香水
私の処女作です。稚拙な駄文ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
ちなみに名前は くでん きょうと と読みます。
ふと、くちなしの甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「もうそんな季節か」
思わず口にした言葉が、頭角を現し始めた湿気とともに黒いコンクリートへ沈んでいった。
「いっそひと雨降ればいいのに。そうしたら梅雨の始まりを実感できるし、それでこの湿気にも順応できると思うのよ」
僕の独り言に反応したのか、彼女がそう口にした。気持ちはわからないでもない。このところ空はぶ厚い雲に覆われており、お天道様はその存在感を失っている。
ものの三日間で、始めから太陽なんてなかったのではないか、と錯覚してしまうほどだ。それなのに雨ときたら降る素振りも見せないのである。
テレビのニュースで見ていなければ、梅雨入りしたといわれても到底信じないだろう。
去年の梅雨を思い出しながら僕は言う。
「僕はごめんだね。雨の日は家から出たくなくなるし、その上なにをするにも陰鬱が付きまとうから」
「そう?私は結構好きよ、雨」
「君が好きなのは知ってるけどさ、僕はどうもあの触るものがことごとく湿った感じになっているのが好きになれないんだよ」
嘆息混じりに僕は続ける。
「それにほら、どうやら僕の性格とも合わないみたいだしさ」
僕は家を出てから一度も開いていない傘を掲げてみせた。
「なるほど」
彼女はつぶやき、一言
「用意周到なのね」
とだけ言い、口をつぐんでしまった。
僕は一瞬、何か怒らせるようなことを言っただろうかと思索したが、次の瞬間察し、
「また明日」
とだけ言い、傘をさして帰り道を急いだ。
家に着く頃には大荒れで、町の環境音は雨音に支配されていた。
翌日、雨。
前日までの天気が嘘のように、あるいは、降らない期間に貯めた雨が溢れ出したかのように延々天水が地面を打ち付けていた。
昨日の帰りに降りだしてから継続していると考えると相当な降水量になっているはずだが、気象警報などはチャンネルを回しても見当たらなかった。
僕は朝食もそこそこに、雨天時の基本装備を整えて家を出た。
向かう先は近所の公園だ。そこは昨日彼女と話した場所で、家から15分ほど歩いたところにある。
この雨では通常の倍近くかかりそうだ、なんてことを漠然と考えながら千鳥足で悠々と歩を進めた。
傘の抵抗も虚しく、公園に着いた僕は衣服を身体に張りつかせていた。
「すごい雨だね」
着くや否や僕は傘をさしていない彼女の姿を捉え、傘に入れた上でそう言った。
「・・・・」
案の定返事はない。もう一度話しかけてみる。
「どうやら君のプロポーズで雨も舞い上がっちゃってるみたいだね。降っているんだけれど」
「・・・・」
僕は諦め来た道を引き返すことにした。家に着いたのはそれから一時間もあとのことだった。
「今日も降らないのね」
そう彼女が口にした。
全くその通りだ、と僕は首肯する。
最後に降ったのはいつのことだったか、と先ほどから何度も考えるが生憎の曇天では思考もまとまらない。とにかく、まあそんな天気が続いていたわけである。
「雨はもちろんのこと、最近は朝起きた時に太陽が出ていないだけで辟易するよ」
「梅雨が嫌いなの?」
「い、いやそんなことはなくて、今のは単なる言葉のあやというかさ」
慌てて否定する僕をみて楽しそうな声で彼女は、
「もうすぐ終わるわよ」
とだけ言った。
梅雨が明けたらしい。
僕は寝ぼけ眼をこすりながらぽつねんと朝のニュースを見ていた。
箱の中の若いアナウンサーが時間に見合わぬ顔で机に置かれた原稿をハキハキと読み上げている。
早朝はあまりに静かで少し冷える。時間が止まった空間に一人取り残されたみたいだ、と大した感慨もなく考えていた。
テレビでは生物学の権威らしき人が「人間の嗅覚と記憶の関連性」について紹介するコーナーに移ろうとしている。
僕はテレビを消し、重力を感じながらのっそりと立ち上がった。
「せっかく早く起きたんだから散歩にでも行こうかな。」
そう自分に言い聞かせるように少し大きな声で言って脳に覚醒を促した。
僕は上着を着てから、朝露で煌めく寂しい町へと足を踏み入れた。
僕は思いを巡らせる。
五年前失った彼女へと、甘い花の香りのする彼女へと。
朝の空気は澄んでいる。
もうくちなしの香りはしない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
梅雨の時期ってジメジメする中にもどこか趣がありますよね。
ちなみに私が一番好きな季節は「冬」です。
次回作も予定しておりますのでその際はよろしくお願い致します。
ではまた。