第4話 落ち着かぬ心
祭壇でのお話し合いになります。
「ごきげんよう、皆様」
場違いな程、楽しげな声が流れた。
不意を突かれたどころではない。フォルスは膝をついた格好のまま固まってしまった。非常に恥ずかしい格好ではあるのだが、本人の意識はそこまで追い付いていない様子だ。
現在、敵地の真っ只中にいる状況で、普段の彼であれば固まるなんて事はしない。
決して油断をしていた訳でないのだが、山の守り神のテラ、突然現れた女性の声や雰囲気が緩やかで、およそ敵意の欠片も無かったため、完全に不意を突かれてしまったのだ。
「初めまして。わたくしは、ステラと申します」
黒髪の女性、ステラはフォルスとテラの元へ近付くと、ローブの太股あたりを軽く摘まみ上げ、右足を一歩引いて優雅なお辞儀をして見せた。
その姿に見とれてしまったフォルスは、自分がまだ四つん這いでいる事に気付く。
顔を真っ赤にしながら、慌てて立ち上がると、自分の膝を軽く叩いて埃を払った。
居たたまれない状況に、彼が発した言葉は1つ。
「状況を整理させて下さい」
声が裏返ってしまって、更に赤面したのはご愛敬なのかもしれない。
篝火が灯っている祭壇の周りにある岩へ、フォルス・ステラが座り、テラは祭壇の縁にちょこんと腰掛けて、話が出来る態勢を作った。
フォルスは改めて見回す。
1人は、自分で山の守り神という、手のひら程の大きさのお爺さん。
もう1人は、突然現れた清廉潔白そうな美女。
色々と訊きたいことは沢山あるが、まずはどうしても言いたくなった事を、フォルスは口に出した。
「僕はフォルスと言います。…ところで、貴女みたいな女性が、こんな時間、こんな場所に1人では危ないでしょう。仲間とかいないんですか?」
視線だけで詰め寄ってくる碧眼の青年に、ついついステラは嬉しくなってしまった。
「仲間はいますけれど、置いてきてしまいました」
ニコリと微笑みながら続ける。
「心配していただいて、ありがとう存じます。ですけれど、わたくしの事でしたら心配ご無用です。わたくし、とても強いですから」
両手の拳を、胸の前で握りしめて見せた。
「それでも危ないでしょう。今すぐ山を降りて安全な所へ。送ります」
フォルスは何の目的で山へ来たのか忘れてしまったのか、眉間に皺を寄せながら、ついついそう口走ってしまう。
彼の直情的な所が出てしまっている。
「ほほ、お前さん。ワシの事はもう良いのかのぅ~」
フォルスが立ち上がりかけた所で、テラがのんびりと言った。
お尻が浮きかけた所をすんでの所で抑え、1つ咳払いをして誤魔化す。
そして深呼吸。
明らかに動揺を隠せていないのが本人にもわかる。そして、自分が何をしに山へ来たのかを頭のなかで自問自答する。
姉さんの為の生け贄を返して貰うこと。
それがフォルスの目的だ。余りにも様々な事が重なり過ぎていて、自分だけでは状況に追い付けていない。
それを歯痒く思い、奥歯をぎりと噛み締める。
「ワシはの、おなごを貰っても、食べたりゃせんよ」
俯いていたフォルスへ、のんびりとした声がかかる。
フォルスは弾かれたように顔を上げた。
「テラ様は本当の事を言っておりますよ」
また別の方向からも声がかかる。
「ほ…。お主、ワシが何か知っておるのかや?」
「存じ上げております。魔物では無く精霊に近しい存在です」
「正解じゃ。ワシの存在を知られるのは、随分と久しいのう」
何かわかりきった顔で話が進んでいる。
完全に置いてけぼりになっているフォルスは、慌てて声を上げた。
「2人でわかってないで、説明をしてください!!」
悲鳴にも近かったかもしれない。
「…つまり、テラ…さんは、この辺りを治めている精霊の様な存在で、生け贄なんて全く必要が無い、と」
そうじゃ、と頷きながらテラ。
「ステラさんは、お告げがあったから来た、と」
間違いありませんわ、とステラ。
2人とも、名前が似ていてややこしいなと思いながら、フォルスは落ち着いて話をする。
心が状況に追い付いてきて、冷静になった証拠だ。その為、ある1つの疑問が頭をよぎった。
「テラさん」
フォルスは背中を伸ばして姿勢を正し、真実を見逃さぬようテラの小さな瞳を見つめながら、口を開いた。
「村には『災厄降リカカル時、守リ神ヘ供物ヲ捧ゲ、庇護ヲ願エ』という言葉があるとの事です。生け贄が必要ないのだとしたら、実際には何か別のものが必要になるのではないですか?」
真摯に見つめてきたフォルスへ、テラは見つめ返して答える。
「まずワシはな、生き物の肉を必要とせぬよ。そこで云う『供物』とはな、恐らく話し相手の事じゃな。明確に何かを指図はしとらんし、求めてもおらんぞ」
淡々と、しかし揺るぎのない声で言った。
その言葉が、フォルスの心に染み渡っていくのを感じる。視界の隅で、ステラがうんうんと言いながら、首を縦に振っている姿が、とても印象に残った。
特に説得をされている訳ではない。
だがしかし、村を守っているという山と、全く一緒の名前を名乗った目の前の小さなお爺さんを、不思議と素直に信じる事が出来た。
無意識に内に、フォルスは膝の上に置いている両の拳をきつく握りしめていた。
その瞬間、闇夜を照らしている祭壇の篝火が、風が吹いたわけでもないのに、大きく揺らめいていた。
祭壇でのお話が続きます。