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たどり着いた灯り2-1

「で、急に呼び出して、話って何?」


 放課後の空き教室に、覧は、坂谷あかりを呼び出した。ブランシェ・夕野の指示に従って、彼女のコミュ症を治すために。


 正確には、「治させるために」。


『萩原瑞人と話していて気付いたんだが』「萩原瑞人と話していて気付いたんだが」


 骨伝導イヤホンから聞こえる彼女の声を元に、坂谷あかりの病理に切り込む。


「お前、最後に縫い物したのはいつだ?」


 言うと、坂谷の目が見開かれた。



 ランが気付いた最初の違和感は、

「う、うん。頑張ってるよ。瑞人はパタンナーの勉強をしてる」

 この台詞だったと言う。


 「瑞人はパタンナーの勉強をしてる」……なら、坂谷あかりは何をしているのか?


 この一言を脳に刻みつけながら坂谷あかりと萩原瑞人を廊下で出会わせた瞬間を映像にして思い出すと、言語化さえできなかったその違和感が結実する。

 坂谷あかりは萩原瑞人を見て、目をそらした。


 顔を赤くしていたから、確かに想い人が急に現れたことによる困惑もあっただろう。


 しかし、あの表情は、確かに後ろめたさの成分を含んでいた。



「知らない。忘れちゃった」


 吐き捨てるように言った坂谷を、事前の打ち合わせ通り、覧は否定した。


「よくねえな」


「……」


「目標だったんだろ? 大切な」


 坂谷は黙りこくった。それを良しとしなかったのか、ランが早口で注意してくる。


『言葉が直接的すぎます。否定しろと言いましたが、そこまで直接的な言葉遣いをしないで下さい。目の前にあるのはマシュマロでできたタワーだと思って下さい。あるいは、動物の剥製を組み合わせて積み上げたタワーだと思ってもいいです』何だそれは? めんどくさいな。そう思ったが、覧は一応従っておく。


「必要なくなったの?」


「ひつ、よう?」


「坂谷は、可愛くなりたかったから服飾関係に憧れた。けど、もう可愛いからな。鏡を見て、これで必要なくなったな~って思っても別に全然不思議じゃない。ただ、……最初に決めた目標は……、特に意味がなければ、……守っといて損はないと思うけど」


 「アニメの女の子の服はダサい」、よく言われる言葉だ。だが一つだけ理解しておくべき事実がある。

 それは、アニメの中の美少女は、充分に美少女なのだから、わざわざ完璧に調和されたファッションを決める必要がないということ。


 坂谷のような綺麗どころも同じく、シンプルな服のほうが顔面やスタイルが強調されるはずだ。


 だから……きっと洋服が必要なくなったのではないか。

 ランの話を聞いて、覧は最初にそう思った。


 言われた彼女は、ゆるゆると首を振った。


「そんなんじゃない。私が、……逃げただけ」


「逃げた?? そうなんだ?」


「まだ可愛くなりたいという願望はあるよ。自分が可愛いんだろうなっていう自覚くらいはあるけど、芸能人並だなんて思ってない。子供の頃の私は、ずっと親戚とか親から『ブサイクねー』っていじられてたんだから、もっと取り返したいよ。……そして、昔の私に、応援のエールを贈ってあげたい。綺麗な服を作れば……きっと私の服を着たその子が、過去の私に代わって、それを受け取ってくれる気がする。少しブランクはあるけど……瑞人に追いつこうと頑張れば、きっとすぐに追い越せるよ」


 応援のエールって何だろう?

 今彼女が言っている行動が、なぜ過去の自分を応援するということになるのだろう。

 そもそも過去の自分を応援って何?

 産業革命から百年経ったが、未だ人間は時間を超えられないはずだ。


 さまざまなツッコミのポイントが脳裏に浮かぶが、それをさらに超えるツッコミポイントが強烈な迫力を持って浮かび上がってくる。大量のツッコミポイントが集まって、完全に共感ができず、共感ができないために全く何の感情も湧いてこないから、適当な相槌を打つしかないようだ。


「そっかー。つまり、えーっと、もう手芸やってないの?」


「うん」


「目標があって、目標に向かう理由があって、一緒にそれを目指せる相手もいるのに、やらないの?」


「うん」


「そうなんだ」


 そうなんだ?



 ランは一人ぼっちの狭い場所で、マイクを口から離して呟く。


「やはりか」


 彼女の視界の中で、90%の確度で診断できていた彼女のコミュ症が、本人の答え合わせによって、100%の事実となる。


「お互いに将来を誓いあった片方だけが特に理由もなく裏切ったなら、恋心など関係なく、関係性など繋げられまい」


 理性に感情がついてこないというのは、現実にはよくあることだけれど、言葉だけを追えば意味不明だ。

 追いたいものを追わない。

 だが、それは理性が感情に勝るものだと勘違いしているから出る発想。

 すべての理性のスタートは、死にたくない、ハッピーエンドになりたいという感情のはずなのだから(だからこそ藤堂覧の感性は死んでいるともいえるが)。


 その理由は、逃げるため。

 逃げて、誰かに捕まえてもらうため。


 つまり、


「彼女のコミュ症は――」



 覧のほうはといえば、宇宙の真理を垣間見たイルカのような表情になっている。既に目の前の女子高生の言動は覧の理解を越えていて、思考回路が完全にショートした。


『覧。心配無用かもしれませんが、彼女の言動に呑まれないでくださいね。貴方には私がついている』


「はあ、わかったけど……」


 坂谷は両手を広げて何やら語りだした。


「藤堂くんは、真っ白いキャンパスを目の前にして、何も書きたくないって思ったことはある?」


「ない」


 そして、まあまあ豊満な胸に手を当てる。


「私はあるよ。用意した紙に、イメージをスケッチしようとして、一切手が動かなくなる。子供の頃はあんなに楽しく落書きして、馬鹿みたいにぐちゃぐちゃな型紙を作っていたのに、少し定規の使い方を覚えただけで、これを書いていくことが未来を探し出す最初の一歩なんだって思うと、たった一つの線さえ書けなくなる」


『詩的ですね』


「詩的だなあ」


『共感できるところもありますが、正直聞いてると腹が立つ』


「そう? えへへ」


 坂谷は無邪気に笑った。そして、教室の中を、舞台役者のようにゆっくりと歩き回る。自分の胸中を語ることでハイになっているのか、顔が上気している。


「この街って狭い街だよね」


「首都圏の真ん中だが」


「手を伸ばしても、足を踏み出しても、どこにも行けない感じがする」


『日本国のパスポートを持って成田空港の隣で暮らしているのにですか』


 腹が立つというのは覧も同感だった。必要なときに必要なことをやらない理由がよくわからない。そして、真剣に真剣に考えて、自分自身に引き寄せて考えようとすると、だんだん自分の思い出から嫌な不快感が這い寄ってくるような感じがした。

 だから、言葉で彼女の独白を止めた。


「いちいちうるさいな。女ってのはいつまで経ってもガキだな。お前らは群れる。そしてやるべき目標を持たず、やることと言ったら目の前の雑草摘みか、騎士様が助けに来てくれる夢を見るだけだ。そして騎士様を求める姫様は、踏みつけてる足元の小さな花には目もくれない。まあ騎士様が来たらご結婚おめでとうございますだもんなでもその騎士は本来お前のもんじゃないだろ」


 一思いに早口で喋った。覧は驚いた。自分には、急に早口になる癖でもあったのだろうか。


 そして、坂谷あかりの顔が言い返された怒り(困惑混じり)で歪んでいた。


『覧、落ち着いて落ち着いて』


いつもにこにこ明るい女子なので、なかなかレアな表情だ。我に返って、謝罪した。


「……ごめん。昔嫌なことがあって。言い過ぎた」


「……関係ない人のこと、私にぶつけないでよ」


『一応女子の立場から反論しておきますがね、それは単純に(略)』「気をつける」『(略)については、他に雑草を刈る人間がいないから、(略)社会が特定のジェンダーに特定の役割を押し付けているとしたら、責任は社会が(略)また最新の研究では脳に性差は(略)』



 しばらくの沈黙の後(ランはスピーカーの向こうでひたすら性差の議論について話していたが)、坂谷は一人で納得したように声を出した。


「まあいいよ。わかってくれないよね。周りの人は誰もわかってくれない。一度だけ友達に話したことあるけど、変な人みたいに言われちゃった」


 空は夕暮れになり、教室の中の机が橙色に照らされる。


「ふふ、でもいいんだ」


 そして、オレンジ色の光に呼応したように、坂谷の声が、仕草が、急に変貌した。


『始まりましたね』


「何が?」


 覧はなんともいえない強烈な嫌悪を覚える。

 甘ったるい声になったと感じる。さっきまでの自律した個人としてのものではなく、子供が親に甘えるときのような。

 指がせわしなく自分の髪の毛を弄る。

 その落ち着きない行動が、まさにそのまま彼女が小学生に戻ったかのような錯覚を呼び起こす。


「瑞人くんが迎えに来てくれるから」


「は?」


「瑞人くんがね……迎えに来てくれるの」


「そういう約束を? してるみたいな話? なんだ、よくわかんないけどお前らくっついてたの」


「ううん」


「は? ? ????」


 瞬間、この教室の空気だけがぐっと重くなった感触がした。底なし沼が、覧の足を捕らえた気がした。適当に振り払ったらそれはすぐに収まったし、映画の中のホラーシーンを見ているみたいで全く脅威には感じないが、確かに彼女の雰囲気は迫力を帯びてるんだと思う。


「瑞人くんが私を迎えに来てくれるから、私はいつまでも逃げていていいの」

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