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月の狐は遠く遥か1-2

「……酷いこと言われました。私は普通です」


「お前が普通だったら俺も普通だよ」


「覧も普通ですよ。普通のコミュ症患者です」


 子供っぽい笑みを浮かべながら、手をふりふり動かす。


「私達はみんな普通です。普通の健常者、普通の肉体病患者、普通の精神病患者、普通の人格障碍者、そして普通のコミュ症がいて、そのどれもが普通なのです。みんな普通なのだから、上手くいかない時は世間が悪い」


「そうなんだ」


「あまり覧に言ってはいけないことなんですが……物事がうまく回らない際に、具体的に悪い誰かが存在するということは少ないです。だから何かが上手くいかなかったときに、自分のせいにすることはやめることです。だって、そのデータは間違っている。間違ったデータから正しい結論に達することはあり得ません」


「そっかー。明日から頑張るよ! もっと他人のせいにしていく!」


 ランは苦笑した。


「……そうですね。そういう話はともかく。覧には初めて会った日、マネーラック・TWEM強奪事件(=十億コイン事件)の話を聞かせて頂きました。私も、昔の話をします」


 そして、ランは口を開いた。



 話は簡潔だった。

 大昔、幼稚園の頃、ランは他人と関わる気をあまり起こさない子供だったこと。その理由は、怖いからなんかではなく、もっと綺麗な物を知っていたからだということ。けれど、きりちゃんというあだ名の同級生を助けて、その時の彼女の笑顔が忘れられなくなったこと。

 三分程度、覧はランの話に聞き入った。



「……そっか」


 ランのスピーチの後、答えて口を開く。


「聞いたことある。……サヴァン症候群ってやつか、ランは」


 サヴァン症候群。精神構造に欠落を孕む代わりに、極めて強力な特殊技能を持つ人間の総称。


「ノンノン」


 ランは得意げに首を振った。


「私はサヴァン症候群などどいう状態ではありません」


「? でも、……まんまそんな感じに思えるけど」


「それが違うんですよ。そもそもサヴァン症候群というのは、実は……ちゃんとした定義などというものはないんですけど、……辞書的には、××障碍や××障碍を持ちながらも、特定の領域に著しい実力を示す者たちの総称、俗称です。ところがどっこい、私は××障碍を持ちませんし、アスペルガー症候群の診断も、ありとあらゆる××障碍のテストも、くぐり抜けることができます、本気を出せば。ゆえに、私はサヴァン症候群ではありません」


 確かに、覧は納得した。たまに「?」となることはあるものの、ランとの会話に支障はない。

 少なくとも、幼い頃にネットニュースで見たような、映像の中のサヴァン症候群患者達とは違う。


「だからあえて私が羅患している病気を呼ぶなら、……コミュ症、ケンジャです。サヴァン症候群のような病気の、ケンジャという名前のコミュニケーション症候群には、もう少しマトモな定義がありますから、私も引っかかる」


「なるほど、わかった」


 実のところはよくわかっていないが、覧は適当に答えた。


「ん?」


「? どうしましたか?」


「いや、今ランの言葉に致命的な欠陥を感じた」


「? なんですって。私の論理に欠陥などない! 訂正して下さい!!」


「いや待って待って。落ち着けよ」


 怒られたので軽くあやして、これまでの言葉を全て総合する。


「恋愛成就によってコミュ症が治るんだよな。他人の恋愛成就でもそれは同じ」


「そうです」


「じゃあ、なんでそうやって治療する形式を取るコミュ症科医のランは、どうして自分のコミュ症が治ってないの」


 言うと、一瞬目を見開いたあと、いたずらがバレた子供みたいな顔をして、苦笑した。


「ふむ。気付きましたか。早いですね。覧は優秀です。ほめてあげます」


「いや、褒めるのはいいんだけどさ」


 ランが近づいて頭をなでてくる。こっちが頭を下げてやるとギリギリで届く。適当にお礼を言った。


「ん……まあ、いい機会ですしね。言い訳ではなく、ちゃんと言いましょう」


 言って、ランは覧の体にすり寄った。小学生の柔らかい体が、覧の体にまとわりつく。身長は頭一つ半くらい違うが、ギリギリで性犯罪が成立しそうな体つきはしているので、「なに?」覧は逃げる。「逃げるんじゃないです」ランは逃がさない。


「えっと、これは何」


「いいんです、いいんです。じっとしてて下さい。……流石にムリだな。膝をついて下さい」


「……えっと、こう?」


 周りには誰もいない。広がる青い空だけが、二人を見ている。ランが耳元で囁いた。内緒話でもしたいのだろうか?


「私が当初用意していた言い訳は、『私のコミュ症は器質に由来するから心理療法では治らない』というものです。例えば仮に、手紙を書くことができないコミュ症が存在するとしましょう」「何それそんなんあんの」「現状ないです。仮定です」ランの手が首筋を撫でてくる。くすぐったい。「手紙を書くことができないコミュ症は、その人の脳を弄る等して、言語能力を奪ってしまえば、絶対に治ることはありません。だって、そもそも言葉を書くことができなくなっちゃったんだからっ」


「もっとヤベエ症状がついてきた気がするが」


「でも、とにかく、生まれつきの脳の状態によって起きるコミュ症は、何をどうやったって、薬や手術なしでは絶対に治らないんです」


「……まあ、そうなんだ。そうだろうな。そりゃそうだ。……でも、それは『用意しておいた』『言い訳』に過ぎない? 確かに、言ってることがなんか違うような……」


 つい数日前の話だ。覧は確かに覚えている。ランは、「脳の状態によって起きるコミュ症だって、恋愛は吹き飛ばす」と主張していた。


「はい。……私が、……貴方に、恋愛成就を口実に近づいた狙いはたった一つ――」


 そこで、校内放送が鳴り響いた。


「……何ですかね、これ」


「さあ」


 内容は、藤堂覧を呼び出すもの。そして、以下のおまけも付いてきた。


 ――「現在一緒に学校内で行動している部外者も一緒に、理事長室に来い」。

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