抱きしめ、横っ飛びで巨大猪の進路から外れる。先程まで2人がいた場所を、途轍もない熱量を持った肉壁が通過していった。
「ありがとう存じます」
腕に抱かれたまま、ステラは礼を言った。
フォルスは頷いて返しながら、直ぐに視線を巨大猪へ向けた。
地面が抉れ、森の木々が無惨に倒れている。想像よりも被害が大きい。避けきれず巻き込まれていたら、まず命は無かっただろう。
「わたくしが狙われているのは、恐らく魔力の量が異なるからでしょう。魔物には、より力を蓄えようという本能が働きますから」
ステラがそう話しながら、右手を頭上へ挙げる。
まだ腕の中に抱いたままの至近距離で、フォルスは魔法の存在を感じていた。
掲げたステラの右手に、目に見えない力が集まってくるのを感じたのだ。
実際に、青、緑、黄色の3色の光の粒子が集まってきている。
「身体の運動能力を飛躍させる魔法を掛けます。驚かないで下さいね」
ステラが悪戯っぽく微笑みながら右手を振り下ろす。
目の前が光に包まれ、目を開けていられない位だ。ただそれも一瞬で、直ぐに光が収まる。
そして、フォルスは不思議な感覚を味わっていた。身体が軽いというのか、全ての関節や筋肉に澱みがないというのか。
魔法を初めて受けて、頭で理解できていないのがはっきりとわかる。なる程、確かに色々な意味で驚いている。
しかし、これならば巨大猪の攻撃を貰う心配もなくなりそうだ。猪型の魔物の突撃力は非常に高いが攻撃方法自体は単調。突進の威力で獲物を屠る、ただこれ一点に尽きるからだ。
巨大猪がこちらへ向き直り、再び突進の為の前掻きを始めた。
フォルスはステラを庇うように立ち位置を変え槍を構える。
再び低い唸り声を上げて、巨大猪が突進を繰り出す。フォルスとステラは難なくこれを横飛びにかわしながら、巨大猪が通り抜ける瞬間の側面へ、フォルスが槍を繰り出す。
しっかりと巨大猪に命中した槍の穂先に手応えがまるで無い。分厚い体毛が鎧の様になっていて、身体まで届いていない様だ。
巨大猪をどう攻略するか。
決定打が見出だせず、このまま続けると疲労ばかりが溜まる。いつかは、あの全てを圧殺する突進に捕まってしまうかもしれない。長期戦は不利になる。
幸いステラの魔法のお陰で、身体能力が飛躍的に上がっているのだ。短期決戦を狙うしかない。
「ステラ、あいつを足止めする魔法なんて使えない…よな?」
フォルスとしては、ダメで元々の質問だった。
魔法という奇跡を目の前で見せられても、万能ではないだろうと思っていたからだ。そんなに世の中は都合が良くないと思っている。
「はい、出来ますよ。どの様にすればよろしいでしょうか?」
しかしステラから、実にあっさりとした肯定が返ってきた。
内心はかなり驚いたが、今はそこに疑問を待って問答をしている隙は無いと判断したフォルス。
「猪型の魔物は、全般的に眉間から脳天が皮膚が薄く弱点なんだ。出来れば、体勢を崩し攻撃が届くようにしたい」
簡潔な返答に右手を口元にあて、ステラは考える素振りを見せる。フォルスは巨大猪への注意を向けつつ、ステラの返答を待った。
「それでは、猪さんを転ばせます。攻撃はお任せ致します」
フォルスの背後から、はきはきとした力強い言葉が返ってきた。
「ああ! 任せてくれ!!」
フォルスは気合いを入れ直し、強く言葉を吐き出した。
巨大猪戦、もう少し続きます。