月の狐は遠く遥か2-2
「は?」
ランは足を止めた。覧もビックリして足が止まった。そこにあったのは、店員がコスプレで接客する喫茶店だった。
※
からん、入店に合わせてドアのベルが鳴る。
「お帰りなさいませ、ご主人様! お嬢様!」
※
席に案内された二人は、アンティークな椅子を引いて座った。ランはきょろきょろと周りを見回して、感心の息をつく。
「ブランド品とかはないみたいですが、とても感じの良い空間ですね」
「そうなんだ」
余裕を持って設計されている店内は広々としており、五人ほどの使用人がせかせか動き回っている。文化祭なんかで素人が頑張ったコスプレ喫茶の内装とはずいぶん違うもんだなと感心した。
(ランによればパチモンらしいが)西欧風の上品な家具が並んでいて、完成された空間という印象を受ける。
四人がメイド服で、一人がファンタジー風にアレンジされた割烹着だ。入ったことのない場所に入ったからか、ランは年相応な落ち着きの無さで辺りを見回す。
「あれは、ピアノですかね。アップライトピアノに見えます」
言われたとおりにそちらを向くと、電子ピアノを大げさにしたような小さなピアノが、部屋の端のちょっとしたステージに据え置かれている。
スタンドに備え付けられたマイクも一緒に置いてあって、ピアノの伴奏でメイドの誰かが歌うのかもしれない。
「多分アレ用だな」
覧は壁を指差す。
「なんですかあれ」
「店員の自己紹介パネルだと思うけど」
「ほえ~。私、砂漠を歩いてたら全く知らない民族の人々に攫われた時みたいになってます」
「例えが微妙に回りくどいな」
この店には十人程度の店員がいるらしい。それを表す店員たちの写真が、パネルとして壁に貼られていて、「当店のスタッフです」と紹介されている。修正をバリバリにかけている写真もあれば、店員によっては目線が入っている。
そして、その中の一つには、「まつり 音大中退でピアノがちょっとだけ弾けます」と書いてある。周りを見れば、まつりという名前の店員は、さっきから店内を歩き回っている。
覧は少し可哀想だと思った。わざわざ音楽大学に行ったからにはピアニストとしてコンサートやら何やらしたかっただろうに、コスプレ喫茶で飯のタネにすることしかできないとは。
「いいですね。たとえ道半ばで倒れても、自分の持ち味を活かして暮らしてる。気高い。燃える。こんなところでピアノ弾ける人間が働いてるなんてカッコいいですよ、映画みたい」
「こんなところ?」
「お~、曲もリクエストできるみたいです」ランが開いたメニューには、「曲リクエスト付きコーヒー 二千円」とある。
「やめとけよ」
「別にまじで頼もうなんて思ってませんよ」
一瞬懐かしい顔になって、呟いた。
「私も昔はピアノをやっていたのですが、いろいろなものが半端になってしまうので、やめてまして。この歳からもう一度始めてももう無理でしょうね。なんでもかんでもとは行かないものです」
覧は適当に流した。
話を繋げるとだるそうなので適当に流したが、想像すると微笑ましくなった。「猫踏んじゃった」でも弾いていたのだろうか? 流石に「きらきら星」くらいは弾けるだろうか。
「好きなキャラクターのキャラソンをリクエストしたいです」
「いや、そこは覇権アニメの主題歌とかにしといてやれよ」
「覇権? ヘゲモニーの覇権ですか? 凄いですね、覧は歴史学みたいな言い回ししますね。ちなみに、なんでですか?」
「そりゃマイナーどころは練習してないからだろ」
「あの、なぜ、練習していない曲はリクエストしてはいけないんですか?」
面倒くさくなった覧は適当に終わらせて、店員が注文を聞きに来るのを待った。「すみません、関連性がよく……」「ごめんごめん大丈夫」待つこと数分、来たのは、望月遥香。お目当ての人物だった。
※
「さて……」口の中で小さく呟いた。どう動くか、どう動かすか。
感情は作れる。状況を整えれば、あるいは自分に深く深く言い聞かせれば、感情というものは後からついてくる。
そもそも感情は何のために生まれたものかを考えよう。群れで動く動物の犬は尻尾で感情を表すが、夫婦単位で過ごす狐の尻尾は風でそよぐ木の葉のように動かない。そして、群れの中において、笑うという行為は喜びを、怯えるという行為は危機を共有させるもの。――そう、感情とは、群れを動かすための、生物にとってのツールだ。感情があれば群れが生き延びる確率は高くなる。
よって、感情とはありのままに感じるものではない。操作し、操作されるためのもの。
たとえば過去最も有名で有力だった心理療法がある。内容を簡単に言ってしまえば、「鏡に向かって『お前は気にしすぎだもう少し楽に生きろ』と繰り返し唱え続ける」こと。この療法の効果は極めて高い。人格の操作でさえ訓練でなんとかなるのだから、言うまでもなく感情の操作など容易い。
というわけで、訪れたメイド服姿の望月遥香。彼女の感情を、彼女のクラスメートである藤堂覧を使ってどう動かすか、幾通りのパターンを用意しながら、その最適なカードを引き当てるべく脳を動かそうとしたところで、ランは固まった。
※
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様。お決まりになりましたらお声をおかけ下さい」
「ども~」
二人は目を合わせずに定型的な挨拶をして、それで会話を打ち切った。
「ええ……」
「どうした?」
「いや、望月遥香の今の反応なんですけど」
「どうしたの? なんのコミュ症かわかった?」
「普通クラスメートにコスプレ喫茶のバイトがバレたら多少の反応は見せるはずですが、それが一切ありませんでした」
「そうなんだ。それってどういうこと?」
「覧、貴方は望月遥香に顔を覚えられていないです」
「そっかー」
ランはかしこまってまるで何か重大事実みたいに言ったが、特に不思議には思わなかった。
「まあ、会話もしないクラスメートの顔は普通覚えないだろ」
「覚えますよ! 自然と! 同じ教室にいるんですよ」テーブルをぺちっと軽く両手で叩き、小声で怒鳴ってくる。「自分を普通だと勘違いするのはやめて下さい! 貴方は! 普通では無い!!」
「この前と言ってること違くない?」
※
ランが頼んだコーヒーと、自分で頼んだケーキが届いた。それぞれ千円近くかかり、いくらなんでもふざけんなと思ったが、ぼったくりというわけではないようで、味は普通に美味しかった。
ランとしても特に不満のないコーヒーだったようで、すっかり機嫌が治ったようだ。「まあ、ある意味好都合か」呟いて、角砂糖をクソみたいな量入れて、くぴくぴ飲む。
覧は周囲を見回し、テーブルの中を動き回り、他の客と会話しながら、給仕をこなすメイドたちを見た。
「メイド、いいな」
「?」
「いい」
「はあ」
「雇いたい」
「雇えばいいではないですか」
「ツテがねえよ」
ご主人様という呼び方。親しい他者にかしずく魂の有り様。経済や身分という外的ツールによって何をされても逆らえない存在。ごっこ遊びとはいえ、目の前でそれが服を着て動いている。いや……ごっこ遊びだからこそ。ごっこ遊びだからこそ、召使いを演じるという歪さが完全に琴線に触れた。三度繰り返して「メイドはいい」と言った。
「……治さなきゃ……」そんな覧を見て、ランは怯えて半べそをかくような声で呟く。
望月はメイド喫茶でもなお校舎内と同じように無口だった。ただ、身のこなしがとてもかわいらしい。動画の中のアイドルにも引けを取らない、人目を引く動きだった。生まれ持った才覚の上に、努力を続けてきたものなのだろうと一撃で理解できる。
無表情だけれど表情豊かなそのギャップは、見ていて正直、大変大変股間に悪い。まるで、物言わぬ人形に、卑猥なポーズを取らせているみたいだ。
「可愛い……エロい……学校でもああすればいいのにな。無言で踊るような女の子良い……」
「……なぜでしょうね。何か理由があるんです。それはきっと……『ここでも口と表情は動かさない』のと、同じ理由のはず」
「単純にそのほうがエロいからじゃないか?」
「すみません、私に覧の感覚は理解できません」
そこで、覧は壁に貼られているパネルを改めて見た。
「あのパネル、店員の自己紹介さあ、プロの手でばっちりパネルが作られてて、手作り感っていうよりなんか、やらしさが先に来るな。ちょっと趣味が合わないみたいだ」
「覧の趣味、誰も聞いてませんよ。あと、さっきからエロいエロいうるさいです。私は女子で、しかも小学生なんですよ」
望月は、写真では笑顔を作っている。不自然さがまったくない、自然な笑顔だ。目線入りの顔写真の下、プロフィール欄の、趣味の項目には詰将棋とあった。
「詰将棋?」
「望月遥香の母親、望月みちるは、小学生の頃将棋の才能を示してプロ棋士の弟子になった経歴がありますね。その流れでしょう」
「へー。親の影響ってか。でも、ここに来る客層に詰将棋アピールして意味あるのか?」
覧は、目の前の少女の顔をじっと見て、ぼそっと呟いた。
「……ランは将棋とか得意そうだな」
「スマホを見ながらなら、まあ世界一位ですかねぇ」
「ルール違反」
ランは早口で語った。
「人間同士の戦いに価値を見出す意味がわからないんですよね。もう最強はAIなんだから、人間同士では、強い方を決める勝負っていうのは、成り立ちません」「またそういうこと言ってる」「そのうえ、人間の棋譜によってAIが将棋を指させて頂いていた時代はとうに終わり、スパコン内でのシミュレーターで数億数兆自動生成された棋譜から、評価関数を作れるようになっている。今は人間がAIに指させて頂いている時代です。CPU、GPU、同じ構成のマシンを使うことを条件に、AI開発者同士がAIにバトルさせてバトルするっていうなら、とても熱いと思いますけれども」
「俺もわからないけど、世間では『人の営みにこそ価値がある』って流れがあるんだから、黙っといたほうがいいだろうな」
ウェイトレス姿の望月を見ながら、覧も早口で語った。
「望月のスカートエロい。合格。AIを誰でも使えるようになったなら、どの分野にも美少女がたくさん出てくるだろうな。その分野において、AIを使えばその分野がやれて当たり前の時代が来るわけだから、顔がいいやつが売れっ子になる。人の営みにこそ価値があるっていうのは要するに、顔が可愛いor体がエロい奴は優遇されるってことなわけで。たとえばあと十年くらいでAIがラノベを書くようになったら、ラノベ作家はみんな美少女になると思う」「らのべって、異世界小説のことですか?」「声優が飽和して顔採用だらけになったみたいにな。そうなったら、俺は作者の写真集とその子の小説を並べてエロコンテンツとして消費したい。農作物の生産者表示みたいなさ。この人がこの小説を作りました、みたいな。人格を完全に無視してるみたいで最高だなぁ……」
覧はラノベが好きであり、その上でどんな奴が書いていようとどうでもいいので、普段書いているラノベの作者が美少女だったら大喜びをするし、当然、作者を自慰のネタにも使う。ただ、ランにはそれが理解できないようだ。
同じように、最強はAIなのだから人間は勝負から消えろというランの意見は、覧にはよくわからない。AIの戦いにも、人間の戦いにも、それが遊びである以上、覧にとっては等しく意味が薄い。
「覧、貴方は病気です」
「そっかー」
二人は、二人でお互いを、「やっぱこいつちょっと可哀想な奴だな」と思った。
※
「さて、本番です」
「わかってる。バレたらヤバイ」
「そういう意味ではなく、まさか面識がないとは思わなかったので、今から頑張るしかないってだけですけどね」
日が落ちた。二人は70メートルほど離れた雑居ビルの空き部屋で、コスプレ喫茶を上から見ていた。覧は双眼鏡、ランは望遠鏡を使って。
室内にはごろごろデジタルガジェットが転がっている。
「ここ占拠しちゃって大丈夫なの?」
「民泊ってことで一週間ほど契約中なので大丈夫です」
「そうなんだ。でもなんだかわくわくしてきたな、坂谷のときよりもうちょっと作戦っぽいし。張り切ってるぞ俺。望月のコミュ症を治してやったら、それを恩に着せて、俺のメイドになってもらおうかな」
「……」
「まずは残飯を犬食いさせるところからな……ふっへへ」
「それはメイドではない。もー早く治さないと……覧からたまに出てくる怪電波を聞いてると頭おかしくなります」
「今よりマシになりそう」
二人は監視を続ける。望月遥香のアルバイトが終了次第、尾行する。興信所の調査員さえ暴けなかった空白の時間を、暴かねばならない。彼女を治療するために。
理屈はよく聞いていないが、望月遥香について調査することが、彼女の治療に繋がるらしい。実際、敵を知り味方を知ればというところはあるのだろうと納得している。
「――――――ッッッッ!!」
「どうした? 動いたか?」
視界の外から強烈な驚愕の声が上がった、双眼鏡から目を離してそちらを見ると、ランが見ているのはスマホだった。




