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月の狐は遠く遥か1-1

※ 月の狐は遠く遥か ※


 翌日、なんでもない顔をして学校に出ると、校舎は完全に直っていた。


 なんだこれ、流石に声が出た。声を出してから、まずいと思って目立たないように周りを見る。冷静に周りを見て、誰にも今のつぶやきがバレてないようなので、堂々とすることにした。


 トラックが突っ込んだ場所をよくよく見ても、修繕の痕などは見られない。夢か何かか?


『ああ、あれですか? 予め壊れてもいい壁を作って、それを破壊しただけです。校舎にも衝撃が行くようにしたらわかりゃしません』


 イヤホンから聞こえてくる声を聞いて、電話口に返事をする。


「子供だましだったってことか」


「ええ。……ふふん、まあ、子供だましは子供だましでも、子供が騙される子供だましではなく、子供が騙す子供だましですけどねっ」ランはやたら決めた声で言った。


「そうだな」


「……あの。……子供が騙す子供だましですけどね!」


「そうだね?」


「……その、本来逆の意味のものを逆に言うことで面白みを狙っているんです、今のは」


「そうなんだ」


 坂谷の挙動を見ると周囲に怯えるようにビクビクしていたが、一日経って何もお咎めがないのを見ると、彼女の様子はもとに戻った。夢だとでも思っているようだ。



 ランの「様子を見よう」という言葉にしたがって、一週が終わって休日を挟んだあとくらいに、二人は無事にくっついた。朝のホームルーム前、彼女のグループ内で、付き合った報告をしている坂谷が見える。


「まあ、あかりも裁縫すきだったもんね」


「え、幼馴染なの? 知らなかった。なんかいいな~」


 覧はきゃいきゃいうるさいグループを見ながら、スマホをぽちぽち弄った。


(きゃぴきゃぴうるせえ。なぜ女子の声ってこんなに不快なんだろうな。でけえ声を出すことで自分たちは盛り上がってるんですよって自分や他人に催眠かけてるみたいだ)


『不快なら教室を出ればいいんですよ。授業が始まったら黙るんですから』


(そこまでするほどじゃない)


 ふと顔をあげると、集団の中の坂谷と目があった。彼女は小さく右手を振って、なんでもなかったかのように自分たちの会話に戻る。

 まあいいか。覧は思った。



(そういや、プレコックス線ってなんだったんだ?)


 授業中、覧はメッセージを飛ばして質問した。ランが坂谷への「説得」の中で口走っていた単語だ。

 おそらく専門用語だと思うのだが、全く見当がつかない。


『プレコックス線っていうのは私が名付けた現象です。コミュ症を持つ人間は、プラスやマイナスの感情が最大限まで膨れ上がった瞬間や、本人が最も巡りあいたかった状況に巡りあった時に、独特の表情をします。私はそれをプレコックス線と呼んでいます。プレコックス線が、走る、と表現します』


「あのさ独特の表情ってなに?」


『……うーん独特の表情としか……一応、瞳孔の開き具合を測定して、そこに基準を作ってます』


(ふうん? 極度の興奮状態だからってことか)


『大昔の精神医学では、プレコックス感という概念が真面目に取り沙汰されていまして、そこから取った名前です。この用語の中身は、一言にすれば精神病臭さという感じなのですが、これが私から見ればデータを度外視した非常に胡散臭いもので、いっそ私が単語ごと生まれ変わらせてやろうとしたのですが……』


「あーわかったわかった」


 あとにそれなりに長く続いたが内容は聞かずに子守唄代わりにして寝た。



 昼休み、萩原に会いに行った。


「お! よう藤堂、聞いてるぞ。あかりの背中を押したって」


「え? うん、まあ」


 既に話は通っていたらしい。


「なんか名前も知らずに悪かったな。一応、この前の時はまだあかりは彼女じゃなかったけど、仲のいい幼馴染の友達ってだけでも、顔と名前知らないと失礼だろ」


 妙にイイ奴だった。ただ、どうも覧が坂谷あかりの親しい友達であると誤解しているようだ。


「別にいいんじゃないか。俺、坂谷と友達でも何でもなかったし、萩原の顔と名前覚えられてないし。ちょっと話しかけて、ちょっとウザ絡みして、それでなんか上手くいっただけだ」


「滅茶苦茶言いやがる」


『覧』


 ランからの声がした。わかっている。茶飲み話をしに来たわけじゃない。彼女に事前に言われていた問いかけをする。


「なあ、坂谷と付き合ったことで何か変化がなかったか?」


「あ? お、おう……おう? 唐突だな。とりあえず、電車に乗れるようになった。あかりと手を繋ぎながらならだけど」


「電車」


『坂谷あかりの変化ではなく、自分の変化の話ですか。……いや、これは――』


「ああ、電車。昨日まで、この学校には家から自転車で来てたんだ。一時間くらいかけて」


「……あのさ。なんでこの、地下鉄駅から三分の便利な学校に通うのに、山育ちの高校生みたいなムーブしてんの」


「……言っちゃっていいのかな。まあいいか。……まあいいか、もう治ったんだし」そこで、萩原は声を潜めて言った。「僕、電車に怖くて乗れなかったんだよ。犯罪をやってしまいそうで」


「犯罪。何の?」


「痴漢」


「は?」


 話を聞くと、萩原瑞人は、中学生になったのを境に、電車に乗ると痴漢をしたいという欲求を抑えられなくなるようになったらしい。空いていようが混んでいようが同じだ。いちど一瞬だけ触りかけてしまってからは、二度と電車を使わなくなった。


 偶然だったのか故意だったのかさえ自分でも覚えていないけれど、大人しそうな中学生の背中をかするように触った瞬間、罪悪感で背筋と頭が凍るような感覚を覚えて、走って逃げたという。何度もそのときのことを思い出した。そして思い出すたびに、痴漢したくてしたくてたまらなくなった。よって絶対に電車に乗ることはできず、移動はいつも親が運転する車か自転車。


「こわ。でも凄い。鋼の自制心だな。遊びにも行けないだろ、それって」


「だって、やっちまうわけにはいかないし。相手が可哀想だ」


「もうやっちまってるけどな一度。……で、それが、坂谷の手を握りながらなら大丈夫になったと」


「うん。全部を打ち明けてはないけど。電車が怖いんだって言ってる」


『方便のふりをしていますが、おそらくそれがそのまま事実ですね。萩原瑞人のコミュ症はタッチハイと呼ばれるものです。精神医学的には窃触症と呼ばれる病気でしたが、ずいぶん前に女性団体からの反発が大きかったために分類が削除され、今はコミュ症という扱いで精神科医は各々独力で治療を試みています。そして彼の窃触症はおそらく、電車に対する恐怖から来ていたのだと思います。……根っこは、坂谷あかりの病理と同じでしょう。でもよかった。二人一緒なら、青い鳥を見つけられたわけだ』


 覧は場面を想像し、ひたすら不快になった。


「なんか余計にいかがわしいぞ。痴漢よりよっぽど、手をつないで登校する高校生の方がいかがわしい。『二人一緒なら大丈夫だよね』とか言いながらにぎにぎしてんの、手汗まみれで。小学生ならそりゃ微笑ましいだろうがな、結局セックスしたんだろお前ら? それってセックスの暗喩だろそれ」


「いや、知らんがな……絡み方がウザい奴なんだな藤堂」


「なんかイライラしてきた。何回セックスしたのか聞いてもいいか?」


「昨日の今日で誰がするんだよ! 勝手にいやらしい意味を付加するなって」


「そうなんだ。ならよかった」


「まあ向こうがしたいんなら僕もしたいっちゃしたいけど」


「は?」


 その言葉に、覧はゲンナリした。


「……このノリじゃ、何も治ってないじゃん。俺らの苦労って何だったの?」


 覧は大して苦労してないが、一応実際に体を張っている立場だ。


 萩原は不思議そうな顔をする。わかってない。だが、流石にもう自分の出る幕ではないということで、さっさとその場を後にした。別れ間際に、「なんだか人と話すと楽になった気がする」と、萩原は言った。



 学校の屋上に出るよう骨伝導イヤホンから指示があったので向かってみると、そこにはランがいた。彼女の他には誰もいない。頻度は少ないが教師がタバコをふかしていることがあるので、あまり人気のあるスポットではない。


「人んちの学校の屋上で何やってんの」


「扉に、立ち入り自由って書いてありましたよ」


「それは屋上に、学校の関係者が、って意味だろ」


「それならちゃんとそう書くでしょう?」きょとんとした顔で、すっとぼけているのかマジなのか判別がつかない。


「まあ別にそれでいいや」


 風が吹いたので、覧は目を閉じた。ランはふわふわとそよぐ髪とスカートを、軽く押さえる。


「屋上のことなんてどうでもよくてさあ、なー、さっきのやり取りを聞いたか。二人の間をあれだけ動いて、結局大して変わってないじゃないか」


 言うと、やさしい顔でにっこり微笑んだ。


「大丈夫ですよ。二人はもう、きっと大丈夫」


「……何がだよ」覧は毒気を抜かれた。


「なんなら二人きりにした瞬間サルみたいに盛ってキスしまくりですよっ」ランはぐっと手でグーを作りながら力説する。


「いやキスはいいけど、その先が必要なわけ」


「先? 先ってなんですか?」


「…………………………あっ。うん、まあそうな。うん」


 覧は察した。しかし、普通、いくら小学生だって、子供の作り方くらいなんかで知ってるだろうに。少し知識がアンバランスすぎる。


「?」


 ただ、彼女の大丈夫だという言葉には、なんだか不思議と安心させられる響きがあった。心を取り扱うプロだからだろうか? だから、覧も笑った。


「まあ、そうかもな。大丈夫なのかもな。一度自分の病気の治し方わかったんだったら、ほら、一桁の足し算しか知らなかった小学生が繰り上がりの計算を知ったみたいな感じで、何十桁の数字でも、筆算で足し合わせられるようになるのかも」


「いいたとえですね」


「何より、俺のコミュ症も少し治った気がするし」


「あっそれは気のせいだと思います」


「? なんか言ったか? 小声早口で全然聞こえなかった」


 話題が一度ゴールに入り、二人はしばらく沈黙した。


 その沈黙の中、覧は一つ疑問にぶち当たる。ランはどういった人生を送ってきている人間なのか。本当に女子小学生なのか。今のところ害意は見られないし、その大言壮語を裏切らない程度に、坂谷達をくっつけて、彼女達の心の問題を多少なりとも解決してみせた。でも、この存在は本当に覧にとって無害なのか。


 本人に聞くか。それが良いだろう。


「ラン」


「?」


「ランって、どういう人生送ってきたら、そんな既知外みたいな性格になるの」

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