たどり着いた灯り1-3
ぐいっとレール式のドアを開けて、
「おっはよおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
叫んだ。
登校した教室は一瞬しんとした。
そして、何もなかったかのように一人に戻るか、あるいは狭いグループの中に戻る。
まあこうなるよな、と思ったが、ランにとっては見当違いだったらしい。
『あれ? ……おかしいな。注目さえ浴びないはずがない。驚愕催眠術を応用した私の完璧な戦術が……。とりあえず、次はおやすみいいいいい、でお願いします』
それは流石に無視した。どうやらランは戸惑っている。もちろん実際の現場にいる覧はそれ以上に戸惑っている。すごく帰りたくなった。
※
複数の望遠カメラが映る画面を十個並べて教室を多面的に覗くランには、教室がひどく荒涼たる景色に見えた。きらびやかな女子のグループ。同じ運動部と思われる男のグループ。数人でパソコンを開き囲みそれを使って会話しているらしいグループ。小学生に性的興奮した体験談を叫び語っているグループ。
それぞれ単体で存在することは構わないだろうが、グループ同士が完全に分断された状態で存在している。あとはみんな一人で、本を読んだり、ゲームをやったり、手遊びをしたり、耳をふさいだり、数学の難問を解いたりしている。
高校とはこういうものなのだろうかといえばそのはずはない。ランは実は別の学校でスクールカウンセラーをやったことがある(たった数ヶ月だけ、同業の知人の代打で引き受けただけだが)。
こんな光景は見たことがない。
一人でいる人間が多すぎる。
グループ同士が目を合わさない。
ノイズが走り、コミュ症の人間がいるかどうかさえわからない。
普通の高校のその生徒を、草原と野花とたとえるなら、ここはまるで砂漠にぽつんぽつんとゲッカビジン(花咲くサボテンの一種)が咲いているみたいだ。
※
「おはよー、今日はなんか元気だね?」
指示を待っていると、けらけらと笑いながら、一人の女の子が自分のグループから覧の前に出てきた。
『誰です? なんて名前の子ですか』
「坂谷あかり。おはよう」
「はいおはよー。えっと、どうしたの急に叫んだりなんかして。普段ずっと一人でいるし、そもそも関わりを持ちたいとすら思っていないでしょ藤堂くん。なにか心境の変化とかあったとか?」
坂谷あかり。いわゆるクラスの中心人物だ。
クラスできらきらした女子達のグループを形成している。髪は明るめの茶色に染めている。スタイルがいい。制服はかなり着崩しているが下品というほどでもない。
自由すぎず不自由すぎないこの学校においては、それなりに目立つがあくまで規則の中で生きている。
以下は本人の話をこれまででうっすら盗み聞きした。一度だけファッション雑誌の読者モデルをやっていたらしいが、すぐやめたらしい。趣味は主に裁縫らしい。好きな人がいるらしい。子供の頃やらされていたピアノはもう弾けない。
『心境の変化があった。昨日良いことがあって、テンション高いし、ちょっとなにかいいこととかしたい気分』
「心境の変化があった。昨日良いことがあって、テンション高いし、ちょっとなにかいいこととかしたい気分」
「ぷっ。なんでカタコト? 受ける」
『言われたことそのままじゃなくて、ちゃんと自分の語調で話して下さい』
「言われたことそのままじゃなくて、ちゃんと自分の語調で話して下さい」
「え?」
『バカにしてますか?』
「あ、あー昨日こう言われて女の子に振られた。なんか、カウンターのあるオシャレなバーで女の子に話しかけたら、やけにきざな口調だったらしくて、なんかの雑誌の受け売りだって思われたらしくて」全部嘘。覧は適当にごまかした。
「ぷは、何それ何それ。ねーみんな聞いて? 藤堂くんナンパして振られたんだって。面白すぎでしょ」
今まで会話していた、彼女のグループに向かって話しかける。彼女らグループの半分は「もういいでしょ? グループ外の人間の話は」という感じの反応だが、もう半分は素直に笑っている。
しばらく笑ったあと、坂谷は藤堂にもう一度振り向く。
「いいことがしたい気分なん?」
「え? うん」
「じゃあさ、里奈が今日日直なんだけど、せんせーに力仕事頼まれたら、手伝ったげてよ」
里奈とは彼女のグループの一人のことだ。
「了解」
「あはははは、別に断ってもいいのにさあ」
何が面白いのかひとしきり笑ったあと、「じゃあ今日も頑張ろうねっ」と一声かけて、自分のグループの話に戻った。
やがて、チャイムが鳴ると、
「起立、礼」
クラス委員長が号令をかけて、ホームルームがはじまった。理事長の娘らしいのだが、授業中一切ノートを取らないのはどうかと思う。
※
『話は理解しました』
昼休み、覧はいつもと違って教室に一人で食事を取らず、体育館棟の便所で食事を取った。立場上学内に入りづらいランと、会話しながら食事するためだ。
『コミュニケーションに対する抵抗なし。真偽不明ですが想い人あり。ずいぶんちょうどいい標的ですね。させましょう、恋愛成就を』
「そうなんだ、わかった」
覧はよくわからないまま頷く。
※
『まずは対象の想い人を調査します。覧に私の経験と能力を証明する意図もありますから、サクサク行きますよ』
(どうやって?)
授業中、骨伝導イヤホンから聞こえてくる声に、覧はスマホのメッセージアプリで返事をした。
『視線を調査し、AIで判定します』
(は?)
『ディープラーニング技術を応用して開発した想い人判定アプリです。対象の動画を撮影して、表情を認識し、視線がどこに向いているかを解析することで想い人を九割の精度で判定します』
(変態ストーカーかよ)
『ストーカーではありません。コミュ症科医です』
(というか視線から内心を判定するとか可能なのか?)
『対象が犯罪を行う確率をAIではじき出せる今のこの世界で、何をいまさら?』
(そういやそんなニュース見たな)
特に目的地のないまま動き忙しなく視線を動かす不審人物を、強調表示する監視カメラが、ネットニュースで話題になっていた。あれを考えれば確かに、好きな男子に視線をチラチラやった回数を計測するくらい余裕だろうし、内心だって分析できるかもしれない。
一時間目の授業は数学だ。クラスの中では、真面目に授業を受けている人間が四割、寝たりひそひそ内緒話をしたりしている者が五名程度、綺麗な姿勢のまま一切動かないのが一名、内職している者が残り全員。
坂谷は授業を真面目に受けている。
視線を通じて心の奥底を陵辱されているともつゆ知らず、カリカリと黒板を真面目に書き写す。
成績もかなり良かったはず。
きりっと集中力を帯びた目つきをして、じっと教科書を見ている。
これで本当に想い人がわかるのだろうか? 覧は訝しんだ。
「……?」
ついついジロジロ見すぎたらしい。坂谷がこちらに気付き、目線が合った。
しばらく見つめ合ったあと、坂谷が軽く微笑んで小さくピースサインをした。後ろを見て自分に出されたサインであることを確認した後、覧も真顔とピースで返す。
坂谷は誰にでもこんな感じだ。
視線解析の結果が出た。
『このクラスにはいませんね。別のクラスとの合同授業はありますか?』
(大仰なこと言いつつ空振りか。体育が合同だな。男女別だが)
『いないもんは仕方ないでしょう。男女別か……厄介だな。しかも、この学校にいなけりゃもっと面倒なことになりますね参ったな。とりあえず他のクラスにいないか調べたいので、ちょっとここは助力をお願いしたいです。体育の授業、男女が鉢合わせかなにかするように、覧の立場からなんとかできませんか? 一応、無理でも休み時間等使ってなんとかします』
(わかった。任せとけ)
この高校では、男子と女子、一回ごとに交代して、体育館とグラウンドで授業をする。
覧は四時間目の体育までに、「設備故障中」の看板を作って体育館に立てかけておいた。
これで合同授業になるだろう。
(これでいけるはず)
『何をしたかは見えませんしわかませんが、ありがたいです。……しかし、彼女が隠し通せていただけで、覧のことが好きってオチだったりしたら楽なんですが』
(それは普通に違う。好きになった経緯をグループの中の雑談で話してたんだけど、夢に向かって努力してるのがカッコいいとかどうのこうの聞こえた。俺は夢とか目標とか努力とかないから)
『自分で言ってて悲しくなりません?』
※
言うまでもなく、体育教師は、「設備故障中」の看板を「何だこれ、誰だこのイタズラをしたやつは。藤堂っぽい字だな……」と投げ捨てた。あまりにバカバカしすぎたのか、犯人探しの空気にすらならなかった。
『バレてますよ、覧』
(うーん、やれる限りのことはやったはずだけどな……)
『今度からは自分で考えます』
体育の授業はチームを組んでのバスケットボールだった。運動神経が高い者は限られており、全体的にはグダグダした感じの体育だった。運動神経が並程度の覧も、適当にこなす。
じゃあ二人組になって、と誰かと組まされることもないので、そこで困ることはない。
三対三のミニゲームは毎回ランダムで編成されるし、人数がもう少し多いゲームの際は教師がメンバーを決める。
覧はランダムで選ばれたチームメイトの二人に挨拶し、片方から返事をもらった。
教師がタイマーのスイッチを入れ、ミニゲームが始まった。
挨拶を返さなかった方はコートの中で座り込んでゲームをプレイしている。
こっちは二人しか動いてないというのに、敵チームは三人が本気で動いてくる。手心というものはないのだろうか?
「こいつ(※ゲーム男)、自分たちで引き受けるとなると面倒だな藤堂」
「まぁたまには。それに、俺らがラクできる時もあるから」
「それもそうか」
今日のミニゲームは惨敗し続けたが覧は特に何も思うことはなかった。これがこの学校の自然な体育の風景だ。
『わー。私運動が全くダメなのですが、覧はバスケットボール上手いですね』
「そう見えるのか。体育の成績毎回6だけど」
『ところで、ツッコミどころが一つあります』
「何だろう。何?」
「へ? 藤堂、なんて?」
骨伝導イヤホンの向こうのランに自然と返事してしまっていて、「ごめん、独り言してた」ごまかした。
人数の多い本格的なゲームが始まる直前、女子が体育館の外に集合し、男子の体育に野次を飛ばし始めるようになった。女子担当の体育教師が、体育館の縁側に腰掛けてだらーっとしている。
サボりがちな性格で有名な教師だ。
真面目に仕事をしたほうがいいと覧は思った。
女子はショートパンツかジャージを着用している。ジャージの上を腰に巻いて袖を結んでいる女子もいる。今は確かソフトボールを履修していたはずで、試合をやっていたのか、各々の服が汗でぺっとり体に張り付いていて性的だ。
「うぁ坂谷の体操服姿めっちゃ良い……太ももが……ごめん藤堂、はぁ、はぁ、今から俺動けなくなるかも」
「は?」
「前かがみにならざるを得なくて」
「そうなんだ。まあラストだからいいか別に」
「じゃあ抜いてきていい?」
「何を?」
女の声の適当な声援が響く。
覧の高校に、王子様みたいなイケメン男子もいないし、クラスのマドンナみたいな存在もいない(強いて言うなら坂谷になるが)。だから、ほとんど「やれやれ~っ」と適当に囃し立てるような応援だ。
半分の男子は別に盛り上がらないが嫌な気分にこそならないのでへらへら笑いながらそれを受け止める。半分の男子は全く気にしていない。
『あの、バスケットボールはいいんですけど、なんか、なんともヌルい学園生活ですね。好きな女子の前でカッコいいところ見せようとかそういうのはないんですか。というか、そろそろ言いますよ。なぜ彼は体育の時間中にゲームを?』
(そんなもんだろ共学って。男子は男子、女子は女子で固まる。微妙に政治的な緊張があるんだよな。その辺むしろうちは男女間で断裂してないほうだと思うよ。普通に話すし、こうして応援もあるだろ)
『何か……ずれてる気が……全体が……男女間で断裂していない? これが? というか覧もスマホ弄るのやめたらどうですか!』
(スマホしまったらお前と会話できなくなるんだけど)
※
ランはため息をつきながら、けれど同時に、望遠カメラを見てにやりと笑う。
「まあ、無事釣れました。結構なことじゃないですか。あのサボりの体育教師には感謝しなければ」
カメラの画面の中には、周りの女子とは違って一切口を開かず、顔を赤くして、別のクラスのとある男子をじっと見つめる坂谷あかりの姿があった。
「いくぞ。私は観測する。私はデータを集める。そして問題を解決する」坂谷あかりから、覧のほうに視線を戻す。「――私は、人を助けるために生まれてきた」
※
覧は人がまばらな放課後の教室で、別クラスの男子生徒、萩原と接触した。調査する必要がある。
「で、用って何だ? 別のクラスの、藤堂だっけ」
「付き合わせちゃってごめん、萩原。一つ確かめておきたいことがあって」
「?」
萩原瑞人。身長高めで体格は普通。特筆すべきは手芸が趣味であること。この学校の手芸部に所属し、実力があるらしい。顔は平均程度。気配りと実直な性格によって女子からの人望はなくはない。将来の夢は、服飾関係。そして、ロリコンという噂だ。
95%の確率で坂谷あかりの意中の人物。
「萩原ロリコンってマジ?」
「……ぶっこんできたなあ……」
質問すると、少し唸ってから答えが返ってきた。
「別に、単純に、服を着せる対象として、小さい女の子のほうが好きってだけだよ。好きというのも変だな。やりやすい。経験値が多いから」
「じゃあ、女子高生は恋愛の対象になるの?」
「お前は僕を何だと思ってるの? そりゃあ……僕の作った服を着てくれる子なら、誰だって嬉しいよ」
「そうなんだ。じゃあ否定しとく。陰口ってわけじゃないけどさ、なんかこう、上手く言えないけど、人と雑談してて、萩原ってやつがロリコンロリコンみたいな流れで、止めたほうがいいのかなって思ったから聞きに来たんだ。今度からは止めとく。じゃ、俺は帰るから」
用意した口実を告げると、萩原はあんぐり口を開けた。
「え? 何、それだけ聞きに来たの。別のクラスから? 面識がない人間に?」
「そうだけど」
「………………はあ…………変わってるなおまえ」
「そうかな? 俺は全然普通だよ。萩原のほうが少しおかしいと思う」
覧は廊下に出た。
ちょうど廊下では、ランが捕まえて校内に放った野良猫が、坂谷他数名に体を撫でられてあやされているところだ。授業が終了次第即手芸部の部室に向かう萩原瑞人、ほんのちょっとだけグループ内でだべってから、遊べる人間と連れ立ってとっとと学校を出る坂谷あかり。ほんの五分程度の間隙、しかしタイミングを合わせるには充分だった。
萩原瑞人と坂谷あかりの視線が改めて交錯する。
坂谷グループの他の女子は、「きゃーかわいい~~」と何も周りを見ていない。
けれど、二人が完全に目を合わせたのが、覧にすらわかった。
周囲の干渉を受けづらい状況で。
そして、一瞬だけ目を見開き、すぐに平静を装い、目をそらす坂谷あかりの顔も。
「お。よっ、あかり。今日もかわいいな。そのヘアアクセよく似合ってる」
「ぇ、ぁ、ぁ、ぅ……ぅん……瑞人は帰り?」
『頂きました。萩原瑞人の視線を追跡します』
骨伝導イヤホンから聞こえる声に、ほんの一息だけついた。
※
「えー結論から言うとこの流れなら問題ありません。ガンガン押してさっさとくっつけましょう」
ランと出会った喫茶店で、二人は改めて作戦会議を行った。
「そんなに二人はラブラブだったのか? 俺、よくわからないんだけど」
「覧にはこれをどうぞ」
渡されたのは拡大された写真だった。しゃがみこんで、猫をあやしながら、不意に好きな相手と出くわし、目を白黒させながら、なんとか自分を取り繕っている坂谷あかりが映っていて、顔や胸や太ももが赤くマーキングされている。
「なにこれ。特にこの赤いペンキみたいなの」
「この赤色は萩原瑞人の視線の先をトレーシングしたものです。スプラト○ーンです」
覧は「こいつマジかよ」と思った。
「やめろよお前ほんと。本当に容赦ないな。ガキだからって何でも許されるって思うなよ」
「? きゅ、急に怖いですね。どうしたんですか」
「やりすぎだバカ」
「?? 私はただ治療に必要なことをやってるだけです」
「そうなんだ、ならいいんだけど」
ランはクリームでいっぱいのフレンチトーストを頬張って、ほっぺたにクリームを付けながら言った。
「ではまた私の指示通りに動いて下さい。ご安心を。必ず悪いようにはしません」