第13話 さわやかな朝とささやかな苦悩
山小屋で一夜を明かしました。
遠くで小鳥のさえずりの声が聴こえる。
窓から射し込む優しい光がちょうど顔に当たり、フォルスの意識がゆっくりと浮上した。
目を覚まして思わずハッとする。
自分が今どこにいるのか一瞬わからなかった。朝、目が覚めて見慣れぬ光景というのはいつでも驚きが隠せないものだ。
夢と現実と、今の状況が噛み合うまでやや時間が必要だった。身体を伸ばし、凝り固まった筋肉をほぐす。
顔を洗いたいし水分を補給したいと思い、部屋から出るため起き上がる。こりとはまた違う痛みと全身に気だるさが残っている。
部屋を出ると、そこには誰の姿もなかった。
ただ、荷物は残されているので、ステラとクラヴィスがさっさと出発したわけではないとわかる。
物取りの類も、こんな山の中では来ないだろうと思い、荷物はそのままに小屋の外に出て、水場を探す事にした。
1度来ている小屋ではあるが、流石に記憶を呼び起こさないと難しい。
ドアを開け一歩外へ踏み出すと、微かではあるがせせらぎの音が耳に入ってくる。朝特有の緑の匂いに包まれながらフォルスは足を踏み出した。
小川へ近付くと、風に乗って微かに話し声が聞こえてきた。
こそこそと近付いて変に怪しまれては嫌なので、堂々と足音を立てながら向かう。昨夜のクラヴィスに対しての恐怖心が根底にあるのかもしれない。
クラヴィスは河原の石を組み上げて、その中で火を起こし、鍋でお湯を沸かしていた。その脇には携帯食とみられるパンのようなものや、干した肉片のようなものが見える。
ステラはちょうどパンに齧りついていて、サクサクっとした音を響かせている。
「おはよう!」
フォルスはやや声を張りながら、努めて明るく挨拶をする。
声を掛けられた側の2人の反応はそれぞれで、
「おはようございます。ゆっくり休むことが出来ましたか?」
「おはようございます。そなたは自分の食糧があるのだろう? そちらで済ませて頂きたい」
にこにこと応えるステラと、つっけんどんなクラヴィスと正に対照的だ。
「クラヴィス、その様な言い方は止めてください」
ステラが助け舟を出すも、つんとして歯牙にもかけない態度である。
フォルスの事を非常に警戒しているのは、その態度から明らかだった。確かに、常識として考えると、いくら主にあたる人物から紹介されたとしても、護衛である限り警戒から入るのは当然だろう、と頭ではわかる。
それでも納得出来るかは別問題である。
徐々に慣れていくものなのか、信頼されるまでこの張り詰めた雰囲気のままなのか、フォルスは顔を洗い、自分の携帯食糧を取り出し齧りつきながらぼんやりと考えていた。
正直な所、この気まずい空気をどうにか改善する事は出来ないのだろうか。
最愛の姉を助けるための旅に出て、ステラの目的は定かとは言い難いが、彼女に関して言えば少なくとも協力してくれるんだろうと納得しているし大丈夫だという予感もある。
ただクラヴィスは、やや距離を置いているというのに常に自分とステラとの間に身体を入れていて、容易に話し掛けられない様な態度を取っている。
今後の事を考えても、せめて情報交換はしておきたいというのに……。
「クラヴィス」
ステラがたった一言。
その瞬間、フォルスはざわりと背筋が凍りつく様な感覚に襲われた。
たったひと晩しか声を聴いていないステラの声に。特別威圧的な声を出した訳でもない筈の、その鈴がなるような声に。
ばっと勢いよく振り向いたフォルスの視線の先には、いつものにこにことしているステラの表情があった。特段怒っている様子も見受けられない。
「フォルスさん、いかがいたしましたか?」
笑顔のまま優しい声音でステラは問いかける。
「いま……。いや、特に何もないよ、大丈夫。うん……」
しどろもどろになりながら、フォルスは声を絞り出すのが精一杯だった。
ステラの傍らで、クラヴィスの顔面が蒼白になっている事も気づかぬままだった。
近くでさえずっていた鳥の声も、不思議と耳に入らなくなっていた。
食事を終えたフォルスは、手持ちの革の袋へ小川の水を汲み、ステラ達が火を使った場所へざばっと何度も水をかける。神経質に見えるくらいだが、山での火の不始末は大惨事を引き起こすと、両親に口酸っぱく言われているからだ。
この事は、鉄面皮のクラヴィスも感心するくらいだ。
何往復か繰り返して、完全に火が消えている事を確認すると、3人は一度小屋へと戻り自分達の荷物を取り、山道へ入ってアーリアの街へ向け出発した。
魔物は夜にしか活動できない為、日が昇ってさえいれば、山道で困るような事態にはなかなか遭遇しない。
更に、昨夜に比べれば、山もなだらかになってきているので、ちょっとした森林浴を楽しむ余裕すらある。
「木漏れ日が綺麗ですね」
ステラが弾むような声でフォルスへ話しかける。
昨夜の様な疲れ切った表情がなく、内心ほっとした。いくら緊迫した状況だったとはいえ、女性にあの行軍は大変すぎただろうと思う。
本人は全く弱音を吐こうともしていなかったけれど。
「ところで、フォルスさん。わたくし、アーリアの街へは行ったことが無いのですけれど、何か情報を得られるものがあるのでしょうか?」
弾むような声の響きに楽しさと好奇心が溢れている。
その声音に本人も気付かぬまま自然と微笑みながら答える。
「俺も何回かしか行ったことがないんだけど、アーリアの街は交易上での重要な拠点になっていて、人の出入りが激しい街なんだ。運河があって、それを街の長が管理しているから、人の出入りも管理している事になるのかな」
上を見て何かを思案するような仕草をしながらフォルスは続ける。人差し指をぴっと一本立てる。
「人が多いと言う事は、情報の動き方も多いという事なんだよね」
その為、人の集まる所で聞き込みをして、何か情報が無いかを探るつもりだったフォルスに対して、ため息混じりの呆れ声がかかった。
「……つまり、特に当てがあるわけでは無いのだな」
ごもっともです、としかフォルスは思えなかった。
何故だろう、意図している訳ではないのだが、フォルスはクラヴィスに対して何も言い返せなくなってしまっている。蛇に睨まれた蛙の様な状態という事なのだろうか。
クラヴィスが当たりの厳しい態度を取る度に、ステラが仲裁に入り守られている状況も芳しいとは言えない状態だと思う。何か壁を打ち破る方法は無いだろうか……。
そんな事をぼんやりと考えながら山中を歩く。
(ん……? 今、何か妙な気配がしたような……)
遠目から見られている様な感覚。
気配も獣の類ではなく、明らかに人間のものだろう、と思う。その気配を隠そうともしていないのか、そもそも隠せないのかはわからない。
フォルスが、横の2人へ目配せをしようと目を向けたときには既に、クラヴィスは腰の剣の柄に手を掛け、ステラは表情こそ変わってはいないが周囲へ意識を広げているのがわかった。
「へへへっ……。またえらい美人と山の中で会うもんだなぁ」
下卑た笑いを浮かべながら、髪がぼさぼさ髭が伸び放題の男が大型のナイフを片手に木の陰から現れた。
それに続くように、似た服装の男が数人現れ、フォルス達をにやにやとしながら取り囲む。
「痛い目に合いたく無かったら、金目の物を置いていけ! または、ねーちゃん達が俺らのもんになったら見逃しちゃるぞっ」
盗賊連中の頭なのか、一歩踏み出してナイフを見せびらかせながら髭男が言う。
髭男の勝ち誇った顔と周囲の取り囲んでいる男どもの笑い声がうざったい。
「フォルスさん、この方たちはもしかして、俗に言う『盗賊』という方たちですか?」
そんな中、ステラがフォルスの腕に絡みながら楽しそうに質問をする。下卑た笑いが呆れたようななんとも言えない空気になる。
「……ステラ様、何を楽しそうにされているのですか?」
心の底から呆れた声を出すクラヴィスだった。
「お前ら、この状況がわかってるのか!? 何を呑気に話してんだっ。金目の物を置いて行けっていってるだろっ!」
怯えた素振りが全く無い獲物に苛立ち、大声を上げ威嚇する頭らしき男。
きょとんとしたステラを見て、苦笑いしか出ないフォルス。
そんなやりとりをしているほんの一瞬の事だ。
髭男が喚き散らしている所へ一閃。クラヴィスが身体を沈み込ませ、剣を抜きながら斬り上げる。かきん、と音を立て、ナイフは遥か遠くへ飛ばされて行った。自分の身に何が起こっているのか、全くついていけていない呆け顔の髭男の懐へ入り込み、剣の柄で腹部を強打した。
ぐぼぇと、声にならない声を上げ間もなく崩れ落ちる。
それが合図となり、男どもが一斉に襲いかかってくるものの、クラヴィスが単独で流れるような動きをしながら、次から次へと武器を弾き飛ばし、剣の柄や面で打撃を入れ無効化して行く。
白銀色の舞踏の様だと、フォルスは思った。
フォルスはステラを守るように立ってはいたものの、本当に立っているだけで、ステラも特に魔法を使う素振りもないまま、ゆったり構えている。
「お…覚えてろーっ!」
どこか聞いたことのある台詞を言いながら、お互いを抱きかかえる様に盗賊達は這々の体で去っていった。
ステラが色々と興味津々ですが、それには理由があります。それは後程判明します。
アーリアの街はもう目前です。